6章

 探していた人は、歌に導かれるように、裏路地から出てきた。
 途端に、クラウスは地面に叩きつけられ、夜の自分に体を押さえられる。
「なぜ、アイヴィンが羽ばたいてない! 何をしたんだ! フルダはなぜ泣いている、答えろ!」
 今まで、ずっとフルダを探していたのだろう。その目は、必死だった。
「そいつは、力のすべてを出し切ったのさ。フルダのためにな。おかげで、街の一画が燃えたよ。だけど、どうやら思ったような結果にはならなかったようだよ。燃やしたって、得られるものは何もなかったのだと」
 アイヴィンが帽子を取って、夜のクラウスに対して挨拶をし、答えた。
「やあ、夜のクラウス。君は何をお望みかい?」
 アイヴィンに尋ねられ、夜のクラウスは叫んだ。
「ぼくは、ぼくたちは、ただ、生きる場所が欲しかったんだ! 奪われ、捨てられたぼくたちは、何もないんだ!ぼくたちは、一緒にいることすら、許されない。そうだろ、だって、昼と夜が出会ってしまっては、世界がめちゃくちゃだ。ぼくたちから、もう、何も奪わないでくれ!」
 薄汚れたシャツの中から、いつか、フルダの首に傷をつけたナイフが出てきた。フルダは、それを見て、はっとするものの、クラウスの動きは早かった。
「昼と夜なんか、どうなっていい、ぼくたちには関係ない! ぼくは、ただ、約束を守りたいだけなんだ。それを邪魔するお前なんか、この夜に溶けていなくなればいい!」
 そして、勢いのまま、それをクラウスの胸に突きつけた。
 かたく目をつむったまま、ナイフを握りしめている。
 クラウスは、そんな自分を、黙って見つめていた。
「クラウス!」
 フルダが悲鳴を上げるものの「大丈夫」とクラウスはゆっくりと言った。
「ねえ、フルダ、ぼくのカンテラの火、消してくれる?」
 そう言って、クラウスは夜の自分の手を握った。
 なぜナイフで刺されているのに無事でいるのかと、夜の自分は驚いている。手を引こうとしたが、クラウスはその手を離さなかった。
「でも、消してしまったら、あなた……」
「いいから。マーオがいるから大丈夫」
 自分のそばにぴったりと寄り添っているマーオの背中を撫でて、クラウスはフルダに頼んだ。その目には、かつてのような不安はなく、何か確信したことがあるようなものになっていた。
 フルダはそれ以上何も言わず、黙って、カンテラの火を消した。
 夜の国の星が、輝きを増す。
 ナイフの刺し傷から、どろりと夜が流れ出し、夜のクラウスは驚いて逃げようとした。
 しかし、クラウスはそれを許さなかった。
「ぼくと一緒に行くんだよ。何にもない夜に。君に、あげる。ぼくの夜を。何にもない、けどなんでもある、夜を、あげよう」
「何を――っ」
 クラウスの夜はむくりと大きく広がり、そして、二人を飲み込んだ。夜に溶けてしまい、フルダたちの前から消えてしまう。
「クラウス!」
 小人が叫ぶ。動揺した小人を、フルダはそっと抱きしめた。
「大丈夫、心配しないで。待っていましょ。目覚めがいいものになるように」
 フルダの囁きに、小人は、はっとした。
(いい、目覚めになるように……)
 いつか、母と父にしてもらった、おやすみのキスを思い出す。
 フルダのぬくもりが、とても、懐かしいものだった。
「……分かった。待つわ。クラウスと、夜に、帰りたいもの。約束したもの。ずっと一緒って。私、クラウスとアイヴィンがいれば……、幸せなの……」
 抱きしめられ、安心したのか、それから小人は妖精と一緒に眠ってしまった。
「そうね、一緒にいることって、幸せなことなのよ。当たり前すぎて、それが幸せなことって忘れちゃうのよ。でも、幸せなの。みんなでいるってことは」
 小人の額を撫でて、フルダは小さな自分を抱きしめた。
 かつて、自分も同じだった。失った悲しみに暮れ、自分にはもう何もないと思っていた。小人の自分は、かつての自分そのものだ。
