3章

 ゲルダが言うには、夜の国への道はもう昼と繋がっているのだから、いつでも行こうと思えば行ける状態にあるらしかった。
 確かに、既にクラウスがまじない歌を歌い、道が開かれたという話は既に聞いていた。ともすれば、あとクラウスが聞きたいことは、あの「そっくりさん」についてだった。
「そういうことってありえるんですか?」
 風呂に入った後に気持ちよく紅茶を野んでいるゲルダにクラウスは聞いた。暖炉の火の温かな光を含む髪が優雅に流れ、ゲルダは頷いた。
「夜の国は相反する世界だと言ったろ? つまり、住民も相反する存在がいてもおかしくないということだ」
「じゃあ、ぼくにそっくりな人もいるのかなあ」
「いるだろうね。ただ、小人か妖精かエルフか巨人か……それは分からない。小人に限った話ではないからな」
 ゲルダの話に出てくる住民は、どれもフルダから聞いた、伝説の存在だった。クラウスがあの時に見たのは、つまり、小人と妖精ということらしいが、本当に巨人なんているのだろうか。そもそも、ゲルダはなぜそんなことを知っているのだろう。ただのまじない師だという人が。けれどそんなことを聞くのは失礼だと思ってクラウスは話を素直に飲み込んだ。
 信じなければまじないはただのままごとになると言ったのだ。それにフルダに聞けば、まじないは本物だったという。どんなものかは教えてくれなかったが、フルダがそう言うのでそうなのだとクラウスは信じた。
「ところでクラウス君はどうやって昼に戻ったんだい? 自分の力で戻ったわけではないだろう」
「あ、なんか、マーオを見つけたあと、その小人の女の子がさよならって言った後にすごい眠くなったんです。なんでだろう。耐えれなくて……フルダにはたかれて起きたら、戻ってました」
「ふうん、なるほどねえ」
 ゲルダは暖炉の前でくつろいでいるマーオを横目で見つつ、紅茶の最後の一滴を飲み干した。
「大丈夫だとは思うけれど、夜の国に行くなら帰り方は分かっていた方がいい。そうだな、君たちのカンテラが使えそうだ。ちょいと借りるよ」
 フックにかけていたクラウスのカンテラを手に取り、ろうそくを入れる窓を開けた。そしてゲルダはその中に光る何かを入れた。
「石?」
 様子を見ていたフルダがカンテラを覗いた。中には、赤々と輝く真紅の石が入っていた。何か文字が刻まれているようだ。記号が金で浮かび上がっているように見える。
「まじない石。刻んでいるのは道の安全を守る古代文字。よくあるまじないさ。これを入れるとカンテラがよく輝くようになるし、火も消えにくくなる。夜の国から帰ろうと思うなら、道をこれで照らせば良い。昼への道が見えるだろう……、にしても、本当に行くのかい?」
「もう一回行ってみようと思うんです。ぼくが行ったのは小人の街でした。だからフルダのそっくりさんがいると思うんです。どうせ行けるなら、こっちから行った方がいい気がして」
 カンテラの中にろうそくを入れ、杖のフックにかけた。
「ぼくが捕まえるって約束したから。マーオ、行こう」
 外套と帽子を身につけ、クラウスはマーオを呼んだ。うつらうつらしていたはずなのに、クラウスの声にすぐに起きてマーオの足元まで来た。
「フルダ、アイヴィンにまた言っておいて。何かあったら教えられた通り戻ってくるから」
「でも、角笛も吹けないのに」
「マーオがいるから大丈夫だよ。マーオはぼくよりしっかりしたいい犬だから」
 きゅっと帽子を深くかぶり、クラウスは日暮れの街へと出ていってしまった。
「おやまあ、角笛が吹けないのかい。困ったね」
 ゲルダはため息をついて、壁のフックから吊り下げられている夜警たちの角笛を見た。
「なぜ夜警が角笛を使ってるかって、夜の国の住民が嫌いな音が出せるからなんだよねえ。本来はまじないの意味で使われてたはずなんだよ。昼に来ては行けないという夜に対しての警鐘。そして守りの音。吹けなければならないはずのものだよ」
