5章 神を忘れた聖女



 ――いや、オレ、別にエロ本買うわけじゃねーし。
 ジョーは一冊の本を持って、コンビニの中をウロウロしていた。バンドウの名札も握りしめていた。お金は出すから、あるものを買ってきて欲しいと頼まれ、今、ジョーはここにいる。
 ついでに好きなお菓子でもジュースでもエロ本でもなんでも買っていいからと頼まれて来たのだが、本をレジに出すのがなんだか躊躇われる。
 コンビニ店員に何を思われるか分からない。ここは南口改札前にあるコンビニだった。変な噂を立てられ、他の職員に広まるのはとても困る。特にあのおばさん上司には絶対に知られたくない。
 いや、でも、バンドーさんの名札を出すんだし、と、ジョーは自分の名札をポケットの中に隠し、ようやく決心した。ジョーは他に、コーヒーとミックスジュースとコーラとポテトチップスを手に持った。別にスナック菓子が好きというわけではないが、何故かスナック菓子を選ばないといけないような気がした。バンドウは苦いのが好きだし、ムゲンは甘いのが好きだし、どちらの好みでもないのは分かっているのだが。
 大きめのポテトチップスを選び、その下に、バンドウに頼まれた本を隠した。
 それは『すくすく』という育児雑誌だった。タイトルの隣には『3歳から5歳』と書かれていた。


「あ、ジョーさん、いいところに。僕に頼まれてほしいことがあります」
 お忘れ物センターに遊びに行ってまず言われたことがそれだった。
 センターにはムゲンはいなかったし、いつもジョーに抱っこをせがむ星間ちゃんもいなかった。バンドウはジョーをカウンターに手招きし、人差し指を立てて「しー」と注意する。ムゲンが寝ているのかと思ったが、寝ているのは星間ちゃんらしい。ムゲンは前世お忘れ物捜索サービスで出張中だった。
「突然、なんすか?」
 バンドウもカウンターに身を乗り出し、ジョーの右肩に手をかけ、耳元で囁いた。
 何だ何だ、何か危険なミッションか、と思ったが、違った。
「三歳から五歳くらいの育児雑誌があったら、買ってきてほしいのです。南口改札前のコンビニ、あそこならあると思います。もう、手に負えなくて」
「は? え、何、バンドーさんに子供できたんすか!?」
 声が大きいと言われ、ジョーはカウンターに肘をついて小声で話した。
「あ、でも三歳から五歳か……えっ、隠し子でもいたんですか?」
「違います」
 バンドウの手刀がジョーの頭に直撃した。
 なんだ、違うのか、とジョーは安心しながら自分の頭を撫でた。
「いえね、僕だって、できるなら買いたくないですよ。駅内で買い物したら変な噂立つかもしれませんし、できればそんなもの読まずに解決したいんですよ」
「え、何です、何かあったんすか? 迷子センターも兼ねるようになったんすか?」
「違いますったら、まあ、説明は後でしますから、ジョーさん、この休憩時間中に頼みます。僕のお金を使ってください。お礼に、好きなお菓子でも、ジュースでも、エロ本でもなんでも買っていいですから」
 バンドウは名札を取り、ジョーの手に無理矢理置いて握らせた。
 断るという選択肢はなかった。
「頼みますよ。これは死活問題なんです。ほんとに、参ってるんです。このままでは本気で、僕もムゲンさんも仕事ができなくなります。育休なんて制度はこの会社にないですし。僕がお忘れ物で遊んでたってことが本部と駅長にバレたら即クビかもしれません。早急に解決しないといけないんです」
 バンドウの口から出てくる言葉に、ジョーはくらくらした。
 育休ってなんだよそれ、仕事ができなくなるって、マジで子育てしている親なのか、というかムゲンちゃんが関係するって、そういうことなのか――とは言えず、ジョーはバンドウの名札を握り、ふらふらとコンビニまで来て、今、レジの前で顔を真っ赤にしていた。
 レジのお姉さんがジョーの顔をちらちら見ていた。
 支払いのためバンドウの名札を提示する。堂々とバンドウの名前を見せつけてやった。
 ――違うんです、オレじゃないんです、お姉さん、違うんです。バンドーさんなんです。
 お姉さんがちらちら見てくるのは自分の金髪が気になるからだろうと思い込むことにした。
 店員は事情など知らず、ビニール袋にジュースと雑誌とお菓子を入れた。
 袋を持ってお忘れ物センターに戻っても、ジョーは立ち尽くすしかなかった。
 バンドウが星間ちゃんを抱っこしているし、星間ちゃんは激しく泣いていた。
 え、何この状況。
 ジョーが身動きできないでいると、バンドウが気付いて、星間ちゃんに何かを話しかけた。しかし、星間ちゃんはちらりとジョーを見て、さらに泣いた。
 溜息をついたバンドウはジョーを手招きする。
 星間ちゃんはバンドウにしがみついている。
「いやあ、すみませんね。こんなもんですから、仕事にならないんです」
「いや、ちょっとよく分からないっす、この状況」
「ムゲンさんがいないと、こうなんです。泣きつかれて寝て、起きたら泣き、また寝る、みたいな感じで」
