4章 統治を忘れた国王

 自分の名前を聞いた瞬間、バンドウは目眩がした。なんとか足を踏ん張って、体を支える。
 万道優一郎。その名前を聞いた瞬間、確かに自分は、その、万道優一郎だったと受け入れることができた。名前が自分の元に帰ってきたような感覚がしたのだ。
 名前が戻っても、記憶は全ては戻ってこなかった。自分が万道優一郎であることは確かに取り戻したが、その万道優一郎がどういった人物なのかは分からなかった。
「ちょっと、思い出話でも、しませんか。前世お忘れ物捜索サービスで私はここに来ていますし、話をしていたら、あなたのお忘れ物も、私のお忘れ物も見つかるかもしれません」
 バンドウは部屋の電気を点けようとしたが、慧斗は点けるなと叫んだ。
 慧斗は頭を抱えて床に伏せてしまった。ぶるぶると震えている。
「なんで……ッ、なんでお前がここにいるんだよッ、お前、新幹線に轢かれて死んだんだろ!! ニュースに出ていたじゃないか!! 自殺だったって!! 幽霊になって、俺を恨みに来たのか!!」
「恨み? 速水様は、私に恨まれるようなことをしたのですか? すみませんね、私は万道優一郎ではありますが、万道優一郎の記憶が一切なくてですね。教えてくれませんか? どうも速水様が私のお忘れ物を持っているような気がしていて。私とあなたは、どこで出会って、何をしていました?」
 耳を塞いではいるが、バンドウの言葉はしっかりと聞こえているようだった。
 バンドウは速水の手を取り、耳元で囁いた。
「私の仕事をさせてくださいよ。あなたのお忘れ物を捜すために、ここに来ているんですから。ね? 話すと楽になるかもしれませんし」
 速水はヒッと息を呑み、這いつくばるようにしてバンドウから離れた。壁にぴったりくっつき、頭を抱える。会話をするのは困難だと悟った。
 バンドウは諦めて立ち上がり、部屋の様子を見た。何か手がかりのものがあるかもしれない。暗くてよく分からなかったが、かなり広い部屋にいるようだ。壁には棚があり、何かが飾られている。また、大きな液晶テレビが壁にかかっていた。テレビの下には据え置きゲーム機本体が何種類かあり、ケーブルで繋がれていた。その隣には、携帯ゲーム機も置かれている。部屋の中央には大きなソファとローテーブルがある。ここでゲームを楽しめるようになっていた。キッチンも見えたため、ここはリビングだと分かった。
 暗がりの中、バンドウは棚に並ぶものを見た。
 ゲームソフトのパッケージだ。
 どれも『ハッピープラネット』と会社のロゴが入っている。速水はハッピープラネットの社長だと言った。発売記念に部屋に飾っているらしい。
 そのゲームソフトに囲まれるようにして、ひとつの写真立てがあった。手にとって見ると、自分が映っていた。今の自分よりも随分と若い。二十代前半のように見えた。学生の頃の自分だろうか。
 三人いた。優一郎と、慧斗と、もうひとり、若い女性がいた。これはムゲンではなかった。
 そうだ、自分たちは、友人だった。
 バンドウはガラスの表面を撫で、埃を払った。三人とも、いい笑顔をしていた。手には、CDケースのようなものを持っている。しかし、それは音楽CDではなく、ゲームソフトであることを、バンドウは思い出した。写真が、記憶を呼び覚ましてくれた。
 同人活動をしていた。自分たちは、専門学校時代に出会って、ゲームを作るサークルを結成したのだ。
 バンドウは写真を持って、慧斗のところに向かった。慧斗は相変わらず頭を抱えてガクガクと震えていた。
「私たち、友達でしたね。ちょっと思い出して来ました。私たちの国造りもここから、スタートしましたね」
「そ、そうだよ。俺と杏奈がプログラムを組んで、設定とかストーリーとかは、俺と優一郎が作ったんだ。イラストは杏奈が担当していたんだ」
 女性の名前は杏奈というらしい。ぼんやりと思い出す。彼女はムゲンと違い、表情豊かな女性だった。少しふっくらとした女性で、黒縁の丸眼鏡をかけている。
 三人が通っていたのは、クリエイターになるための専門学校だった。優一郎はライターになるための勉強をしていて、杏奈と慧斗はイラストとプログラミングの勉強をしていた。どこで出会ったかは覚えていないが、同級生だったので何かしら接点があり、三人でゲームを作ろうという話になったのだろう。
