2章 ラスボスを忘れた勇者

 保管期限が切れたお忘れ物をゴミ袋の中に入れ、今度は今日で保管期限が切れる物を保管室入り口側の棚に移動させる。もしかしたら今日取りにくるかもしれないという僅かな期待から、すぐ分かる場所に移動させていた。そのスペースには『今日まで』という簡単な手書きの札が貼られていた。ムゲンがこのセンターにやってきた時、この『今日まで』というスペースはなかった。ここまで綺麗でもなかった。もっと言えば、ぐちゃぐちゃだった。
 バンドウは本当に管理については適当で、やってきたお忘れ物を空いているスペースに分類することもなく雑に置いていた。バンドウはそれでもさほど困っていなかったが、ムゲンが耐えられず、すぐに忘れ物を分類できるようスペースを区切ったのである。本棚はもともとなかったが、ムゲンが事務に無理を言って棚を増やしてもらい、ある程度は綺麗になった。
 バンドウは変わった保管室を見て「これはいいですね」とムゲンを褒めた。それ以降バンドウはムゲンのすることは止めなくなった。やってみたらいいと思いますよ、とムゲンのしたいようにさせてくれる。唯一嫌だと却下するのは、忘れ物リストのデジタル化だった。センターにあるパソコンは、センター内にあるモニターに期限の近い忘れ物のリストを映し出す作業、特急の予約、宣伝部や本部とのメールでのやり取りだけに使われていた。
 手書きリストを見ながら、移動させた物に付けているタグをもう一度確認する。
 今日で保管期限が切れる品は新聞に書いた通りだった。雨傘十本、剣三本、ぬいぐるみ一体、魔法の杖一本、復活ベル一個、魔導書三冊、金冠一個。何故王冠のようなものが落ちているのかと思ったが、バンドウからはいつも「理屈で説明できないこともこの世にはいくらでもあるんですよ」と言われているので、この忘れ物もそのうちの一つなのだろうと思うことにした。新聞に記載したのはいいが、誰も取りに来ていなかった。
 復活ベルについては、慎重に扱った。これが届けられた時、対応したのはバンドウだった。バンドウの説明によると、ここの職員たちはこれをうっかり使ってしまうと、存在が消されるのだという。会社に握られている弱い魂だから、というのが理由だった。この情報は前のお忘れ物センター担当から引き継がれた情報だとバンドウに説明されたが、バンドウ本人もよく分かっていないようだった。とにかく自分たちにとっては危険なものだというのは分かったので、ベルが鳴らないように運ぶ。
 剣は簡素なものから豪華なものまで。実戦向き、装飾用と様々。そしてぬいぐるみ。ふかふかで、さらさらとした生地は、手触りが良かった。もうちょっと撫でたい気持ちになったが、ムゲンは人のものだからと我慢してすぐに棚に置いた。
 整理整頓が終わり、ムゲンは満足してカウンターに出る。バンドウはゴミ出しに行ってくれた。保管室は綺麗になった。それだけで達成感があった。
 何故、バンドウは仕事そっちのけでいつも遊んでいるのかが理解できなかった。性格の問題だとは思わない。バンドウが働いている時を見れば、仕事ができる人だというのは分かる。軽い調子は崩れないが、普通に客と向き合っているからだ。
 研修の時に会社側からは「常に客のためにあれ」と教えられた。勤務時間は二十四時間。休憩は適宜取るように言われているが、そもそも身体が疲労を感じないので休憩はそこまで必要なかった。たまに眠気が来ることはあるが、我慢出来るものだ。この前酒を飲んだ時にすとんと寝てしまったのには自分でも驚いてしまったほどだ。
 何故、バンドウは勤務時間より休憩時間の方が長いのだろう。
 分からない、と思った時だった。
 ――ねぇちゃーん……。
 どこかから声がして、ムゲンはばっとカーテンを見る。背後から呼ばれた気がしたが、保管室には喋るものなど何も置いていなかったはずだ。
 気のせいかと思い無視したが、今度はもっとはっきりと聞こえた。
「ねぇちゃん〜なあ〜、俺の相手してくれ〜、こっち来て〜」
 ムゲンは一瞬「ひっ」と小さな悲鳴を上げたが、バンドウの教えを思い出す。ありえないことが起きるのがこの世界なのだ。忘れ物が喋ることだってあるかもしれない。
 恐る恐るカーテンを開け、保管室の中を見る。
「おっ、きたきた。ねぇちゃん、俺だよ俺」
「俺では分かりません。きちんと名乗ってください」
 ムゲンは保管室に入り、声の主を探す。
「黄色いぬいぐるみだよ。クマのオラクル」
 ムゲンはすぐに『今日まで』の棚に向かう。身動き一つしない黄色いぬいぐるみがちょこんと座っていた。
「なあ、ねぇちゃん。俺、今日で捨てられるの」