(でも、もう分かるわ。もう、気付くはずよ。なんにもないって思っていては、気付かないの)
 隣に、アイヴィンも座り、マーオを撫でた。
「さて、俺たちも待とうか」
「ええ。そうね」
 クラウスにしかできない、夜警としての仕事があるのだ。きっといい朝を迎えさせてくれるはずだと、二人は信じた。


「ぼくの夜って、本当に、何もないんだよ。ね、星すらない。ぼく、最初、君が羨ましかった。優しいばあばと一緒に過ごして、温かい家で、温かいごはんを食べて、いいなあって思ったんだ。なんでもある君が、羨ましかった。小人のフルダが、もう一人の自分が羨ましかったのと同じように」
 暗がりの中で、クラウスは小さな声で言った。光も何もない、夜の自分の世界だった。溶けかけた夜を一度に集め、自分だけの夜を作ったのだ。
 住民は、自分と、もう一人の自分だけ。邪魔をするものは何もなかった。
 暗くて、どこを見ているのかも分からない。どこに向かって話しているのかも、分からない。自分の姿も見えず、声だけが、自分の存在を確かなものにしていた。
 不思議な感覚に襲われながらも、二人は、お互いに言葉を交わした。
「だから何だっていうんだ。ぼくは犠牲者だ。お前のせいで、それをお前に奪われたんだ」
「うん、奪った。悪かったなって、今なら思う。君がぼくを殺したいくらい怒ってるのも、よく分かる。だから、今度は、ぼくがあげようって思ったんだ。この夜を」
 クラウスがいうと、もう一人の自分は叫んだ。
「これをか! この、何にもない世界を! フルダも誰もいない世界を! ふざけるな!」
 信じられないという感情が、波となってクラウスに押し寄せてくる。
 怒りと、悲しみが、ぐちゃぐちゃになっていた。
(全部分かるよ。こんな悲しい気持ちに、ぼくがさせてしまったんだ……、本当に、ぼくは、ひどいことをした。だから、一番、いいものを君にあげるんだ)
 こんなことで許してもらえるのだろうか。不安だった。
 自分の出した答えに、もう一人の自分は納得してくれるだろうか。
 本当は、クラウスも怖かった。失敗したら、それこそ、まさに昼と夜が混ざって、お互いの国はめちゃくちゃになり、混乱を招いてしまう。しかし、うまくいけば、自分も、もう一人の自分も、それぞれの願いを叶えられるものになるはずなのだ。
 クラウスは、声だけの自分に話しかける。
「今、君の体は、夜に溶けてる。もちろん、ぼくも。交換しよう。君には夜をあげる。そうすれば、君は夜の住民になれる。そのかわり、君は要らなくなった昼をぼくにあげる。そうすれば、ぼくは、昼の住民になれる。取り変わったのがいけないんだ。なら、もう一度、取り替えればいい。ぼくが夜だからこそできるんだ。これで君が許してくれるかどうかは、分からないけど、少なくとも、そうすれば、君のフルダと一緒にいるという願いは、叶えられるはず。夜はなんでもなれる。夜はなんにもないから、だからこそ、なんでもなれるんだ。君の願いに、夜は姿を変えるはず」
 クラウスの提案に、もう一人の自分は黙った。
 悩みが、伝わってくる。
「……、小人になれば、ぼくは、フルダと一緒に、小人の街に住めるということ?」
「君が望めば。そっか、小人に……」
 夜に溶け込んだ、夢が、その時はっきり見えた。
(そうか、住む世界と同じ住民になりたかったんだ、ぼくたちは――)
 一緒にいたい人と同じになりたい。その気持ちは、よく分かる。
 自分が夜の国の住民だと知った途端、とても不安だったのを思い出す。彼もまた同じだった。世界を違えていることが、彼にとって、苦痛だったのだ。
「……、お前を許すかどうかは分からないけれど、お前の言うことはよく分かった。ここに来て、お前の考えていることが、どういうわけか、とてもよく、分かったよ。今まさに、ぼくたちが、混ざっていることが」
「やってみる?」
「やってみよう。それで、ぼくらが、幸せになれるのなら」
