1章 推しを忘れた令嬢

「ちわーっ……って接客中か」
 ガラスのドアを開け、ジョーがお忘れ物センターに入ると、ちょうどカウンターには大きな盾を背負っている小太りの中年男性が立っていた。盾の中央には、何か複雑な模様が入っている。こういうのを背負っている奴は皆決まって勇者だとおばさん上司から教えてもらったことがあった。こんな小太りのオッサンが勇者? とジョーは思ってしまう。ジョーの中の勇者像は、もっと凛々しく、若々しい男だったからだ。
 対応するのは、やはり黒髪のっぺり顔の女性職員。ジョーよりも三歳年上で、彼女は二十八歳。髪はボブで、キリッとした目が勇者の顔を確認していた。制服は他の職員と同じ。だが、スカートスタイルを選ぶ女性が多い中、この職員は少数派のパンツスタイルだった。ボーイッシュというわけではない。胸は比較的あるが、全体的に細い美人である。性格上、彼女はパンツスタイルの方を好むのだろう。
 ジョーは仕事の邪魔にならないように、部屋の隅に備え付けられていた椅子に座り様子を見ることにした。今のところ対応を待っている客はいない。勇者一人だけだった。
「確認します。鞘に紫と赤の石が」
「だから、それはレメレドとドルドだってば。おねーちゃん、しっかりしてくんない?」
 勇者に訂正され、職員は整えられた眉をぴきりと動かした。ジョーは吹き出しそうになり、袖で口元を押さえた。
「……レメレドとドルドがあしらわれていて、柄にも同じように埋め込まれているのですね。その背中の盾と同じ文様が刻まれていて、大きさは成人男性の上半身くらい。乗っていたのは昨日、天の川線、特急チキュウ。下車は星の間中央駅、乗り換えはしていない。以上で間違いないですか」
「そーそー。早くしてくんないかな。世界が滅びかけてるってのに」
 おじさん勇者は白いカウンターを人差し指で頻繁に叩いていた。
 女性は顔色一つ変えていないが、たまにぴくりと眉が動いていた。
「転生印を確認させてください」
「なにそれ? 初めて聞いたんだけど」
「あなたが転生者であるなら、身体のどこかに、転生前の世界や国を示す転生印があるはずです。痣のようなものはないですか」
「肌を見せるの? やん、エッチだねえ!」
 勇者が身体をくねらせている。おっさんそりゃ痛いぜ、とジョーは額に手を当てる。
「なら、そこの男性職員に変わります」
 ジョーの存在に気がついているようで、職員はジョーを指さした。金髪碧眼の彫りが深く、体型のいい男がいることに気付いた勇者はぷるぷると首を横に振る。
「いやいや、君でいい、君がいい!」
 女性職員は溜息をつこうとして――我慢した。代わりにしたのは深呼吸だった。自分を落ち着かせているようだ。ジョーは感心してしまう。黒髪のっぺり顔はどこまでも我慢強い。ジョーだったらとっくに殴りかかっていただろう。
 やべー奴に引っかかってるなあ、とジョーは思うが、まだもう一人男性職員がいるのを知っているので、口出しはしなかった。
 勇者は被っていたヘルメットを外し、脂ぎった髪をかきあげ、額を見せ、前のめりになった。汗が臭うのか、職員は一瞬うっと顔をしかめた。
「どう?」
「はい、確認しました。ありがとうございます」
 丁寧な口調は崩さなかったが、声色からして職員の苛立ちはそろそろ上限に達しそうだった。
 彼女はメモを持ち、カウンター奥の部屋に入っていった。奥の部屋には、届けられた忘れ物が保管されている。
 出てきたのは、男性の職員だった。こちらも黒髪のっぺり顔で、目が細い。笑うとまるで糸のようになる。髪をきっちりと整えていて、いかにも真面目そうだった。年齢は三十五。黒髪のっぺりのくせにジョーよりも身長は高かった。彼は、大きく膨らんだ麻袋を軽々と担いで出てきた。続いて女性職員も出てくる。
「すみません、紫と赤の石がついた剣は山程届いておりまして。一緒に探してくれます?」
 カウンターから出てきた男性職員は、よっこいしょと麻袋を雑に床に置いた。
 勇者が悲鳴を上げる。
「ちょっとちょっと! 丁寧に扱ってよ! 何様!?」
「ただのお忘れ物センターの職員です。探さないんですか?」
