1章 紺野朱美
「良かった、あおさん、ほんとうに実家に帰っちゃうのかと思った!」
私の手をブンブンと振っているのは、ネットで知り合った友人の桜里汐里。これはペンネである。私は彼女のことを汐里と呼ぶし、彼女は私のことをあおさんと呼ぶ。汐里は私より少し年下ということだけ知っている。彼女は私と違って、ライトノベルを書いているが、私と同じくプロ作家を志していた。ジャンルは違えど、話が合うから、たびたびこうやってオフ会のようなことをしている。
今日は三軒茶屋駅で待ち合わせをしていた。私が世田谷に引っ越したことを知った彼女からお誘いがあったのである。
真っ黒の私と違い、汐里はいつも明るい服装で来る。今日はふんわりとした薄桃色のワンピースだった。なんとなく、浅葱君が好きなのは、こういう系なのだろうかと思った。
人通りの多い商業通りを歩く。三軒茶屋のメインストリートだ。
「いや、私も……帰ろうと思ってたんだけど。なんか、いろいろあって」
「いろいろかあ、そっかあ」
「そう、いろいろ」
いろいろで誤魔化しても、それで納得してくれるのが彼女である。汐里のこの軽い感じが、私にはちょうどいい。
「でもよかった。あおさんと会えなくなると、息抜きのタイミングが分からなくなるから」
「そうね。それは分かる」
賑やかな商業通りの裏に回り、小さなカフェに入った。『黒猫』というカフェ&バーである。
ここには何度か来たことがあった。土井谷さんがよく使っている店だった。彼に原稿を見てもらう時は、大抵がここだった。雰囲気が良かったので、汐里にここを提案した。
一人でやっているこじんまりとした店だ。店長は黒柳晴海。オールバックの似合う、背の高いイケメンである。若く見えるが、漂う雰囲気は年上のものだった。
汐里の好きそうな男だなと前から思っていたが、案の定、汐里は席についてすぐに「あの店主さん、かっこいいね」と言っていた。
黒柳さんがプレートを持ってきた時、汐里の顔は少し赤らんでいた。
「あのさあ。汐里がピュアなのは知ってるけど、みんながみんないい人とは限らないからね」
「知ってるよ、そのくらい。でも、あの人は、いい人でしょ」
「だとは思うけど」
「あおさんが東京に残った理由、男なんじゃないの?」
冗談交じりに言ってくる。だから私も軽く返した。
「違うよ。全然違う。住む場所が見つかったからよ」
さすがにこの流れで年下の男にホイホイ着いて行ってしまった、とは言えない。同棲とも言えない今の生活は、汐里には隠しておくことにする。
「というか、前の彼とは別れたし。同棲もやめたし」
「え、なんで」
人はそんなに、他人の別れ話が気になるのか。まあ恋愛ジャンルをよく書く汐里だし、気になるのはしょうがない。どうぞ私をネタにしてくださいという気持ちで過程を話した。
浅葱君にも、元彼がいて、別れたばかりだという話をこの前にした。
浅葱君は私に、よく分からない、と言った。
なぜ、好きなものを、好きじゃなくなるのかと。不思議でならない、というような顔をして聞いてきた。私も分からなかったから、なんでだろうね、と答えるしかなかった。
誠の場合は、もともと好きじゃなくて、だらだらと付き合っていただけなのだが。
別れた経緯を汐里に話すと、浅葱君と違って、結構納得した顔をしていた。
「まあ、あおさん、ストイックだしね」
「そういうことにしといて」
温かい食後のコーヒーを黒柳さんから受け取り、汐里はふう、と溜息をついた。
「私はダメだったよ。ウェブの賞。一次も通らなかった」
「お疲れ。私もダメだった」
「ああー、今回は絶対いいと思ったのにな。主人公も可愛いし、ヒーローもかっこいいし。私、めちゃくちゃ気に入ってたのに」
「愛着があるんだ、汐里は」
「あおさんはないの? キャラクターとか好きにならないの?」
愛着。愛着か。そんなこと、考えたことがなかった。
