明日もどこかで誰かが

 服装は自由。それに惹かれてこの高校を選んだのに、一日だけ自由じゃなくなる日がある。
 女子も男子も浴衣に着替えて一日過ごすイベントが今年から開催されることになった。三年生だけの行事である。
 いつかニュースで聞いたことがある。県内の女子校で浴衣イベントが行われていること。それを元にしたのだろう。
 日本の文化に親しみを持てるようにという理由で組み込まれたものだが、正直、私は浴衣は好きではない。とにかく歩きにくいし、いい思い出もなかった。
 着付けはどこかの団体の人がやってくれた。私の浴衣は金魚の柄だった。揺れる水面と、悠々と泳ぐ朱色の金魚が描かれている。隣の子が着ていた紫陽花柄や、その隣の子が着ていた朝顔柄のほうが良かった。こんな目立つ朱色。嫌だ。
 自分の好きな服を着ていいという話だったのに、この日だけは違う。なんだか騙された気分だ。制服のあのきっちりとした感じ、なんとなく締め付けられる感じが嫌いでこの学校を選んだのに、帯に締め付けられる日が来るとは思っていなかった。
 一時間目はそんなブルーな気持ちになりながら着替えをした。順番を待っている間と、着付けが終わってからは自習になっていた。自習といっても、教師のいない教室はほぼ無法地帯で、みんなわいわいとお互いを褒めていた。男子の視線は女子に向いてばかり。私は鞄の中からイヤホンを取り出して、耳に突っ込んで本を読んだ。
 二時間目からが授業だ。ノートを取ろうにも袖が邪魔だし、呼吸がしづらい。私だけだろうか。お直しはいつでも離れにある食堂でできると聞いているから、このあとの休憩時間でもう少しゆるくしてもらおうと決めた。
 ぼんやりとしていると、遠い夏休みの記憶が蘇る。小学生の頃――中学年くらいだったかもしれない。
 浴衣に下駄。からころと鳴らしながら屋台の並ぶ道を歩いていた。
 母がこれを着なさいと言ったから、今日と同じ、金魚の浴衣を着た。母お手製の浴衣だった。
 歩きにくかったし、下駄の鼻緒は指と指の間に食い込んできて痛かった。時間が経てば経つほど着崩れる。母は浴衣の着付けはできたけれど、お直しはできなかった。早く帰って脱ぎたかった。せっかくの花火が楽しめなかった。
 もう浴衣は嫌だ、もう浴衣は着ない。そう思っていたのに。
 授業が終わってすぐに教室から出て、食堂に向かった。着付けをしてくれた人たちがお茶を飲んでのんびりしていた。私はおばさんに近寄って、声をかけた。
「もう脱ぎたいです、気分が悪いから」
 おばさんは少し驚いて、すぐに帯をほどいてくれた。私を締め付けていたものがなくなって、すっきりする。
 今日の私は、ゆったりとしたブラウスにカーゴパンツを合わせている。その姿でこそこそと保健室に行った。ふかふかのソファーに横になった。私のその様子を見た保健の先生は、一日ここで過ごしていいし、早退してもいいと言ってくれた。
 浴衣が嫌だ、という愚痴を先生に聞いてもらった。話せば話すほど、なんだか自分がわがままみたいに思えてくる。
「こだわりが強すぎるんですか、私」
「話を聞くに、たぶんね、軽いトラウマになってるんだと思う」
「トラウマ」
「そうそう。私の憶測もあると思うんだけど、最初は、浴衣を着て楽しかったと思うんだよね。その後、着崩れて、思うようにならなかった、花火も楽しめなかった、足も痛かったって、期待していたのと違う結果になっちゃったわけでしょ。そうなると着なきゃ良かったってなる。残るのは、浴衣さえ着なければよかったって記憶だけ」
「うん」
「あなたのその体験と、その気持ちは否定できないからさ。今日、もう一度着てみて、やっぱりダメだったんなら、それでいいじゃないの。無理に着る必要はないよ」
「うん」
「これがめちゃくちゃ大事な式典とかだったら我慢しろって言うんだけど、そこまで重要な行事でもないから。好きにしていいよ。ここで過ごしてもいいし、早退してもいい。気分が悪いというのは事実だから」
 お言葉に甘えて、早退することにした。私が苦手なもので楽しんでいる人たちを見るのも、少し苦しい。でもそれで、周りに気を遣わせたくもない。特に親しい友人たちには。彼女たちには心配されたし、理由も聞かれたけれど、生理痛でしんどいから、と適当な嘘をついた。浴衣を純粋に楽しんでいる彼女たちに水を差したくない。
 帰りの電車の中で、先生が言っていた言葉を思い出した。
 最初は浴衣を着て楽しかった……のだろうか。そこはよく覚えていない。でも、母に嫌だと言った記憶もない。母が無理矢理押し付けてきたという記憶はないのだ。これを着なさいと言われた記憶はあるけれど。
 これを着なさい、の前に、何かなかっただろうか。
 例えば――自分から、着たいと言ったとか。
 最寄り駅の前にある商店街では、明日ある土曜夜市の準備が行われていた。道の真ん中にずらりと露店が並んでいる。夜市も何度か行ったことがある。花火はないけれど、ここでも浴衣を着た人がたくさんいた。
 そうだ。それを見ていた私は、花火大会で浴衣を着たくなったのだ。だから母に言った。着てみたいと。
 母はそれを聞いて、自分のために作ってくれたのだ。そして「これを着なさい」と言って、私に浴衣を着させてくれた。着付けができてもお直しができなかったのは、着付けの方法しか調べていなかったからだ。
 花火が終わって帰ったあと、母は帯を解きながら、ごめんねと謝った。あれは「無理矢理着させてごめん」ではなく「ちゃんと直してあげれなくてごめんね」だったのかもしれない。とにかく私は、母に対して記憶違いをしている。すべて母のせいのように思っていたところがある。
 家に帰ると、母は今日もミシンの前にいた。母は昔から、服のリメイクやお直しを仕事にしている。
「あのさ」
 眼鏡を押し上げながら、母はミシンを止めて私を見た。早く帰ってきたことに驚いている。適当に、今日は午前中までだったと嘘をついた。母は学校の行事のことなんか知らないだろうから。
「ん、何?」
「……なんでもない」
 滅多に作らない、着ないものじゃなくて、母の得意な、着心地のよくて、ゆったりとした服を作ってほしい。
 今年の花火大会までには言ってみよう。あの苦い思い出に、いい思い出を上塗りしたい。
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