2章

 一歩の特大いちごパフェより一回り小さいパフェが香織里の元に届いた。
 カップの中には真っ赤に熟れたいちごと、ふんわりとしたクリームが入っている。いちごにはチョコソースがたっぷりかかっていた。
 香織里がスプーンを持った時、一歩は既に食べ始めていた。黙々と食べ進めている。そのスピードにまた圧倒されてしまった。喋りかけてはいけないような雰囲気もある。
 香織里が一歩のことを見すぎていたのか、一歩の手がぴたりと止まった。
「ん?」
「あ、ごめん、じろじろ見ちゃって」
「やっぱり変?」
 変、というのは、甘いのが好きということだろうか。香織里は慌てて否定した。
「や、別にそうじゃなくて。驚いただけというか、すごい食べっぷりだなって。福原さんって細いし、あまり食べないのかなって思っていたから。甘いのも嫌いなのかなってずっと思ってたし」
「ああ、そういうこと。僕だって普通に食べる。さすがに今日の晩は少し控えめにするつもりだけど。甘いものが好きって言うと意外って言われるから、それが面倒くさくて隠してたんだけど」
 一心不乱に食べている姿を見て驚きはしたが、それが変だとは思わなかった。好みは人それぞれだ。一歩は甘いのが好き。それだけである。
「正直言うと、今日ここにしたのも、これが食べたかったから。前は一人で来たけど、居心地悪くて。可愛い店に男一人で来るようなもんじゃないだろ」
「福原さんも、そういうのは気にするんだ」
「僕だって気にする。そうだ。一人でも入りやすくて、食べやすい店がいい。葬儀屋ってただでさえ異質な空気あるし」
 スプーンを置いて、早速ノートにメモをする一歩を見ながら、香織里は一口パフェを食べた。
 甘酸っぱいいちごと、甘さ控えめのクリーム。食べやすかった。
「やっぱり打ち合わせに来た人とか、葬儀を終えた人とかに向けてのお店で考えているの?」
 香織里は店の経営に関して言えば知識は全くない。
 ただ、誰に向けての店なのかを考えるのは大切なことだというのは分かる。それは料理も同じだ。誰が食べるのかは考えないといけない。目的次第で作るものも変わってくる。
 もし自分が飲食店を経営するなら。まず考えるのはそこからだ。
 打ち合わせに来た人、例えば晴馬のような人に提供する。そして葬儀を終えた人――それは故人の霊だけではなく、遺族も含まれるのだろう。つまり、まとめて言えばターゲットは「あいメモリーのお客様」である。葬儀をあいメモリーですると決めた人に向けての店ということだ。
「葬儀屋を身近に感じられる新しい事業って言っていたけど、それをする意味って何なのかな。売上が減っているとか?」
「売上的に言えばあいメモリーはよくやってる方だ。営業が無理をしているなんて話もない。直接聞いていないから、これは僕の予想だけど。最近、葬儀に対する価値観や形が変わってきているの、香織里さん、知っている? 地域によっても考え方は違うけれど、もっぱらこのあたりの地域は葬儀の簡素化が進んでいる。前の三人も、火葬式だっただろ? 簡単に済む葬儀はどこでもできると思う。でも、あいメモリーが掲げる理想の葬儀って、そういうものじゃないだろ。その良さを社長は新しい事業で伝えようとしているんじゃないかって僕は考えている」
 喜一の葬儀で妥協をしなかったのは、会食だった。
 式自体は小さくしても、繋がりを感じられる会食だけは盛大に行った。結果として、故人は満足して旅立つことができ、その旅立ちを遺族は見送ることができた。
 実たち三人も、会話をしながら食事をして旅立った。人と繋がれたから、旅立つことができたのだと一歩は考えていた。
 繋がる場。そして、その良さを伝えていく場。そのための新しいお店。香織里はグラスの底にあるフレークをすくいながら考えをぽつぽつと口にしてみる。
「だったら、葬儀をする予定のない人が、そのお店だけに来てもらってもいいよね」
「もうちょっと広げるってこと?」
