3章 色彩を忘れた魔女

 ムゲンは部屋を見た時にまず気になったノートを手に取る。ぱらぱらとめくるが、どれも少女の絵だった。同じキャラクターにデザインの違う服をいくつも着させているページもあれば、顔は同じだが髪型を変えて描かれているページもあった。
 この手順をムゲンは知っている。こうやって、キャラクターデザインを練っているのだ。いくつもの案を出し、その中から最もコンセプトに似合うものを選ぶ。漫画を描いている時もそうしていたような覚えがある。
 ムゲンはノートを萌に見せて尋ねた。
「これは、何のキャラクターですか」
 萌はムゲンからノートを受け取り、ぱらぱらとめくる。
「ああ、これ、ハピプラが出したソシャゲのキャラクターですね」
「ソシャゲって何ですか」
「知りませんか。ソーシャルゲーム。あ、これはスマホ向けのゲームです。えっと、私のスマホにもインストールしてた気が……」
 ゲームといえば、バンドウがたまに遊んでいる携帯ゲーム機しかムゲンは知らない。スマホの存在は知ってはいるが、そのスマホでゲームが遊べるということは知らなかった。
 萌は大きな鞄の中からスマホを取り出し、電源を点ける。様々なアプリのアイコンが並んでいた。一つ一つのアイコンがどのようなアプリかもさっぱり分からなかったが、パソコンと同じで、まあとにかく色々できるのだろうとムゲンは軽く理解した。
「ああ、これです。『魔術師は万の道を往く』です。タイトルがいかにもハピプラっぽいですよね。私、このゲームのイラスト担当で……」
 ムゲンはハピプラのソシャゲと聞いてはっとする。
 向晃樹が言っていた。ハピプラはソシャゲで大失敗して潰れたと。ハピプラが出したソシャゲとは、このゲームのことなのだろうか。
「ハピプラって、他にもこのようなスマホ向けのゲームを出していますか」
「開発中が一つあったかな。でも、リリースしたのは、これが初めてです」
 ということは、その開発中のゲームで大失敗したのだろうか。ムゲンはもう一つ質問をした。
「あの、もし、このゲームを開発した会社が潰れたら、このゲームはどうなるのですか」
「サ終ですかね。あ、サービス終了ってことです。運営もハピプラだし、ハピプラが続けられなくなったらアプリも終わりです。これはリアルタイムバトルのゲームなので、継続は無理だと思います。カードゲームなんですよ」
 萌はそう言いながらアプリをタップした。起動するということは、自分たちはハッピープラネットがまだ存在しているところに下車をしたのだとムゲンは把握する。向晃樹の時にはハッピープラネットは潰れ、Re:プラになっていた。それよりも過去にいるのだ。
 ハッピープラネットの会社のロゴが画面いっぱいに表示され、トップ画面が表示される。
 少女と少年が向かい合ってカードを持っているイラストがプレイヤーを迎えた。ふたりとも黒のフードを被っていて、頬には複雑な刺青を入れていた。
「プレイヤーは魔術師となって、カードでバトルするんです」
 さらにタップすると、ログインし、メイン画面に移る。プレイヤーの名前は「チェリー」だった。
 萌は手持ちのカード一覧を出し、一枚一枚見ていった。
 カードにはレア度があるらしく、コモンの絵はそれほど加工がされていなかったが、レア度が高まるにつれてキラキラとした絵になっていく。最高レアになると、背景までしっかりと描き込まれており、キャラクターのデザインも凝ったものとなっていた。
 魔術師は、このカードの性能を使って戦い、トーナメント戦で勝ち抜いた魔術師に莫大なゲーム内アイテムが贈られるというものだった。そのゲーム内アイテムの中には、カードを買うアイテムもあるという。本来はお金を払って買うものだが、それが無料で買えるようになる。最初にいくらか課金をしてレア度の高いカードを集め、トッププレイヤーになったらさらにカードを買えるというシステムだった。
「では、お金を払ったほうが有利なんですね」
