4章 統治を忘れた国王
◆
片道六時間の旅が終わった。
バンドウは特急タナバタから下車し、目の前にあったベンチに座る。今日は流石に飲みすぎた。「ここ最近、ずっとバンドウさんですね。サービスしておきます」なんて言って、ハナビが三本も缶ビールを置いていったのだ。さすがに多いですよ、と返そうとしたが、ハナビは「私は毎日この倍は呑んでますね」と、ふふふと笑ってワゴンを押して行ってしまった。
何故それがバレないのかが不思議でならないが、ハナビは上手くやっているのだろう。ハナビが酒と薬で死にたいと思っているのはずっと前から知っている。呑みたがりで、死にたがりなのだ、彼女は。薬がないから生きているようなもので、薬を渡した瞬間にビールと一緒に飲んで中毒で死んでしまいそうな人だった。
「私、多分、特急の中で薬やって、自殺したんでしょうね」
それが彼女の自分の過去の予想だった。何が彼女をそうさせてしまったのかは、分からない。
前回の依頼の帰りにバンドウは「ハナビさんは、前世お忘れ物捜索サービスを利用したいと思ったことがありますか?」と尋ねてみたが、ハナビは「いいえ。もう前世なんてものがあっても、戻りたいとは思いません。だって、ビールをたくさん飲めませんもの。こんなに飲めるの、ここだけですよ、多分!」と朗らかに言い切った。酒に生き、酒に死にそうな人だなと思った。
三本飲まずに、一本はムゲンに渡そうかとも思ったが、前世お忘れ物捜索サービスに連続で行っていると疲れて仕方がなく、眠るために三本とも飲んでしまった。六時間もすれば酔いから覚めるだろうと思ってはいたが、まだ頭が痛かった。
今日の女の客も散々だった。
不倫し、夫に訴えられ、不倫相手と心中。女には、小学生の子供もいた。前世お忘れ物捜索サービスで久しぶりに顔を見た元夫がやっぱり恋しくなり、元夫に戻った。ムゲンも心中をした客を相手したことがあったようだが、あれはまだいい。駆け落ちして共に死んだ人の写真を持って帰るだけだったようだから。今日の女は裏切りに裏切りを重ねる女で、反吐が出た。
回送列車がホームに来るというアナウンスが流れ、バンドウはふらりとベンチから立ち上がった。
前世お忘れ物捜索サービス中に自分の記憶を探し始め、これで六件目。まだ手がかりは何もなかった。ムゲンのようにふらっと見つかればいいが、見つかる気配は一切なかった。
ムゲンからは「バンドウさん、疲れてるみたいだし、私が行くけれど」と声をかけてくれていたが、全て断っていた。一度断ると、ムゲンはそれ以上何も言わないでくれていた。
特急タナバタから下車したあと、バンドウはしばらくホームに残る。白線の上に立って、列車がホームに来るのを待つのだ。
儀式となっていた。今日は六回目の儀式である。
どこか懐かしいメロディが鳴る。
死にたい。ホームに飛び込んで、列車に轢かれて死にたい。
――もう僕は駄目なんです。死なせてください。逝かせてください。
喘ぎのような言葉が喉まで出てくるが、口から出てくることはなかった。生唾を飲み、胃の中に落とし込む。
誰に言おうとしたのだろう。誰に、死なせてくれと願ったのだろう。何が自分をそうさせてしまったのだろう。
バンドウは衝動を抑えるため、瞼を閉じた。
びゅうっと風が吹き込み、バンドウの体が煽られる。よろめき、後ろに二歩退く。列車はカタンカタンと走り去っていった。
この衝動の向こうに記憶があるような気がするが、何も蘇ってはくれなかった。申し訳無さのようなものがあるのは感じるが、誰に申し訳なく思っているのかも思い出せない。
ひとまず、今日も死なずに済んだ。そのことにバンドウは安心する。また、ムゲンの元に戻れる。自分はもうどこにも逝かない。死なないと誓うための儀式だった。
この儀式をしていることは、星間ちゃんは知っていた。三件目の依頼が終わり、儀式も終えて帰ると、星間ちゃんがじとっとした目でバンドウを見てきたのだ。
――ホームで死のうとしてました?
