2章 ラスボスを忘れた勇者
「えー、なんすか、えっ、えっ、ムゲンちゃん!?」
バンドウの後ろからひょいと顔を出したジョーが驚きの声を上げる。
ムゲンは口をぱくぱくとさせ、ぬいぐるみをバンドウとジョーに見せる。
「こ、このぬいぐるみに抱きしめてって言われたんですっ、捨てないでってうるさく泣くからっ」
二人がぽかんとしているので、ムゲンは勢いよくオラクルを棚に戻した。その衝撃にオラクルは小さく「むぎゅう」と鳴いた。その鳴き声はムゲンにしか聞こえなかったようである。
「まあそう恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。気持ちがいいですからねえ。喋るぬいぐるみは珍しいものでもありませんし」
バンドウがにやにやしながらオラクルの顔を見る。オラクルはバンドウを前にすると、喋らなくなってしまった。
「オラクルさん、喋ってください。このままでは私が変な人のようになってしまいます」
ムゲンはオラクルに懇願するものの、オラクルは何も喋ってくれなかった。
「大人の男は苦手なのかもしれませんね。ムゲンさんが優しくしてあげたから、喋ってくれたのかも。ぬいぐるみも人を選びますからね」
バンドウはそう結論付けた。
もう少し抱きしめていても良かったのに、というバンドウの言葉を無視して、ムゲンは顔をさっと引き締めてカウンターに戻ってしまった。シャッとカーテンが閉められてしまう。
バンドウはそっとカーテンを開けて、ムゲンの背中に声をかけた。
「ムゲンさん、ジュース買ってきたんです。飲みませんか?」
「要りません。ジョーさんとご一緒にどうぞ」
「そうですか。でもムゲンさんのためにと思って買ったので、これは冷蔵庫に入れておきます。また疲れた時に飲んでください。あと面白そうなゲームを持ってきたんです、一緒にしませんか?」
「いいです。ほっといてください」
ムゲンはバンドウに背を向けたまま、それから反応してくれなくなった。
バンドウは頷いて、そっとカーテンを閉めた。
バンドウがムゲンを誘っている間、ジョーはオラクルの手を握って遊んでいた。
「ムゲンちゃん、怒っちゃいました?」
「はい。恥ずかしかったんでしょうね。でも嬉しかったですよ。ムゲンさんのあのような顔が見れて。もう充分です。あのままにしておきましょう」
ジュースを冷蔵庫の中に入れ、箱を机の上に置く。
表紙には『RPGすごろく』と書かれてあった。色とりどりのモンスターが描かれている。普通のすごろくとは少し違うようだ。
箱を開くと、中にはすごろくのシートと二つのサイコロ、駒が入っていた。駒は冒険者をかたどっており、剣を持っていた。
バンドウはてきぱきとシートを机の上に広げ、スタートのマスに駒を二つ置く。バンドウは赤色、ジョーは青色の駒を選んだ。
スタートしてしばらくは、普通の道が続いていた。
「ムゲンちゃんって、よくあんな顔するんですか? オレあんま見たことないな」
「そうですね。ジョーさんとはまだ距離を取っているようですので。僕の前ではよく照れますよ。褒めるとすぐに恥ずかしがります。恥ずかしがってないように振る舞うんですけど、顔はすぐ赤くなりますね。可愛らしい後輩ですよ、ほんと」
「へえ。え、なんすか、バンドーさんってムゲンちゃんのこと好きなんすか?」
「よい上司として接した結果ですよ。それに後輩が可愛いというのは、よくあることです。もちろんジョーさんも、僕の可愛い後輩です。ああ、でも、ムゲンさんが他の男に口説かれるのは御免ですね。ジョーさん、あなたに言ってますよ、これは」
「はいはい、すみませんでした、オレもムゲンちゃんに仲良くしてほしかっただけっす。あ、モンスターのところきましたよ」
ジョーがついたマスには、青色のスライムがいた。
説明を読む。『サイコロを振って5〜6が出たら二マス進む。1〜4が出たらはじめに戻る』と書いてある。
よっしゃー、と気合を入れ、ジョーはサイコロを振った。見事に1だった。バンドウは肩をひくつかせ笑っていた。
その後、バンドウも同じマスに着くが、結果バンドウも1だった。ジョーは手を叩いて笑っていた。
何度か青スライムのところまで来るが、二人はそれ以上先に進むことができず、ジョーの休憩の終わりの時間となってしまった。
「ちぇっ、バンドーさん、これまだ捨てませんよね」
