3章 白松リリア

「え、あんた、リリコなの? マ?」
 お好み焼きを食べながら、まゆは仰天した。まゆがリリコのことを知っていることに、あたしは仰天した。
「マジか。あんたがリリコだったのか……」
「なんでそんなに驚いてるの……意味わかんない」
「いやあ、前に勤めてたところの同期がさ、リリコのことめっちゃ好きなオタクでさ。リュックにリリコのキーホルダーつけててさ。中の人に会えるなんて思ってなかったからびっくりしちゃった」
 リュックにリリコのキーホルダー。それを聞いて、ねぎさんのことを思い出したけれど、たぶん違う人だと思って聞くのをやめた。
 なんでリリコを辞めたのかと聞かれたから、全部、包み隠さず喋った。
 まゆなら、なんかいいかなと思えたからだ。
 夜の仕事のことも話したし、ねぎさんのことも話した。まゆは、うんうん、と頷きながら聞いてくれた。
 感想は、やっぱり「バカだねえ」だった。
「あたしだって、バカだって思ったよ。オタクを散々バカにしてきたあたしが、一番バカだよ。笑ってよ」
「笑いはしないけどさ。結局、リリアって、何がしたかったの。あんたが本気になれることって何なの。それが分からん」
 まゆは梅酒の入ったグラスを軽く振って、氷を鳴らした。あたしもちびちびとファジーネーブルを飲む。
 本気を出した時か。一番に思い当たるのが、日本語を習得しようとしたときだ。
 あたしはアメリカ人と、日本人のハーフ。
 日本に来たのは中学生の頃。その時、日本語は全然できなかった。日本人の母は、日本に帰るつもりがなくて、あたしに日本語を教えていなかったのだ。結局、祖父母のことがあって、母はあたしたちを連れて東京の実家に戻ってきた。
 日本語を習得するまで、ものすごい時間がかかった。頭が悪くて、日本語も、それ以外の勉強も、あんまりできなかった。あの頃のあたしには、何の取り柄もなかった。
 落ち込んでいる中、あたしは日本のアイドルがとても可愛いことを知った。あたしを励ましてくれたのもアイドルだった。あたしもアイドルになろうと思って、高校を出てからすぐに「白銀リリア」の名前でアイドル活動をはじめた。大学になんか行けるわけがない。勉強ができないんだから。
 日本語の勉強は、そのころから本気で取り組んだ。発音もなるべくネイティブになるように頑張った。その経験が今に活きている。
 でも、やっぱり、違うなあって思った。純日本人らしいカワイイは、あたしにはない。日本人のかわいい顔が、心底うらやましかった。
 あたしはもともと金髪だったけど、ピンクに染めた。高い鼻と、ブルーの瞳が、ハーフであることを強調している。
 ハーフというと聞こえはいいし、うらやましがられることも多いけど、あたしはこの顔が嫌いだった。
 致命的だ。あたしが求めていたのは、純日本人の可愛さだった。アメリカ人の友達だって言う。日本の、日本人の「カワイイ」はやっぱり違うと。
 あたしだって、黒髪がよかった。なんで父の遺伝子を受け継いじゃったんだろう。
 理想になれなくて、秋葉原での活動は、数年で終わった。
 その時の悔しさは、今でも忘れられない。だから、あまりリリアの名前を呼ばれたくなかった。
 その頃、ネットではバーチャルアイドルやVチューバーが増えていた。あたしは、それだ、と思った。
 すぐに身体を作ってくれるママを探して、黒鉄リリコを誕生させた。
 バズる要素を盛りだくさんにした。そのことに関しては、ママや事務所の人たちのほうが詳しかった。
 リリコは、たくさんの人によって生み出された偶像だった。そしてその偶像を、あたしは完璧に演じていた。
 理想のアイドルになれたはずなのに、本気になれなかった。
「リリアがリリコでしたかったのって、人気者になって、人を見下したかったってことになるよ、今の話だと」
「そんなこと言ってないじゃん」
「言ってなくてもわかるよ。リリアがリリア自身のこと、バカにしてるじゃん。自分は勉強ができない、ハーフのせいで本物の日本のアイドルにもなれなかった。自分では何もできないから、理想の身体であるリリアに逃げた。画面の向こうにいるオタクをバカにして自分が優位に立とうとしていた。これからあんたが言うことも想像がつく。リリコは他人が作ったものだから、本気になれなかった。バーチャルだから、本気になれなかった。そういうことでしょ」
「……うん。その通り」
「でも、アイドルが好きってのは、分かったよ。分かる。日本のアイドルはかわいい。歌もそこそこ歌えて、踊れて、ファンにも積極的にサービスができるアイドルは強い」
「うん」
 あたしもまゆもグラスを空にしたので、次のお酒を頼んだ。まゆはお酒が好きなのにも関わらず弱いのか、もう顔が真っ赤だった。
 まゆは、あたしの拙い喋りで、ここまで理解してくれた。こういう人は初めてだった。
 まゆはすごい。直感でそう思った。
「バカにしてごめん」
 素直にもう一度謝ると、やめてーと手をぱたぱたと振った。
「それはもういいよ。で、アイドル、マジで諦めるの? わたし、リリコの曲、動画探してちょっと聴いたけど、うまいなって思ったよ。ハーフであることも気にならない。日本人から見るハーフは、やっぱかっけえなって思う。リリコの理想のカワイイとは違うかもだけど。てか、絶対カワイイじゃないとダメ? 確かに、動機はカワイイアイドルだったかもしれないけど、理想とは別に、リリアにはリリアに似合うキャラってのがあるんじゃないの? 唯一無二のアイドルになればいいじゃん」
「唯一無二……ごめん、意味が分からない」
「他の誰にも真似できない、完璧で究極のリリアとリリコってこと!」
 わざとらしくウインクするまゆ。きまったぁ……とうっとりしていた。
 あ、それだ。
 まゆの言葉が、ストンと落ちた。
 こんなあたしでも、なれるんだ。完璧で究極のアイドル。
 二杯目が届いたので、もう一度、乾杯をした。
「ついでに言うと、令和のオタクは幅が広いし、バカにできない部分がある。わたしもオタクについうっかり告白じみたことをしたことがある」
「ほんと?」
「うん。さっき言った同僚なんだけど。あいつさあ、理屈っぽいけど、なんか、言ってることが、良かったんだよなあ」
 リリアがオタクを好きになるのも分かるよ、とまゆが言ったから、慌てて否定に入る。
「いや、ちょっと待って。別に、ねぎさんのことなんか……!」
「え、ねぎさん探して三軒茶屋に来てたんじゃないの? それめっちゃ好きってことじゃん。どこ住みの人か分かってないの?」
「世田谷って言ってたよ」
「世田谷のどこだろう。一人暮らし?」
「うん」
「ちょっと待て。葱? 同居人がいるとか言ってなかった?」
「言ってた」
「あー。それ、わたしの言ってたオタクだ。わたしの元同僚君だ」
「まじか」
「うん。だいたいの居場所とか教えてあげるから、もっかい会ってきなよ。わたし、リリアの本気、めっちゃ応援したくなった」
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