星間ちゃんには本当に何もかも筒抜けなのだなとバンドウはその時、苦笑してしまった。
死なないための儀式だと答えると、悪趣味ぃ、と呟いた。
――ムゲンちゃんより酷いこと言いますね。僕のこと、分かってるくせに。
――分かってるから言っているんです。本気で飛び込んだら、ムゲンさん、多分、泣いちゃいますよ。
――ムゲンちゃんって、僕が死んだら泣いてくれるんですか?
――しーりませんっ!
星間ちゃんはそこで話を切り上げてしまった。
ムゲンが泣いてしまう。それだけは嫌だった。だが、儀式を辞めることもしなかった。
この儀式についてそれから星間ちゃんが何か言ってくることはなかった。
ホームに再びアナウンスが流れる。今度は特急がやってくる。
まだ頭が痛いし、もう少しここにいるか、とズボンのポケットに手を突っ込んで、また白線の上に立つ。
遠くに見えるのは、特急のランプだ。速度を落として、やってくる。
それでも、その車体に体をぶつけたら、粉々になってしまうだろう。
死にたい。
また、衝動がこみ上げてくる。
早く手懐けたいものだ。バンドウは踵をトントンと上下させ、体を揺らしながら特急を待つ。
ああ、死にたい。
また、同じメロディがホームに響く。
頭がずきんと痛み、体がふらりとした時だった。甲高いブレーキの音が響く。
「バンドウさんっ」
何かがぎゅっと自分の腕を掴んだ。
バンドウははっとして、自分の腕を掴む手を見る。手から辿り、目の前に立っている人の顔を見た。ムゲンだった。
瞳が揺れていた。まつ毛を震わせてバンドウを見上げていた。
「何をしているの、ここで」
「ああ、ムゲンさん。お迎えに来てくれたんですか?」
ムゲンはぱっと手を離し「違います」と答える。
「タナバタの到着時間から一時間以上経ってる。何かあったのかと、心配になっただけ」
「心配してくれたんですか。いえ、ハナビさんにお酒をたくさんもらってしまいまして、酔いを覚まそうとしていたんです。頭が痛くて」
「それだったら、お忘れ物センターのベッドで寝ていればいいんじゃない」
「あはは。そうですね。確かにそうです。でも、ここだといい風がきますから」
ムゲンはぎゅうっと眉間に皺を寄せ、踵を返し、歩き始める。カツカツとヒールが鳴る。かなり怒っている。
バンドウはムゲンの後ろを着いていく。しゃんと伸びた小さな背中に話しかけた。
「ムゲンさん、お忘れ物センターから出ることが増えましたね」
「必要があったから。なければ出ない」
「前世お忘れ物捜索サービス、僕がずっとしていて、すみませんね」
「バンドウさんは……」
エスカレーターの前になって、ムゲンが振り返る。今まで見た事のない表情をしていた。さっきは眉間に皺を寄せていたムゲンが、今度は眉をハの字にしている。少しだけ瞳が潤んでいるように見えた。
「バンドウさんは……記憶を取り戻して、前世に戻りたいのですか」
ああ――。
バンドウは目を細め、微笑んだ。
「そんな訳ないじゃないですか。記憶を捜しているのは確かですけれど、戻りたいとは思ってませんよ。それに会社は許さないでしょう。ムゲンちゃんを一人にするのは嫌ですし、離れるのも嫌です」
「それなら、ホームに突っ立ってないで、早く帰ってきて」
ムゲンはそこでまたふいっとバンドウに背中を向け、さっさとエスカレーターを歩いて降りていった。
お忘れ物センターに戻ると、星間ちゃんが突き刺さるような視線を送ってきた。ムゲンは保管室の机に真っ白の紙を置いて眉間に皺を寄せていた。
何をしているか聞こうと思ったが、ベッドに入った瞬間に、気絶するかのように眠ってしまった。
片道六時間の旅が終わった。
