3章

 ドアが開き、ベルがからんと鳴った。カウンターで抽出中のコーヒーを見たおてんとちゃんが驚いて消えていった。
 香織里は深く息を吸い、吐いた。
 入ってきたのは女性のレポーターと、男性のカメラマンである。今日はローカル放送局の取材日だった。
 開店二日前の取材だった。まさか自分がテレビに出るとは思ってもいなくて、かなり緊張している。黒のエプロンで手汗を拭いた。
 レポーターは入店して、店内をぐるりと見回した。まずは目に入ってくるのは色とりどりの花。それから、コーヒーの香り。こじんまりとしていて、花もあるが、大きな窓があるため広々と感じる――とカメラに向かってレポートしている。
 その大きな窓側の席についたレポーターはメニュー表を見た。コーヒーはキリマンジャロやブルーマウンテンなど数種類を用意している。ランチはスープとサラダがつき、メインはカレーかサンドイッチが選べる。カレーは素揚げしたナス、カボチャ、人参などがたっぷりとトッピングされ、辛さは控えめにした。デザートにシフォンケーキ、パフェを用意している。
 香織里は打ち合わせ通り、看板メニューの一つであるパフェとコーヒーを持っていく。
 今日のフルーツは春らしくいちごを選んだ。真っ白のクリームの上に、真っ赤に色づいたいちごがたっぷりと載っている。ミントとピンクのバラが添えられており、華やかなパフェになっていた。
「すっごい鮮やかですね。このお花も食べられるんですか?」
「はい。見た目も華やかになりますし、香りもよくて意外と合いますよ」
 香織里が説明すると、レポーターは一口パフェを食べた。バラの香り、いちごの甘さ、それを邪魔しない滑らかなクリームだとレポートする。いつもテレビで見ていた食レポが目の前で行われていて、不思議な感覚だった。
「葬儀会社でカフェをしようと思ったきっかけは何だったんですか?」
 女性レポーターが美味しそうにパフェを食べながら質問してきた。
 自分に向けられたマイクにどぎまぎしながら、香織里は黒のエプロンの前で両手を握りながら答えた。
「何も食べずに来られるお客様がいたんです。親しい人が息を引き取った後って、ばたばたしがちで、落ち着けないことが多いと思うんです。打ち合わせの時だけでも、ほっとしてもらえたらいいなって思って。もちろん、葬儀の予定がない方にとっても、落ち着ける場所でありたいと思っています。あと、葬儀に対するイメージを変えてほしいなという思いもあります。ここに置いてある花は、どれも花祭壇で使われるものです」
 カメラが店内に置いてあるポットに向けられた。
 今日はパフェでも使っているバラが一段と目立っていた。白、ピンク、赤、黄とカラーバリエーションも多い。園子が発注した花だ。どれも購入できることも説明する。
「あいメモリーは『繋がり、いい別れ』を提供する葬儀社でありたいと思っています。故人を偲びながら食を楽しめる場所を提供したいと思っています」
「なるほど、この”お見送りランチ”がそうですか?」
 レポーターがメニュー表を指さした。そこには『お見送りランチ〜大切な味と大切な思い出を〜』と書かれている。
「そうです。予約と打ち合わせが必要になってきますが、なるべく再現したいと思っています。供養の一つと考えていただいても大丈夫です。故人との思い出をランチと一緒に楽しんだり、気持ちの整理をしたりできるかなと思っています」
 平次の口癖である「別れは、生きること」が胸の中でこだまする。
 これは故人のためでもあり、遺族のためのものでもある。遺族が別れを受け入れ、前向きに見送ることができるようにするのも、葬儀屋の仕事だというのはこれまで関わってきた葬儀の中で何度も実感してきた。それが『繋がり、いい別れ』なのだ。
 レポーターは香織里の説明を聞いた後、最後に店の情報を述べた。撮影が終わり、香織里はほっと胸を撫で下ろした。
 一歩や平次と何を伝えるかは予め打ち合わせをしていたが、上手く喋ることができるかどうか心配していた。
「ありがとうございました〜。さっきも言いましたけど、葬儀屋さんってなんか近寄りがたいと思っていましたけど、ここは凄く明るくて、いい雰囲気ですよね。花もどれも綺麗だし」
「ありがとうございます。店内については、ブライダルの経験があるフラワーデザイナーのアドバイスも受けながら決めました。ここで葬儀の打ち合わせなどもするので、とにかく落ち着ける空間であることを最優先しました」
 奥側にある席は、打ち合わせ専用の席だった。打ち合わせをする人には、飲み物は何杯でも無料で提供することにしている。この取材のあと、一歩が担当する式の打ち合わせが入っていた。
