4章 統治を忘れた国王

 翌日の新聞に、事件の詳細が載っていた。もう犯人は分かったらしく、今日にも神の裁きが下るということも書かれていた。犯人はバンドウもムゲンも聞いたことのない世界の住民で、別にお忘れ物センターが狙われたわけではなかったから、それ以上の関心はなかった。
 バンドウは慣れないキーボードを使ってメールを送信していた。ムゲンが後から送信履歴を見た所、それは清掃員に適当にゴミや危険物をお忘れ物として持ってこさせるのをやめてほしい、という旨のメールだった。
 バンドウは責任者なのだ。そういうところはきちんとしていた。
 ムゲンはそわそわしながらカウンターに立っていた。ジョーには、いつものようにお忘れ物センターに来て欲しい、と思っている自分がいた。うるさい人だし、仕事の邪魔になるし、バンドウが遊び始めるきっかけを作る一因でもあったから、ムゲンはジョーに対してあまりいい思いはしていなかったが、来なくなったらそれはそれで寂しい。
 ガラス壁の向こうにジョーの姿が見えた時、ムゲンはぱっとカウンターから出た。
 老人が一緒にいて、どうやらジョーがここまで連れて来たようだった。老人に何か言って、すぐに立ち去ろうとするジョーをムゲンは追いかける。
 ムゲンがセンターから出てきたことに気付いたジョーは、ぱっと顔を明るくさせた。
 やっほー、と、いつもの軽い調子で話しかけられて、ムゲンはほっとした。
「あの、ジョーさん。昨日のこと、大丈夫でしたか」
「え、なになに、オレのこと心配してくれてるの? 嬉しいなあ」
 自分より背の低いムゲンに心配そうな顔で見上げられ、ジョーは勝手に嬉しくなっていた。ムゲンという女性はどこか男心をくすぐるものがあった。距離が縮まると、尚更である。いつもツンとした顔をしているし、言葉も堅いままだが、それ以外の所から気持ちが滲み出ていた。それがなんとも可愛らしいとジョーは思っていた。
 お忘れ物センターでは、バンドウが老人の対応をしていた。机に招いていたので、前世お忘れ物捜索サービスの依頼かもしれない。しばらく出ていても大丈夫だろうと判断したムゲンは、ジョーに休憩室に行かないかと誘うと、ジョーはもちろんだと頷いた。
 誰もいない休憩室。自販機で、ムゲンはいつものミックスジュースを、ジョーはコーラを買う。
「ムゲンちゃんからお誘いがあるなんて、珍しくて、オレ、ドキドキしちゃう」
「別にドキドキすることはないと思います。それより、ジョーさんは、昨日、死にたいと思ったのですか」
 いきなりの質問に、ジョーはうへ、と声を上げた。色恋沙汰の話ができる雰囲気ではなかった。この話のために呼ばれたのかと思うとがっかりした。
「驚かせちゃったな。ごめん。正直、オレも、よく分からない。勝手に体が動いたというか、そういう思考になったというか……ぼんやりしていたら、手が伸びてた。前、バンドーさん、言ってた。特急の前に身を投げ出したくなるって。それかなって」
 ムゲンはジョーの青い瞳が揺れたのを見た。
「私も。私もです。前世お忘れ物捜索サービス中に、私は、踏切の中に入ろうとしました。踏切の向こうに、誰かが待っている気がして。行かなきゃって、思ったんです。バンドウさんも、私も、それから、お忘れ物センターの亡くなった先輩方も、タナバタのハナビさんも、皆……、皆、そうなんです。失った記憶に触れた途端、懐かしさで、胸がいっぱいになって、それから、死にたくなるんです」
 懐かしさか、と、ジョーはコーラを見る。黒々とした液体の中に、たくさんの泡が浮かんでいた。懐かしいのは、このコーラと、爆弾くらいなのだが、一つ一つの泡が、自分の消えていった記憶のように見えた。
「ジョーさんは、失った記憶を取り戻したいと思いますか」
「んー、いや、いいかなあ。別に。ムゲンちゃんは?」
「私は漫画家としての名前を取り戻しましたが、本名がまだなんです。本名を取り戻したいです。そうしたら、色々、分かる気がしています。バンドウさんとのことも……」
 ジョーはムゲンの顔をそっと見た。ほんのりと色づく頬に、ああ、やっぱりな、と思った。ようやくここで確信が持てた。これは恋する顔だ、と瞬時に見抜いた。
「バンドーさんが何?」
「いえ、何でもありません。あの、お忘れ物センター、また来てください。あなたが来てくれると、星間ちゃんさんも嬉しそうですし、バンドウさんも楽しそうですから。私は、正直迷惑していますが、でも、賑やかなのは、いいことだと思っています」
