6章

 ホームから出れば、すぐに三人は街の様子がいつもと違うことに気が付いた。
 なんだか、いつもよりも、明るい。クラウスはそう思ったのだ。もともとティルは明るい。海から照り返す月の光に加えて船には煌々と光るランプ、港や中央の市場に灯される街灯。それらはいつものようにティルを明るく照らしているのだが、それに加えて今日の夜はもっと別のものが輝いていた。
「これって、夜の国の空だよなあ」
 アイヴィンが垂れおちる前髪をかきあげながら空を見上げる。言われて、フルダも帽子を押さえながら空を見渡した。
「そのようみたいね。いつも見える星座が隠れてしまっているもの。でもここ、ティルよね。みんなもいるし」
 いつものように角笛と杖を持った夜警たちが、いつもと街の様子が違うことに気付きつつも街を練り歩いている。彼らとともに、他に何か変わったところはないかクラウスたちも歩きはじめた。
 夜の時間でも人通りの多い市や酒場からめぐることにするが、人々は異変には気づかない様子でいつものように夜の買い物などを楽しんでいる。マーオが人の足を避けながら進んでいくのを、クラウスたちは追いかける。マーオは何か感じ取ったのだろうか。足取りに迷いはなかった。
『いるわ、近くに、妖精が』
 アイヴィンの耳元でエルティーニがささやく。こちらも、マーオと同じく、何かに気付いたそうだ。
『探して来るわ』
「頼むよ」
 アイヴィンが風を撫でると、エルティーニは面白そうに笑って飛んで行った。今のこの現状をどうやら楽しんでいるようだ。
 自分が契約した妖精が、身軽で、すぐに探し物を見つけ出せる風の妖精で良かったとは思うが、そういうところには苦笑いをするしかなかった。
「いるならいるで、早く探そう。こんなところで小人や妖精と出会ったら、どうなることか」
「うん」
 夜の国の住民が昼の国に来てしまった時、こちらの夜警が何をするかはもう分かっている。しかし、それは、夜の国の住民にとっては体罰のようなものだ。それしか手段はないとはいえ、角笛は吹かせたくないのが、クラウスの思いだった。
 自分のせいなのに、自分のせいでなんの罪のない妖精や小人に痛い目にあわせるのは避けたかった。
 しかし、そんなクラウスの思いは他の夜警たちは知らない。ローレンだって知らない。だから、彼らよりも先に夜の住民を見つけ出して、帰さなければならない。クラウスは自分の杖を握りしめ、マーオを追いかけた。
 マーオが向かった先は、港だった。
 船乗りたちが夜を楽しんでいる。露店からは酒のにおいが漂っていた。酔った男たちが笑っているその影に、クラウスは小さな光を見つけた。
「いた! 光の妖精だ。明るいから、みんな気付かないんだ」
 こんなところに夜警がいるだなんて知られると、今のにぎわっている雰囲気がすぐに崩れてしまう。気付かれないように男たちの背面をゆっくりと進みながら、クラウスは光の精に手を伸ばした。
 しかし、妖精は驚いてびゅっとクラウスの手から逃げていってしまった。
「なんで!?」
『あーあ、せっかく見つけたのに。人間の手は大きな手だもの、そりゃ、驚くでしょ。小人が妖精にとってはいいサイズなのよ。ほら、もう一回探しに行くわよ。時間がたつごとにどんどん増えてるみたいだし。急いで、小さな夜』
 けらけらと笑いながらエルティーニが風となり露店から出て行く。
 ”小さな夜”と言われてクラウスはむっとしたが、エルティーニの言っていることは正しいので、黙って風を追いかける。
 カンテラに照らされる影の中では、夜がじっと身を潜めている。
(――、そうだ、これを使えば)
 自分はこの前、角笛の音から自分の体を守ろうとして、夜を広げたはずだ。無意識のうちにやっていたとはいえ、それができたという事実は残っている。
(ぼくが夜を広げれば、一応、昼と夜を分けることはできるんだ)