 レポーターとカメラマンが店を後にして数分後、すぐ一歩がプランシートを持ってやってきた。
「どうだった?」
「ちゃんと話せたよ。多分」
「良かった。いい宣伝になると思う」
 一歩の笑みを見ると、胸の中がざわりとする。それは決して嫌な感じではないのだが、香織里はいてもたってもいられず、キッチンに戻った。
 両手で火照る頬を冷やしていると、おてんとちゃんが心配したのか姿を見せた。香織里は大丈夫だよと口だけ動かしてはにかんだ。
 おてんとちゃんは居場所をホールからこのカフェに移した。繋がりのある人をここで探したいのかもしれない。
 それからしばらくして、ベルがからんと鳴った。入ってきた女性に一歩が挨拶をして、打ち合わせの席に招いていた。数日前から担当しており、香織里にとってはいい予行演習となっていた。
 一歩のアシスタントであることには変わりないが、もう一歩の隣に座って、一緒に式の打ち合わせをすることはない。寂しさはあるが、助かったと思っている自分もいた。
 一歩は新しいアシスタントを置くことはしなかった。園子の話だと、平次から新しいアシスタントが必要かと聞かれても、一人でいいと答えたらしい。一人で打ち合わせから準備までやっているようだった。
 オープン一日前になると、今度は緊張でいっぱいいっぱいになってしまった。
 パートは二十五歳の女性で、名前は木下早紀という。結婚してこの近くに引っ越してきて、たまたまカフェの求人があったので応募したと言っていた。
 夕方になり、一緒に掃除をして、花に水をやって、準備を終えた。明日から頑張ります、と挨拶をして、早紀は帰っていった。
 誰もいないカフェを香織里は眺める。
 今でも信じられない。自分がカフェで料理を作ることが。
 棚に並べられたお気に入りのコーヒー豆、園子が選んだ花、みのりや一歩に何度も食べてもらってできたメニュー。葬儀自体からは離れることになるが、ここであいメモリーの一員としていい仕事ができたらいい。
 感慨に耽っていると、鳴らないはずのベルが鳴った。入ってきたのは一歩だった。式を終えて早めに退勤したらしい。
「帰らないの?」
「あ、もう帰ろうかなって思ってたところ……」
「パフェ食べて帰ろうかなって思ってたんだけど。駄目かな。お金はちゃんと出すよ」
 そう聞きつつも、カウンター席に座られてしまい、香織里はパフェを出すしかなくなってしまった。
 できたパフェを持っていくと、ドアの前に園子がいることに気付いたが、園子はドアを開けようとして、そのまま帰っていってしまった。入ってくれたほうがありがたかったが。
 何も知らない一歩はそのままスプーンを持ってすぐ食べ始めた。落ち着かないので、香織里も自分のコーヒーを淹れる。
「やっぱり式の後は甘いものが食べたくなる。生きてるなって思う」
「どういうこと?」
「いや、だって、ずっと死に触れてるとしんどい時もあるじゃないか。慣れたけど、でもやっぱりしんどいなって思うことはある。昔から甘いのは好きだけど、この仕事初めてから量が増えた気がする」
 底のフレークをスプーンですくい上げながら一歩は溜息をついた。
「甘いのでストレス発散させるのは良くないなとは思うけど。あ、ごめん、明日オープンなのに、こんな話」
「アシスタント……良かったの? 一人で疲れてない?」
「ああ、それは大丈夫。それが原因じゃないし。定期的にあるんだよ。人の死に触れるのがしんどいなって思うこと――そういう時、香織里さんが作る甘いのが食べたくなる。やっぱり向いてるよ、香織里さんはこの仕事。絶対」
 何それずるい。
 と思いながらも、香織里はそれを口にすることはなかった。
 そそくさとカップを下げ、勢いよく水を出す。またおてんとちゃんが心配そうな顔をして自分を見ていた。おてんとちゃんには分からないのだ。
 一歩は香織里の片付けが終わるまで待ってくれていた。一緒に駐車場まで行って、そこでようやく香織里は一歩に声をかけた。
「一歩くんがいなかったら、こんなことになってなかったと思う。誰かのために作りたいって思えたのも、一歩くんのおかげ。ありがとう、明日から頑張る」
 一歩は頷いて、先に帰っていった。
 その日の晩、愛翔がいた時と同じ量の夕飯を作ってしまい、父からは緊張しているのかと声をかけられた。それもあるが、もっと別の理由があるのは、香織里も自覚していた。

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