5章 神を忘れた聖女

「星間ちゃんさん。もしかしたら、星間ちゃんさんのお忘れ物、私が見つけられるかもしれません」
 星間ちゃんを抱きしめ、ムゲンは声を絞り出した。泣きすぎて喉が痛かった。
「あなたの懐かしさが私にあるのなら、私のお忘れ物の中に、あなたがいるかもしれません。だから、捜してきます。絶対、見つけます。バンドウさんのお忘れ物の残りも、私のお忘れ物も、星間ちゃんさんのお忘れ物も、全部、見つけてきます。だから、それまでは、絶対に、どこにも、逝かないでください」
 星間ちゃんは泣かなかった。
 ムゲンの言葉に、黙って頷いた。
 どこにも逝きません、なんて、バンドウと同じことは言えなかったからだ。本当は言いたかったが、自分は魔法の存在。魔法の力がなければ生きていけない。これは自分の意思ではどうにもならないことだと分かっていた。
「ボクに、お忘れ物ってあるんでしょうか。ボク、魔法の生き物なのに」
「懐かしいと思うなら、あるはずです。私にも、バンドウさんにも、ジョーさんにも、ハナビさんにも、みんな、心の奥に懐かしいという感情がありました。忘れていても、心は忘れていません。だから、お忘れ物を取りに行くんです。前世お忘れ物捜索サービスを使って」
 ムゲンは涙をぐっと拭い、星間ちゃんの瞳を見る。自分が描いた、くりっとした瞳。泣いてはいなかったが、ほんの僅かに潤んでいた。
「バンドウさんとおりこうに待っていてくれますか」
「たくさん遊んでくれるから、大丈夫です。バンドウさんが教えてくれました。楽しみは取っておいたほうがいいって。ボク、鳥さんたちを見送りたいし、すごろくで遊びたいし、まだ消えたくないです。だから、泣かずに待ちます」
「そう。偉い」
「えへへ。褒められちゃいました。バンドウさんに自慢してこよっと!」
 ムゲンの膝から飛び降り、星間ちゃんはカウンターにいるバンドウの元に走っていった。
 カウンターに立っているバンドウと星間ちゃんの後ろ姿を、ムゲンは保管室からそっと見た。並んで立っている。星間ちゃんはぴょんぴょんと跳ねてムゲンに褒められたと嬉しそうに言っていた。星間ちゃんの自慢が終わると、バンドウの手が星間ちゃんの頭を撫でた。星間ちゃんは踵を上げて背伸びをし、バンドウの作業を静かに見ていた。
 自分が前世お忘れ物捜索サービスに出ている間も、二人でなんとかやっているのだろう。
 顔を洗いたくて、ムゲンはシャワーを浴びてくると伝えてシャワールームに向かった。
 熱いお湯を出した。頭からシャワーを浴び、気持ちを整える。
 バンドウの左胸に浮かび上がった桃色の花の印。自分もお忘れ物を見つけたら、印が浮かび上がるのだろうかと思いながら鏡を見る。
 相変わらず、どこにも印のようなものはなかった。痣もなく、傷跡もない、生まれたてのような真っ白の肌。
 お腹を見る。無駄な肉のない腹。MUGENは漫画を描くのに夢中になって一日のうち何食か抜いていたし、そもそも少食だったので痩せていた。もうちょっと食べたほうがいいよ、と、杏奈に注意されたこともある。
 杏奈。自分を漫画家にしてくれた恩人。優一郎の考えた世界観をイラストにして見せてくれたイラストレーター。プログラマー。多才な人だった。秘書になったと聞いた時はショックだったが、杏奈はMUGENを大切にしてくれていた。
 杏奈からはイラスト投稿サイト経由で連絡をもらった。杏奈が使っていたアカウントは『ゲームプラネット』だった。あなたを漫画家として私達の会社に迎えたい、という連絡だった。MUGENはすぐに返信した。杏奈は大ファンだった優一郎にも会わせてくれた。MUGENにとって、人生の恩人とも言える人だった。
 会いたい。会えるだろうか。彼女に会えば、思い出せる気がする。
 ムゲンはシャワーを止め、髪やまつ毛からぽつぽつと滴り落ちる雫を見た。両手でぐっと前髪を上げた。鏡を見る。熱すぎるほどのお湯を浴びて、すっきりした顔に戻っていた。涙の跡はもうない。
