4章 統治を忘れた国王

「ところで、こんな暗いところで、何をされているのですか?」
 バンドウが笑みを浮かべながら尋ねてくるので、慧斗はバンドウの両肩を握った。何かに怯えているのか、体の震えは一向に止まっていなかった。
「た、助けてくれ、やっぱり俺はここには住めない、ここから逃げたい」
「何故ですか? 別にあなたは殺人などしていないのに。とても治安もいいし、私はここがいいと思うんですけど」
 バンドウの提案に、慧斗はぶるぶると首を横に振った。
「お前の身内に訴えられてるんだよッ! 他のイラストレーターも一人死んじまったし、責任を取って損害賠償を出せって! お前たちが自殺したきっかけが俺だって! でも俺にはもうそんな金はないんだ。助けてくれ、俺を、向こうに帰してくれ」
 バンドウは首の後ろを撫でて立ち上がった。
 慧斗はバンドウの足にしがみつき、離さなかった。
「そうですか……、それは、困りましたねえ。あなたは、向こうでも、国外追放されているのでしょう? お金もないのでしょう? 行きの切符は私が払っておきましたが、帰りは買っていませんし。すみませんね。異世界鉄道会社は、星の間ホテルより融通が利かないんです。恐らくですけど、この件が本部に知られたら、私はクビか異動です。このサービス、結構高額なんですよ。私の五年分の給料じゃまったく足りません。それに、片道切符も相当高いんです。なんせ、別世界への移動ですから。これ以上、私からお金を出すことは難しいです」
 バンドウはしがみつく慧斗の手を振り払い、家の玄関を探した。
 やめてくれ、と慧斗が叫ぶ。ドアを開けるな、外に出たくない、と訴えるが、バンドウは玄関の鍵を開けた。
 家の外に出て、ポストの中を見る。
 大量の手紙が投函されていた。その中から、封筒を一つ出す。
「速水様のお忘れ物は、これでしょうか?」
 リビングに戻ってきたバンドウから差し出されたのは、裁判所から届いた訴状だった。封筒の中を出し、バンドウは慧斗に見せる。
「違う……、俺はそれを取りに来たんじゃない! 俺はもうここにはいないんだ! 俺も、ここで、死んだから!」
 自分で首を吊って死んだんだ、と、慧斗は天井を指差す。その先には、ロープの輪があった。ちょうどローテーブルの上だ。
「俺はもうこの世にはいないんだ、だから、帰らせてくれ!!」
「でも、ご遺体がありませんねえ。死ぬ前に戻ってきてしまったようですね。あ、別に、私はあなたに復讐しようとか思ってません。あなたのお忘れ物を捜す仕事をしているだけです。それに、ルール上、無料で特急に乗車させることはできないんです」
 ああ、とバンドウは手を叩く。
「あなたは、法や制度を忘れてしまったんですよ。従業員が自死してしまったらどうなるか、考えていなかったんでしょう。それから、この裁判所からの呼出状も無視しました。そして、今は、ルールを無視して、無料で特急に乗せてくれと言っています。あなたは、決まりというものを忘れたんです。向こうで足りなかったのは、法整備だったんですよ、きっと」
 慧斗はごくりと生唾を飲んだ。
 バンドウはにこりとする。
「良かったですね、日本にはたくさんの法があります。制度もたくさんあります。日本人は規律というものも大切にしていますし、もう一度、人々を守る法を学び直してはいかがでしょう」
 バンドウは腕時計を見た。帰りの特急の時間が近づいていた。
 無料の依頼だ。これ以上、付き合う義理もなかった。自分の記憶もだいたい取り戻した。ローテーブルの上に、封筒を置いた。
「こちらの世界でもう一度その魂を全うさせてみては?」
「じゃ、じゃあ、お前も残ってくれ! ここに! そうすれば、優一郎も死んでいないことになるだろう!?」
「すみませんね。私の魂は、会社に握られているらしいのです。どこにも行くことはできません。できるのは、死ぬことだけです。あ、そうそう。ネタを仕入れている時に知ったんですけどね、その訴状を無視したら、あなたの言い分は無視されて、向こうの訴えが通りますよ。救済措置もまあ……日本ならあるんじゃないですか?」
 慧斗は言葉を失い、そして、泣き崩れてしまった。
 バンドウはもう一度、棚を見た。古いノートがぽつんと置かれている。
 手にとって中を見ると『異世界鉄道会社』の名前があった。
 一番大きいのは星の間中央駅、お忘れ物センターがある、中央には総合案内所がある、自殺他殺関わらず電車や駅で死んだ人が入社して働いている、入社すると永遠にここで働くことになる、魂を握られたのち記憶を全て奪われてしまう、退社はできない、死ぬことはできる、などという設定がこと細やかに書かれていた。
 全て、優一郎の字だった。下手ながらも、図のようなものも書かれていた。
 懐かしい、と思った。
 専門学校時代、慧斗と一緒に練った世界だった。結局没になったため、作品としては世に出なかった。
 このノートを持って帰ろうかと思ったが、それはやめた。ノートの裏表紙を見ると、星の顔をしたキャラクターが書かれていた。星間ちゃんがいた。
 ――星の間だから、星のキャラクターがいたら面白いよなあ。
 ――こんなの?
