2章 ラスボスを忘れた勇者

 ドアを開けると、聞き慣れた高いベルの音がオレを迎えた。新聞を読んでいた髭面の店主がちらりとオレを見ると、面倒くさそうに「らっしゃい」と声をかけた。もう顔なじみだ。別にこういう態度をされても怒るようなオレじゃない。
 棚には薬草をはじめ、冒険の必需品が並べられている。体力回復薬、魔力回復薬、毒消し、麻痺直し、各属性の魔法石、モンスター捕獲ネット、簡単な武器、防具。雑貨店だった。これだけあればそこそこ来客が見込めそうだったが、店の中はしんとしていた。
「今日も店は相変わらずだな」
 品定めをしながらオレは店主に軽く話しかけた。店主は煙草を咥え、再び新聞を読み始めた。この愛想のなさがなんとなく癖になる。薄暗い店内。小さなランプの明かりの中で読む店主。絵になる。
「あたりめえだ。いつまでもこの村に留まり続けるのも、あんたくれえよ」
 店主が読んでいる新聞の紙面には『メルネル村、モンスターに襲撃される!』と仰々しく見出しが印刷されている。メルネル村はここから南に向かった先にある、小さな村だ。名前と場所だけよく聞く。
 男はから笑いしながら、大量の魔力回復役をかごの中に入れた。
「おいちゃんさあ、もうちょっと回復量のあるアイテム入荷してくれないのか」
「おめえよお、ここはレベル100になってまで留まるような村じゃねえんだよ。”はじまりの村”だぜ?」
 そう、ここは”はじまりの村”と呼ばれる小さな村。
 冒険者たちがここで冒険のいろはを覚え、ここから旅立つ。皆、各々の目標のため、険しい道を進み出す。
 だからこの雑貨店は新米冒険者のための品揃えとなっている。回復量の少ない薬草や、攻撃力防御力の低い武器防具が並んでいるのはそのためだ。
 オレはよれよれのチュニックにズボンという軽装でいた。質素なブロードソードは、何万体ものスライムを倒してきた。この剣はスライムの味しか知らない。この村の周辺は雑魚中の雑魚の青スライムしか生息していないからだ。
 オレはこの村に来てから、冒険の旅に出ることなく、スライムを倒し続けてきた。今となってはレベル100。もうカンストしている。これ以上レベルが上がることはなかった。
 ここに留まる理由は、まあ、それなりにある。
 店主は二本目の煙草に火をつけ、煙を吐きながら会計をする。スライムをひたすら倒しているだけでも金はまあまあ貯まる。ちりつもってやつだ。言われた通りの額を渡す。
「まだ女神サンとやらから、その、お告げってやつは来ねえのか」
「ないね。だからまだ旅立てないわけ」
「自分で探せばいいじゃないか。旅の目的なんて」
「そっかなあ。おいちゃん、オレをここで働かせてくれよ」
「いや、いい。儂の代でこの店は閉じるつもりよ」
 店主はまたバサリと新聞を開き、会話をやめた。
 まるでゲームのNPCみたいだ。喋ることを喋ったら、会話はそこまで。それ以上続くことはない。
 オレは買った回復役を背負っていたリュックの中に詰めて、店から出た。


