明日もどこかで誰かが
おばあちゃんが死んだ。大往生だった。
人間はいつか死ぬ、自分もそろそろ死ぬ、と微笑みながら言うような人だった。それは諦めではなく、人生すべてをやりきったという満足から出てくる言葉であることを、私は知っていた。
そんなおばあちゃんだったから、身辺整理もちゃんとしていた。
私が今日、おばあちゃんの家に来たのは、そんなおばあちゃんでも整理できなかったものを預かるためだった。
葬儀が終わったあと、母から頼まれたのである。
母は単身赴任中で北海道にいる。仕事が忙しく、葬儀が終わってすぐに向こうに帰ってしまった。だから、おばあちゃんの家に近く、既に自立している私が頼まれたわけだ。
おばあちゃんは猫を飼っていた。いつから飼い出したのかは知らない。気がついたら、おばあちゃん家に猫がいた。
まるまると太った、真っ白な猫である。そのボディも迫力満点だが、きれいな琥珀の瞳が印象的なオス。
アニメ映画の影響で、太った猫は図太いイメージがあったのだが、おばあちゃんの猫はそのイメージをいい意味で崩してくれた。
大切に、大切に、本当に大切にされてきたんだなと思えるほど、人懐こい。
名前は大福。いかにも、おばあちゃんがつけそうな名前だ。その大福を、私が預かることになった。
団地の奥にあるおばあちゃんの家。重厚な造りの木造の家だ。家も大きいが、庭も広く、縁側もある。
誰も住まなくなった家は急速に朽ちるという。だから、この立派な家も、すぐに取り壊す予定だった。
売りに出せない理由は大福だ。
猫のにおいが染み付いてしまっていること、それから小さな引っかき傷が至る所にあること。それはもう習性だから仕方のないことである。性格は関係ない。
玄関を開けた途端、獣のにおいが襲ってきた。「大福の」ではなく「獣の」と表現せざるを得ない。きついにおいだった。
そのにおいの中、大福を探した。居間にも、寝室にも、畳の部屋にもいなかった。
その畳は、大福が引っ掻いたのか、ボロボロになっていた。障子も引き裂かれている。化け猫が現れたかのような荒れ具合だった。
あの大福が? あの優しくて幸せに満ちていた大福がそんなことをするのか? 引っかき傷はあったけれど、ここまでボロボロにするようなことはなかったはずだ。
私はすぐ迎えに来なかったことを悔やんだ。
きっと、おばあちゃんがいなくなって、取り乱したのだ。不安にもなっただろう。一刻も早く見つけて、安心させなければならない。
リビングに戻り、もう一度、周囲を見回す。
縁側のある廊下とリビングを区切る障子の隙間から、西日が差し込んでいた。
大福が通るほどの隙間だった。そっと隙間に近づき、光の中を見た。
光の真ん中に、大福はいた。尻尾を振って、庭を見ていた。彼の隣には、おばあちゃんが愛用していた座布団がある。
座布団に座ったほうが居心地がいいはずなのに、大福はあえて、廊下に座っていた。あたかも、おばあちゃんがそこにいるかのように、静かに座っている。
大福は、まだ、おばあちゃんとの日常を過ごしていた。おばあちゃんとそこで過ごすのが日課だったのだろう。
おばあちゃんがいなくなってから、今に至るまでの大福の心境の変化を、家の様子から想像できた。
大好きな、大好きな、本当に大好きなおばあちゃんがいなくなってしまったことを、大福は理解してそこに座っている。
日が落ちるまで、大福はそこにいた。
リビングに戻ってきた彼は、私を見るなり、のっそのっそと歩いて、足元に近寄った。
大福は今も、決まった時間になると、西の方角を向いて座る。
寂しさと幸せに満ちた、白い背中である。
その大福も、もういつ死んでもおかしくないほど老いた。
きっと、おばあちゃんと同じで、大福も「猫はいつか死ぬ、自分もそろそろ死ぬ」とでも思っているのだろう。
人生をすべてやりきろうとしている猫の背中を、私は毎日見守っている。
