3章 色彩を忘れた魔女

 しばらく閉店します。
 私は使い慣れないバサバサの筆と黒ペンキを使って、ベニヤ板に荒々しく書いた。ペンキがべっとりと手について、気持ち悪かった。私が着ているのは、純白の生地のワンピース。アクセントで胸から腰にかけて斜めにあしらわれた虹色のフリルが、いかにもアーティストっぽさを演出していた。この真っ黒のペンキがついてしまったらひとたまりもない。汚れたのが手だけで良かったと安心しながら、水道で手を洗っていると、カランとベルが鳴る。
 私は急いで店に出た。
 お客様が大きな機械の前にいる。巨大なガラスドームの中ではカードが舞っているはずだけれど、今、ガラスドームの中はからっぽだった。
「すみません、今、排出機が壊れてて……、カードも切れてて……ごめんなさい。しばらく閉店しようと思っていて」
 お客さんは黒のフードを深々と被っていた。カードを使う魔法使いだ。背が高いから、男性だとすぐに分かったが、顔が隠れている分、ミステリアスだった。
 僅かに見えている頬には複雑な刺青があった。カード使いの証だった。カードには魔力が込められていて、カード使いたちは様々なカードショップに買いに行っていた。この店もそのカードショップの一つ。私はこの店のオーナー兼カード師だった。
 でも……。さっき言った通り、カードの排出機が壊れていた。カードを混ぜるガラスドームが上手く働かず、カードの排出に偏りが出ていた。それに、カードも製造できていなかった。売るものがなければ、店を開けている意味がなかった。
「なんだ、そうなのか。残念。カード師アンジェリカの店はレア排出率が高いと噂で聞いていたのだが」
「ガラスドームの調子が悪くて、排出率に狂いが出ていたんです。排出率は全店統一されてますから、ゲーム支配人から勧告も出ていて。だから、故障中ということで、今は使えないんです」
「そうだったのか。早く直ればいいね。アンジェリカのカードは絵もいいし、コレクションとしても欲しかったんだ」
「……ありがとうございます。また、お越しください」
 深々と頭を下げる。男性はいいよ、と優しく言ってくれたが、罪悪感でいっぱいだった。
 ペンキが乾いたので、ベニヤ板をドアに取り付ける。釘を打ち付けると、もう一生閉店のままなのではないかと思ってしまう。一生閉店――それは嫌だ!
 この店は私の生きがいだ。カードを作ることが私の人生。なのに、何故私は突然カードを作れなくなってしまったのだろう。理由は特に思い浮かばない。ガラスドームが壊れてから、調子が悪くなった。ガラスドームが壊れる以前は、私は毎日大量のカードを作り、お客さんにガラスドームの下にあるレバーを回してもらった。お客さんたちはこの機械のことを「ガチャ」と呼ぶ。お客さんはこのガチャを回しに店を訪れる。
 私の仕事は、カードを作り、売ること。
 カードにはランクがあった。コモン、レア、Sレア、SSレアの四種類だ。レア度の高いカードほど高い魔力を持つ。さらに、同じカード同士を合成すると+がつき、絵柄が少しだけ豪華になり、魔力が上がる。魔法使いたちは、強い魔法を入手するために、レア度の高いカードを入手するために、莫大なお金を持って店にやってくる。それが私の稼ぎであり、魔法使いたちの戦いの場であるカードゲーム大会の支配人の稼ぎでもあった。魔法使いはレア度の高いカードを手に入れるために、無心でガチャを回す。だから、コモンのカードも毎日大量に必要だった。一日のうち一番減りが早いのはコモンのカードだ。毎日私はカードをせっせと作り、売っていた。コモンやレアのカードたちはすぐに捨てられると知っていても、私は気にせず作っていた。
 カードを作るための、特別な筆があった。ベニヤ板に文字を書くために使ったバサバサの筆とは違う。魔法の筆だ。桃色の筆の軸には素晴らしい装飾がついていて、手にするだけで気分が高まる筆だった。
 新規SSレアカードのために新しい絵を描くこともあるが、一度描いた絵は何度も魔法の筆を使って描き、繰り返しカードにする。これは魔法の筆ではないとできないことだった。
 店の奥のアトリエに向かう。小さな、真っ白のキャンバスが私を待っているけれど、今の私は絵を描くことができなかった。
 魔法の筆を使っても、絵を描くことができなかった。
 筆先をキャンバスの上に置けば、自然と手が動き、いつも同じ絵を描いてくれるはずだった。それは魔法というよりは、機械的だった。
 なのに、突然、筆が動かなくなった。私の手も動かなくなった。絵が描けなくなった。
 アトリエの真ん中で私は床にぺたんと座る。窓から差し込む西日が、何も描かれていないキャンバスを照らしていた。