 ゲルダが歌うように言う。
 それを聞いたフルダは、黙って自分の部屋へ戻り、外套を引っ掴んでリビングに出てきた。
「ゲルダさん、ローレン団長とアイヴィンに言っておいてください、 クラウスと一緒にいるって!」
 バタバタと一階におりていくフルダをゲルダは笑みを浮かべながら見送った。
 アイヴィンならとうに森にいるのはまじないで知っているし、伝えるまでもなかった。
「若いねえ……」
 そう言って、紅茶のおかわりをもらおうと、ゲルダはキッチンに入っていった。


 とてとてと、きちんとマーオが着いてくるのをしきりに確認しながら歩いていた。
(マーオがいないと、ちょっと怖い)
 東門に向かって歩いていると、徐々に東に空に星が浮かび始めてきた。確かにカンテラはいつもより強く輝いている気がする。頼もしい道具にはなった。しかし、またあの霧の中に一人で入ると思うと心細かった。
「おや、この前の。クッキーありがとう」
「あ、門番さん」
 帽子を取り挨拶をした門番に、クラウスはぺこりと頭を下げた。この前にこの門番を見た時は、どういう訳か門番は眠っていたのを思い出した。いつも通り元気に番をしているのでクラウスはほっとした。
「最近よく夜警が来るねえ。さっきも一人来たよ。ほら、あの、三つ編みの」
「アイヴィン?」
「ああ、まだそこにいるじゃないか」
 門番が指さす先には、森をじっと見ているアイヴィンがいた。もちろん、夜警の格好をしている。しかし、なぜ一人でここにいるのだろうか。
「アイヴィン、来てたの?」
「やあ。やっぱりクラウスが来ると思ったよ。どうだい、何かまじないは教えてもらったかい」
 クラウスが石の入ったカンテラを掲げると、アイヴィンは自分の仕込み剣を掲げた。
「俺も一緒に行こう。マダム・ゲルダから俺もお守りのまじないをもらった……君の角笛にもならないといけないしね」
 ウインクをするアイヴィンに、クラウスは「うん」と小さい声で言った。その時だった。
「待って、待ってったら、私を置いていかないで」
 クラウスの外套をぎゅっと掴んだのは、フルダだった。眼鏡が汗でずり落ちている。
「私も行く、あなたたちだけじゃ、心配だもの。お願い、行かせて。私、大丈夫だから。私もまじないをもらったから」
 フルダはぎゅっと自分の胸を押さえる。もう何があっても大丈夫。強く言い切った。
「オーケー、じゃあ三人でだ。夜の国についてはクラウスの方が詳しいからな。離れるなよ」
 カンテラの光を寄せ集め、三人は頷いて森へと足を踏み入れた。
 鬱蒼としげる木々の中を歩いていると、次第に霧が三人を包んだ。これは、この前と同じだ。つまり、クラウスはこれが夜の国への道なのだと確信をする。カンテラの光だけでは、先が見えない。先が見えない中を進むと、あれが聞こえるのだ。
「なんだ、何かいるぞ」
 アイヴィンが霧の空を見上げる。くすくすと笑う何かがそこにいた。旋回しているような気配がする。そこだけ空気の流れが違うように感じる。
「妖精だよ。風の妖精。そう教えてくれた。いい風が吹くんだって」
 そっと風がフルダの頬を撫ぜた。
『この顔知ってるわ』
『昼に行ってる小人』
『用心して』
 フルダの耳元で囁いた目に見えない妖精たちが、くすくすと笑いながら空へと飛び上がり、風を起こした。クラウスの言うように、それは追い風で、心地よい風だった。
(この道の妖精は知ってるんだわ、夜の国の私を……。この様子では教えてはくれなさそうだし、助けもしてくれなさそうだけど)
 つまり頻繁に行き来していたということだ。自分の家を壊したもう一人の自分とはすぐに会えるかもしれない。
 会って、捕らえて、そして聞くのだ。なぜそのようなことをしたのか。許す許さないの前に、まず聞かなければならない。フルダはきゅっと杖を握った。
 さあっと霧が晴れると、ティルに似てティルではない明るい街に出る。星空には数え切れないほどの星が明るく輝き、ティルに似た建築様式の木造の家が並んでいる。その大きさは、ティルのよりは一回り小さかった。これこそ小人の街だった。