「もうちょっと遊んでから捨てます。ムゲンさんもするかもしれませんし」
「じゃ、また来ます。置いておいてください。くやしー!」
ジョーがいなくなり、保管室にはバンドウだけになる。ムゲンは入ってこなかった。きっとまだ拗ねているのだろう。
『今日まで』のスペースを見る。大きめのぬいぐるみが一つちょこんと座ってこちらを見ていた。
「オラクルさん、ですっけ。ありがとうございました。ムゲンちゃんも少しは癒やされたことと思います」
話しかけても、オラクルから反応はない。
バンドウは背もたれに寄りかかり、サイコロを手のひらに乗せて転がす。
「……どうでした? ムゲンちゃんのおっぱい」
「おっさん……! ?」
「喋ってくれましたね。あと僕はおっさんと言われたくありません。書類上では三十五です。入社してかれこれ五年経ってますけど」
「おっさんの入り口じゃん。ぬいぐるみは、ずっとピュアなんだ。おっさんの質問には答えられない。俺の心はあのねぇちゃんみたいにピュアなんだ」
「ですよねえ。ムゲンちゃん、純粋ですもんねえ。あ、だから話しかけたんですか?」
バンドウの質問に、オラクルはしばらく答えなかった。
バンドウがサイコロを振り、一人ですごろくを進める。
青のスライムのところに到着して、ようやくオラクルは口を開いた。
「なあ、おっさん。やっぱり俺、捨てられるのか?」
「僕はあなたを気に入りました。保管期限が切れてもしばらくは、ここに置いておこうと思います」
「ほんとか!」
「はい。ですから、お礼として教えて下さい。ムゲンちゃんのおっぱいどうでした?」
「……おっさん、なんだよ、上司がどうとか言ってたけどただのスケベじゃねえか……ふかふかだったよ」
「聞いてたんですか。僕、いい上司してますよ、それは嘘じゃないですよ? そうですか、そうですか。ふかふかですか。それはよいことです」
うんうん、と頷きながら、バンドウはサイコロを振った。やはり出る目は1から4のうちのどれかで、青スライムより先に行くことができなかった。
何か仕組みがあるのかと思い、二つのサイコロを手に取って重さを比べてみるが、特に何もなさそうだった。
しばらく挑戦してみたが、結果はどれも同じだった。青スライムの先に行くことができない。
「おかしいですねえ。このゲーム、先に進ませてくれません。クリアできないゲームは面白くないです」
「シートかサイコロに魔法か呪いでもかかってるんじゃ?」
「あなたは魔法を感じますか?」
「俺は無理だ。でも、俺の持ち主なら分かるかもしれない。ああ、会いたい、会いたいよぉ」
オラクルがシクシクと泣き出すので、バンドウはすごろくを片付けて、席を立った。
カウンターで屹立としているムゲンの肩を軽く叩く。なに、と不機嫌そうに振り向くムゲンに、バンドウは困った顔を見せた。
「ムゲンさん、すみません。またオラクルさんが泣いちゃいました」
「泣かせたの」
オラクルが泣いたということより、あのオラクルがバンドウの前で泣いたということにムゲンは安堵していた。バンドウもムゲンが口を利いてくれたことにほっとする。
「違いますよ。持ち主のことを思い出したようです。ちょっと慰めてきてください。僕じゃ無理です。お客様にセンターに幽霊がいるなんて思われてもいけませんし」
業務の一つだということにしておけば、ムゲンも素直に応じる。バンドウが頼むと、ムゲンは二つ返事で保管室に入り、泣いているオラクルをすぐ抱きしめた。その様子を保管室の外から眺める。
抱きしめた瞬間、強張っていたムゲンの表情がふっと和らぐ。まだムゲンがそのような顔ができることに、バンドウは安心していた。そのままそっとカーテンを閉め、バンドウがカウンターに立つ。
リストの隣に、何かメモ書きのようなものが落ちていた。
『覚えてないけれど、懐かしいもの。日本、誕生日、ハグ、褒められること』
ムゲンの字だった。メモですらかっちりとした字で書かれてあるところに彼女の性格を感じる。どうしてメモをしたのかは分からなかった。バンドウはメモには触らず、そのままにしておいた。
センターのドアが開き、一人の男が入ってくる。若い男だった。
軽装で、腰に簡素な剣があった。よれよれのチュニックとズボン。転生したばかり、かつ冒険者となった者がよく着ている服だった。
「こんにちは、いらっしゃいませ。今日は何をお忘れですか?」
バンドウが声をかけると、男はあのう、と遠慮がちに言った。
