2章
年末、いつもと違ったのは、愛翔が勉強すると言って、伯母が来ても部屋に籠もっていることくらいだった。
伯母は母の妹だ。年末になると、母に会いに来る。お土産の羊羹がリビングの机の上に置かれていた。時刻は午後三時。伯母のお祈りが終わった後、お茶にするつもりだ。
伯母が祈りを捧げている間は仏壇の前には行かない。伯母からそう頼まれているからだ。
兄弟が死んでいなくなるという感覚は、まだ香織里には分からない。もし愛翔が――と考えると不安でたまらなくなるので、考えるのをすぐにやめた。
伯母にしか分からないものがあるのだろう。それを理解しようとしても、完全な理解は不可能だ。香織里が伯母にできることは、祈りの時間を邪魔しないことだけだ。香織里は父と一緒にリビングでテレビを眺めていた。
伯母は母と似ている。ウェーブのかかった短めの茶髪。丸い目。身長は低く、細い。雰囲気も母そっくりだ。
香織里は父と似ていて、母と似ているのは愛翔の方だった。二人が並んでいると、血の繋がった親族なのだなと感じることがあった。
母と別れた後、伯母がいくらか東条家の世話をしてくれたことがある。このまま伯母が家にいてくれればいいのにと思ったが、伯母には伯母の家がある。香織里が伯母に「私たちはもう大丈夫」と言っても、伯母は「でも」と渋った。あの時、伯母が母とまだ別れる準備が出来ていなかったのだ。
「お待たせ。香織里ちゃん。羊羹、食べよっか」
リビングにやってきた伯母が、明るく香織里に声をかけた。
「あ、はい。お茶淹れてきます。緑茶でいいですか」
「コーヒーがいいな。そこの豆。気になってて。香織里ちゃん、コーヒーの趣味なんてあったっけ」
「新しい仕事を始めてからです。コーヒーがあると落ち着くなって思って。愛翔もよく飲むし」
コーヒーを淹れていると、愛翔も部屋から出てきた。お土産があまり好きではない羊羹だと分かった愛翔はがっかりしていたが、勉強で疲れていたのかぺろりと平らげていた。
「香織里ちゃん、仕事変えたの?」
「あ、はい。そこのあいメモリーってところです」
「え、あそこって葬儀屋でしょ?」
まただ。また、なぜ葬儀屋なのかと聞かれる。この質問かと半分呆れながらも、香織里は愛翔に答えた時と同じように伯母にも話した。ただ一つ、加えたいことがあった。
「葬儀ってやってみるといいものだなって思いますよ。お母さんのお葬式の時は、慌ただしかった記憶しかないけど……、うちの会社の葬儀は、落ち着いてお見送りできるようにするから」
「そっかあ。もしあの時、香織里ちゃんが葬儀屋で働いていて、香織里ちゃんに任せていたら、もうちょっと落ち着いた葬儀ができたのかな。お義兄さんはどうだった?」
話が父に飛ぶ。父は羊羹を切りながら口籠った。
「僕も忙しくてあまり記憶がなくて。どうだったかと聞かれてもな。頼んだ所が駄目だったとは思ってはいないけど……もう時間が経ってしまったからなあ。今度は自分の番だと思うよ。その時は香織里のところに頼むかな」
父の軽い笑いに、伯母は「次はうちのお母さんかお父さんだよ!」と返していたが、香織里は何も言えなかった。父が自分の死を考えているということを、この時初めて知った。
母の時は本当に慌ただしかった。まだ生きられる、まだ死なない、と、万が一のことを考えるのを先延ばしにしていた。父もだったし、香織里も、愛翔もだった。皆、母が死ぬなんて、あの時は考えられなかったし、考えたくもなかったのだ。
でも、準備は必要だった。いつか、どこかで訪れる死への準備は。
話が面白くなかったのか、それとも考えたくなかったのか、思い出したくなかったのか。愛翔はさっさとコーヒーを飲み終えて部屋に戻っていってしまった。
伯母もお茶を終えると、すぐに東条家を後にした。これから伯母の家族は実家に帰るようである。母が生きていた頃は、香織里たちも大晦日は母の実家に行っていた。今はもう、この家で三人で年越しをする。
晩はシンプルな年越しそばで、あとはスナック菓子やつまみを食べつつ、お酒を飲む。普段はあまり飲まない父も、この日だけは寝るまでずっと飲んでいた。香織里もいつもなら缶二本くらいは飲むのだが、いつ職場から電話がかかってくるか分からないのでお酒は飲めなかった。
愛翔は自分の部屋で、父と香織里はリビングで、それぞれ好きなように過ごす。
歌番組もクライマックスに差し掛かり、新年を迎えるムードが高まりつつある時、香織里のスマホが鳴った。香織里を呼び出していたのはいちごのパフェ――一歩だ。
『あ、香織里さん。ゆっくりしているところごめん。僕一人でもいいかなって思ったんだけど、香織里さんにもいてほしくて。仕事が入った。今来れる?』
二つ返事で香織里は制服に着替え、家を出た。
