4章 土井谷雅紀

 生ぬるい雨が降ってくる。バスがやってくるが、乗らないと運転手に合図した。
 黒猫に戻ると、黒柳が、全てを察したような目で見て、タオルを投げて寄越した。
「そんなみっともない格好で来ないでいただきたいですね」
 濡れたジャケットを脱いで、頭を拭く。
 店内には黒柳しかいなかった。カウンターに座って、溜息をつく。
「また一人の作家の夢を砕いてきたよ」
「違うでしょう。振られた、と素直に言ってください」
「きっつ」
 突っ伏した俺の頭に、黒柳が何かを刺してくる。
 名刺のようなものだった。
 取ろうとすると、黒柳はぱっと取ってしまう。
「なんですか」
「あなたのお客様になりそうな方の情報です。欲しければ、何かご注文ください」
 しょうがないので、最も高いワインと、ズッキーニとエビのアヒージョを頼んだ。
 ワインと一緒にくれたカードを見る。
「紺野さんのご友人で、去年から黒猫をご贔屓にしてくださっている方です。お住まいも都内です。紺野さんがよくあなたの話をしているので、名乗ればすぐに分かってくれるでしょう」
 桜里汐里。ライトノベルを専門とし、書籍化を考えている。しかし、なかなか賞に選ばれないので、同人活動をはじめた――か。近々行われる同人誌即売会でも会えるが、SNSでも連絡が可能と書いてあった。
「あなたも馬鹿ですね。彼女は作家としてのプライドが高いのは分かっていたはずなのに。恋愛感情を持ち込めるような人ではなかったでしょう」
「……分からなくなったんです。紺野さんに何をしてほしいのか。俺は紺野さんに何をしたかったのかが」
「あの方が魔性の女だったって言いたいんですか。私はそうは思いませんけどね。頭を冷やして、営業に励んでください。あなたがいないと、黒猫が困ります」
「別に、俺は黒柳のために働いているわけではありませんが」
「そうでしたか。それは困りましたね。まあでも、よく考えたらどうですか。何がしたくて自費出版社を選んだのかを。ちなみにですけど、私はあなたの仕事、あなたに向いていると思っていますよ」
 あつあつのアヒージョが出される。フランスパンをつけて口に入れるが、あまりにも熱くて呻いた。
 そんな俺を見て、黒柳は面白そうに笑っていた。
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