4章 統治を忘れた国王
特急タナバタから下車すると、すぐに何かがバンドウの足にしがみついた。
「おかえりなさいっ!」
黄色のとんがり頭に、制帽。星間ちゃんだった。そして、星間ちゃんの向こうには、ムゲンが立っていた。
「あれ、今度こそ、迎えに来てくれたんですか?」
「どうしても、星間ちゃんさんが、行きたいっていうから。私は、センターで待ったほうがいいって言った。でも、嫌だってわがまま言って泣くから」
星間ちゃんは、だって、という顔をする。言葉にしなかったが、バンドウに何があったのかはもう既に知っているようだった。
今回は客が帰りの切符を買っていないことをムゲンは知っていたから、ここまで星間ちゃんを連れて来たのだろう。
星間ちゃんに抱っこしてくださいと頼まれ、バンドウは星間ちゃんをよいしょと持ち上げる。星間ちゃんはバンドウの首にぎゅうと抱きついた。
耳元で、星間ちゃんが囁く。
今日は、儀式はしたら駄目ですよ、と。
「しませんよ。もう。する必要がなくなりました」
星間ちゃんはバンドウから下りると、バンドウの右手を、ムゲンの左手を握った。
「えぇー、本日はァ、お忘れ物センター線、特急ゥ、星間ちゃんにご乗車いただきましてェ、まことにィ、ありがとうございまァす。次はァ、お忘れ物センター、お忘れ物センター」
ピューッと口笛を吹き、星間ちゃんは歩き始める。
周りに人がいなかったから良かったものの、ムゲンは顔を真っ赤にしていた。
流石にエスカレーターでは手を離したが、エスカレーターから降りるとまた、星間ちゃんはムゲンとバンドウの手を引いて歩いた。
お忘れ物センターに戻っても手は離してくれず「次はァ、終点、保管室、保管室ゥ」と言って二人を保管室まで連れて行く。
「ご乗車ァ、ありがとうございましたァ、終点、保管室ゥ、ドア閉まりまァす!」
カーテンをシャッと閉めて、星間ちゃんはカウンターに行ってしまった。
「何がしたかったの」
ムゲンは困惑していたが、バンドウは肩を震わせて笑っていた。
ムゲンは小さな溜息をつき、バンドウのためにコーヒーを入れた。
机には相変わらず真っ白なコピー用紙と文房具が乱雑に置かれていたので、隅に寄せる。
「ムゲンちゃん、ちょっと、話があるので、座ってください」
ムゲンは机の上にバンドウのマグカップを置いて、言われた通りバンドウの向かいに座った。
「期待した通りだったの、それとも、期待外れだったの」
「そう、そのことなんですけどね。僕、こういう者でした」
バンドウはペンを持ち、机の上にあったコピー用紙に”万道優一郎”と書いた。
ムゲンはその名前を見て、まつ毛を震わせた。
「MUGENさんは、いつも、僕の前で、そうやって、まつ毛を震わせてくれていました。やっぱり、覚えがあるんですね」
ムゲンはそっと優一郎の名前をなぞった。
ぽたりと、涙が名前の上に落ち、一の字が滲む。続けてぼたぼたと落ちる涙は、万道の字を滲ませた。
「優一郎さん……、そうだった、あなたは、優一郎さんだった……っ」
ムゲンが勢いよく立ち上がる。濡れたコピー用紙は机から落ち、ムゲンが立ち上がったはずみで椅子が倒れたが、構わずバンドウに抱きついた。
「優一郎さん、なんで、なんで死んでしまったの、なんで逝ってしまったの」
「ああ、そこまでは、記憶が戻っていなかったんですね」
ムゲンを膝の上に座らせ、バンドウはムゲンの頭を撫でる。
バンドウは取り戻した記憶をムゲンに語って聞かせた。万道優一郎のシナリオライターとしての歩みを、涙を流しながら聞いた。
ムゲンは優一郎が死んだ理由を知らなかった。
優一郎が死んだ後、MUGENは漫画が描けなくなったと話す。ムゲンが踏切に入った理由はそれかと思って聞いてみたが、ムゲンは、多分、違う、と答えた。
「そうですか。ムゲンさんも本名に関わる手がかりを見つけたら、思い出すでしょう。あと、ここで、僕を優一郎と呼ばないほうがいいかもしれません。魂が優一郎に戻ってしまいそうなんです。それは会社が許さないと思うので、バンドウで引き続きお願いします」
ムゲンはこくこくと頷いた。バンドウはムゲンの涙を拭った。