 ――うわ、優一郎、絵ド下手かよ!
 ノートを撫でて、元あった場所に戻した。棚に置かれた作品たちに、バンドウは別れを告げた。
 バンドウは、万道優一郎というお忘れ物を持って帰る。それだけで良かった。
 床に蹲って震えている背中に、バンドウは声を落とす。
「慧斗。やり直すんです。死に逃げないでください。それが、王として、すべきことではないのですか。僕はもうやり直すことはできませんが、あなたはそれが出来るんですよ――」
 特急タナバタのドアが現れ、バンドウは一人で乗車した。


「バンドウさん、今日はちょっとご機嫌ですか?」
 目の前に、星間ちゃんが現れた。バンドウは冷たい缶を受け取り、通路側を見上げた。ハナビがにこにこして立っている。
「まあ、そうですね。今日はよい仕事ができたと思います」
「そうですか! そういう時こそ、冷たいビールが美味しいんですよ!」
 本当に酒好きな女だな、と思いながら、バンドウはハナビに礼を言った。
「そうそう、僕はしばらく捜索サービスをお休みしようと思っています」
「えっ、引退!?」
「違いますよ。ムゲンさんが行きたそうにしていたから、譲るんです。僕はもう、お忘れ物を見つけました……いや、もう一歩といったところでしたが……まあ、いいんです。しばらく、ムゲンさんが来ると思います。可愛がってください。僕の素晴らしい後輩で、大切な人ですから」
 ハナビは驚いて頬に両手を当てた。
「ちょっと、それって、そういうことなの?」
「想像はご自由にどうぞ。あ、でも、ビールは与えないでください。彼女は酒に弱いんです。とびきり甘いのを用意しておいてください。特にミックスジュースがお気に入りなんです」
「分かりました。そろそろ品を変えたいなって思っていたんです。ご意見ありがとうございます。では、ごゆっくり」
 バンドウは缶のプルタブを引き、一気に喉に流し込んだ。
 こういう時は、コーヒーのほうが良かったのだが。
 優一郎は、シナリオを考えている時、必ずブラックコーヒーを手元に用意していた。向かいに座って優一郎の話を真剣に聞くMUGENはミックスジュースを。
 二人で打ち合わせをしている時、楽しくて仕方がなかった。MUGENの長いまつ毛が感動で震えた時が、優一郎の喜びが一番大きかった時だった。なかなか表情を出さないMUGENが大きな感情を抱き、まつ毛を震わせた時、優一郎は自分のシナリオに手応えを感じていた。二人でならいくらでも世界を広げられると思った。
 何故、この捜索サービスで、MUGENの本名を知ることができなかったのか。それだけが心残りだった。
 シナリオライターと漫画家という繋がりだけだったのだろうか。
 万道優一郎とMUGENの間に、何か別のものがあった。それは確かなのだが。
 愛しい、抱きしめたい、キスしたいという衝動の原因もはっきりしなかった。自分たちは、恋人の関係にでもなったのだろうか。
 そこまで考えて、バンドウは首を振った。他に考えたいことがある。
 バンドウはジャケットのポケットから手帳を取り出した。まだ時間はたっぷりある。
 ペンを出し、何も書かれていないページに、大きく見出しを書いた。思い浮かぶままにペンを動かしていると、ふと、隣から誰かに覗かれたような気がした。しかし、隣は空席である。
 いや、覚えている。思い出した。
 万道優一郎は、MUGENと新幹線に乗っていた。取材のための出張だった。
 バンドウは取り戻した記憶を懐かしみながら、手帳のページを埋めていった。
9/10ページ
スキ