 可愛らしいぬいぐるみではあるが、声はしゃがれたおじさんのような声だった。
 オラクルは身体を動かしたり、表情を変えたりすることはできないようだったが、声色からして、寂しそうだった。
「そうですね。あなたの持ち主が取りに来なければ。一応、新聞で伝えてはいますが」
 ムゲンが新聞に期限切れが迫る物を掲載するのはどうかと提案したのは、一ヶ月前のことだ。あまりにも取りに来る人が少なくゴミが増える一方だったので、どうにかしたいと思っての提案だった。
 お忘れ物センターの責任者であるバンドウが宣伝部に提案し、そこからさらに新聞社に提案し、一ヶ月かかってようやく掲載が始まった。お忘れ物の情報は、ムゲンが毎日宣伝部にパソコンで送信している。だからリストも最初からパソコンで作りたかったのだが、ここだけはバンドウは許してくれなかった。
 取りに来る人が少ないのは、運賃も関係していた。片道だけでも高額な特急の乗車券と特急券。星の間中央駅に来るだけでもかなりの値段がかかる。切符代を考えれば、忘れたままにしたほうがいいと考える人もいるのかもしれない。こればかりはどうしようもなかった。
「俺、明日になったらどうなるの」
「あそこの袋に入れられます。それから、数日後にはダストボックス行きです」
 事実を述べる。ゴミが減ればいいなとは思ってはいるし、お忘れ物が持ち主に渡ると安心はするのだが、お忘れ物そのものに対しての思い入れはさほどなかった。期限が切れたらゴミ。割り切らないと、保管室はすぐに物でいっぱいになってしまう。
「俺、ゴミになるの!? そんなの嫌だ嫌だ嫌だぁ〜〜!! ねぇちゃんどうにかしてぇ!!」
 うわぁぁ、と大きな泣き声を上げるオラクルに、ムゲンは困ってしまった。物は物なのに、喋るからやりにくい。感情があるものと接しているようだった。
 カウンターの方を見る。幸い、誰もいなかった。
 ムゲンは溜息をつき、一つだけ提案する。
「構内放送をかけてみますから、落ち着いてください。大きな声を出されると迷惑です」
「うっ、うっ、俺を捨てないでぇ!!」
 話を聞いていないようだった。ムゲンはカウンター内にある放送機器の電源をつけた。パソコン椅子を移動させ、マイクの前に座る。
「放送しますから、静かにしてください。持ち主のお名前は」
「ミラクルちゃん……」
 そこでようやく、しん、とした。
 リストを手に取り、ムゲンはチャイムを鳴らし、マイクの音量を上げる。
『本日も異世界鉄道をご利用いただき、誠にありがとうございます。こちらは、お忘れ物センターでございます。お忘れ物のお知らせをいたします。黄色のクマのぬいぐるみ、オラクル様が届けられております。ミラクル様、いらっしゃいましたら北口改札前、お忘れ物センターまでお越しください。繰り返します――』
 放送を終え、電源を落とす。溜息をついて、椅子から立ち上がった。
「私ができるのはここまでです。持ち主が駅にいなければ届けられません」
 ムゲンが保管室を覗くと、オラクルはすすり泣いていた。
 すん、すん、と鼻をすする音が静かな保管室に響く。保管室にある物たちが泣いているかのようだった。
「ねぇちゃん、俺を抱きしめて……」
 オラクルは寂しさに耐えきれなかったのか、ムゲンにお願いをする。
「いや、それは」
「ちょっとでいいから、ぎゅうって抱きしめて……」
 ムゲンは溜息をつき、センター内と北口改札前を歩く人たちを見る。まだバンドウは帰ってきそうにない。
 ムゲンはカーテンを閉め、保管室に入る。
 オラクルを胸に押し当て、言われた通り、ぎゅうっとする。
 ぬいぐるみって、こんなに柔らかいんだ――ムゲンはオラクルの柔らかい頭に自分の頬を当てた。肌触りがよく、少しだけ、すりすりとした。
 バンドウさんが帰ってくる前に戻さなければ。そう思っても、心地が良くて手放したくなくなる。お忘れ物にこんなことをしてはいけない。してはいけないのだと言い聞かせながら、ムゲンはオラクルに顔を埋めた。
 オラクルは小さい声で「ぎゅう〜」と言っている。ぬいぐるみとしての役目を果たしていることに喜びを感じているようだった。
 あったかい――なんとも言えない感情がこみ上げてくる。
 ムゲンが心地よさを堪能している時だった。
 シャッとカーテンが開けられる。
「ジョーさん、どうぞ。って、あれ、ムゲンさん? 何してるんです?」
「あ、あ、いえ、これは……っ」
 ムゲンはばっと顔を上げ、保管室に入ってきたバンドウを真っ赤な顔で迎えた。
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