バンドウは特急タナバタから下車し、目の前にあったベンチに座る。今日は流石に飲みすぎた。「ここ最近、ずっとバンドウさんですね。サービスしておきます」なんて言って、ハナビが三本も缶ビールを置いていったのだ。さすがに多いですよ、と返そうとしたが、ハナビは「私は毎日この倍は呑んでますね」と、ふふふと笑ってワゴンを押して行ってしまった。
何故それがバレないのかが不思議でならないが、ハナビは上手くやっているのだろう。ハナビが酒と薬で死にたいと思っているのはずっと前から知っている。呑みたがりで、死にたがりなのだ、彼女は。薬がないから生きているようなもので、薬を渡した瞬間にビールと一緒に飲んで中毒で死んでしまいそうな人だった。
「私、多分、特急の中で薬やって、自殺したんでしょうね」
それが彼女の自分の過去の予想だった。何が彼女をそうさせてしまったのかは、分からない。
前回の依頼の帰りにバンドウは「ハナビさんは、前世お忘れ物捜索サービスを利用したいと思ったことがありますか?」と尋ねてみたが、ハナビは「いいえ。もう前世なんてものがあっても、戻りたいとは思いません。だって、ビールをたくさん飲めませんもの。こんなに飲めるの、ここだけですよ、多分!」と朗らかに言い切った。酒に生き、酒に死にそうな人だなと思った。
三本飲まずに、一本はムゲンに渡そうかとも思ったが、前世お忘れ物捜索サービスに連続で行っていると疲れて仕方がなく、眠るために三本とも飲んでしまった。六時間もすれば酔いから覚めるだろうと思ってはいたが、まだ頭が痛かった。
今日の女の客も散々だった。
不倫し、夫に訴えられ、不倫相手と心中。女には、小学生の子供もいた。前世お忘れ物捜索サービスで久しぶりに顔を見た元夫がやっぱり恋しくなり、元夫に戻った。ムゲンも心中をした客を相手したことがあったようだが、あれはまだいい。駆け落ちして共に死んだ人の写真を持って帰るだけだったようだから。今日の女は裏切りに裏切りを重ねる女で、反吐が出た。
回送列車がホームに来るというアナウンスが流れ、バンドウはふらりとベンチから立ち上がった。
前世お忘れ物捜索サービス中に自分の記憶を探し始め、これで六件目。まだ手がかりは何もなかった。ムゲンのようにふらっと見つかればいいが、見つかる気配は一切なかった。
ムゲンからは「バンドウさん、疲れてるみたいだし、私が行くけれど」と声をかけてくれていたが、全て断っていた。一度断ると、ムゲンはそれ以上何も言わないでくれていた。
特急タナバタから下車したあと、バンドウはしばらくホームに残る。白線の上に立って、列車がホームに来るのを待つのだ。
儀式となっていた。今日は六回目の儀式である。
どこか懐かしいメロディが鳴る。
死にたい。ホームに飛び込んで、列車に轢かれて死にたい。
――もう僕は駄目なんです。死なせてください。逝かせてください。
喘ぎのような言葉が喉まで出てくるが、口から出てくることはなかった。生唾を飲み、胃の中に落とし込む。
誰に言おうとしたのだろう。誰に、死なせてくれと願ったのだろう。何が自分をそうさせてしまったのだろう。
バンドウは衝動を抑えるため、瞼を閉じた。
びゅうっと風が吹き込み、バンドウの体が煽られる。よろめき、後ろに二歩退く。列車はカタンカタンと走り去っていった。
この衝動の向こうに記憶があるような気がするが、何も蘇ってはくれなかった。申し訳無さのようなものがあるのは感じるが、誰に申し訳なく思っているのかも思い出せない。
ひとまず、今日も死なずに済んだ。そのことにバンドウは安心する。また、ムゲンの元に戻れる。自分はもうどこにも逝かない。死なないと誓うための儀式だった。
この儀式をしていることは、星間ちゃんは知っていた。三件目の依頼が終わり、儀式も終えて帰ると、星間ちゃんがじとっとした目でバンドウを見てきたのだ。
――ホームで死のうとしてました?