「ない……といえばない……のかな。賞も持ち込みもダメだった時点で、原稿はゴミ箱行きだし。読み返すこともないし。ダメだったらすぐ次に行きたい」
「ドライだなあ。でもそれがいいのかもしれないね。なんか、ずるずるしちゃうから。だから自分で本にすることにしたんだ。秋にある即売会に出てみることにした」
頑張って、と応援すると、汐里はにこっと笑った。
買ってね、読んでね、とは言わない。それもまた、汐里のいいところである。
お互いに大変なこと、つらいことを語り合って、ストレス発散をして、またそれぞれの原稿に戻る。
こんなことができる人は、汐里しかいない。東京の友達は、汐里だけだ。
食後のコーヒーを飲み終えたあと、汐里はこのあと仕事があるからと先に帰った。
鞄の中から、茶封筒を出す。今朝、印刷したばかりの新しい原稿である。あのハゲにダメ出しを食らったあと、もう一度読んで、かなり修正をした。ハゲの手汗でべたべたになった原稿はもちろん捨てた。
これからここで土井谷さんに見てもらうことになっている。
約束通りの時間に来るのも、土井谷さんらしい。入店し、黒柳さんと少し会話をした後、私の元にやってくる。
体格のいい、爽やかな男だ。彼は山河書店の女性書店員にも人気があった。
黒柳さんと並ぶと、たぶん、汐里は卒倒してしまうと思う。
「こんにちは、紺野さん。お久しぶりです」
「どうも」
彼の編集の腕は認めてはいるが、自費出版の営業をされることもあって、どうしても堅苦しい態度になってしまう。
一方、土井谷さんはいつも柔らかい雰囲気をしている。緊張も話をしていたらすぐにほぐれていく。そのあたりが、他の編集者と違う。どうしてこの人は、自費出版社で働いているのだろうと何度も思った。
「データで送ってくださった作品、読ませていただきました」
彼の鞄から、プリントアウトした原稿が出てくる。いくらかメモを残していた。あのハゲとはまるで大違いだ。
「どうでしたか」
「紺野さんらしいなと思いました。前よりも随分、腕を上げておられて」
「でも、持ち込みはダメでした。いつもと同じです。読みにくい、何が言いたいのか分からない、面白くない。今回もそうですよね」
「まあまあ」
黒柳さんがお冷を持ってきてくれた。冷たい水を口に含む。
「まあ、確かに、前半と後半で言いたいことが変わってしまったのは、致命的ではあると思いますよ」
「それって、つまり、やっぱりダメってことですよね」
「テーマは絞ったほうがいいです。前半に言いたいことを最後まで貫くか、後半に言いたいことのために前半を変えるか。つまり、どちらか半分は大きな修正を加えなければなりません。文章は伸びしろがありますから、これは編集で……ああ、すみません、営業しそうになりました。とにかく、前半と後半のテーマのズレを修正したら、もう少しよくなると思いました。文章はこれからも良くなるでしょうからね。どちらにせよ、紺野さんらしいなって思います」
「……私らしさなんて、よく分かりません」
「したたかなところですかね。こうと決めたら、一直線なところ。紺野さんらしくないですか?」
私に自費出版する気がないのは分かっているので、土井谷さんの話はここで終わった。
私が自費出版すると言えば、土井谷さんはもっと話をしてくれるのだろうが、そのつもりがないからすぐに終わる。メモもそのためのものだろう。何度も話を聞いてくれるのは、私がターゲットになっているからだ。
彼は次の打ち合わせがあるからと、すぐに黒猫を出て行った。
黒柳さんが、サービスでコーヒーを持ってきてくれた。なんて優しい人なんだろう。
もらったメモ入り原稿を茶封筒に入れる。前半と後半にズレがあるのだったら、もうこの原稿は直しようがない。というか、もう、この作品に携わる元気がない。
コーヒーを飲みながら土井谷さんの言っていたことを反芻する。
一直線。どこが。
そりゃ、書くことに関しては、一直線なのかもしれない。
