4章 統治を忘れた国王

 バンドウは約束の時間の前に、一杯のコーヒーを飲んだ。膨れ上がる期待を鎮めていた。
 ムゲンはバンドウの向かいに座り、頭を抱えて紙を見つめていた。たまにシャーペンを握り、定規を使って枠を作り、絵を描くものの、やっぱり違うと思ったのかゴシゴシと消していた。
 グシャ、と紙が鳴り、ムゲンは溜息をついて手でぐちゃぐちゃに丸め、ゴミ箱に投げ込んだ。足元に置いていたコピー用紙の包みから、新しい紙を出して机の上に置く。これで何枚目だろう。一晩中このようなことをしていた。
「休憩したらどうですか? 疲れていると、アイデアも出ませんよ」
 バンドウが声をかけると、疲れてない、と言って机の上に置きっぱなしだったぬるいミックスジュースを喉に流し込んだ。どう見てもイライラしているし、疲れているようだったが、ムゲンはそれよりも描きたいを優先しているのだろう。上手くいかない苛立ちはあって当然という顔をしていた。
「手を動かしていたほうが、いい気がするから」
「そうですか。じゃ、僕、そろそろ時間なので行きます」
 マグカップを流しに置き、カーテンに手をかけた時だった。ガタンッという音が聞こえた。
 ムゲンがバンドウのジャケットを掴んで、引っ張っていた。
「バンドウさん」
「何でしょう」
「もし、バンドウさんのお忘れ物があっても、ちゃんとこっちに帰ってきて。まだ、私だけでは、センターは回せないから」
 ムゲンは、バンドウがもう一生戻ってこないのではないか、と思い込んでいるような顔をしていた。俯き、バンドウのジャケットの裾を握りしめていた。
 バンドウはムゲンの頭に手を置き、撫でた。
「あの時、もう少し説明していればよかったですね。僕がこっちに戻ってきてからしばらくホームにいるのは、死なないと誓うための儀式をしていたからです。死にたいという衝動に勝つと、安心するんです。ちゃんとセンターに戻るためにしているんです。だから、帰ってきますよ。まあ、その儀式ももう必要なくなるかもしれません。今日は凄く期待してるんです。センターは頼みますよ。行ってきます」
「……行ってらっしゃい」
 ムゲンのするりとした頬を撫でて、バンドウはカウンターに出る。
 もうマスタングはセンター前にいた。
 いつもはカウンターの横に立ったままの星間ちゃんが、センター入り口まで着いてくる。
「何ですか、僕がいなくて寂しいのは、本当はムゲンさんではなく、星間ちゃんさんですか?」
「同じくらいですっ」
 星間ちゃんがバンドウの足を抱きしめ、約束の時間ギリギリまでいて欲しいと駄々をこねる。確かに、まだ約束の時間まであと五分ある。だが、この五分は早すぎというわけではない。バンドウは離れてくれない星間ちゃんの頭を撫で、脇に手を入れた。
「僕ねえ、書類上はまだピチピチの三十五ですけど、最近、体が衰えている気がするんですよねえ。ゴミ出しサボってたからでしょうが」
 よいしょ、と抱き上げると、星間ちゃんは足をバタバタさせた。嬉しそうに笑う。ジョーみたいに腕を伸ばして持ち上げることはできそうになかった。星間ちゃんを抱っこして、背中をとんとんと叩くだけにする。
「ジョーさんみたいに、くるってしてください」
「無茶言わないでください。目が回って倒れますよ。じゃ、行ってきます」
 星間ちゃんは満足したのか、笑顔で行ってらっしゃい、と言ってくれた。
 ドアを開け、マスタングに挨拶をする。
 マスタングは早起きしすぎて暇をしていたと教えてくれた。ホテルの宿泊代はどうしたのかと聞くと、国外追放された身だと説明するとすぐに泊めさせてくれたという。星の間ホテルのことはよく分からないが、そういうところは融通が利くらしい。
 エスカレーターに乗っている時に、どの路線を使って来たのかと聞くと、ゲームプラネット線だと答えた。寝台特急ハヤミ。その名前を聞いた瞬間、ぞわりと鳥肌が立った。
 こいつはRe:プラかハピプラの関係者だ、と。
 ムゲンもハピプラの関係者だった。ハピプラの専属漫画家として活躍していたと彼女の口から聞いた。そのムゲンに懐かしさを感じているということは、バンドウも自分がハピプラに関係する人物じゃないかと予想していた。
 このマスタング王がRe:プラの関係者だったら見当違いだったで終わってしまうが、ハピプラだったら近い人物に違いないと考えていた。
 それも、王という立場上、前世でもかなり身分が高い者だったと見込んでいた。
 前世での生き方が、転生先でも反映されていることがあるというのは、これまでの依頼をこなしていて気付いたことだった。