 今、カンテラの火を消せば、自分は夜になる。
 もう一度、あの何もない夜の中に戻るのは、恐ろしかった。さらに、その夜をもっと大きく広げることに対しても、不安はあった。
 しかし、迷っているあいだに、遠くから角笛の音が響いてくる。
「鳴ったわよ、行くの?」
 フルダが二人に聞くと、アイヴィンは「もちろん」と言った。
「角笛が鳴っても行かないというのはないな。行くぞクラウス」
「う、うん」
 アイヴィンに促されるまま、クラウスは角笛の音がしたほうへ走る。
 今度はホーム前でもある教会前広場だった。
 噴水の前で、腰を抜かしている夜警がいるのを見つけ、アイヴィンたちは駆け寄った。
「どうしたんだ」
 角笛を持ったままぶるぶると震えている夜警はアイヴィンを見上げて、ゆっくりと言った。
「お、お、女の子が飛んでたんだ、女の子が、光る女の子だ、ゆ、幽霊だ、あれは幽霊だ!」
「おいおい、冗談はよせ」
 駆け付けたローレンが腑抜けた調子で言うと、夜警はふるふると顔を横に振る。
「冗談ではないです! 冗談で角笛を吹く夜警がいますか! 一人じゃないんです、たくさん、たくさん飛んでいたんです!」
 杖を握りしめ、夜警は必死に自分が見たものをローレンに伝える。
 アイヴィンとクラウスは確信したように頷く。
「おやおや、きみたち、夜警のくせに、夜の国の住民を知らないのかい?」
 かつかつと靴の音を響かせながら、ゲルダが手に石を持って広場にやってくる。
「ゲルダさん」
「やあ、夜の少年。情けない、この街の夜警は妖精を幽霊と言うのかい?」
 亜麻色の髪を揺らしながらゲルダはローレンを見た。
「まあ、だから私たちまじない師がいるわけなんだけれど。今は一大事っぽいからねえ。昼と夜が混ざっているから、夜の国の住民がどんどんこちらに流れているよ。もう一人一人返すのは無理なくらいね。私は海沿いで見つけた住民を送ってたんだけど、もう無理だ、多すぎる」
 使い終わった石がぱきん、と砕けて、ゲルダの手から落ちる。
 ゲルダの後ろを、ふわりと何かが飛んでいく。
「妖精だ」
 クラウスが言うと、ローレンは目を丸くした。
「おとぎ話じゃなかったのか」
 一匹どころではない。
 街の街灯だと思っていたものが、一気にふわりと飛び立った。街灯について身を隠していたのだろう。群れとなり、光の妖精は夜への道を探し始めた。光の妖精が飛び始めたのをきっかけに、家の中からは火の妖精が出てきて、噴水の中からは水の妖精が出てくる。自分たちが隠れられる場所に隠れていたようだ。風も強くなり、風の精たちが追い風をつくる。
 妖精の群れを追うように市から出てきたのは、小人たちだった。彼らもなぜここにいるのか分からないまま、自分の国へ戻るための道を探している。
 ゲルダが無理だと言うのも分かった。
 まるで行進のようにして歩く夜の国の住民たちを一人一人夜の国へ帰すのは無理だとクラウスも察した。
 その光景を見たティルの住民たちは驚き、立ちすくんでいる。あるいは、さっきまで隣にいた人が急に消えていなくなったと騒いでいる者もいる。
「向こうに行ってしまったか。クラウスくんたち、さっさと夜の住民を向こうに帰して、向こうに行ってしまったこちらの住民を戻さないと、本当に昼と夜が混ざってしまう。急いで、きみの夜ならできるだろう。あの時みたいに」
 ゲルダに言われて、クラウスの影が揺らいだ。
「ぼく――」
 杖を握りしめて、そして、カンテラの火を消した。
 マーオがクラウスの足もとにやってきて、ぴたりとくっついた。
「フルダ、ぼくのカンテラ、持ってて。ぼくが帰ったら、火、つけてくれる?」
「分かった。待ってる」
 フルダに杖を渡し、クラウスは深呼吸をした。
「行こう、マーオ」
 それを合図に、影からむくりと夜が膨らむ。