でも、一度、福山に帰ろうとしたのに、東京にまだ残っている私のどこが一直線なのだ。諦めようとしたのに諦めきれなかった私のどこが一直線なのだ。こういうのは、優柔不断というのだ。
土井谷さんのアドバイスは的確だが、土井谷さんは作品に書かれている私のことしか知らない。
私は、どうしようもない、永遠の落選作家である。そして、私を好いてくれている人を捨てた、どうしようもない女なのだ。
黒柳さんには、長居したお礼とサービスへのチップを渡し、バスで奥沢まで帰った。バスに揺られている間、何も考えられなくて、優先席に図々しく座っていた。病院前で乗ってきたおばあさんに譲ってくれと言われて、そこでようやくのろのろと立ち上がり、席を譲った。
まだ耳に馴染んでいない「奥沢」という言葉にも反応できず、あやうく乗り過ごすところだった。
帰ってすぐ、キッチンにあるゴミ袋に茶封筒を入れた。
「え、捨てるんですか」
「ああ、浅葱君。いたの」
キッチンの入り口に彼はいた。驚いた表情をしている。
ここに来てから毎日毎日、美容院に行けと言っているのに、今日もまだだらしない小汚い頭をしていた。
「やっぱり、ダメ出し食らったから、もういい。これはもうおしまい。新しいのを書く」
「そうですか。あの、これから買い物に行くんですけど、夕飯、何がいいですか?」
「酒だけでいい」
「え」
「ビール。三本くらい。それだけでいい」
結局、食卓に並んだのは、たくさんのお刺身だった。高かっただろうに、気を利かせてくれたのだろうか。労われたのだろうか。君は部屋を借りているだけの他人のために、こういうことをするのか。
そういうことができるんなら、さっさと美容院に行けよと思った。見た目が残念すぎるから。でも言わなかった。
入浴のあと、縁側に出て、彼が買ってきてくれたビールを全部飲んだ。一気に飲んだから、すぐに頭が痛くなる。
ああ、何をやっているのだろう。何にもならない、ゴミになる小説ばかり書いていて。
こんなところで、頭が痛くなるほど酒を煽って、何をやっているのだろう、私は。
私の手をブンブンと振っているのは、ネットで知り合った友人の桜里汐里。これはペンネである。私は彼女のことを汐里と呼ぶし、彼女は私のことをあおさんと呼ぶ。汐里は私より少し年下ということだけ知っている。彼女は私と違って、ライトノベルを書いているが、私と同じくプロ作家を志していた。ジャンルは違えど、話が合うから、たびたびこうやってオフ会のようなことをしている。
今日は三軒茶屋駅で待ち合わせをしていた。私が世田谷に引っ越したことを知った彼女からお誘いがあったのである。
真っ黒の私と違い、汐里はいつも明るい服装で来る。今日はふんわりとした薄桃色のワンピースだった。なんとなく、浅葱君が好きなのは、こういう系なのだろうかと思った。
人通りの多い商業通りを歩く。三軒茶屋のメインストリートだ。
「いや、私も……帰ろうと思ってたんだけど。なんか、いろいろあって」
「いろいろかあ、そっかあ」
「そう、いろいろ」
いろいろで誤魔化しても、それで納得してくれるのが彼女である。汐里のこの軽い感じが、私にはちょうどいい。
「でもよかった。あおさんと会えなくなると、息抜きのタイミングが分からなくなるから」
「そうね。それは分かる」
賑やかな商業通りの裏に回り、小さなカフェに入った。『黒猫』というカフェ&バーである。
ここには何度か来たことがあった。土井谷さんがよく使っている店だった。彼に原稿を見てもらう時は、大抵がここだった。雰囲気が良かったので、汐里にここを提案した。
一人でやっているこじんまりとした店だ。店長は黒柳晴海。オールバックの似合う、背の高いイケメンである。若く見えるが、漂う雰囲気は年上のものだった。
汐里の好きそうな男だなと前から思っていたが、案の定、汐里は席についてすぐに「あの店主さん、かっこいいね」と言っていた。
黒柳さんがプレートを持ってきた時、汐里の顔は少し赤らんでいた。
