Skeb

 冷たいパイプ椅子に座る。三月中旬。桜のつぼみは大きく膨らんではいるが、まだ空気は冷たい。力を抜けば、身体がぶるっと震えてしまいそうだ。
壇上には国旗が掲げられてる。オレは在院生席のど真ん中に座っているのであまり見えないが、保護者席、教員席、来賓席にもたくさんの人がいる。
 いつも体育着のオレたちも、今日は制服に身を包んでいる。詰襟の学生服みたいな制服だ。窮屈で仕方がないが、これが正装なので仕方がない。年に一回か二回着るだけの服。長い間、寮のクローゼットの中にしまいこんでいたから埃臭い。
今、厳かに入場してきた先輩たちの背中を見ている。
 彼らは、少年院学校での義務教育、更生プログラムを全て修了し、少年院から出ていく卒院生だ。背筋がぴんと伸びていて、オレたちより一足先に大人になっている雰囲気を感じる。
 卒院証書授与式。国旗の上にはそう書かれたプレートが掲げられている。
 式自体は、外の学校で行われている卒業式とほぼ一緒だろう。粛々と進んでいく。
 院長先生が壇上に上がった。スキンヘッドのいかつい先生だ。久しぶりに見た。鋭い目つきをしていて、荒れくれ者をもその目だけでねじ伏せることができそうだ。
一人一人が院長先生から証書を貰う。流れている曲がオルゴールのゆったりとしたものなので、これまた眠気を誘う。
 院長先生の話はとても長い。院の外で待ち受けている困難の話、それらをどう切り抜けるかの話。卒院生へのはなむけの言葉。うっかり寝そうになったが、教員に後から叱られるのも嫌だったのでなんとか耐えた。
 なんとなくだが、ツキ先生の視線を感じる。教員のうち何人かは、在院生の態度を見ている。視線を教員席に向けると、ツキ先生と目が合いそうで怖い。
 卒院生になれば、この長ったらしい院長先生の話もありがたい話として聞くことができるのだろうが、今はまだ無理だった。
 それも終わり、今度は来賓の祝辞。卒院生がもともと通っていた中学校の校長先生が何かを語った。このへんになるともう意識が飛びそうで何も覚えていない。必死に心の中で、耐えろオレ、耐えろオレ、と念じ続けた。
 卒院生の答辞となった。一番体格がよい男子生徒だった。名前は知らないが、ツキ先生の話だと、この卒院生の中では最も荒れていた生徒らしい。暴力沙汰もしょっちゅうあったと聞く。
 へえ、あの人かあ。オレの意識が戻ってきた。
「我々は二度と許されない罪を犯しましたが、許されないなりにも、生きていかねばなりません。ここは我々を守り、育ててくれた場所でした。深く感謝しています――」
 はきはきとした声が体育館に響く。堂々とした姿だ。在院生席のど真ん中で眠りそうになっているオレとは、全然、態度が違う。
「幸いにも、我々は外でも生きる場所を見つけました。見つけていただいた、提供していただいた、といったほうが正しいのかもしれません。我々は恵まれています。人の助けなしでは生きていけないことも学びました。だからこそ、感謝の気持ちを常に持ち、誠実に生きていきます」
 外の世界で生きる……か。
 この卒院生たちは、就職先が決まっている。彼が言った通り、少年院出身を積極的に受け入れている場所もある。卒業しました、はいあとは自力でやってください、とはならないのだ。二度と同じ過ちを犯さないように徹底的にやるのがこの少年院だった。
 もちろん、生徒の希望も聞いてくれる。そのうえで、就職先を決めていく。
 答辞が終わり、拍手に包まれる。
 卒院生が退場していく。機械的に手を動かし、拍手で見送った。
 外の世界で、やりたいことなんてない。外には出たいが、出て何かしたいわけではない。
 どうやって決めるのかも、まだ分からない。
 彼らは、どうやって決めたのだろう。やりたいことは、この内の世界で見つかるものなのだろうか。
 職業訓練みたいな授業はある。資格の勉強をしたり、製品企画をしたりと、様々な経験はできることになっている。でも、その中から、生涯やりたいことを見つけるのはオレには難しい。少なくとも、何かを作るのも、勉強するのも向いていない。一体、外で何をして生きていくのが、オレの正解なのだろう。ツキ先生と相談して決まるものなのだろうか。
 漠然とした未来への不安。考えると苛々してきたので、考えるのをやめた。
 その後、体育館の片付けを済ませて寮に戻ると、寮長の前に並んでいる卒院生を見かけた。
 寮長の話を聞いたあと、彼らは涙ぐんで頭を下げ、大きな荷物を持って寮から出て行った。
 