「広がれ、ぼくの夜。帰ろう、夜へ」
 歌うと、夜は一気に膨らみ、ティルを包んだ。
 
 
 自分の中で、たくさんの夜の住民が安堵しているのが分かった。ティルに来てしまった夜の住民たちは、無事、自分の夜の中に入ってくれたようだ。
 クラウスは、自分の夜の中に立っていた。マーオもそばにいる。
 たくさんの光が飛び、さながら星空の中にいるようだった。何もない夜のはずなのに、自分の中には、今、一つの世界ができているようだった。
 ”なんにでもなれる”とはこういうことなのか、少しだけクラウスは考えたが、首を横に振った。今はそれどころではない。
(夜の国に行けば、みんな、帰れる)
 あの時、自分はどうやって夜の国に帰ったのか。
 確か、歌ったはずだ。自分の夜の中で、母の夜へと繋がる道を作るために歌ったはずだ。帰ろうと。
 自分の夜の中なら、なんでもできる。そんな気がした。
 クラウスは、母からもらった歌を歌う。すると、夜の中に、霧が出てくる。道が通じた証拠だ。
「みんな、帰ろう。道を作ったから。小人の街に」
 言うと、妖精や小人たちは次々に道へと進んでいく。自分の中から徐々に夜の国の住民がいなくなることを感じながら、クラウスはだんだんと自分の夜を道に流していった。
 そして、クラウス自身も、夜の国へと行く。
 道は確かに小人の街に繋がっていた。
「できたじゃない。小さな夜」
 リュートが住民たちを迎え入れている。クラウスは静かに頷いた。
「なんであなたが昼を選んだのかは分からないけれど、あなたが昼にいて、良かったわ。さ、ホームに来て。昼の住民がこちらに来ているから」
 クラウスをホームに招き入れ、リュートがカンテラを壁に立てかけた時だった。
 一度締めたはずのホームのドアが勢いよく開かれる。
 クラウスが振り向いた瞬間、何かが自分の首を押さえつけ、倒される。
「フルダをどこへやった!! お前のせいだろう、フルダがいなくなったのは、お前が何かしたからだ!!」
 息ができず、クラウスは喘ぐ。マーオが首を絞める腕に噛みつき、ようやく解放され、クラウスはせき込んだ。
「はあ、もう、落ち着きなさい、人間。今は一大事なのだから」
 夜のクラウスの頭を、リュートはぽかりと杖で叩いた。
「なんで小人の街に入れたのかはさておき……、あのね、人間。あなた、たぶん何も知らないから言うけれど、今は昼と夜の境界が曖昧になってるの。きっと、うっかり昼に行ってるはずよ――、でもおかしいわね、なんで夜の少年と帰ってこなかったの?」
 言われて、クラウスは首をかしげた。
「ぼく、夜をティルいっぱいに広げたはずだけど……」
 おかしい、と首をかしげていると、夜のクラウスは何かに気付いたかのように、小さく笑い始めた。
「何がおかしいのよ」
「夜から逃げて昼に残ったということは、フルダは、きっと、アイヴィンを使って、お前たちの街を燃やしてるんだと思って」
 そういうことか、とつぶやきながら、夜のクラウスは立ち上がる。
「じゃあ、ぼくも昼へ行こう。フルダを迎えに行かなくては。そして、お前さえいなくなれば、ぼくはこっちに残れる。ぼくが、本当の夜になるんだ。今度は、ぼくらが、奪う番だ」
 薄ら笑いを浮かべながら、ホームから夜のクラウスが出て行く。
 そして入れ替わるかのように、びゅっとホームに風が吹き込んだ。
『たいへん、たいへん、小さな夜、昼に巨人がまぎれたわ! それから大きな火事もね! たいへんよ!』
「巨人?」
『いいから早く帰ってきて!! 巨人が暴れてどうしようもないの』
 風の妖精が慌てるくらいなのだから、何かがあったのだ。
 クラウスはマーオと妖精と共に、来た道を急いで戻った。

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