「うん。あいメモリーの雰囲気を知ってもらうだけもいいんじゃないかな。営業に走り回るより、そのお店に来てもらって、美味しいの食べてもらって、あいメモリーってこんなところなんだって知ってもらって。いつか葬儀をする時になった時、そういえばあいメモリーがあったなって思い返してもらえたらいいんじゃないかなあ。もちろん、打ち合わせの場としても、お見送りの場としても、使ってもいいと思うよ。独立したお店じゃなくて、あいメモリーみんなで作っていくお店とかどうかな」
 香織里の話すことが、どんどんノートに書き込まれていく。話していながら、大きなことを言っているなあとは自分でも感じていた。
 しかし、そこまでしなければいけないような気もするのだ。あいメモリーの目指すものを考えると。
「なるほど。確かにそうかもしれない。あいメモリーを知ってもらう。あいメモリーで繋がってもらう……」
 メモしたことに、大きく丸をした一歩は頷いた。
「決まった。じゃあ、これでいこう。でも、僕はもうちょっと何か欲しいなって思うな」
「確かに。葬儀屋がする飲食店って入りづらいし、入りやすくなるような何かが欲しいかも」
 考えていたらパフェもコーヒーも終わってしまった。
 長居もできない。一歩はここまでにしようとノートを閉じた。
 会計をする時、一歩から呼び出したので奢ると言われたが、香織里はそれを断って自分の分は自分で支払った。
 一歩は駅前のパーキングに車を停めていると言うので、香織里は慌てて鞄の中からクッキーを出した。
 作りすぎたから、という理由を添えて渡すと、一歩は吹き出した。
「香織里さんっていつも食べきれないほどのお菓子を作ってるの? 僕は処理班?」
「気持ちが落ち着かない時はいつもキッチンで作業してて……。あ、これは別に仕事のこととか、福原さんとのことで悩んでいるとか、そういうことじゃなくて」
「でも作って、余ったんでしょ? 僕のことで悩んでたんじゃないの。でもいいよ。悩ませていた僕にも悪いところはあるんだ。今日、香織里さんが僕の計画に乗ってくれただけで、嬉しい。ありがとう。帰ってすぐ食べる。また何かあったら連絡する」
 コートのポケットにクッキーを入れ、一歩は駅に向かっていった。
 一歩には何もかも見抜かれてばかりだ。働ければそれでいいと思って入社したことも、一歩との関係に悩んでいたことも。
 ありがとう、と職場の人に言われるのはいつぶりだろう。それだけで、今まで悩んでいたことは吹き飛んだ。
 帰り際、あいメモリーのホールに寄った。今日は葬儀がない。たまに園子たちが花祭壇の研修会をしていることがあるが、それもなかった。
 幼い霊が、一人でロビーのシャンデリアに座っていた。
 名前すら分からない霊である。名前が分からないことに、寂しさを感じる。
 香織里に気付いた霊はゆっくりと香織里の元に降りてきて、ぱっと笑った。
 その笑顔はいつか母と読んだ絵本に登場するおひさまのようだと思った。
「おてんとちゃん、って呼んでもいい?」
 おひさまの名前だった。お天道様からきた名前である。この子にぴったりだと感じた。
 香織里の言葉を理解しているのかしていないのか分からないが、霊は笑った。
「また来るね」
 残された最後の一人まで、きちんとお見送りがしたい――できれば新しくできるお店で。
 やってみたいことがたくさんできた。それが嬉しかった。
 帰宅すると愛翔がキッチンで何かを作っていた。愛翔は料理中に口出しすると怒る。香織里は黙ってソファに座り、一歩に『今日はありがとうございました』とメッセージを送った。『だから敬語はやめろって。クッキー美味しかった』とすぐに返事が返ってくる。自分の顔が緩んでいることに気がついてしまい、恥ずかしさからひざ掛けを頭から被った。

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