 ムゲンの名前を聞いた星間ちゃんは「うわあん」と盛大に泣いた。
 泣きすぎて吐きそうなくらいだった。
 ああ、だから育児雑誌が欲しかったのだと、ようやくジョーは納得した。この現状をなんとかしようと、雑誌に解決方法を求めたのだろう。
 バンドウはパソコン前の椅子に座り、星間ちゃんを膝の上に乗せ、ジョーから雑誌を預かった。すぐに求めている情報を探した。
「なるほど、母子分離不安ですか。参りましたねえ」
「それ、いつからなんすか?」
「ムゲンさんに前世お忘れ物捜索サービスを譲り始めてからですね。僕はしばらく行かないことにしたんです。そうしたら星間ちゃんさんがこうなっちゃいまして」
 バンドウが前世お忘れ物捜索サービスを連続で受け持っているうちに、ムゲンとたっぷりスキンシップを取っていたという。それが急になくなったのが原因ではないか、というのがバンドウの考えだった。
 ムゲンの話だと、バンドウがいない間、ずっとムゲンに抱っこしてもらっていたという。お客が来た時や、お忘れ物が届いた時などの仕事の時間を除いて。
 バンドウの死にたいという衝動を常に感じ取っていた星間ちゃんである。ムゲンにも死にたいという衝動があり、帰ってこなくなるのではないかという不安もあるかもしれない。
 星間ちゃんはひっくひっくと静かにしゃっくりを上げていた。
「クレーム入ったら大変っすね」
「そうなんです。僕が魔法のクレヨンで遊んだ結果、誕生した子ですから。今はマスコットキャラクターと認知されているようですからいいんですが、クレーム入った瞬間僕の首が飛ぶかもしれません」
「あ、宣伝部からもらったんじゃないんですね。てっきり宣伝部から派遣されたんだと思ってました。つーか、バンドーさんて、絵うまいんすね」
「違いますよ。僕は絵がド下手で、ムゲンさんが修正とアレンジをしたんです。ムゲンさんの力がないと生まれなかったんで、この子がムゲンさんを母だと思うのは当然のことなのかもしれません」
 ジョーは、待てよ、とバンドウの言葉を反芻した。
 バンドウがクレヨンで遊び、それにムゲンが手を加えたということは。
「結局、バンドーさんとムゲンちゃんの子ってことじゃないですかぁ! そういうのなんて言うか知ってますよ、擬似家族ってやつです!」
「何でそうなるんですか。もう一度言いますけど、魔法の存在ですよ。親子関係はありません」
 ジョーはむしゃくしゃして、ポテトチップスの袋を開けて口に放り込んだ。ボリボリと噛み砕き、コーラを一気に飲む。
「オレが、ムゲンちゃんちょっと狙ってたの、バンドーさんだって知ってたくせに! 前の話は嘘だったんですね!?」
「前? ムゲンさんのこと好きかどうか聞いてきた時のことですか? はぐらかしはしましたけど、嘘も言ってませんよ。残念でしたね。この前はムゲンさんから僕にキスしてくれました。捜索サービスから疲れて帰ってきて、僕の膝の上に乗って――」
「あ〜あ~! 詳しい説明はいいっす! 聞きたくないっす!」
 ジョーはペットボトルをぐしゃりと握りつぶした。
 淡い期待はとっくに捨てたはずなのに、直接言われると悔しかった。
 この前「は」ってことは、その前もあったのかと思うと、泣きたくなった。
 ジョーの叫びがうるさくて、星間ちゃんがもぞもぞする。ジョーの顔をちらりと見て、泣きはらした顔で馬鹿にするようにふっと笑った。
 この野郎と腸が煮えくり返ったが、休憩時間が終わりそうだったので、ポテチの残りはあげますと言い残し、ジョーはセンターから出ていった。
 二人きりになると、星間ちゃんはバンドウのジャケットにゴシゴシと顔を擦り付けた。
「ムゲンさん、まだ帰ってこないんですか?」
「あと三時間ほどでしょうか。星間ちゃんさん、どうして、そんなに泣いちゃうんですか。あなたの達者なお口はどこへ行ってしまったんですか、本当に3歳とか4歳とかその辺の子供みたいじゃないですか」
 雑誌を読みながらとんとんと背中を叩いてやると、星間ちゃんはバンドウのジャケットを握った。
「ボクだって、分かんないです……どうしようもないんです」
「そうですか。まあ、安心してくださいよ。ムゲンさんは絶対帰ってきますから。どこにも行きません。死にもしません。ムゲンさんもちゃんとお忘れ物センターに帰ってきます。ね?」
 雑誌に書かれていたセリフをアレンジして語りかけると、星間ちゃんはすぐに頷き、落ち着いた。やはりムゲンがいなくなると思っているらしい。
 軽く背中を叩いているうちに、星間ちゃんはまた眠ってしまった。眠る時間の方が多くなっている。
「どうしようもない、ですか……」
 バンドウは雑誌を閉じて、星間ちゃんをベッドに運んだ。ジョーからもらったお菓子は机の上に置き、ジュースは冷蔵庫の中に入れる。戻ってきた名札を首にかけて、カウンターに戻った。自分の手帳に殴り書きした案の修正を始める。こんなことになってしまってから、あまり作業は進んでいなかった。
2/10ページ
スキ