「あのさあ。汐里がピュアなのは知ってるけど、みんながみんないい人とは限らないからね」
「知ってるよ、そのくらい。でも、あの人は、いい人でしょ」
「だとは思うけど」
「あおさんが東京に残った理由、男なんじゃないの?」
冗談交じりに言ってくる。だから私も軽く返した。
「違うよ。全然違う。住む場所が見つかったからよ」
さすがにこの流れで年下の男にホイホイ着いて行ってしまった、とは言えない。同棲とも言えない今の生活は、汐里には隠しておくことにする。
「というか、前の彼とは別れたし。同棲もやめたし」
「え、なんで」
人はそんなに、他人の別れ話が気になるのか。まあ恋愛ジャンルをよく書く汐里だし、気になるのはしょうがない。どうぞ私をネタにしてくださいという気持ちで過程を話した。
浅葱君にも、元彼がいて、別れたばかりだという話をこの前にした。
浅葱君は私に、よく分からない、と言った。
なぜ、好きなものを、好きじゃなくなるのかと。不思議でならない、というような顔をして聞いてきた。私も分からなかったから、なんでだろうね、と答えるしかなかった。
誠の場合は、もともと好きじゃなくて、だらだらと付き合っていただけなのだが。
別れた経緯を汐里に話すと、浅葱君と違って、結構納得した顔をしていた。
「まあ、あおさん、ストイックだしね」
「そういうことにしといて」
温かい食後のコーヒーを黒柳さんから受け取り、汐里はふう、と溜息をついた。
「私はダメだったよ。ウェブの賞。一次も通らなかった」
「お疲れ。私もダメだった」
「ああー、今回は絶対いいと思ったのにな。主人公も可愛いし、ヒーローもかっこいいし。私、めちゃくちゃ気に入ってたのに」
「愛着があるんだ、汐里は」
「あおさんはないの? キャラクターとか好きにならないの?」
愛着。愛着か。そんなこと、考えたことがなかった。
「ない……といえばない……のかな。賞も持ち込みもダメだった時点で、原稿はゴミ箱行きだし。読み返すこともないし。ダメだったらすぐ次に行きたい」
「ドライだなあ。でもそれがいいのかもしれないね。なんか、ずるずるしちゃうから。だから自分で本にすることにしたんだ。秋にある即売会に出てみることにした」
頑張って、と応援すると、汐里はにこっと笑った。
買ってね、読んでね、とは言わない。それもまた、汐里のいいところである。
お互いに大変なこと、つらいことを語り合って、ストレス発散をして、またそれぞれの原稿に戻る。
こんなことができる人は、汐里しかいない。東京の友達は、汐里だけだ。
食後のコーヒーを飲み終えたあと、汐里はこのあと仕事があるからと先に帰った。
鞄の中から、茶封筒を出す。今朝、印刷したばかりの新しい原稿である。あのハゲにダメ出しを食らったあと、もう一度読んで、かなり修正をした。ハゲの手汗でべたべたになった原稿はもちろん捨てた。
これからここで土井谷さんに見てもらうことになっている。
約束通りの時間に来るのも、土井谷さんらしい。入店し、黒柳さんと少し会話をした後、私の元にやってくる。
体格のいい、爽やかな男だ。彼は山河書店の女性書店員にも人気があった。
黒柳さんと並ぶと、たぶん、汐里は卒倒してしまうと思う。
「こんにちは、紺野さん。お久しぶりです」
「どうも」
彼の編集の腕は認めてはいるが、自費出版の営業をされることもあって、どうしても堅苦しい態度になってしまう。
一方、土井谷さんはいつも柔らかい雰囲気をしている。緊張も話をしていたらすぐにほぐれていく。そのあたりが、他の編集者と違う。どうしてこの人は、自費出版社で働いているのだろうと何度も思った。
「データで送ってくださった作品、読ませていただきました」
彼の鞄から、プリントアウトした原稿が出てくる。いくらかメモを残していた。あのハゲとはまるで大違いだ。
「どうでしたか」
「紺野さんらしいなと思いました。前よりも随分、腕を上げておられて」