「僕ね、どうしても思い出せないんですよ、あなたの名前が。こんなにあなたのことが愛しくてたまらないのに、この感情は優一郎にもあったような気がするのに、あなたの名前が一切思い出せません。ゲームシナリオライターと漫画家という関係以上のものがあったように思うのですが、思い出せないんです。あなたの名前を聞いたら、きっと、思い出せると思うんです。続きはあなたに頼んでもいいですか。僕はもう、万道優一郎というお忘れ物を持って帰ったので」
「バンドウさんは、しばらく捜索サービスを休むってこと」
「はい。ムゲンさんに譲ろうかと思います」
ムゲンはバンドウにごにょごにょと言った。
「その間、バンドウさんは、私のパンフレットの漫画を考えていて欲しいです」
「あ、そのことなんですけどね。僕、帰りの特急の中でざっと考えたんです。明日から、もう少し洗練させて、できたらムゲンさんにお渡しします。ちなみに、大暴露するんですけど、この会社、僕が作りました」
ムゲンはぽかんとしてバンドウを見る。まさか、違うでしょ、と言いたそうな顔をしていたが、バンドウの話を聞いて、事実なのだと認めた。ハッピープラネットやRe:プラネットの世界が異世界として存在することを考えると、納得できてしまった。優一郎のファンでもあったMUGENとしては、その没となった作品のプロットは見てみたかったが、実際に会社を見ていれば設定は分かる。きっと異世界鉄道会社だけでなく、異世界警察のことや、このあらゆる世界を支える偉大な神のことも書かれているのだろう。自分たちは優一郎の設定通り、ここで働いているのだ。規模の大きさがなんとも優一郎らしい。シェアード・ワールドのゲームを生み出してきた優一郎ならではのものだった。彼の独特な作風が、まだ十代の少女だったMUGENを虜にしたのは覚えている。
「さて、伝えることは伝えました。なんと、ムゲンちゃんは今、僕に抱きついてくれています。このままベッドに運んでいいでしょうか。僕、捜索サービスでとても疲れたので、ムゲンちゃんにぎゅうっとしてほしいし、キスもしてほしいんです。今なら嫌って言えますよ。どうしますか」
ムゲンはバンドウから視線を逸らす。返答はいつもの「やめて」ではなかった。
「わ、私も、バンドウさんに、キスされると、嬉しくて、懐かしくて、泣きそうになる……わっ」
「では、行きましょうか」
――ごめんなさいね、星間ちゃんさん。体が衰えていると言ったけど、嘘だったようです。
バンドウはムゲンを抱き上げ、そのままベッドに向かった。
何度か優一郎さんと呼ばれそうになったが、バンドウはその口を塞いで呼ばせなかった。うっかり優一郎が戻ってきて、うっかり会社をクビになるのが嫌だったからだ。
ムゲンはバンドウの左胸に、桃色の花の印があることに気づき、そっと花弁を撫でた。
翌日、星間ちゃんが嫉妬で狂ったような目でカウンターにいるバンドウを見ていた。バンドウもまた細い目で星間ちゃんを見ていた。
ムゲンはそんな二人から逃げるように保管室の整頓をしていた。
「なんですか、ムゲンさんを奪われたのがそんなに嫌だったんですか。あれ、星間ちゃんさんが仕組んだんじゃないんですか」
「でもでも、あそこまでいくとは思ってませんでした! ボクのムゲンさんを返してください! あと、対応中のカードを出したのもボクです! 感謝してください!」
「あ、人払いしてくれたんですか、それはありがとうございました。でもムゲンさんは渡すつもりないです」
「うわあん!! おじさんのばかぁ!!」
「あ、おじさんって言いました? 僕はまだ三十五です。これからバリバリ働いてお忘れ物センターでキャリアを積み上げるピチピチの三十五ですよ!?」
バンドウはカウンターから出て、星間ちゃんの脇に手を入れ、抱き上げる。
「よいっしょ、僕だってまだ若いんです、ジョーさんには負けません」
勢いよく星間ちゃんを抱き上げ、腕を伸ばす。きゃーっ、高いーっ、と星間ちゃんは足をバタバタさせた。
「うるさい、センターで遊ばないで」
保管室からにゅっと顔を出したムゲンの眉間には、相変わらず皺が寄っていた。
はあい、と返事をし、バンドウは星間ちゃんを下ろす。