 Re:プラネット、あるいは、ハッピープラネットと繋がりの深い者は、ゲームプラネット線、寝台特急ハヤミでここにやってきていることも気付いていた。
 アデリアは言っていた。Re:プラの前に、ハピプラがあったと。
 ムゲンからも聞いていた。ハピプラはソシャゲで失敗して、潰れてしまったと。
 こいつはどこまで知っているのだろうか。期待と、その期待が外れるのではないかという不安がないまぜになっていた。
 特急チキュウがホームに来る時、バンドウは、今までと違う言葉が喉までせり上がってくるのを感じた。
 ――ごめんなさい。
 目の奥が熱くなる。自分はホームに飛び込んだ時、泣いていたのか。涙は出なかったが、その言葉は嗚咽とともに口から出てきそうだった。唇を噛み、言葉を漏らさないようにする。言葉が出た瞬間、衝動に負けそうだった。自分は死ぬことを誰に乞い、誰に詫びて、特急の前に身を投げだしたのだろう。
 海の深さを思わせる青々とした車体から視線を逸らし、隣で特急を待っているマスタングを見る。ぼけっとした顔をしていた。
 当たりでありますように、と祈りながら、乗車する。
 特急チキュウが加速を終え、バンドウはマスタングに下車後の質問のために話題集めを始めた。
「あなたの国は、どのような国だったのですか?」
「広い、それは広い国じゃ。様々な民、様々な文化を抱く、広大な国じゃった」
「そのうち、恋愛に明け暮れる令嬢とか、めちゃくちゃモンスターを倒しまくる冒険者とか、カードを作って売りさばく魔女とかいました?」
「ああ、おった、おったよ。わしの息子を巻き込んだ奴もおったわ。他にもいろんなのがおったわ。そういう者たちを、一つにまとめ上げて、面白い国にしたんじゃ。力になってくれたのは、わしの友人の右大臣と左大臣じゃった。左大臣は数年前に姿を消してしまったがの」
 期待が高まる。さあ、こいつは、Reのほうなのか、ハッピーのほうなのか、どっちなのか。
 そこまで話をすると、マスタングは眠りにつき、前世に戻る準備を始めた。記憶がない分、眠りは深かった。
 客室乗務員からもらったコーヒーを飲みながら、じっと六時間が過ぎ去るのを待つ。
 興奮して、眠れなかった。その興奮は、コーヒーでも鎮められなかった。
 下車後の質問も、ある程度固まっていた。
 車内アナウンスが、日本の到着を告げた。バンドウは皺くちゃのマスタングの手を握り、ドアまで誘導する。
 マスタングはまだまったく前世の人格を取り戻していなかった。眠りでマスタングの人格を消しただけの、空っぽの存在だった。
 真っ白の世界の中で、バンドウはマスタングに向き合う。
「あなたは、ゲーム会社にお勤めでしたか」
 マスタングは頷く、顔がぼやけた。
「あなたは、社内では、リーダー的存在でしたか」
 頷く。握る手から、皺が消えた。
「あなたは、会社でゲームを作っていましたか」
 いいえ。首を横に振った。バンドウは一度ここで呼吸を整えた。
「あなたは、どちらかといえば、経営に関するお仕事をされていましたか」
 頷く。マスタングの曲がった背が伸びた。
「あなたは、Reプラネットをご存知ですか」
 否定する。輪郭がはっきりし、前世の姿に戻る。バンドウと近い年齢の男となった。背の低い、冴えない顔をした男だった。その顔を見た瞬間、バンドウは、知っている、と思った。
「あなたは、ハッピープラネットの経営者でしたか」
 頷く。
「社長?」
「そう、だった。俺は、ハピプラのトップリーダーだ」
 腕には高級そうな時計があった。胸元には名札もある。バンドウはそれを見て、マスタングの焦点の定まらない目の前に掲げた。
「あなたはこういう人でした。名前を読んでください」
「速水……慧斗……。俺は、そう、速水慧斗だ」
 寝台特急ハヤミと同じ名前だった。
 バンドウと慧斗は薄暗い部屋の中に立っていた。カーテンは締め切られ、電気はついていなかった。ここは慧斗の自室だろうか。
 慧斗に、バンドウは更に質問を重ねる。
「私はあなたを知っている気がします。速水様は、私を知っていますか」
 慧斗は、バンドウの顔をまじまじと見て、そして震えた。
「な、なんでッ、なんでお前がいるんだッ、お前、死んだんじゃないのかよ!」
「お忘れ物センターの職員ですから、いるんです。知っているんですね。すみません、私の名前を教えてくれませんか?」
 慧斗は、唇を戦慄かせながら、言った。
「万道優一郎だろ、お前――」

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