3章 色彩を忘れた魔女

 ムゲンがセンターに戻ると、ちょうどバンドウはカウンターで新規の忘れ物を清掃員から預かっていた。バンドウは楽しそうな笑みを浮かべていた。清掃員が持ってきた袋はそれなりに膨らんでいた。
 清掃員がムゲンに気付き、帽子を上げて小さく挨拶をした。彼らは決まって口数が少なく、センターに来ても雑談などをすることなくすぐに立ち去って行く。駅にやってくる車両の数が膨大で、すぐに清掃に向かわないといけないからだとムゲンは思っていた。
「いやー、今日もたくさんの収穫物ですね」
 ほくほくしながらバンドウは袋を開き、一つずつ物を出していく。バンドウがやってくれるのは珍しい。
「他人の物を収穫物とか言わないで。あなたの遊び道具じゃないでしょ。何やってるの、責任者が」
「期限切れはゴミになるんですから、そうしたらもう僕のものですよ。捨てられるより、僕に使われるほうが絶対に幸せなんです」
 ジャケットの中のコーヒー、すぐに捨ててしまうか、ジョーにあげようかと思った。
 ムゲンは少し声を大きめに出して、とても残念そうに言った。
「せっかくバンドウさんにコーヒー買ってきたのに。バンドウさんが遊んでばかりだったら、ジョーさんにあげる」
 ジャケットから缶コーヒーを出して、ちらりと見せる。
「えっ、ムゲンちゃんが、僕のためにコーヒーを買ってきてくれたんですか!? 何故? どういう風の吹き回しですか?」
 ありがとうございます、とバンドウが手を伸ばしたので、ムゲンはさっとジャケットに隠した。
「駄目。働いてからにして」
「なんで! ムゲンちゃんって、こんなに優しい上司に対してそんなことするんですか!?」
「上司って言い張るんだったら、もうちょっと働いて」
「……分かりましたよ。でも、絶対それ、僕にください。ジョーさんになんかあげないでください。嫉妬で狂って、特急の前に身を投げ出すかもしれません」
「変なこと言わないで」
「本気です。ムゲンちゃんから缶コーヒーをもらえる日が来るなんて思ってませんでしたから。凄く嬉しいです」
 たかが缶コーヒー一本に何故そこまで喜べるのか分からなかった。コーヒーなど、保管室にもインスタントコーヒーがあるからすぐ飲めるのに。缶コーヒーでジョーに嫉妬するというのも意味が分からない。
 ムゲンは缶コーヒーとミックスジュースを冷蔵庫に入れて、バンドウの作業を手伝った。
 ムゲンがリストの続きを書き、バンドウが札を忘れ物につける。
 忘れ物ナンバーワンの傘にはじまり、歪な形をした通信機器、立派な動物の角らしきもの、弁当の食べ残し(これはゴミだろうと思ったが、清掃員的には忘れ物らしい)、それに小さな箱があった。平べったい箱だった。
 箱の中身が分からなかったので、ムゲンは蓋を取った。
 中から、色とりどりのクレヨンが出てきた。
「バンドウさん、これ、普通のクレヨンですか」
「何ですか?」
 ムゲンが中身と蓋を見せる。バンドウはすぐに、ああ、と嬉しそうに言った。
「今日の目玉ですね。それ、魔法のクレヨンですよ」
 一見ごく普通の八色のクレヨン。使われた形跡はなく、新品のようだった。
「それ、描いたものが実体化するんです。いやあ、いいものが入りましたね。これで少しは憂さ晴らしが――」
「バンドウさん、コーヒーは」
「失礼しました。でも、これ、本当にいいものですよ。それに、なんだか、懐かしい気がします。僕、絵なんか描けましたっけ……」
「知らないけど」
 バンドウが絵を描いているところなど見たことがない。バンドウは雑誌などで他の人が描いたイラストには興味を示すことはあったが。
 絵と聞いて、ムゲンはさっき考えたことをバンドウに伝えることにした。
「ねえ、バンドウさん。センター、殺風景だと思いませんか」
「そうですねえ。外と比べたら。ポスターないですし」
「だから、私、お忘れ物センター用のポスターを作ったらいいと思ったんです。私、デザインしていいですか」
「ムゲンさんがそう決めたのなら、そうすればいいと思いますよ。ムゲンさんがすることは、僕は止めませんし」
「ありがとうございます。完成したら見てください」
 シャワールームから帰ってきたムゲンの顔を見た時、いつになく化粧で目がきりっとしているなとは思っていたが、ポスター制作の案を語るムゲンの顔にほんの少し笑みが浮かんでいるのをバンドウは見逃さなかった。今まで眉間に皺を寄せていたムゲンが、楽しそうだった。
 バンドウは忘れ物をそれぞれ分類して棚に置いたが、クレヨンだけ手元に残していた。
「じゃあ、僕も描いてみようかなあ」
「バンドウさんは描けるの」
