3章 アルルと灰の学園都市

「夜よ、行くのは明日でもいいじゃない」
 フードを深く被り、外に出ようとするマルクに声をかける。別に夜に行く必要はどこにもないと思ったからだ。もちろん、お母様のことを思うと、すぐにでも山脈に行きたい。でも一日や二日くらいなら、まだ待てる。私はそこまでせっかちでもない。
 私に腕を掴まれたマルクは、小さく舌打ちした。
「夜だから行くんだろうが」
 その言葉の意味が分からなくて、は、と声が出る。眉もちょっとぴくっと動いたかもしれない。
「あ」
 何か思い出したかのように、マルクは声を出した。そしてニヤ、と笑う。
「幽霊が怖いのなら、別に来なくてもいいぞ。というか来なくていい。着いてくるな」
 私の腕を振り払って、マルクは一人で飛行船の外に出て行ってしまった。走ってどこかに向かっていく、その彼の背中に私は叫ぶ。
「はあ!? だから、違うって言ってるでしょ!」
 馬鹿にされるのって、こんなに腹が立つことなのね。お城じゃ私を馬鹿にする人なんて誰もいなかったから、マルクにじゅうぶんよく教えてもらったわ。
 鼻を膨らませて怒っていると、トットとフリューゲルがまあまあ、と宥めてくる。この二人に宥められるのはこれで何度目だろう。
「私も今、行く!」
「え、アルル様も? お一人で?」
「なんか悔しいから」
 マルクに馬鹿にされるのが悔しい、なんて理由で行くなんて、それこそ馬鹿げてると思うけれど。そうでもしないと私の気が収まらない。一人でその辺りを歩いて帰ってくるだけでいいと思ったし。
 さすがにトットは私を一人で行かせることはできないと思ったらしく、フリューゲルと共に私に着いてくることになった。飛行船のゴンドラの施錠をして、街に向かう。
 王都よりも北に来ているのだと感じる。春とはいえ、まだ夜は十分に冷える。
 凍えそうなくらいの風が頬を撫でた。
 歩いていると、散らばっているガラスの欠片がパリパリと割れているのを足の裏で感じた。襲われてから、誰の手も入っていないようで、街全体が朽ちていた。
 かろうじて形を保っている建物に、掠れた字が残っている看板があった。書店、道具屋、雑貨屋――生活するには困らない程度のお店はあったようだ。
「学生の寮がたくさんありましたからね」
 トットが残念そうに語る。それほど、ここは生徒や教師たちで賑わう都市だったのだろう。建物は雑然と並んでいて、軒のラインを揃えている整然とした都市ラルーンとは全然違う。それでも、ここが賑わった都市だというのはなんとなく感じた。
 白い石造りの建物たちはどれも灰にまみれ、月に照らされて鈍く光っていた。
 瓦礫が多いところは歩きにくくて、壁に手をついて歩く。足を一歩踏み出すごとにぼろぼろと瓦礫が崩れていくので、体のバランスを取りにくかった。
「木造じゃなかったのが幸いというか」
「じゃあ、この灰は?」
「ここにあったもの、植物、魔物――人、でしょうね」
 私はぎょっとして、壁から手を離した。
「あ、脅かしたわけじゃないですよ。それくらい、人が亡くなったと聞いています。この瓦礫の下にも、骨がまだ残っているかもしれない」
 トットはつま先で、足元に転がっているレンガを蹴った。ごろりと転がったレンガの下から、小さな虫たちがびっくりして飛び出してくる。出てきたのは虫だけで、骨はなかった。
「山脈はなんで黒竜なんてものを生み出したのかしら」
「山脈に心なんてありませんよ。僕らは山脈を”祝福を授ける者”として人のように語りますけど、実際は心はありません。善悪の判断なんかしません。あるのは魔法の源だけです。その魔法自体も善悪の判断はできません」
「確かにそうだけど……」
「僕ら魔法の生き物たちがどういう理屈で山脈から生まれ、心を持ったかも、ドワーフですら答えは出せていません。だから怖いのです。分からないということが……僕らは僕らと同じ魔法の存在が怖い……」
 この世で最も賢いと謳われるドワーフたちの本音だった。トットは首を横に振って「この話はどうでもいい」と呟いている。彼は彼で、何か思うことはあるのだろうけど、私に聞かせる話ではないと判断したみたいだった。
