1章 紺野朱美

 浅葱君が髪を切った。
 どうせなら染めてこいと言ったからか、明るい茶髪になっていた。
 どういう風に切ってもらえばいいか分からないと悩んでいたから、何か好きなアニメキャラでも参考にしたら、と冗談で言ってみたのだが、本当にそれを実行してきた。
『涼宮ハルヒの憂鬱』に出てくる主人公を参考にして切ってもらったらしい。短い前髪と、少し長いもみあげが特徴的だった。どちらかというと、似合っている。
 長い前髪で隠れていた目がよく見えるようになった。改めて見ると、可愛い顔立ちをしていることに気付く。肌も悔しいことに綺麗である。さすが二十二歳。若い。
 オタクはすごい。自分の好きに、何の疑いもない。
 彼はいよいよ、私にオタクであることを隠さなくなった。彼の部屋を覗いたことはないのだが、グッズとかで埋め尽くされているとだけ聞いている。中からリリちゃんの配信の音が聞こえてくることがしょっちゅうある。桃色の髪をツインテールにしたVチューバーだ。黒鉄リリコという名で活動している。浅葱君はそのリリちゃんを熱烈に応援していた。たまに、浅葱君の奇声も聞こえてくる。興奮しすぎて、叫んでいるようだった。
 葵の実も、来年のために収穫した。なぜか私も誘われ、暑い中、一緒に種を収穫した。これを一人で、毎年毎年やっているのだというのだからすごい。感心する。オタクのくせに、と何度も思った。でも、オタクだからこそできていることなのかもしれない。
 私は自分の好きを大切にしてあげることができなかった。何度も何度もダメ出しをされ続けているうちに、自分で自分の好きを否定していた。だから、何のために書いているか、分からなくなっていた。
 汐里の言っていたことが、今なら分かる。
 私は私の書く物語が好きだ。ちゃんと愛着があった。浅葱君がゴミ箱から出してくれた原稿は、二階の本棚の中に入れている。たまに引っ張り出して、読み返している。そのたびに、好きだな、と思う。
 浅葱君を見ていると、オタクに興味を持つようになった。
 次は、その話を書こう。オタク君の話。
 オタク君が、もし自分の好きを疑ったらどうするのだろう。自分の好きが分からなくなったらどうするのだろう。やっぱり、何やってんだろとなるのだろうか。オタク君だけじゃない。こういう感情は、誰だってありそうだ。
 タイトルはどうしよう。そうだ、こういう感情を端的に表す言葉があった。
『がらんどうの私たちは虚無を抱く』
 決まると、私の中で、物語が大きくふくらんでいく。書きたくて、うずうずしてくる。
 書ける。私の好きそうな物語が。
 これは公募には出さずに、最初から最後まで好きなように書くことにした。書くことと、自分の物語は嫌いになりたくない。
 浅葱君が庭で水やりをしている音を聞きながら、タブレットでアプリを立ち上げ、データ名にタイトルを打ち込んだ。

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