2章

 翌日、香織里は姿見の前で頭を抱えていた。
 手持ちの中でナチュラルに見える服を選んでいたが、どれも滅多に着ないものなのでしっくりこなかった。場所が場所なだけに、困っていた。簡素すぎても浮きそうだし、逆におしゃれをしすぎても勘違いしているんじゃないかと思われそうだった。
 休日に職場の人と会うことが今までなかったので、どういう気持ちで行けばいいかも未だ分かっていない。
 こんなに悩ましく思っているのは、愛翔がしつこくデートか、彼氏か、と茶化してきたせいだ。違う。仕事の話をしに行くのだ。そう自分に言い聞かせて、白のニットワンピースにブラウンのロングプリーツスカートに決めた。
 化粧はいつも通り。顔を整える程度の化粧である。ブラックのコートを羽織ってリビングに降りると、ソファに寝そべっていた愛翔がニヤッとして体を起こした。
「気合入ってんねえ」
「これが普通だってば。そこのスーパーに行くのとは訳が違うんだって」
 キッチンに置いていたクッキーをそっと鞄の中に入れる。
 約束の時間は午後二時。昼下がりのお茶の時間である。あれから一歩のSNSのアイコンに変化はなく、いちごのパフェがメッセージ履歴に残っていた。
「そっすか。晩はテキトーにするから遅くなってもいいからねー」
「え? 誰が作るの」
「俺がやるよ。受験勉強ばっかしてたら気が狂いそうになる。練習もしないといけないし。ということで、香織里は遅く帰ってきてもいいから」
 ソファの背もたれから伸びる愛翔の手がひらひらと動いている。早く行けということだろうか。
「あのね。何を期待してるのか分からないけど、仕事の話なの。普通に帰ってくるよ。まあでも、愛翔が作りたいなら夜は任せるよ。よろしく」
「はいよー」
 気の抜けた愛翔の返事に、香織里ははあっと息を勢いよく吐いた。
 それが良かったのか、胸がすっとする。
 話の内容はさておき、関わりにくいと思っていた一歩と、少しでも打ち解けたらいい。そういう気持ちで行けばいいのだ。
 車に乗り込んで、近辺ではそこそこ大きな街に向かう。指定されたカフェは駅前だった。駐車場はほぼいっぱいだ。並んで待っている人もいる。
 白塗りの壁に、木製の可愛らしいドア。可愛らしい外観をしていた。店名は『ベリーズ・ベリー』だった。店名からいちごを売りにしたカフェであることがすぐに分かる。窓ガラスにはたくさんのいちごがプリントされていた。
 店内に入るとアルバイトらしい店員が人数を聞いてきたので、待ち合わせをしていることを伝え入店する。
 いちごカラーが目に入った。壁がいちごの色になっている。
 一歩は店一番奥の窓際に座ってメニューをじっと見ていた。白のシャツに紺のニットセーターを合わせていた。あいメモリーの制服では容姿と相まって隙がないように見える一歩も、私服になると緩んだところがあって、ごく普通の男性に見えた。
「こんにちは、遅くなってすみません」
 香織里が声をかけると、一歩はゆっくりと顔を上げて、首を横に振った。
「そんなに待っていない。僕もさっき来たばかりだから」
「ここ、お客さん多いですね。予約していたんですか?」
「当たり前だろ。僕は待つのが大嫌いなんだ。あ、僕は普通に食べるけど、香織里さんはどうする?」
 何を食べるのかは聞かなかった。聞かなくても分かった。さっきまで開いていたページがパフェのページだったからだ。SNSのアイコンにしている大きなパフェを頼むのだろう。
 香織里は小さいサイズのいちごのパフェとコーヒーを頼んだ。
 店員に注文を伝えると、一歩は鞄の中から一冊のノートを取り出した。開いたページには何かたくさんメモしてあった。思い浮かぶことをざっと書き殴ったような感じだ。
「あれから考えたんだけど……、やっぱりカフェというか、飲食できる場所は、うちにあってもいいと思うんだ。晴馬さんみたいに、何も食べてない状態で来てもらっても、いい打ち合わせはできないと思うし」
「食べてないって言っていましたもんね」