「探すよ〜も〜」
 麻袋の口を開け、勇者は文句をたれながら自分の剣を探す。傘を探すかのように大切な剣を探している勇者に、ジョーは心の中で爆笑していた。ジョーの楽しみは、この二人の対応を見ることだったのである。
 やっとのこと自分の剣を見つけた勇者は、再度それを女性職員に見せる。剣には札が貼られており、日付と一緒に『天の川線、特急チキュウ』と書かれていた。職員がリストと剣を見て、ようやく引き渡しをした。
「あのさあ、もっと簡単に渡してくれないわけ? それに、管理も雑だよ」
 勇者は最後に頬を膨らませながら文句を垂れるので、さっきまでにこにこしていた男性職員はすうっと目を開けて真顔で言い放った。
「大切なものなら、列車に置き去りにする、なんてこと、ないと思うのですが」
 勇者がごくっと生唾を飲む音がジョーの元まで聞こえてくる。男性職員はすぐに笑みを顔に戻す。
「保管期限内に取りに来られて良かったです。忘れないよう、管理をお願いしますね」
 勇者はフンッと鼻を鳴らし、ガラス扉を大きく開け、そして勢いよく締めた。
 女性職員はやっと大きな溜息をつき、男性職員は麻袋を持ち上げ、保管室に持って行った。
「ブラボーだったね。おつかれさん。ムゲンちゃん、よく怒らないね。ここに来てまだ半年しか経ってないっての信じられないよ」
 ジョーが拍手しながら声をかけると、ムゲンと呼ばれた女性職員がまた大きな溜息をつく。名札には『星の間中央駅、お忘れ物センター、ムゲン』と書かれている。
「何ですか。また遊びに来られたのですか」
「来ちゃ駄目だった?」
「いえ。別に。構いません」
 堅苦しい敬語で喋られ、ジョーは肩をすくめる。おばさん上司よりも喋り方は堅い。冷たい視線をいつもジョーに突き刺してくる。だがあのおばさん上司のようにガミガミと怒らないし、さっきの北口改札にいた駅員のようにつまらなくもなかった。
 奥から男性職員がにこにことしながら出てきて、ジョーに向かって手を上げた。名札には『星の間中央駅、お忘れ物センター、バンドウ』と書かれている。
「やっほー、バンドーさん。今日も最高にクールだったっす」
「ありがとうございます。先程の勇者様は、どうも世界を救えそうにありませんね。どこの世界なのかは知りませんが、続報を待ってます」
「オッケー。見かけたら声かけてみます」
 お客様の情報をおもしろおかしく喋っているジョーとバンドウに、ムゲンはまた溜息をつく。会社から支給された腕時計は、ムゲンもバンドウもつけていた。ムゲンは時計を見てジョーに話しかける。
「ジョーさん。休憩時間はいつまでですか」
「んー、あと十五分くらい」
「そうですか、お忘れ物センターを理由に遅刻されても困るので、時間厳守でお願いします。総合案内の責任者はとても厳しいと聞いています」
「りょーけーりょーけー。ね、バンドーさん、なんか面白い忘れ物ないっすか?」
 りょーけーというのは、黒髪のっぺり顔たちがよく使う「了解」と、ジョーがよく使う「オッケー」が混ざったものだった。その返事の仕方に、ムゲンはほんの少しだけ、眉を動かす。
 質問されたバンドウは僅かに考え、すぐに手を叩いた。
「ああ、あります、あります。いいものが入荷してますよ。たぶんまだ使えると思います。ちょっと待ってください」
「やった。今日はなんかそんな予感がしたんです」
 ジョーは椅子から立ち上がり、カウンターに肘をついて保管室を覗き込む。保管室の入り口にはカーテンがかかっているので、カウンターからは中は見えないのだが。
 ジョーのもう一つの楽しみは、ここに集まる忘れ物の品々を見ることだった。異世界の物品にはたまに面白いものがある。利用者のもので遊ぶことは普通考えればありえないことなのだが、バンドウという職員は、その当たり前をなかなか守ろうとしないし、ジョーという総合案内担当の駅員もバンドウに乗っかってしまう。
 ムゲンは眉間に皺を寄せたが、男二人には何も言わなかった。
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