2章 越智真由

 浅葱君が髪を切ったから、わたしも髪を切ろうと思った。
 美容院に行って、思いっきり短くしてくださいと言った。担当してくれた美容師さんは、それに驚いたけれども、気持ちよくバッサリと切ってくれた。
 ベリショにした。高戸が好きと言ってくれた長い髪はもうどこにもないけれど、わたしはこの今の髪型が気に入った。秋の風が首を撫でて冷える。もう少し寒くなったら、マフラーをちゃんと巻こう。喉を傷めてはいけないから。
 職場には、退職願を提出した。
 もちろん、お金は必要だから、転職はしようと思う。次の職場はここより給料は低いだろうけど、バンド運営に関わる出費がなくなったから大丈夫だと思う。
 引っ越しをすることにした。今度は三軒茶屋のほうに住む。わたしを励ましてくれていた多摩川を気軽に眺めることはできなくなるけれど、環境を変えたかった。
 もう何も我慢しない。我慢しなくても、音楽を続ける方法は、たぶん、いっぱいある。
 そのことを浅葱君に言うと、まずは驚かれた。それから、良かったですね、と言われた。
「越智さんの分は、僕がなんとかするんで。思いっきり、やってください」
「ん。ありがと。浅葱君も彼女できたらいいね」
「余計なお世話です。ちなみに、あのことを紺野さんに言ったら、めちゃくちゃ怒られました。せっかくのチャンスをなんで自ら手放すのかって」
「あはは。それはそれは。いいよ、分かってる。浅葱君は、わたしが怖いんだよね。しょうがない。相性というものも、ありますから」
 実のところ、彼は同居人との生活を楽しんでるんじゃないかと弁当を見て思う。日に日に充実してきているから。
 浅葱君と喋ったのは、それが最後。
 退職後、ひとりで、路上ライブをすることになった。三軒茶屋には、店前で歌わせてくれるところがあったから、そこを利用して新しい曲ができるたびに歌った。オーナーだけがわたしの歌を気に入ってくれている。バイトとしても雇ってくれたから、お金に困ることもしばらくはないだろう。
 好きなものが書けていると思う。わたしのための、わたしだけの曲だ。
「ねえ~、みて、ひとりで歌ってる。誰も聞いてないよ、かわいそー」
 ピンク色の髪をした女が、わたしを馬鹿にするかのように指差し、キモイ声で喋った。その隣にいたスーツの男は、困ったように笑っていた。
 誰も、足を止めてくれない。せいぜい、一人か二人。そんなもんだ。だって、わたしは無名のミュージシャンだから。
 でもいいんだ。
 今、わたしはとても自由だ。思いっきり、音楽を謳歌している。
 とても清々しかった。

5/5ページ
スキ