「前世お忘れ物捜索サービスを利用したいんですけど……」
バンドウの後ろからひょいと顔を出したジョーが驚きの声を上げる。
ムゲンは口をぱくぱくとさせ、ぬいぐるみをバンドウとジョーに見せる。
「こ、このぬいぐるみに抱きしめてって言われたんですっ、捨てないでってうるさく泣くからっ」
二人がぽかんとしているので、ムゲンは勢いよくオラクルを棚に戻した。その衝撃にオラクルは小さく「むぎゅう」と鳴いた。その鳴き声はムゲンにしか聞こえなかったようである。
「まあそう恥ずかしがらなくてもいいじゃないですか。気持ちがいいですからねえ。喋るぬいぐるみは珍しいものでもありませんし」
バンドウがにやにやしながらオラクルの顔を見る。オラクルはバンドウを前にすると、喋らなくなってしまった。
「オラクルさん、喋ってください。このままでは私が変な人のようになってしまいます」
ムゲンはオラクルに懇願するものの、オラクルは何も喋ってくれなかった。
「大人の男は苦手なのかもしれませんね。ムゲンさんが優しくしてあげたから、喋ってくれたのかも。ぬいぐるみも人を選びますからね」
バンドウはそう結論付けた。
もう少し抱きしめていても良かったのに、というバンドウの言葉を無視して、ムゲンは顔をさっと引き締めてカウンターに戻ってしまった。シャッとカーテンが閉められてしまう。
バンドウはそっとカーテンを開けて、ムゲンの背中に声をかけた。
「ムゲンさん、ジュース買ってきたんです。飲みませんか?」
「要りません。ジョーさんとご一緒にどうぞ」
「そうですか。でもムゲンさんのためにと思って買ったので、これは冷蔵庫に入れておきます。また疲れた時に飲んでください。あと面白そうなゲームを持ってきたんです、一緒にしませんか?」
「いいです。ほっといてください」
ムゲンはバンドウに背を向けたまま、それから反応してくれなくなった。
バンドウは頷いて、そっとカーテンを閉めた。
バンドウがムゲンを誘っている間、ジョーはオラクルの手を握って遊んでいた。
「ムゲンちゃん、怒っちゃいました?」
「はい。恥ずかしかったんでしょうね。でも嬉しかったですよ。ムゲンさんのあのような顔が見れて。もう充分です。あのままにしておきましょう」
ジュースを冷蔵庫の中に入れ、箱を机の上に置く。
表紙には『RPGすごろく』と書かれてあった。色とりどりのモンスターが描かれている。普通のすごろくとは少し違うようだ。
箱を開くと、中にはすごろくのシートと二つのサイコロ、駒が入っていた。駒は冒険者をかたどっており、剣を持っていた。
バンドウはてきぱきとシートを机の上に広げ、スタートのマスに駒を二つ置く。バンドウは赤色、ジョーは青色の駒を選んだ。
スタートしてしばらくは、普通の道が続いていた。
「ムゲンちゃんって、よくあんな顔するんですか? オレあんま見たことないな」
「そうですね。ジョーさんとはまだ距離を取っているようですので。僕の前ではよく照れますよ。褒めるとすぐに恥ずかしがります。恥ずかしがってないように振る舞うんですけど、顔はすぐ赤くなりますね。可愛らしい後輩ですよ、ほんと」
「へえ。え、なんすか、バンドーさんってムゲンちゃんのこと好きなんすか?」
「よい上司として接した結果ですよ。それに後輩が可愛いというのは、よくあることです。もちろんジョーさんも、僕の可愛い後輩です。ああ、でも、ムゲンさんが他の男に口説かれるのは御免ですね。ジョーさん、あなたに言ってますよ、これは」
「はいはい、すみませんでした、オレもムゲンちゃんに仲良くしてほしかっただけっす。あ、モンスターのところきましたよ」
ジョーがついたマスには、青色のスライムがいた。
説明を読む。『サイコロを振って5〜6が出たら二マス進む。1〜4が出たらはじめに戻る』と書いてある。
よっしゃー、と気合を入れ、ジョーはサイコロを振った。見事に1だった。バンドウは肩をひくつかせ笑っていた。
その後、バンドウも同じマスに着くが、結果バンドウも1だった。ジョーは手を叩いて笑っていた。
何度か青スライムのところまで来るが、二人はそれ以上先に進むことができず、ジョーの休憩の終わりの時間となってしまった。
「ちぇっ、バンドーさん、これまだ捨てませんよね」
「もうちょっと遊んでから捨てます。ムゲンさんもするかもしれませんし」
「じゃ、また来ます。置いておいてください。くやしー!」