 新作どころか、今まで描いてきた絵も描けない。私の魔法の力がなくなってしまったのだろうか。魔法の筆を操る魔力が。
 だとしたら、絵が描けない私には価値なんてなかった。


 店を閉めている間、旅行に行こうと思った。
 魔力がなくなったのではない。絵のネタが切れてしまっただけなのではないか。店に引きこもりのせいでインスピレーションが湧かないだけではないか。そう考えたからだ。
 私は今まで寝る暇も惜しんでカードを作ってきた。睡眠不足でぶっ倒れることも何度かあったし、栄養失調でぶっ倒れることもあった。そのくらい私はカード作りに没頭していた。もう描けるものを全て身から出し尽くしたのではないかと思い、私はインプットの旅に出ようと決めた。
 旅行鞄に一週間分の下着と服を入れた。服はいつもこの虹フリルのワンピースと決めている。いつか、ある魔法使いにセンス悪いんじゃないかと言われたが、個性的なのは芸術家によくあることだ。気にしない。
 鞄に加えて日傘を持ち、私は駅へ向かった。駅名は杏子駅といった。ゲームプラネット線上り、寝台特急ハヤミに乗る。このハヤミは蒸気機関車で、煙突からもくもくと黒煙を吹き出していた。これから向かうのは、あらゆる世界に通じているという駅、星の間中央駅だ。異世界鉄道会社については、新聞の広告を見た。快適な旅行を提供します。その言葉を信じた。
 車内にはふかふかの、まるでソファのような椅子が並んでいて、本当に快適だった。シャンデリアがキラキラと輝いていて、星の旅をしているかのように想えたし、実際、遠くに見える星々が綺麗だった。
 星の間中央駅までは、十時間ほどだった。日頃の疲れを癒すには十分だった。ぐっすりと眠ることができて、下車した時にはすっきりとしていた。
 下車してびっくりしたのが、客は人だけではないということだ。スライムといったモンスターや、伝説の龍といった客もいた。私は専ら美少女を描いていたが、彼らを絵にしたら、面白いのだろうか。そんなことを考えていると、自分がどこを歩いているのか分からなくなってしまった。
 流れから出て、壁に取り付けられていたマップを見る。一階中央に総合案内所があるではないか。ここに行って、どこかおすすめの観光地を聞くことにした。私は旅先を決めていなかった。案内所なら、有名な所を教えてくれるだろう。
 エスカレーターで一階に降りると、人の量はさらに増える。もう歩くだけで一苦労だ。レストラン街を横切り、天井から吊り下げられている案内看板に従って総合案内所に向かった。
 総合案内所は円状のカウンターになっていて、中には三人の駅員さんがいた。一人は黒髪のおばさんで、あとの二人は金髪の青年だった。私は青年の方に話しかける。
「あ、あの」
「ようこそ、星の間中央駅へ。何かお困りですか?」
 名札を見ると、ジョーという名前が書かれていた。気さくな青年のようで、キラキラとした笑顔を見せてくる。
「あの、旅行に行きたいんで、おすすめの観光地が知りたいんですけど」
「はい、おすすめですね。その前に、お嬢さんは転生者ですか?」
「……はい? てんせ……、ごめんなさい、よく分かりません」
「オッケー、では、一度お忘れ物センターに向かって、転生者かどうかを確かめることをおすすめしましょう。転生者かどうか分かると、旅の幅が広がりますからね。旅の幅が広がると、人生も広がります。ムゲンという女性の職員が見てくれるはずです。案内しますよ」
 人生が……広がる?
 ジョーさんはブルーの瞳を輝かせている。この人の言っていることは本当なのだろうか。疑ってしまったが、総合案内所の人が嘘をつくメリットは考えられなかったから、本当のことなのだろう。
「分かり、ました。お願いします」
「はい。では、行きましょう。北口改札前です」
 ジョーさんはすぐにカウンターから出てきて、歩き始めた。
 歩いていると、薄暗い通路に出た。その中にぼんやり白く光っている部屋がある。あそこがお忘れ物センターだろうか。ガラス壁だから中がよく見えた。カウンターの前には、黄色い星の顔をしたキャラクターの人形が立っている。
「あれ? 星間ちゃんがいる。昨日までなかったのに。また後で来よっと。あ、ここがオレおすすめ、星の間中央駅名物のお忘れ物センターです。楽しんで」
 え、ジョーさん個人のおすすめなの……? まあ、来てしまったものは、しょうがない。自分が転生者かどうか確かめ終わったら、また総合案内所に戻ろう。
 ジョーさんは「では」と軽く手を振り、総合案内所へと戻ってしまった。
 私は鞄を持ち直し、お忘れ物センターに入って行ったのだった。
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