「ありがとね、ムゲンちゃん。じゃ、オレ、もう怒られそうだし、行くわ。バンドーさんにも、また行くって言っておいて」
 コーラを一気に飲み干し、ペットボトルをゴミ箱に投げ入れた。脈ナシ。色々とアプローチはしてみたが、全て手応えはなかったし、バンドウという固いガードがある以上、無理だった。ペットボトルと一緒に、ムゲンへの淡い期待も一緒に捨てた。
 休憩室を去っていくジョーを見送り、ムゲンも一口ジュースを飲んだ。
 お忘れ物センターに戻ると、まだあの老人と予約の話をしていた。お茶が出ていなかったので、星間ちゃんと一緒にお茶を入れ、差し出す。
 何に手こずっていたのかは分からないが、今は料金の話をしていた。予約シートを見ると、だいたいのところは埋まっている。
 老人は記憶がないタイプの転生者で、ある国の王のようだ。名前はマスタング=シュバイツァー。いかにも、王らしい名前だとムゲンは思った。しかし、身なりは普通の老人だった。禿げた頭に、しわしわの顔。頭には毛はないが、顎髭はたっぷりと蓄えていた。よれよれのチュニックを着ているのは、身分を誤魔化すためだろうか。
 彼の行き先は日本。捜したいものは『国を取り戻し、立て直す方法』と書かれていた。
 次に記入するのは料金だった。そこで話が止まっている。
 バンドウはバインダーを腿の上に置き、ペンをくるくると回しながら料金表と時刻表を見ていた。
「金は全て、国に置いてきてしもうたんじゃ。逃げろと言われて逃げたものの、後でそれが国外追放だと知ってな」
 お金がない。この捜索サービスはかなり高額なものだ。話を聞いたが金が足りなかったというケースは今までも少なからずあった。そういう客は残念でしたとすぐに返していたバンドウだったが、何故かそうはしなかった。
 行き先が日本だから、というのもあるが、いつになくバンドウの顔が強張っていたので、この老人に何か感じるものがあったのだろうか、とムゲンは予約の様子を見守る。
 バンドウは、よし、と頷き、回していたペンを止め、予約シートに金額を勢いよく書き込んだ。
 ゼロ。
 つまり、無料で依頼を受けるということだ。
 え、とムゲンは声を出しそうになった。
 バインダーを机の上に置いて、料金を提示する。マスタングはそこに書かれた数字を見て、なんと、と呟いた。
「国外追放されている身ですし、そのまま、日本に逃げるという手もありますしね。行きの特急のチケットは私が払います。帰りまでは出せませんので、向こうでお金を作って、向こうでお求めください。日本はとても治安がいいですからご安心ください。王様ということで、まあ、ここは、お忘れ物センターの善意ということにしておきます。捜索料金もタダにしておきますね。時間は基本料金と同じで一時間にしましょう」
 マスタングは大いに喜んだ。バンドウはにっこりしながら最終確認を行い、ムゲンに「いつもの」と、バインダーごと予約シートを渡した。そして、支払いのために、バンドウは自分の名札をムゲンに渡した。バンドウが料金を立て替えるということだった。日付と特急の名前を確認した後、パソコンで座席を予約し、発券機で切符を発券する。
 切符を両手で受け取ったマスタングは、何度も頭を下げた。
 センターから出ていくマスタングを見送ったあと、ムゲンは保管室に戻ったバンドウを追いかける。
「無料ってどういうこと、今までそんなことしなかったのに」
 ムゲンの問いに対して、バンドウは「僕の都合ですよ」と簡単に答えた。
「バンドウさんの都合って……」
「いやね、僕、あの人、知ってる気がするんです。逃してはいけない気がしたんです。頼みますよ、行かせて、ください」
 いつもの、へらへらとした笑みが消えていた。
 椅子に座ったバンドウは、人差し指でトントンと机を鳴らした。珍しく気が立っているようだ。思い出そうとしても、思い出せず、苛立っているような表情をしている。バンドウの細い目は、消えた記憶を見つめているかのようだった。
 行かせてくださいと言われると、ムゲンは頷くしかなかった。そして、今のバンドウは、近づきがたいと思った。何かただならぬものを感じて、今はそっとしておくべきだと判断した。
 カウンターに出ると、何かを察した星間ちゃんが、ムゲンの腰に抱きついてきた。
 ムゲンは星間ちゃんの背中を擦り、また、ガラスの壁の向こうを見る。
 自分ともっと深い繋がりのある客は、いつか来ることがあるのだろうか、と思いながら。
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