ジョーがいなくなり、保管室にはバンドウだけになる。ムゲンは入ってこなかった。きっとまだ拗ねているのだろう。
『今日まで』のスペースを見る。大きめのぬいぐるみが一つちょこんと座ってこちらを見ていた。
「オラクルさん、ですっけ。ありがとうございました。ムゲンちゃんも少しは癒やされたことと思います」
話しかけても、オラクルから反応はない。
バンドウは背もたれに寄りかかり、サイコロを手のひらに乗せて転がす。
「……どうでした? ムゲンちゃんのおっぱい」
「おっさん……! ?」
「喋ってくれましたね。あと僕はおっさんと言われたくありません。書類上では三十五です。入社してかれこれ五年経ってますけど」
「おっさんの入り口じゃん。ぬいぐるみは、ずっとピュアなんだ。おっさんの質問には答えられない。俺の心はあのねぇちゃんみたいにピュアなんだ」
「ですよねえ。ムゲンちゃん、純粋ですもんねえ。あ、だから話しかけたんですか?」
バンドウの質問に、オラクルはしばらく答えなかった。
バンドウがサイコロを振り、一人ですごろくを進める。
青のスライムのところに到着して、ようやくオラクルは口を開いた。
「なあ、おっさん。やっぱり俺、捨てられるのか?」
「僕はあなたを気に入りました。保管期限が切れてもしばらくは、ここに置いておこうと思います」
「ほんとか!」
「はい。ですから、お礼として教えて下さい。ムゲンちゃんのおっぱいどうでした?」
「……おっさん、なんだよ、上司がどうとか言ってたけどただのスケベじゃねえか……ふかふかだったよ」
「聞いてたんですか。僕、いい上司してますよ、それは嘘じゃないですよ? そうですか、そうですか。ふかふかですか。それはよいことです」
うんうん、と頷きながら、バンドウはサイコロを振った。やはり出る目は1から4のうちのどれかで、青スライムより先に行くことができなかった。
何か仕組みがあるのかと思い、二つのサイコロを手に取って重さを比べてみるが、特に何もなさそうだった。
しばらく挑戦してみたが、結果はどれも同じだった。青スライムの先に行くことができない。
「おかしいですねえ。このゲーム、先に進ませてくれません。クリアできないゲームは面白くないです」
「シートかサイコロに魔法か呪いでもかかってるんじゃ?」
「あなたは魔法を感じますか?」
「俺は無理だ。でも、俺の持ち主なら分かるかもしれない。ああ、会いたい、会いたいよぉ」
オラクルがシクシクと泣き出すので、バンドウはすごろくを片付けて、席を立った。
カウンターで屹立としているムゲンの肩を軽く叩く。なに、と不機嫌そうに振り向くムゲンに、バンドウは困った顔を見せた。
「ムゲンさん、すみません。またオラクルさんが泣いちゃいました」
「泣かせたの」
オラクルが泣いたということより、あのオラクルがバンドウの前で泣いたということにムゲンは安堵していた。バンドウもムゲンが口を利いてくれたことにほっとする。
「違いますよ。持ち主のことを思い出したようです。ちょっと慰めてきてください。僕じゃ無理です。お客様にセンターに幽霊がいるなんて思われてもいけませんし」
業務の一つだということにしておけば、ムゲンも素直に応じる。バンドウが頼むと、ムゲンは二つ返事で保管室に入り、泣いているオラクルをすぐ抱きしめた。その様子を保管室の外から眺める。
抱きしめた瞬間、強張っていたムゲンの表情がふっと和らぐ。まだムゲンがそのような顔ができることに、バンドウは安心していた。そのままそっとカーテンを閉め、バンドウがカウンターに立つ。
リストの隣に、何かメモ書きのようなものが落ちていた。
『覚えてないけれど、懐かしいもの。日本、誕生日、ハグ、褒められること』
ムゲンの字だった。メモですらかっちりとした字で書かれてあるところに彼女の性格を感じる。どうしてメモをしたのかは分からなかった。バンドウはメモには触らず、そのままにしておいた。
センターのドアが開き、一人の男が入ってくる。若い男だった。
軽装で、腰に簡素な剣があった。よれよれのチュニックとズボン。転生したばかり、かつ冒険者となった者がよく着ている服だった。
「こんにちは、いらっしゃいませ。今日は何をお忘れですか?」
バンドウが声をかけると、男はあのう、と遠慮がちに言った。
「前世お忘れ物捜索サービスを利用したいんですけど……」