「そう……、それと、前から言おうと思ってたんだけど、そろそろ敬語はやめて。はっきりとは覚えていないけれど、香織里さんの方が僕より上でしょ? 僕の方が立場が上かもしれないけど、でも一緒に式を組み立てるんだから。もしこの計画がうまくいっても、香織里さんは僕の、というか僕たちコーディネーターのアシスタントになるんだから。場合によっては、コーディネーターよりも上になる可能性だってあるよ」
 そう言われて、香織里の胸がどきんとした。これからの自分の立場にどきっとしたわけではない。「一緒に」と言われたことに、どきっとしたのだ。
「あ、えっと……、私、三十二です。福原さんよりずっとへっぽこな人生を送ってきてる」
 あはは、と自虐気味に笑うと、一歩は眉をひそめた。
「は? 香織里さんがへっぽこなら、僕は何なんだよ。大学も中退して、それからぬるぬるアシスタントをしていた僕は。三人のアシスタントを退職に追いやった僕は」
 一歩はそこで水を一口飲み、溜息をついた。
「園子さんから聞いたんだろ。三人辞めさせたって話」
「あ、うん。でも、それって、福原さんがお見送りに一生懸命になってたからなんだろうなって思ったし、福原さんは悪くないのかなって」
 香織里が感じたことをそのまま伝えると、一歩は驚いたような顔をしていた。
 僅かに顔が歪む。晴馬が父親のことを話していた時の表情に似ていた。胸の奥底にしまっていたものを取り出して、口にする時の表情だった。
「香織里さんは、優しいよ。だから、晴馬さんは根っこにあるものを話してくれたんだろうな。やっぱり僕にはできない」
「……前の職場でも同期に言われた。優しいからなんでもかんでも仕事が回ってきて、できないことをする羽目になるんだって。それもそうだって私も思う。優しいというより、優柔不断なんだよ。私は福原さんのきっちりしたところ、羨ましいよ」
 前の仕事のことを思い出すと、苦しくなってしまうから、あまり思い出さないようにしていた。一歩に話すことではないのに、何故だか、口からこぼれ落ちていく。
「家族にも、園子さんにもこの話はしてない。福原さんも、優しいよ。話してもいいかなって思っちゃうから。辞めていった三人は、きっとやり方とか、能力とか、考え方とかが合わなかっただけだよ。私が前の職場を辞めたように。福原さんは立派なコーディネーターだって私は思っているから。福原さんの苦手なことのうち、私が手伝えるなら手伝いたいし」
 喋りすぎてしまった。香織里はそこまで言って、コップで火照る手を冷やした。
「――そう言われると嬉しい。正直、香織里さんもすぐ辞めていくんじゃないかって思ってた。香織里さん、葬儀がやりたくて入社した訳じゃないだろ。とりあえず働きたいから入ってみたって感じでしょ」
 図星だった。やはり分かる人には分かるのだ。
 一歩によると、前の三人も皆、そうだったらしい。とりあえず働きたくて、入ったような感じだったようだ。死に触れるのがそもそも嫌だったのかもしれない。
「福原さんは、なんで葬儀屋を選んだの?」
「僕? 葬儀のアルバイトをしたら、良いなって思ったから。僕は下っ端の下っ端だったけど、一つの人生の節目に関われて、式が成功して、いいなって思った。式は故人のためでも、遺族のためでもある。その双方の役に立てるのが嬉しかった。そう思うと大学で学んでいる意味が感じられなくて、中退した。あいメモリーに入って、前の凄腕コーディネーターと一緒に働いていて、いいお見送りができることに満足していたんだ。でも、その人が辞めてしまったから、僕がコーディネーターになるしかなかった。他の人の元で働くつもりはなかったから。前のコーディネーターがしていたようなお見送りが、僕の目標」
 あいメモリーの理念であり、一歩の目標である、いいお見送り。喜一の旅立ちの瞬間が蘇り、香織里の胸を震わせた。
 香織里は頷いた。
「私、福原さんの計画、乗ります。私も、いいお見送りがしたいから」
「うん。じゃあ、社長に認められるようにちゃんと考えよう――その前に、食べていい?」
 店員が持ってきた特大のいちごパフェを前にして、一歩はスプーンを握りしめ顔を緩ませていた。

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