 化粧をしてセンターに戻り、前世お忘れ物捜索サービスの依頼が来るのを待つ。
 しばらくすると各路線、ようやく通常の運行に戻り、駅も賑わいを取り戻した。
 バンドウと星間ちゃんは超大作人生すごろくの製作に夢中になっており、完成したらジョーと一緒に遊ぶんだと言っている。鳥のことなんか忘れているみたいで、ムゲンが入り口の新聞紙を取り替えなければならなかった。
 なんで私が、と思いながら新聞紙とガムテープを持って外に出る。バンドウが敷いた新聞紙には、たっぷりのフンが落ちていた。見上げると、青い鳥が申し訳無さそうにムゲンを見ていた。
「ごめんなさい、ご迷惑をおかけして」
 一言だけ喋った青い鳥に、ムゲンはぽかんと口を開ける。驚いたものの、ありえないことなんていくらでもあると言い聞かせ、べりべりとガムテープを剥がし、新聞紙を丸めた。獣の匂いがした。
 新しい新聞紙を敷き、ガムテープを貼る。
 まだ孵化していないようで、雛の声は聞こえなかった。
 できるならば、もうしばらくいてほしい。巣立つ時が、星間ちゃんとの別れになりそうな気がしてしょうがなかった。
 ムゲンが溜息をつき、立ち上がった時だった。
「あの、お忘れ物センターの方ですか?」
 ムゲンは振り返り、そうですが、と答える。
 真っ白の修道服を着ている中年の女性だった。丸眼鏡をかけていて、穏やかな笑みを浮かべている。ぽっちゃりとしていて、頬が少したるんでいた。
 中央改札に向かうジョーの背中が見えた。総合案内所でジョーからお忘れ物センターを紹介されたのかと思ったが、そうでもないらしい。女性はムゲンにはっきりと要件を伝えた。
「前世お忘れ物捜索サービスを利用したいのだけれど、いいかしら」
「あ、ええ、はい。お伺いします。こちらへどうぞ」
 ムゲンは女性を案内し、ボックスから予約シートを取り出した。バインダーに挟み、保管室にいたバンドウにお茶を出すよう伝える。
 女性は突然すみませんね、と言って頭を下げた。礼儀正しい客は、いつもムゲンを安心させる。ペンを出して、ムゲンはいつもどおり、予約シートを埋めるための質問を始めた。
 女性の名前は、マリア・ベルガマスク。
 ゲームプラネット線、寝台特急ハヤミで来た、というところから、ムゲンは少し期待していた。
 しかし、ハピプラ時代の人なのか、Re:プラ時代の人なのかは、この段階では分からない。どちらにも所属している人だって、いるかもしれない。ファンなだけかもしれない。
 まだ判断はできない。ムゲンは注意深く話をすすめた。
 バンドウがお茶を持ってくると、マリアはにこりと微笑んだ。本当に礼儀正しい人のようである。バンドウは特に何も言わず、カウンターに戻っていった。
「あの方は?」
「センターの責任者です。バンドウと申します。それが何か」
「いえ。なんでもありません」
 バンドウに担当してもらいたいのだろうか、と思ったが、そうでもないらしい。意図が分からない質問だった。
 何を捜したいのかを聞くと、神を捜したいと答えた。
「わたくし、神に仕える身なのですが、その神がお隠れになってしまいまして。わたくし、他に仕えるべき神がいるのではないかと思っているのです」
 宗教を捜したい、ということだろうか。ムゲンはそう思いながら転生印の提示を求めた。
 マリアは手の甲を見せた。桃色の花が大きく咲いている。こんなに大きな印なのだから、記憶があるのかと思ったが、記憶は一切ない転生者だった。
 ムゲンは最終確認をし、バンドウに特急チキュウと特急タナバタの予約を頼む。
 その間、マリアはお茶を飲みながら、歌うように言った。
「何か、幸せなことでも、ありました?」
「え」
「青い鳥というのは、幸福の象徴ですから。何か幸せなことがあったのかと思いまして」
 バンドウから切符を受け取ったマリアは会計を済ませ、では明日、と挨拶をして、星の間ホテルに向かった。
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