 その”ぼくら”が誰を指しているのか、クラウスは一瞬分からなかったが、理解をして、夜を手の平の中にまとめた。
 姿がはっきりとする。
 そっくりな自分たちが向かい合っていた。 
「ぼくのお母さんは、夜の国の夜。だから、この夜は、夜の国の夜。君にあげる。それで、君は、夜の国の住民になるんだ」
 もう一人の自分の手の中には、小さな太陽のようなものがあった。
「ぼくは、昼の住民。もう昼のことは、忘れてしまった。でも、お前が昼がいいと言うのなら、昼をあげよう。お前は、昼の国の住民になるんだ」
 取り替えよう。
 二人は、お互い持つものを、取り替えた。
 昼と夜が、二人を包む。まばゆい光に、クラウスは目をつむり、何もない闇に、もう一人のクラウスは姿を奪われた。
 心が明るくなるような気がした。
 クラウスはそっと目を開ける。目の前に、闇に包まれ、姿が揺らぐもう一人の自分がいた。
「小人になりたいって、願うんだ! 夜は応えてくれる! 小人になりたいって、フルダと同じ、小人になりたいって、願うんだ!」
 叫ぶ。闇の奥に言ってしまったもう一人に対して、クラウスは懸命に叫んだ。
 マーオの鳴き声がどこかから聞こえる。そろそろ、朝がくる合図だった。
「君は小人のクラウス! フルダと一緒に小人の街で過ごす、夜の住民になる、クラウスだ! 起きて、もう朝だ!」
 どこからか、マーオが走ってくる。
 そして、姿が曖昧な夜を、やさしく舐めた。
 夜が弾け、クラウスはまた、目を閉じてしまった。


「起きて、起きて。夜明けよ、クラウス」
 フルダが自分の体を揺すり、クラウスは目を覚ました。
 いつの間にか、ティルに戻っていた。
 クラウスは、自分の腕の中を見る。
「……、良かった。できたみたい」
 自分の腕の中で眠る、もう一人の自分がいた。それは、小人の姿をした、もう一人の自分だった。
「なるほどな。夜をあげるって、そういうことか」
 アイヴィンが感心しながら、夜のクラウスを見た。それは、初めて見る、穏やかな顔だった。
「なんでもなれるのなら、小人になればいいって思ったんだ。受け入れてくれた。これで、昼と夜は混ざらずに済む。朝日が出る前に、夜の国の住民を夜に帰さなきゃ。フルダ、カンテラちょうだい」
 クラウスはカンテラに再び火を入れ、フルダに抱かれてまだ眠っている小人の二人と、一匹の妖精を前にして、歌った。
 それは、三人の新たな幸せを願う、子守唄だった。
 クラウスの歌は、ティルいっぱいに響く。
 ティルに来てしまった住民たちは、朝に溶けていく形で、夜へと帰っていく。エルティーニも例外ではなかった。
『あーん、おしまい? もうちょっと、昼で遊びたかったなあ』
 ふわあ、とあくびをするエルティーニに、アイヴィンは笑った。
「ティルに吹く風は、君のものだと思おう。ありがとう、君と契約できてよかった」
『まあた、そんなことを言って。いいのよ。あなたはいい風使いだったわ。おやすみなさい、またね』
 アイヴィンの手の中で眠りについたエルティーニは、風となって夜に帰る。
 そして、小人のフルダたちも、帰る番となる。
 夜に戻る直前、クラウスがはっと目をさまし、自分の姿に驚いているのを、クラウスは見た。
 そして、声は聞こえはしなかったが、唇が少し動いて、何かを言っているのも見えたが、はっきりとは、分からなかった。
 朝日がティルを輝かせる。夜が、ようやく終わった。
「何を、言おうとしたんだろう……」
「許そう、って言ってたわ。私には、そう見えた」
 フルダがそう言うと、カンテラの火を消して立ち上がった。
「さ、ホームに帰りましょ。お腹すいたでしょ。やることはたくさんありそうだけど、とにかく、食べなきゃ」
 アイヴィンもクラウスも頷き、夜警の仕事を終え、ゆっくりとホームへと帰って行ったのだった。

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