 どうやら自分たちは森から来たようだ。ゲルダの言う通り、相反する世界だというのはすぐに分かった。しばらく歩いていたが、街の構造もそっくりそのままだったのだ。ティルは眠らない夜の街といわれるが、この小人の街もそれにふさわしいくらい、明るい夜だった。とにかく空が明るいのだ。どういうわけか、光の粒が浮遊している。これも妖精たちなのだろうか。
「誰もいないな」
 アイヴィンがきょろきょろと周りを見る。確かに、出歩く者はいなかった。
「小人からしたら、私たちって、巨人なんじゃない? 隠れてる気がするわ」
 目線を感じる。それもたくさん。
 フルダの言う通りだ。夜の国からの侵入者を警戒するように、こちらも昼の国からの侵入者に警戒しているのかもしれない。
 マーオが低く唸る。確かに何かがいる。そして、いつの間にか、囲まれている気がする。フルダがそっと角笛に手を伸ばし、アイヴィンも仕込み剣にそっと触れた。
「歓迎されてないようだね……」
 クラウスは杖をぎゅっと握りしめ、相手が動くのを待った。しかし、状況は何も変わらない。
(どうしよう、どう説明したら……)
 小人相手にどう動けばいいか分からない。自分たちがここにやってきた理由をここで説明していいのかも分からない。下手なことをすれば、何をされるか分からない。一応の術はあったが、相手を知らない中で使うのは怖い。
 答えが出せずじっとしていると、どこからか「からん」という音が聞こえてきた。からん、からん、とベルのような音が近づいてくる。
「あら、この間の。きみ、また来たわけ? もう会わないって言ったじゃない。せっかく昼へ送ってあげたのに。って、あらやだ、三人もいるじゃない!」
 頬を少し膨らませるのは、あの少女だった。夜空のドレスに身を包んでるのは、この前と変わらない。手には小人の背丈ほどの長さの杖と小ぶりのカンテラ、そして大きめのベルがあった。
「夜の国に何か用? 小人たちが恐れてるわ。最近、この街で不審火が多いから……、昼のせいだっていう噂があるのよ。昼から来た人間がやってるって。だからさっさと帰った方がいいわ。はー、昼の人間が来ることなんて滅多にないしこの街は平和で楽だって聞いてこの仕事選んだのに」
 すっとベルを掲げる少女の手を、クラウスは咄嗟に掴んだ。あたりがざわつく。フルダとアイヴィンも息を飲み、体を強ばらせた。
「ま、待って! ぼくたちを返さないで! ぼくたち、わけあってここに来たんだ。何もしない、それは約束する。なんなら、その不審火のこと、ぼくたちが犯人捜しに協力する。ぼくたちも困ってるんだ。昼でも不審火があって……」
 クラウスは言いながらはっとした。フルダも何かに気付いたようだ。
 ティルと小人の街で同じことが起こっている。連続する不審火。相反する世界からの侵入者の噂。鏡写しのようだった。
「……分かった。すぐには返さないでおいてあげる。でもみんな、疑ってる。私の仕事はみんなを守ること。あなたたちを監視するのと同時に、協力を求めるわ。それでいい、みんな!」
 少女がカンテラを掲げると、影からたくさんの小人たちが出てきた。その姿は老若男女様々だった。クラウスたち昼の住民を,小人たちは小さな目に焼き付けた。それは、疑いのまなざしだった。
「私はこの街のさいごの夜警、リュート。よろしくね」
 星がきらめく手袋を取り、リュートは三人に握手を求めた。
 その手はクラウスの手の半分もなかった。小人の手は三人の手を握りしめ、にこっと笑った。
「ようこそ、夜の眠らない街、小人の街へ。夜警が歓迎するわ」
 その表情は、クラウスが初めてティルに来た時に会ったローレンのものと少し似ているようにクラウスは思った。

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