「分かりません。でも魔法のクレヨン使ってみたいし」
「ちょっと、だからお客様のもので……」
「少しだけですよ。それに、このクレヨン、消耗品ではありませんから。大丈夫です」
 そういう問題じゃないでしょ、と言おうとしたが、バンドウは早速保管室の机でコピー用紙に何かを描き始めた。
 ムゲンも気になってしまい、バンドウの隣に向かった。
 魔法のクレヨンが気になったのではない。バンドウの描く絵が気になった。
 黄色、黒色、灰色を使う。
 徐々に出来上がっていくそれは、星間ちゃんらしきものだった。
「センターの人形になってもらいましょう」
 バンドウはそう言いながら、星間ちゃんの顔を描いていく。星間ちゃんの顔は五芒星の形をしているが、バンドウが描いているのは歪んだ何かである。星には到底見えない。
 見ていると、ムゲンの中で何かが爆発した。
 バンドウの右手を掴んで、描くのを止めた。
「待って、バンドウさん、他のキャラクターみたい」
「え? 何でですか? ちゃんと星間ちゃんでしょ?」
「顔が星になってないでしょ、どう見ても」
「そうですかねえ。僕的には上出来だと思うんですけど」
「もう、貸して。私が描く」
  クレヨンを持ち、ムゲンは黙々と紙に向かった。
 バンドウはこっそり冷蔵庫からコーヒーを出し飲み始めたが、ムゲンはそれに気が付かない。
 バンドウが描いた星間ちゃんを修正するように上から色を重ね、それから制服を書き込んでいく。
 会社がデザインした星間ちゃんは可愛くなかった。可愛くない理由は顔が五芒星だから、かつ、表情がなかったからだ。キャラクターとしての生命を感じられない。だから、ムゲンは星間ちゃんの制服を少しアレンジした。特急の車掌が被っている帽子を星間ちゃんに被せてあげた。笑みを浮かべさせて、可愛らしくした。
「ムゲンさんって、絵が上手なんですね。素晴らしい――どこかで描いてました?」
「いえ、それはないと思う……けど……、何でだろう、私、描けると思った」
 最後に目を描き込むと、絵がバチッと光った。
 そして、紙から、星間ちゃんが飛び出してくる。ちょうど、カウンターと同じほどの背丈をしていた。ムゲンが描いたものが、本当に実体化した。ムゲンは驚いて椅子から立ち上がり、バンドウの隣に逃げた。
 星間ちゃんは最初、きょろきょろと周辺を見ていたが、ムゲンとバンドウの姿を見て、にこっと笑った。
「星間です。描いてくれてありがとうございます。ボクはお忘れ物センターで働けばいいんですね?」
 少年の声で、バンドウとムゲンに話しかける。
「あ、え、しゃ、喋った……」
 ムゲンが青ざめた顔をしているので、バンドウがムゲンの肩を撫でた。
「だから言ったじゃないですか。魔法のクレヨンだって。でも素晴らしいですよ。喋れるところまで描けるというのは。絵のクオリティが低いと、喋ってくれませんからね。ムゲンさん、凄いですよ」
 ぽんっと肩を叩かれ、ムゲンはかあっと顔を赤くするのと同時に、絵を褒められることに対して、懐かしさを一瞬だけ感じた。
 バンドウは星間ちゃんに歩み寄り、こんにちは、と声をかけた。星間ちゃんはバンドウにぎゅうっと抱きつく。まるで子供みたいだった。
「バンドウさんも、ボクを描いてくれましたね」
「はい。僕はド下手なようですが、ムゲンさんが修正して、立派に仕上げてくれました」
「ボク、お忘れ物センターのために、頑張ります!」
 星間ちゃんはやる気一杯で、何をしたらいいですか、とバンドウに尋ねた。
 バンドウは悩んだ末、保管室の外を指差す。
「でしたら、カウンターの横あたりにいてください。あなたを見たお客様が、センターに来てくれるかもしれません」
「了解しました! あの、ムゲンさんも、ボクにぎゅうってしてくれませんか? ボク、ムゲンさんに描いてもらえてとても嬉しいです! 素敵な制服をありがとうございました。ムゲンさんにぎゅうってしてもらったら、いっぱい頑張れます!」
 星間ちゃんに言われて、ムゲンはおずおずと近づき、星間ちゃんを抱きしめた。前のクマのぬいぐるみといい、こういう存在は抱きしめられることに喜びを感じるのだろうか。
 星間ちゃんはビシッと敬礼をして、カウンターの前に行ってしまった。
「あれ、いつまで魔法が継続するの」
「さあ。僕はそこまで詳しくありませんから」
 できるなら、長く残っていてほしい。
 自分が描いた絵がなんだか愛しく思えてしまった。ムゲンはクレヨンを片付け、星間ちゃんが待つカウンターへと向かった。
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