人間はいつか死ぬ、自分もそろそろ死ぬ、と微笑みながら言うような人だった。それは諦めではなく、人生すべてをやりきったという満足から出てくる言葉であることを、私は知っていた。
そんなおばあちゃんだったから、身辺整理もちゃんとしていた。
私が今日、おばあちゃんの家に来たのは、そんなおばあちゃんでも整理できなかったものを預かるためだった。
葬儀が終わったあと、母から頼まれたのである。
母は単身赴任中で北海道にいる。仕事が忙しく、葬儀が終わってすぐに向こうに帰ってしまった。だから、おばあちゃんの家に近く、既に自立している私が頼まれたわけだ。
おばあちゃんは猫を飼っていた。いつから飼い出したのかは知らない。気がついたら、おばあちゃん家に猫がいた。
まるまると太った、真っ白な猫である。そのボディも迫力満点だが、きれいな琥珀の瞳が印象的なオス。
アニメ映画の影響で、太った猫は図太いイメージがあったのだが、おばあちゃんの猫はそのイメージをいい意味で崩してくれた。
大切に、大切に、本当に大切にされてきたんだなと思えるほど、人懐こい。
名前は大福。いかにも、おばあちゃんがつけそうな名前だ。その大福を、私が預かることになった。
団地の奥にあるおばあちゃんの家。重厚な造りの木造の家だ。家も大きいが、庭も広く、縁側もある。
誰も住まなくなった家は急速に朽ちるという。だから、この立派な家も、すぐに取り壊す予定だった。
売りに出せない理由は大福だ。
猫のにおいが染み付いてしまっていること、それから小さな引っかき傷が至る所にあること。それはもう習性だから仕方のないことである。性格は関係ない。
玄関を開けた途端、獣のにおいが襲ってきた。「大福の」ではなく「獣の」と表現せざるを得ない。きついにおいだった。
そのにおいの中、大福を探した。居間にも、寝室にも、畳の部屋にもいなかった。
その畳は、大福が引っ掻いたのか、ボロボロになっていた。障子も引き裂かれている。化け猫が現れたかのような荒れ具合だった。
あの大福が? あの優しくて幸せに満ちていた大福がそんなことをするのか? 引っかき傷はあったけれど、ここまでボロボロにするようなことはなかったはずだ。
私はすぐ迎えに来なかったことを悔やんだ。
きっと、おばあちゃんがいなくなって、取り乱したのだ。不安にもなっただろう。一刻も早く見つけて、安心させなければならない。
リビングに戻り、もう一度、周囲を見回す。
縁側のある廊下とリビングを区切る障子の隙間から、西日が差し込んでいた。
大福が通るほどの隙間だった。そっと隙間に近づき、光の中を見た。
光の真ん中に、大福はいた。尻尾を振って、庭を見ていた。彼の隣には、おばあちゃんが愛用していた座布団がある。
座布団に座ったほうが居心地がいいはずなのに、大福はあえて、廊下に座っていた。あたかも、おばあちゃんがそこにいるかのように、静かに座っている。
大福は、まだ、おばあちゃんとの日常を過ごしていた。おばあちゃんとそこで過ごすのが日課だったのだろう。
おばあちゃんがいなくなってから、今に至るまでの大福の心境の変化を、家の様子から想像できた。
大好きな、大好きな、本当に大好きなおばあちゃんがいなくなってしまったことを、大福は理解してそこに座っている。
日が落ちるまで、大福はそこにいた。
リビングに戻ってきた彼は、私を見るなり、のっそのっそと歩いて、足元に近寄った。
大福は今も、決まった時間になると、西の方角を向いて座る。
寂しさと幸せに満ちた、白い背中である。
その大福も、もういつ死んでもおかしくないほど老いた。
きっと、おばあちゃんと同じで、大福も「猫はいつか死ぬ、自分もそろそろ死ぬ」とでも思っているのだろう。
人生をすべてやりきろうとしている猫の背中を、私は毎日見守っている。