「でも、持ち込みはダメでした。いつもと同じです。読みにくい、何が言いたいのか分からない、面白くない。今回もそうですよね」
「まあまあ」
黒柳さんがお冷を持ってきてくれた。冷たい水を口に含む。
「まあ、確かに、前半と後半で言いたいことが変わってしまったのは、致命的ではあると思いますよ」
「それって、つまり、やっぱりダメってことですよね」
「テーマは絞ったほうがいいです。前半に言いたいことを最後まで貫くか、後半に言いたいことのために前半を変えるか。つまり、どちらか半分は大きな修正を加えなければなりません。文章は伸びしろがありますから、これは編集で……ああ、すみません、営業しそうになりました。とにかく、前半と後半のテーマのズレを修正したら、もう少しよくなると思いました。文章はこれからも良くなるでしょうからね。どちらにせよ、紺野さんらしいなって思います」
「……私らしさなんて、よく分かりません」
「したたかなところですかね。こうと決めたら、一直線なところ。紺野さんらしくないですか?」
私に自費出版する気がないのは分かっているので、土井谷さんの話はここで終わった。
私が自費出版すると言えば、土井谷さんはもっと話をしてくれるのだろうが、そのつもりがないからすぐに終わる。メモもそのためのものだろう。何度も話を聞いてくれるのは、私がターゲットになっているからだ。
彼は次の打ち合わせがあるからと、すぐに黒猫を出て行った。
黒柳さんが、サービスでコーヒーを持ってきてくれた。なんて優しい人なんだろう。
もらったメモ入り原稿を茶封筒に入れる。前半と後半にズレがあるのだったら、もうこの原稿は直しようがない。というか、もう、この作品に携わる元気がない。
コーヒーを飲みながら土井谷さんの言っていたことを反芻する。
一直線。どこが。
そりゃ、書くことに関しては、一直線なのかもしれない。
でも、一度、福山に帰ろうとしたのに、東京にまだ残っている私のどこが一直線なのだ。諦めようとしたのに諦めきれなかった私のどこが一直線なのだ。こういうのは、優柔不断というのだ。
土井谷さんのアドバイスは的確だが、土井谷さんは作品に書かれている私のことしか知らない。
私は、どうしようもない、永遠の落選作家である。そして、私を好いてくれている人を捨てた、どうしようもない女なのだ。
黒柳さんには、長居したお礼とサービスへのチップを渡し、バスで奥沢まで帰った。バスに揺られている間、何も考えられなくて、優先席に図々しく座っていた。病院前で乗ってきたおばあさんに譲ってくれと言われて、そこでようやくのろのろと立ち上がり、席を譲った。
まだ耳に馴染んでいない「奥沢」という言葉にも反応できず、あやうく乗り過ごすところだった。
帰ってすぐ、キッチンにあるゴミ袋に茶封筒を入れた。
「え、捨てるんですか」
「ああ、浅葱君。いたの」
キッチンの入り口に彼はいた。驚いた表情をしている。
ここに来てから毎日毎日、美容院に行けと言っているのに、今日もまだだらしない小汚い頭をしていた。
「やっぱり、ダメ出し食らったから、もういい。これはもうおしまい。新しいのを書く」
「そうですか。あの、これから買い物に行くんですけど、夕飯、何がいいですか?」
「酒だけでいい」
「え」
「ビール。三本くらい。それだけでいい」
結局、食卓に並んだのは、たくさんのお刺身だった。高かっただろうに、気を利かせてくれたのだろうか。労われたのだろうか。君は部屋を借りているだけの他人のために、こういうことをするのか。
そういうことができるんなら、さっさと美容院に行けよと思った。見た目が残念すぎるから。でも言わなかった。
入浴のあと、縁側に出て、彼が買ってきてくれたビールを全部飲んだ。一気に飲んだから、すぐに頭が痛くなる。
ああ、何をやっているのだろう。何にもならない、ゴミになる小説ばかり書いていて。
こんなところで、頭が痛くなるほど酒を煽って、何をやっているのだろう、私は。