「僕らと違って、この都市の人々は、分からないことに果敢に立ち向かっていました。僕らは分からないことに対して逃げた一方、ジクラスの人々は分からないことから逃げず、ここから山脈の研究もしていました。分からないことが楽しいと思える人々たちで賑わっていました。長老はジクラスを馬鹿にしていましたけど、僕はここの人々を心から尊敬しています」
 外を知らない長老はちょっとがんこなんです、と、トットは笑った。
「それ、ゴンドじゃ絶対に言わないでしょ」
「言いませんよ。もし一言でも言えば、僕は滅多打ちにされます」
「トット、飛行船の操縦士になったの、本当は外に行きたかったから?」
「よく分かりましたね。そうです。こんな狭い所、いつか出てやるって思っていました。きっかけがなくて諦めてましたけど……。アルル様とマルク様が来てくれて救われました」
「そうなの。私もトットとちょっと同じ。城から出たかった」
 似たもの同士、と、私たちは笑った。
 トットの話を聞いていると、ここの景色がちょっとだけ変わったように見える。
 私は想像した。寮ではたくさんの生徒が日常を送っていて、必要なものを買いに外に出ているのを。書店には最新の研究をまとめた書物が並んであって、そこには生徒もいただろうし、教師もいただろう。雑貨屋には文房具や食べるものがあって、そこもきっと賑わっていたわ。道で知り合いとばったりすれ違ったら片手を上げて挨拶をして、それから学び舎に向かっていく――。
「学校ってどこ?」
「中央の、あれです。あの高い塔」
 トットが指差した先には、まるで天に届きそうなほど高くそびえ立つ一つの塔があった。私の頭の上で塔を見上げていたフリューゲルは、頭を上げすぎて後ろにこてんと倒れていた。
「あの中で人々は研究をしていました。もちろん、塔の外にも小さな研究室はありましたが、最先端の知識と技術はすべてあの塔の中です。あとで寄ってみましょう。中に入れるかもしれません」
 悲劇があっても崩れずにそのまま残っているのは、魔法と錬金術のおかげだという。知識と技術を意地でも守り抜こうという人々の思いを感じた。
「白銀の魔法使いたちもこの場にいましたからね。決死の思いで守ったものが塔の中にあるかもしれません」
 昼、ラルーンで聞いた話だと、魔法があるかもしれないとのことだった。それは、本当のところ、かつての人々が残した研究の跡のことなんじゃないかと私は思った。
 一通り、街の様子を見た所で、私はあの憎たらしい人のことを思い出す。
「マルク、どこにいるのかしら」
「うーん、いるとしたら、墓地か塔かでしょうね」
「トット、彼のことで何か知ってるでしょ。どうして夜に向かったのかも」
「――いやあ、王女様。僕に言わせないでくださいよ」
「言って。彼の正体を探ってるわけじゃないわ。彼が何をしたいのかが知りたいだけ。城の白銀の占い師が彼のこと”戦いに優れた一族の者”って言ってたわ。彼は何回か”責務”という言葉も使ってた。関係ある?」
 トットはポリポリと頬を引っ掻いて、参ったな、と呟いていた。
「彼は各地に散らばった魔物を処理する役目があります。この学園に寄ったのは、魔物がいる可能性を考えたからでしょう」
「なんで彼が?」
「”戦いに優れた一族の者”だからです。それ以外理由はありません」
「その一族ってなんなの?」
「それは言えません。彼ら一族の思想に反しますから」
 テオが私に、知っていて何も教えてくれなかったのは、それが理由か――。
 魔法に関わる人々は、皆、マルクのことを隠そうとしているし、マルクも教えてくれない。その理由は”思想”で片付けられてしまった。まあそれなら、しょうがない。ちょっと分かっただけでも良かった。
「墓地に行ってみましょうか。そうすればアルル様もマルク様に堂々とできますよね」
「え」
 トットはフリューゲルを呼び、とことこと早足で先に行ってしまった。
 廃墟に冷たい風が吹く。私は急いでトットとフリューゲルを追いかけた。
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