 ゲームを作ったら、同人のイベントで頒布しよう、という話は、慧斗から出てきた。
 優一郎が都内に借りていたアパートを拠点にし、明くる日も優一郎と慧斗はシナリオや世界観などを作った。最初はノベルゲームからスタートした。優一郎と慧斗の考えたシナリオに、杏奈の素晴らしいイラストが添えられる。ルートもたくさん練った。学業と並行して作業をするのはきついと思うこともあったが、充実した日々だったと、バンドウは振り返る。
 優一郎はパソコンが苦手だったので、いつもノートに手書きで書いていた。慧斗がそれを打ち込む。慧斗にはいつも助けられていた。
 写真の中の三人が持っているROMは、初めて作ったノベルゲームだった。国内最大の同人イベントに無謀にも参加し、五百円で売った。写真はその会場で記念に撮ったものだった。結果は在庫を山程抱えることとなってしまったが、それでも手にとってくれた人はいたし、それで満足していた。他のイベントにも参加した。
 しばらくすると、インターネットの掲示板で感想をくれたと慧斗が見せてくれた。
 二次創作をしてくれる人がいると杏奈が教えてくれた。
 MUGENという人がいて、素晴らしい二次創作漫画を描いてくれていることを知った。あるイラストの投稿サイトを使って、漫画を発表していた。アナログで描いたものをスキャンしてアップしていたのだった。
 バンドウは慣れないパソコンを使って、投稿サイトにアカウントを作った。ユーザーネームはサークル名の『ゲームプラネット』を使った。そのMUGENというペンネームの人に投稿サイト内のメッセージ機能を使ってお礼のメッセージを送った。
 MUGENは性別も年齢も不詳で、どこに住んでいるのかも知らなかった。この人は、優一郎と慧斗の作るシナリオが大好きだと言ってくれた。
 それがきっかけで、優一郎は慧斗と杏奈と一緒に、さらなる新作の開発をすすめた。
 学生時代に出したゲームの本数は三本で、一年に一度のペースで出した。在庫を捌いていくうちにファンもある程度増え、そして新作を出せば、必ずネット上でMUGENが新作の二次創作の漫画をアップしてくれた。
 優一郎は、もっぱら、MUGENのファンだった。自分のシナリオを深く読み込み、更に昇華させるMUGENの技術には感服していた。MUGENに対し、同人誌を作ってイベントなどには出ていないのかと聞いてみたが、MUGENはしたいけれどまだそれはできない、と返信した。その時は、地方の人なのかと勝手に思い込んだ。
 ある日、慧斗から、もっとゲームを作りたいという話をされた。
 その場には、杏奈もいた。優一郎の部屋に集まり、酒を飲みながらの話だった。
 慧斗は腹をくくったかのように言ったのだ。
 ――俺、起業したい。ゲーム会社を立ち上げたい。
 杏奈はでも、と驚いた様子で言った。
 ――三人だけじゃ、とてもじゃないけど厳しいわよ。資金もいるだろうし……。
 優一郎もそれに頷く。自分はどこか別のゲーム会社にでも就職しようかと思っていたところだった。
 ――これから勉強するんだ。お金のことについても。仲間も集めよう。もっと。俺たちと一緒にゲームを作りたいっていう仲間を集めて、チームを作ろう。
 杏奈と優一郎は、その慧斗の熱量に押され、慧斗の起業の協力者となることとなったのだ。学校内で友人に声をかけたり、インターネットで募集したりして、なんとか十人程度の人材を集めることができた。
「あの時は、とても楽しかったですね。速水様の勢いが凄くて、私も杏奈さんも参ってましたよ」
 速水はおずおずとバンドウを見た。
「楽しかったのか、優一郎は」
「はい。楽しかったと、記憶しています。会社は小さいながらも、見事、順調にいきました。集まったメンバーも、皆、素晴らしい人たちで、仲も良かった。私はライターとして活躍できましたし、何の不満もなかったです。速水様もでしょう?」
「ああ……、そうだな。あの時は、楽しかった……」
 バンドウは写真立てを棚に戻し、ゲームパッケージの表面を撫でた。
 そう、楽しかったのだ。あの時までは。
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