 
 激しい音が廊下に響いた。休憩時間のことである。
 少年院から出ていく人もいれば、少年院に入ってくる人もいる。最近、新しく数名の生徒が入った。
 入りたての生徒は、たまに、獣みたいな人がいる。檻に入れられた獣みたいに、暴れまくるのだ。暴力でしか自分を表現できない人間が存在するのである。
 そういったのは日常茶飯事だから、オレたちは特に驚きはしない。
 今日はどの教員が鞭を振っているのだろうという興味はあった。
 教室から外を覗くと、白衣が見えた。明るい髪の、長身の男はツキ先生しかいない。暴れていた生徒を羽交い絞めにしている。
ツキ先生は細身で優しそうな顔をしているくせに、力でも絶対に生徒に負けない。
「落ち着きなよ。ほら。どうどう」
「うっせえ! 動物扱いするな!」
「おお、喋れたんだ、君」
「ば、バカにしてんのか!」
 生徒は身をよじって、なんとか先生から離れた。そのまま爪を立てて、頬を引っ掻く。いつもの先生なら容易く躱すのだろうが、なぜか今日は頬に傷をつけられた。
 ――なんだ、先生。寝不足か?
 一瞬だけ動きを止めた先生は、目を細めて、すぐに生徒の首に腕を回した。
 ぐえ、という声が、ここまで聞こえてくる。結構な力で締め上げたらしい。教員がすることじゃねえ……とは思うのだが、そうでもしないといけない野郎が集まっているのがこの少年院である。
「暴力をする子は、みんな、自己表現が苦手だからね。さっきから廊下で吠えてたし、喋れないのかなって思っただけだよ。俺は君の指導教員じゃないし、君のこと知らないし」
 ギブ、ギブ、と言いたそうに、生徒は先生の腕を叩く。しかし、先生は生徒を解放しなかった。ここで放すと反撃されると予想しているのだろう。
「暴力しかできないのなら、動物と同じなんだよね。君は人間になりにここに来たんでしょ。そのつもりがなくても、我々は君を人間にしなければならないんだ。とりあえず頭冷やそうか。どこがいいかな。指導室かな? うん、そこに行こう。君は言葉の勉強をしたほうがいい。だから暴力しかできないんだ。幸い、俺は次は空きコマだから、俺が話を聞いてあげよう。さあ行こう」
 ツキ先生は生徒の首に腕を回したまま、指導室へと連行した。
 生徒は雄叫びを上げるものの、逃げることができなかった。
やっぱり、先生、優しくねえよなあ、容赦しねえよなあ、と思いながらオレは次の授業へと向かった。
 四時間目の授業を終えたあと、食堂に行くとツキ先生がいた。
 オレを発見したツキ先生は、こっちこっち、と手招きしてくる。どこでもよかったので、黙って先生の隣に座った。
 今日の献立はカレー、サラダ、ヨーグルト。普通の学校の給食とさほど変わらない。
「寝不足ですか」
「ん? クマが酷い?」
「いや、さっきの取っ組み合いで顔やられてたから」
「ああ、これ。いや、別に寝不足ってわけではないんだけど。やられちゃったね」
 傷は既にかさぶたになっていた。一本の長い線が頬を横に走っている。先生は綺麗な顔をしているから、その傷は全然似合わなかった。
 というか、全てが似合わない。少年院にいることも、教員をしてることも。それ以外の仕事をしていることも。
「疲れてるのかな。分からないや、はは」
「いやいや……、そこは自分を労わったほうがいいんじゃないですか。仕事的にも」
「まさかヤシャ君に心配されるとは。先生もまだまだだねえ」
「だねえ……、じゃないんですよ」
 先生が、少年院の外でも仕事をしているのは知っている。危険な組織の中に入って、調査をしているらしいのだ。
 ヨーグルトをにこにこ顔で食べている男が、そんなことをしているだなんて、想像がつかなかった。パッケージに描かれている可愛い牛のイラストですら似合ってしまう男が殺伐とした仕事をしているだなんて普通思わないだろう。
 ツキ先生の第一印象は「普通の小学校の先生をしていそう」だった。それか小児科の先生。
 とにかく、ぱっと見、優しいのだ。少年院の生徒はみんなそれに騙されるのだが。
「最近よく思うんですけど……。なんで先生って、今の仕事を選んだんですか?」
「ん?」
 スプーンを口にくわえたまま、先生は首を傾げた。
「なんで、ここの教員になろうって思ったんですか」
「んー……」
 もごもごと口を動かしたあと、先生はなんでだっただろう、と呟いた。忘れてしまうほど、軽い理由だったのだろうか。
 いや、そんなはずはない。普通だったら、普通に外の世界の学校の教員になろうと思うはずだ。
「どうしてそう思ったの?」
「いやだって。先生って、ぱっと見、あんまり暴力が似合わないというか。それなのに、容赦なくて、そこがあんまり教員っぽくないなって」
「ああ、なるほど。うん。それはよく、同僚にも言われるよ」
 空になったカップにスプーンを入れる。
「容赦ないから、ここにしたんだよ。容赦しなくてもいいものがよかったんだよね」
「はい?」
「嫌いなものに対して容赦しなくていいところがよかったんだよ。世間体とか気にしなくてもいいところがね。あと効率がいいところがよかった」
 組んだ腕を机の上に置いて、先生は顔に笑みを浮かべる。
「嫌いなものって」
「曲がったこと。倫理に反するもの。それだったら警察でも良かったんじゃないかって思うでしょ。違うんだよねえ。根っこから摘み取りたかった。何かあってからじゃ遅いんだよ。それができるのは教育だった。でも外の学校は、容赦しないとダメでしょ。って考えてたら、ここになった……ってわけ」
 食べないのかと、カレーの皿を指差される。慌ててカレーを頬張った。
 咀嚼しているうちに、先生は話を先に進めた。
「君も含め、ここにいる子たちが、更生して外の世界に出ていくことで、俺の嫌いなものが減っていくはずだと思ったんだよ。時間かかるけどね。刑務所にぶちこむだけじゃ何も変わらないから。うん。そうだった。なんとなく思い出したよ」
「そうだったんですか」
「珍しいね、ヤシャ君がこういった真面目な質問してくるの。何か悩みでもある? 話、聞いてあげようか」
 頬杖をついて、こちらを覗き込んでくる。
「や、別に悩んでるわけじゃないです。ちょっと進路のことが気になっただけ。卒院式で先輩らを見てたら、いつか自分もそっち側になるんだよなって思っただけです」
「へー! そうなんだ! いいねいいね。ヤシャ君もそろそろ職業訓練の授業がはじまると思うから、楽しみにしててよ。一緒に見つけてあげるからさ」
 ヨーグルトを食べているというのに、わしゃわしゃと髪を掻き乱される。やめてほしい。
 まるで我が子の成長を喜ぶみたいな顔。やめてほしい。やっぱり、ツキ先生は先生に向いていないと思う。
 いや……子の成長を喜ぶのは、教員も一緒か。
 だったら、ツキ先生は、ここの教員でいいのか。ここが、先生にとって、一番いい場所だってことなのか。
 オレにも、外にそういう場所があるのだろうか。