新年は車の中で迎えた。あけましておめでとうございますという挨拶はしばらくできそうになかった。
伯母は母の妹だ。年末になると、母に会いに来る。お土産の羊羹がリビングの机の上に置かれていた。時刻は午後三時。伯母のお祈りが終わった後、お茶にするつもりだ。
伯母が祈りを捧げている間は仏壇の前には行かない。伯母からそう頼まれているからだ。
兄弟が死んでいなくなるという感覚は、まだ香織里には分からない。もし愛翔が――と考えると不安でたまらなくなるので、考えるのをすぐにやめた。
伯母にしか分からないものがあるのだろう。それを理解しようとしても、完全な理解は不可能だ。香織里が伯母にできることは、祈りの時間を邪魔しないことだけだ。香織里は父と一緒にリビングでテレビを眺めていた。
伯母は母と似ている。ウェーブのかかった短めの茶髪。丸い目。身長は低く、細い。雰囲気も母そっくりだ。
香織里は父と似ていて、母と似ているのは愛翔の方だった。二人が並んでいると、血の繋がった親族なのだなと感じることがあった。
母と別れた後、伯母がいくらか東条家の世話をしてくれたことがある。このまま伯母が家にいてくれればいいのにと思ったが、伯母には伯母の家がある。香織里が伯母に「私たちはもう大丈夫」と言っても、伯母は「でも」と渋った。あの時、伯母が母とまだ別れる準備が出来ていなかったのだ。
「お待たせ。香織里ちゃん。羊羹、食べよっか」
リビングにやってきた伯母が、明るく香織里に声をかけた。
「あ、はい。お茶淹れてきます。緑茶でいいですか」
「コーヒーがいいな。そこの豆。気になってて。香織里ちゃん、コーヒーの趣味なんてあったっけ」
「新しい仕事を始めてからです。コーヒーがあると落ち着くなって思って。愛翔もよく飲むし」
コーヒーを淹れていると、愛翔も部屋から出てきた。お土産があまり好きではない羊羹だと分かった愛翔はがっかりしていたが、勉強で疲れていたのかぺろりと平らげていた。
「香織里ちゃん、仕事変えたの?」
「あ、はい。そこのあいメモリーってところです」
「え、あそこって葬儀屋でしょ?」
まただ。また、なぜ葬儀屋なのかと聞かれる。この質問かと半分呆れながらも、香織里は愛翔に答えた時と同じように伯母にも話した。ただ一つ、加えたいことがあった。
「葬儀ってやってみるといいものだなって思いますよ。お母さんのお葬式の時は、慌ただしかった記憶しかないけど……、うちの会社の葬儀は、落ち着いてお見送りできるようにするから」
「そっかあ。もしあの時、香織里ちゃんが葬儀屋で働いていて、香織里ちゃんに任せていたら、もうちょっと落ち着いた葬儀ができたのかな。お義兄さんはどうだった?」
話が父に飛ぶ。父は羊羹を切りながら口籠った。
「僕も忙しくてあまり記憶がなくて。どうだったかと聞かれてもな。頼んだ所が駄目だったとは思ってはいないけど……もう時間が経ってしまったからなあ。今度は自分の番だと思うよ。その時は香織里のところに頼むかな」
父の軽い笑いに、伯母は「次はうちのお母さんかお父さんだよ!」と返していたが、香織里は何も言えなかった。父が自分の死を考えているということを、この時初めて知った。
母の時は本当に慌ただしかった。まだ生きられる、まだ死なない、と、万が一のことを考えるのを先延ばしにしていた。父もだったし、香織里も、愛翔もだった。皆、母が死ぬなんて、あの時は考えられなかったし、考えたくもなかったのだ。
でも、準備は必要だった。いつか、どこかで訪れる死への準備は。
話が面白くなかったのか、それとも考えたくなかったのか、思い出したくなかったのか。愛翔はさっさとコーヒーを飲み終えて部屋に戻っていってしまった。
伯母もお茶を終えると、すぐに東条家を後にした。これから伯母の家族は実家に帰るようである。母が生きていた頃は、香織里たちも大晦日は母の実家に行っていた。今はもう、この家で三人で年越しをする。
晩はシンプルな年越しそばで、あとはスナック菓子やつまみを食べつつ、お酒を飲む。普段はあまり飲まない父も、この日だけは寝るまでずっと飲んでいた。香織里もいつもなら缶二本くらいは飲むのだが、いつ職場から電話がかかってくるか分からないのでお酒は飲めなかった。
愛翔は自分の部屋で、父と香織里はリビングで、それぞれ好きなように過ごす。
歌番組もクライマックスに差し掛かり、新年を迎えるムードが高まりつつある時、香織里のスマホが鳴った。香織里を呼び出していたのはいちごのパフェ――一歩だ。
『あ、香織里さん。ゆっくりしているところごめん。僕一人でもいいかなって思ったんだけど、香織里さんにもいてほしくて。仕事が入った。今来れる?』
二つ返事で香織里は制服に着替え、家を出た。
新年は車の中で迎えた。あけましておめでとうございますという挨拶はしばらくできそうになかった。