 オレがこの世界に来たのは、三ヶ月ほど前のことだ。
 気がついたらこの村にいた。オレにまず声をかけてきたのは、宿屋の娘、ミーナだった。
 いらっしゃい、冒険者様。女神様から選ばれた戦士。ゆっくり休んでください。ミーナはオレたち冒険者に同じ言葉を投げかけた。まるでNPCみたいに。
 女神って誰だ。そんな奴に声などかけられた覚えがない。オレは焦って、同期の冒険者たちに聞いてみると、だいたいが「お前、チュートリアルスキップしたんだな」とオレを白い目で見た。それ以上のことは教えてくれなかった。
 もう一度そのチュートリアルというやつができないのかと宿屋のおばさんに聞くと、あれは一回きりだと言われた。宿屋のおばさんもそれ以上は教えてくれなかった。
 オレの記憶は、一部がすっぽり抜け落ちていた。
 この村に来た経緯がまるまる記憶になかった。その前は、オレは、普通の会社員をしていたはずだ。ごく普通の――とは言えないかもしれないが、まあまあそこそこの会社に勤めていた。皆知っているだろ? あのRe:プラだよ。そう、RPGやパズルゲームや乙女ゲーなど幅広く出しているゲーム会社。そこで働いていたんだ。
 だから、この村のことも、ちょっとは知っていた。オレは実際にこのゲームをプレイしたことがあるんだ。タイトルは『巡り巡る時を越えて』だ。会社の商品で、売るために少し触っておかなければいけなかった。オレが触れたのは、戦闘だけだ。このゲームの売りは戦略性の高い戦闘システムだった。だから、戦闘についてはよく知っていた。しかし、このゲームのストーリーについては――そう、チュートリアル含め、そこまで詳しくは前世では触れていなかったのだ。
 それが原因だったのか、それとももっと別の何かが原因だったのか分からないが、オレはそのチュートリアルというやつをすっぽ抜かしてここに来たらしい。転生した理由もよく分からない。そこだけが記憶になかった。
 この村に来てしまった以上、オレは冒険者として生きていかなければならなかった。だから、がむしゃらにスライムを倒し続けてきた。最初はもちろん素手だ。ぬちょっとした感覚は、最初は気持ち悪いが、慣れてくるとやみつきになる。それにたまにピンクや黄金のスライムがいて、そいつの落とすスライム玉は売れば金になった。オレが今までこつこつ貯めてきた金は、そのスライム玉のみで貯めた金だ。金が貯まり、それからオレは素手を卒業してブロードソードに切り替えたのだ。
「ミーナ」
 宿屋に来て、ロビーにいたミーナに声をかける。ミーナはいつも変わらず可愛らしい笑顔を向けてくれる。赤毛の三編み。そばかす。この村のヒロインだった。
「いらっしゃい、冒険者様。一晩20ゴールドです」
「はいよ。あと、新聞くれないか」
「50ゴールドです」
「ありがとな」
 店主が読んでいた新聞と同じものを受け取る。いつも新聞の中に、お告げが隠されていないかと探すのだ。
 ロビーのソファにどさりと座り、新聞を開く。ミーナが赤毛の髪をくるくると指で弄りながらオレに声をかける。
「ねえ冒険者様、そろそろ旅立たないの?」
 このあたりはNPCっぽさはなかった。どうも、プログラミングされた台詞と、そうでない台詞が混同しているのがこの世界らしかった。
「お告げがあればな」
「でも、もうレベル100なんでしょ? 見せてよ」
 オレは新聞を畳み、手のひらを天井に向けて開いた。目の前にステータス画面が表示される。仕組みはよく分からない。オレの今現在のステータスが数字で表示されている。
 レベルは100。攻撃力、魔力、素早さ、耐久力といったものはどれも9999。カンストである。
「もう一度お告げがあればなあ」
「本当はお告げをもらっていて、それを忘れてるだけなんじゃない? 記憶ないんでしょ?」
「忘れてる……か……そうだったら、もう詰みだ。リセットだな」
 オレは新聞を握り、立ち上がった。ミーナの額に軽くキスをした。ミーナは「もう!」と言いながらオレに個室の鍵を渡す。
 部屋は質素なものだ。シングルのベッドと、小さな木製の机と椅子。ベッドには清潔そうな白のシーツがかけられていた。
 リュックとブロードソードを床に投げ置き、ベッドに寝そべり再び新聞を開く。
 高値で売れるアイテムの情報、レアモンスターの出現場所の情報、ボス情報――オレが倒すべきボスは、このうちのどれなのだろうか。
 やはり、雑貨屋の店主の言うように、自分で旅の目的を作って、旅立つべきなのだろうか。
 今となっては、オレもレベル100。他の村や町で武器と防具を整えれば無双できるだろう。いや、素手でも無双できるかもしれない。無双を楽しむというのも、いいかもしれないな。きっと快感しかないのだろう。
 ――ゲームって、そんなものなのか?
 いや、違う。苦難、挫折。そういったものから這い上がって、強敵に立ち向かうのがいいんだ。オレが倒すべきボスは、絶対どこかにいるはずなのだ。
 新聞の文字を目で追っていくうちに、オレはある広告を見つけた。

『魅力ある星間旅行を提供します。魔法が使えるあなたも、使えないあなたも。そうだ、行こう、新しい人生の旅へ』

 星間旅行? 他の世界に行けるということか?
 さらにその横にはこんな記事があった。

『お忘れ物保管期限が近づいています。心当たりがありましたら、お忘れ物センターにお越しください。【雨傘十本、剣三本、ぬいぐるみ一体、魔法の杖一本、復活ベル一個、魔導書三冊、金冠一個】』

『転生者様、前世にお忘れ物はございませんか。前世お忘れ物捜索サービスは星の間中央駅一階お忘れ物センターにて。異世界鉄道会社』
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