 午後、体育の授業を終え、片付けをしていた時、ふと外の世界が気になった。
 フェンスの向こう。空の下にあるのは、様々な建物だった。一軒家、アパート、店、他なんかよく分からない建物の数々。
 あのどこにも、人がいて、生活をしている。
 外の生活がどんなものだったかも忘れかけてしまっている。それくらい、ここの生活に慣れてしまっていた。
 もう外で過ごしている自分が想像できなかった。ここに来る前は、どんな生活をしていたかもあんまり覚えていない。
 本当にオレ、いつかここから外に出るのか?
 それが許されるような人間になれるのか?
 悩みではないが、疑問は尽きない。
 外に出たいという気持ちはある。いつまでもここにいるつもりもない。でも、外ですることしたいことは、今のところない。
 また、過去と同じような過ちを犯してしまいそうな気もする。そうなったら、ここの先生方は悲しむだろう。
 ――こう思っているということは、まだオレは外に出るべきではない。それだけは確かだ。
「おおい、ヤシャ君。はやくそれ、倉庫にしまってきてよ。集合だよ、挨拶しよ~」
 遠くから、ジャージ姿のツキ先生がオレを呼ぶ。
 他の生徒はとっくに先生の元に集まっていた。
「はーい」
 返事をして、抱えていたサッカーボールを倉庫にしまい、先生たちの元に走っていく。
 いつまでも子供のように、こうやって導いてくれる人に着いて行くのが、一番楽だ。ここの先生なら、ツキ先生なら、間違いはないと思っている。
 いったん、外のことは忘れよう。この狭い少年院の中でも、ツキ先生に着いて行けば、何かは見つかることだろう。


 ――と思っていたのだが。


 その後、オレもツキ先生と一緒に、潜入調査をすることになってしまった。
 外には出たかった。もちろん。外には出たかったが、こうなるとは一ミリも思っていなかった。先生のしている外の仕事のことはちらほら耳にしていたが、まさか自分もするとは思っていなかった。
 今までの人生もよく分からないが、今後の人生もよく分からない。
 ただ。
 ただ、よく分からないから、ツキ先生のお導きがあってよかったとは思う。任務も先生ナシではまともにできないのだから。
 オレが調査チームに加わることを、先生はよく思っていない。オレにはまっとうな人生を送ってほしいというのが先生の願いだし、そのために先生は先生をしている。でも、オレはまだ先生の指導を受けていたいし、外の世界の仕事を知ることができるのなら、なんだってやってみたい。
 先生の指導のもと、内と外の世界を行き来していたら、そのうち何かが見つかることだろう。
 なんたって、先生は、獣が跋扈する暗闇を明るく照らしてしまうほどの容赦のない月だから。
 オレのやりたいことも、先生が容赦なく照らし出してくれるだろうと思っているのだ。
4/5ページ
スキ