星間ちゃんには本当に何もかも筒抜けなのだなとバンドウはその時、苦笑してしまった。
死なないための儀式だと答えると、悪趣味ぃ、と呟いた。
――ムゲンちゃんより酷いこと言いますね。僕のこと、分かってるくせに。
――分かってるから言っているんです。本気で飛び込んだら、ムゲンさん、多分、泣いちゃいますよ。
――ムゲンちゃんって、僕が死んだら泣いてくれるんですか?
――しーりませんっ!
星間ちゃんはそこで話を切り上げてしまった。
ムゲンが泣いてしまう。それだけは嫌だった。だが、儀式を辞めることもしなかった。
この儀式についてそれから星間ちゃんが何か言ってくることはなかった。
ホームに再びアナウンスが流れる。今度は特急がやってくる。
まだ頭が痛いし、もう少しここにいるか、とズボンのポケットに手を突っ込んで、また白線の上に立つ。
遠くに見えるのは、特急のランプだ。速度を落として、やってくる。
それでも、その車体に体をぶつけたら、粉々になってしまうだろう。
死にたい。
また、衝動がこみ上げてくる。
早く手懐けたいものだ。バンドウは踵をトントンと上下させ、体を揺らしながら特急を待つ。
ああ、死にたい。
また、同じメロディがホームに響く。
頭がずきんと痛み、体がふらりとした時だった。甲高いブレーキの音が響く。
「バンドウさんっ」
何かがぎゅっと自分の腕を掴んだ。
バンドウははっとして、自分の腕を掴む手を見る。手から辿り、目の前に立っている人の顔を見た。ムゲンだった。
瞳が揺れていた。まつ毛を震わせてバンドウを見上げていた。
「何をしているの、ここで」
「ああ、ムゲンさん。お迎えに来てくれたんですか?」
ムゲンはぱっと手を離し「違います」と答える。
「タナバタの到着時間から一時間以上経ってる。何かあったのかと、心配になっただけ」
「心配してくれたんですか。いえ、ハナビさんにお酒をたくさんもらってしまいまして、酔いを覚まそうとしていたんです。頭が痛くて」
「それだったら、お忘れ物センターのベッドで寝ていればいいんじゃない」
「あはは。そうですね。確かにそうです。でも、ここだといい風がきますから」
ムゲンはぎゅうっと眉間に皺を寄せ、踵を返し、歩き始める。カツカツとヒールが鳴る。かなり怒っている。
バンドウはムゲンの後ろを着いていく。しゃんと伸びた小さな背中に話しかけた。
「ムゲンさん、お忘れ物センターから出ることが増えましたね」
「必要があったから。なければ出ない」
「前世お忘れ物捜索サービス、僕がずっとしていて、すみませんね」
「バンドウさんは……」
エスカレーターの前になって、ムゲンが振り返る。今まで見た事のない表情をしていた。さっきは眉間に皺を寄せていたムゲンが、今度は眉をハの字にしている。少しだけ瞳が潤んでいるように見えた。
「バンドウさんは……記憶を取り戻して、前世に戻りたいのですか」
ああ――。
バンドウは目を細め、微笑んだ。
「そんな訳ないじゃないですか。記憶を捜しているのは確かですけれど、戻りたいとは思ってませんよ。それに会社は許さないでしょう。ムゲンちゃんを一人にするのは嫌ですし、離れるのも嫌です」
「それなら、ホームに突っ立ってないで、早く帰ってきて」
ムゲンはそこでまたふいっとバンドウに背中を向け、さっさとエスカレーターを歩いて降りていった。
お忘れ物センターに戻ると、星間ちゃんが突き刺さるような視線を送ってきた。ムゲンは保管室の机に真っ白の紙を置いて眉間に皺を寄せていた。
何をしているか聞こうと思ったが、ベッドに入った瞬間に、気絶するかのように眠ってしまった。