南十字星を目指して

「ここは私たちの町です。南の山の向こうには海が見えますね。これから空に映るのは、今日の実際の空の様子です。日没は七時八分、空がだいぶ赤くなって来ました。西の空に太陽が沈んでいきます。さあ、これからは星たちの時間です――」
 マイクを片手に遥は天井に投影された星空を見上げた。
 地元にある科学館に就職した遥は毎日プラネタリウムで解説を行っていた。やることは学生の頃から変わらない。ずっと、星々の世界を子供たちに教えている。基本的には台本があるので、それを覚えての解説になるが、遥は観測会での経験があるので、暗記をあまりしなくても語ることができていた。
 レーザーポインターで夏の大三角を指し示しながら説明をしていると、学生時代に開いたペルセウス座流星群観測会を思い出す。毎年、毎年、同じことを解説している。
 変わったことといえば、遥の三つ編みがなくなったことだ。ボブにした。
 日本に戻ってきたあと、すぐに髪を切った。誠司にすぐに分かってもらえるようにするために残していたのだが、もう必要がなくなった。
 ハワイでのあの日、一人で勝手に失恋した遥は、新しい恋もせずずっと星の世界にいた。
「解説はここまでです。それでは、引き続き、番組をお楽しみください」
 マイクをオフにして、椅子に座る。これからはプラネタリウム番組が上映される。遥のする仕事はプラネタリウム内を見守ることだ。
「お疲れ様。コーヒー、新しいのにしたから、飲んで帰って」
 最後の上映を終え、事務室に戻ると、先輩の水野が声をかけてきた。彼女の机の上には茶色の包みが置かれている。
「ありがとうございます。それ、八月の番組のビラですか」
「そうそう。明日、教育委員会に持っていって各学校に配ってもらうわ。来月の番組はあんまり面白くなさそうなんだけど、ピンとくる新番組がこれしかなかったんだよね。恐竜の番組でも良かったけど、私の趣味じゃなかったし」
 これ、と渡された試し刷りのビラを見る。『世界の星座』というシンプルなタイトルのそれは、確かにドキドキワクワクするような子供向け番組ではなさそうだ。
「あとペルセウス座流星群の観測会のビラも配らないとねえ。今年も晴れたらいいけど」
「晴れますよ」
 遥がきっぱりと言うので、水野はぎょっとする。
「何、その断定。面白いね」
「私が今までサークルでしてきた観測会は毎回晴れていました。私、実は晴れ女なんですよ」
「わあ、すっご。いい人を雇ったねえ。じゃ、先に帰ります」
 水野がいなくなったあと、ホワイトボードの月行事表を見る。もう八月の予定に切り替わっていた。
 毎年、毎年、ずっとペルセウス座流星群の観測会に出ている。
 決まって、参加する子供たちは流星に願い事をする。そんな願い事したって叶わないのに、と思う自分と、願い事がしたくなるよね、と思う自分がいた。
 八月に入り、番組が切り替わった。夏休みということもあって、プラネタリウムの来場者は多かった。
 初回はほぼ満席。遥の解説は七月と変わらないので、語ることは先月と同じ。それに加えて、ペルセウス座流星群観測会のお知らせをする。
 誠司ならもっとロマンティックに語れたのだろうなあと思うことがしばしばある。もっと叙情的に語れるようになりたい。
 今の目標は、誠司のように、語りで星の世界の魅力を伝える人になることだった。
 誠司のような星のガイドになること。それができる職には就いたが、本当に立派なガイドになれているかどうかは分からない。
 八月の番組がはじまった。遥も客と一緒になって観る。
 タイトルの通り、世界の星座、それにまつわる神話を解説する番組だった。神話パートはアニメになっているので、思っていたよりは面白い。ペルセウス座のストーリーにはメドゥーサやクジラといった怪物も出てきて、子供の小さな悲鳴も聞こえてくる。かなり臨場感のあるアニメだった。
 どれもかなり詳しく語るなあ、というのが遥の感想だった。他の番組だと面白さを優先して、内容が浅くなっていることも多いのだが、この番組はとにかく詳しかった。
 自分もこれだけ語ることができればなあとぼんやり見ていると、南十字星がぱっと空に現れる。
 誠司や小川の解説とほぼ同じ。船乗りたちが十字を目印にして航海していたという部分はアニメで描かれていた。
 ハワイでの出来事が蘇り、懐かしい気持ちになる。
 馬鹿みたいに誠司を追いかけていた時間は、決して無駄ではなかったと思っているし、思いたかった。
 ハワイに行って、観測会に参加したから、引き続き、星のガイドをしたいという気持ちになったのだ。
 南十字星は恋の終着点であり、人生の始発点でもあった。
 相変わらず自分は南十字星を目印に、人生を歩んでいる。その南十字を久しぶりに見て、遥は暗がりの中でひっそりと笑みを浮かべた。
 ずっと神話に浸っていたかったが、番組は必ず終わる。
 スタッフロールが流れはじめ、遥は退場案内のためにマイクを握った。綺麗な音楽と共に流れるスタッフの名前。制作会社の名前が出るのを待つ。
 あ、と声が出そうになった。
 慌てて、マイクを握っていない方の手で口を塞ぐ。
 鼓動が早くなる。悟られぬよう、いつもの調子で退場案内のアナウンスをした。
 プラネタリウムから人がいなくなったあと、遥はパイプ椅子に腰を下ろし、深呼吸した。
 次の上映で、もう一度自分が見たものが嘘ではないことを確認する。
 制作スタッフの中に、成島誠司の名前があった。それも、シナリオの担当としてだ。解説が詳しいのに、納得がいく。誠司なら、あの誠司なら、とことん語るだろう。
 ハワイから日本に戻ったあとは、プラネタリウム番組の制作に携わっているらしい。
 誠司はずっと、南十字星の方角にいる――ような気がしてならない。
 星を追いかけている間は、ずっとその方角に誠司がいる。それだけでもう十分だった。会えなくとも、南十字星の方向に誠司がいるのならば、遥は人生の海原で迷子になることはないだろう。
 マイクを握る手に力が入る。
 日々、プラネタリウムには人が訪れる。遥は星空を見上げながら息を吸った。
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