その時、バンドウは星間ちゃんのとんがり頭に、小さな亀裂が入っているのを見たのだった。
「おかえりなさいっ!」
黄色のとんがり頭に、制帽。星間ちゃんだった。そして、星間ちゃんの向こうには、ムゲンが立っていた。
「あれ、今度こそ、迎えに来てくれたんですか?」
「どうしても、星間ちゃんさんが、行きたいっていうから。私は、センターで待ったほうがいいって言った。でも、嫌だってわがまま言って泣くから」
星間ちゃんは、だって、という顔をする。言葉にしなかったが、バンドウに何があったのかはもう既に知っているようだった。
今回は客が帰りの切符を買っていないことをムゲンは知っていたから、ここまで星間ちゃんを連れて来たのだろう。
星間ちゃんに抱っこしてくださいと頼まれ、バンドウは星間ちゃんをよいしょと持ち上げる。星間ちゃんはバンドウの首にぎゅうと抱きついた。
耳元で、星間ちゃんが囁く。
今日は、儀式はしたら駄目ですよ、と。
「しませんよ。もう。する必要がなくなりました」
星間ちゃんはバンドウから下りると、バンドウの右手を、ムゲンの左手を握った。
「えぇー、本日はァ、お忘れ物センター線、特急ゥ、星間ちゃんにご乗車いただきましてェ、まことにィ、ありがとうございまァす。次はァ、お忘れ物センター、お忘れ物センター」
ピューッと口笛を吹き、星間ちゃんは歩き始める。
周りに人がいなかったから良かったものの、ムゲンは顔を真っ赤にしていた。
流石にエスカレーターでは手を離したが、エスカレーターから降りるとまた、星間ちゃんはムゲンとバンドウの手を引いて歩いた。
お忘れ物センターに戻っても手は離してくれず「次はァ、終点、保管室、保管室ゥ」と言って二人を保管室まで連れて行く。
「ご乗車ァ、ありがとうございましたァ、終点、保管室ゥ、ドア閉まりまァす!」
カーテンをシャッと閉めて、星間ちゃんはカウンターに行ってしまった。
「何がしたかったの」
ムゲンは困惑していたが、バンドウは肩を震わせて笑っていた。
ムゲンは小さな溜息をつき、バンドウのためにコーヒーを入れた。
机には相変わらず真っ白なコピー用紙と文房具が乱雑に置かれていたので、隅に寄せる。
「ムゲンちゃん、ちょっと、話があるので、座ってください」
ムゲンは机の上にバンドウのマグカップを置いて、言われた通りバンドウの向かいに座った。
「期待した通りだったの、それとも、期待外れだったの」
「そう、そのことなんですけどね。僕、こういう者でした」
バンドウはペンを持ち、机の上にあったコピー用紙に”万道優一郎”と書いた。
ムゲンはその名前を見て、まつ毛を震わせた。
「MUGENさんは、いつも、僕の前で、そうやって、まつ毛を震わせてくれていました。やっぱり、覚えがあるんですね」
ムゲンはそっと優一郎の名前をなぞった。
ぽたりと、涙が名前の上に落ち、一の字が滲む。続けてぼたぼたと落ちる涙は、万道の字を滲ませた。
「優一郎さん……、そうだった、あなたは、優一郎さんだった……っ」
ムゲンが勢いよく立ち上がる。濡れたコピー用紙は机から落ち、ムゲンが立ち上がったはずみで椅子が倒れたが、構わずバンドウに抱きついた。
「優一郎さん、なんで、なんで死んでしまったの、なんで逝ってしまったの」
「ああ、そこまでは、記憶が戻っていなかったんですね」
ムゲンを膝の上に座らせ、バンドウはムゲンの頭を撫でる。
バンドウは取り戻した記憶をムゲンに語って聞かせた。万道優一郎のシナリオライターとしての歩みを、涙を流しながら聞いた。
ムゲンは優一郎が死んだ理由を知らなかった。
優一郎が死んだ後、MUGENは漫画が描けなくなったと話す。ムゲンが踏切に入った理由はそれかと思って聞いてみたが、ムゲンは、多分、違う、と答えた。
「そうですか。ムゲンさんも本名に関わる手がかりを見つけたら、思い出すでしょう。あと、ここで、僕を優一郎と呼ばないほうがいいかもしれません。魂が優一郎に戻ってしまいそうなんです。それは会社が許さないと思うので、バンドウで引き続きお願いします」
ムゲンはこくこくと頷いた。バンドウはムゲンの涙を拭った。