「ソシャゲはだいたいそうですよ。基本無料を謳っていますけど、結局、お金を出した人が有利になるようにできているんです。もちろん、無課金の人にもある程度はアイテムを配布しますが、課金者に比べたらってところですね」
 萌は、あ、と手を止めた。
「これ、私が描いたやつです! そうそう、自分が描いたカードが欲しくて、このカードのためだけに一度課金しました」
 カードを全画面表示にし、ムゲンに見せてくれた。和装の女性。長い黒髪を艷やかに風になびかせている。和傘を持ち、優雅に微笑む女性は、片方の手に頭蓋骨を持っていた。よくよく見れば、額には角がある。鬼の設定なんですよ、と萌は教えてくれた。
 最高レアのカードで、このカードは性能もよく、よく売れたのだと萌は自慢げに言った。
 萌はカードはガチャで引くのだと言って、そのガチャ画面を表示した。
 画面中央には大きなガラスドームがあり、その中をカードが舞っている。画面下にはレバーがあり、それをタップするとガチャが始まり、ガラスドームからカードが出てくるのだと説明する。せっかくだから、と、萌は一回ガチャを引いた。
 出てきたのはコモンのカードで、僧侶のようなキャラクターだった。普通はこんなもんですよ、と笑った。
「このガラスドーム、うちの店にもあるんです」
「では、野村様の転生先は、このゲームの世界ですね」
「そうかも。自分の世界がどんな世界かとか気にしてなかったけれど、このゲームそっくりだし、このガチャ画面なんかうちの店そのまんまだし。多分そうです。私、この世界に転生したんですね」
 それまでは楽しそうにしていた萌だったが、ゲームを終了させ、ムゲンが見せたノートを手に取った。
「私……デザイナーと一緒に、いくつもの案を出して、いくつものイラストを描きました。このゲームは、毎月新規カードが出るので、それに間に合うように、頑張って描いてたんです。朝から晩までアイデアを出しまくって、何回もラフを提出しました」
 萌はノートをくしゃりと握り、顔を歪める。
「でも、なかなかオッケーが出なくて、毎回、毎回、修正させられました。自信作だと思っても、これはゲームの世界観と違う、このデザインは売れないと言われて、何度も修正しました」
「それは……辛かったでしょう」
「自分の絵はゴミなんじゃないかって思いました。他にも会社にはイラストレーターが数名いたんですけど、一発で通る絵を描く人はいました。でも、私は、いつも駄目で、駄目で、自信をなくして……、気持ちが滅入ってしまって」
 そこから先の言葉が出てこなかった。その代わり、頬の上を涙が滑り落ちた。
 転生したということは、一度命を落としたということだ。転生した瞬間を口にするのは躊躇われたのだろう。きっと自死だと、ムゲンは悟る。
 アンジェリカの、絵が描けなくなった原因は、このゲームだった。
 商売のために描く。売れるものを描かなければならない。その重圧に心がまず死んだのだ。
 絵とは、そういうものなのだろうか。
 少なくとも、漫画家だった頃の自分は、好きに描かせてもらっていた覚えがある。誰かには自分の絵を認めてもらえていて、誰かから渡されるストーリーさえ言われたとおりにすれば、あとは自分の思うように描かせてもらっていた覚えがあった。それができるほどの技術があったからだろうが、そうさせてもらえるのはありがたかったし、自信にも繋がっていた。
 萌は、自由に描くことを忘れている。ムゲンは心の内から湧き上がる「描きたい」を知っていた。
「野村様が今思い出したのは、モチベーションがなくなった原因です。野村様がお忘れになっているのは、絵が好きだった頃ではないですか。何も気にせず、純粋に、絵が好きだった頃が、あったのではないですか。描くことが楽しくて、楽しくて、仕方がない頃があったのではないですか。それを探しましょう。何か、手がかりがあるはずです」
 なんとしてでも、萌が忘れているものを見つけてあげたい。
 それは、絵を描く者としての思いだった。
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