「僕ね、どうしても思い出せないんですよ、あなたの名前が。こんなにあなたのことが愛しくてたまらないのに、この感情は優一郎にもあったような気がするのに、あなたの名前が一切思い出せません。ゲームシナリオライターと漫画家という関係以上のものがあったように思うのですが、思い出せないんです。あなたの名前を聞いたら、きっと、思い出せると思うんです。続きはあなたに頼んでもいいですか。僕はもう、万道優一郎というお忘れ物を持って帰ったので」
「バンドウさんは、しばらく捜索サービスを休むってこと」
「はい。ムゲンさんに譲ろうかと思います」
ムゲンはバンドウにごにょごにょと言った。
「その間、バンドウさんは、私のパンフレットの漫画を考えていて欲しいです」
「あ、そのことなんですけどね。僕、帰りの特急の中でざっと考えたんです。明日から、もう少し洗練させて、できたらムゲンさんにお渡しします。ちなみに、大暴露するんですけど、この会社、僕が作りました」
ムゲンはぽかんとしてバンドウを見る。まさか、違うでしょ、と言いたそうな顔をしていたが、バンドウの話を聞いて、事実なのだと認めた。ハッピープラネットやRe:プラネットの世界が異世界として存在することを考えると、納得できてしまった。優一郎のファンでもあったMUGENとしては、その没となった作品のプロットは見てみたかったが、実際に会社を見ていれば設定は分かる。きっと異世界鉄道会社だけでなく、異世界警察のことや、このあらゆる世界を支える偉大な神のことも書かれているのだろう。自分たちは優一郎の設定通り、ここで働いているのだ。規模の大きさがなんとも優一郎らしい。シェアード・ワールドのゲームを生み出してきた優一郎ならではのものだった。彼の独特な作風が、まだ十代の少女だったMUGENを虜にしたのは覚えている。
「さて、伝えることは伝えました。なんと、ムゲンちゃんは今、僕に抱きついてくれています。このままベッドに運んでいいでしょうか。僕、捜索サービスでとても疲れたので、ムゲンちゃんにぎゅうっとしてほしいし、キスもしてほしいんです。今なら嫌って言えますよ。どうしますか」
ムゲンはバンドウから視線を逸らす。返答はいつもの「やめて」ではなかった。
「わ、私も、バンドウさんに、キスされると、嬉しくて、懐かしくて、泣きそうになる……わっ」
「では、行きましょうか」
――ごめんなさいね、星間ちゃんさん。体が衰えていると言ったけど、嘘だったようです。
バンドウはムゲンを抱き上げ、そのままベッドに向かった。
何度か優一郎さんと呼ばれそうになったが、バンドウはその口を塞いで呼ばせなかった。うっかり優一郎が戻ってきて、うっかり会社をクビになるのが嫌だったからだ。
ムゲンはバンドウの左胸に、桃色の花の印があることに気づき、そっと花弁を撫でた。
翌日、星間ちゃんが嫉妬で狂ったような目でカウンターにいるバンドウを見ていた。バンドウもまた細い目で星間ちゃんを見ていた。
ムゲンはそんな二人から逃げるように保管室の整頓をしていた。
「なんですか、ムゲンさんを奪われたのがそんなに嫌だったんですか。あれ、星間ちゃんさんが仕組んだんじゃないんですか」
「でもでも、あそこまでいくとは思ってませんでした! ボクのムゲンさんを返してください! あと、対応中のカードを出したのもボクです! 感謝してください!」
「あ、人払いしてくれたんですか、それはありがとうございました。でもムゲンさんは渡すつもりないです」
「うわあん!! おじさんのばかぁ!!」
「あ、おじさんって言いました? 僕はまだ三十五です。これからバリバリ働いてお忘れ物センターでキャリアを積み上げるピチピチの三十五ですよ!?」
バンドウはカウンターから出て、星間ちゃんの脇に手を入れ、抱き上げる。
「よいっしょ、僕だってまだ若いんです、ジョーさんには負けません」
勢いよく星間ちゃんを抱き上げ、腕を伸ばす。きゃーっ、高いーっ、と星間ちゃんは足をバタバタさせた。
「うるさい、センターで遊ばないで」
保管室からにゅっと顔を出したムゲンの眉間には、相変わらず皺が寄っていた。
はあい、と返事をし、バンドウは星間ちゃんを下ろす。
その時、バンドウは星間ちゃんのとんがり頭に、小さな亀裂が入っているのを見たのだった。