Short story
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空が明るくなった頃、調べたいことがあり少し早めに出勤して資料室に赴けば、想像通りと言ってしまえばそれまでだけど 先客がいて顔を顰めた。
パイプ椅子をいくつも並べ、サングラスを外しもせず、その長い脚を投げ出して眠っているその人は。
やれやれとため息をついて近付いて、寝る時ぐらい外せば良いのにと手を伸ばして、起こしてしまわないように気をつけながら サングラスを外す。と、その瞬間に手首を掴まれ肩が跳ねたけれど、ほんの数秒前までは閉じられていたはずの瞳と目が合って肩を竦めた。
「…んだよ、七瀬か」
「ごめん、起こした」
「もうそんな時間かよ」
「ううん、今日は私が早く来ただけ」
身体起こした彼に おはよう、なんて今更の挨拶をしながら外したサングラスを手渡せば、陣平はそれを胸のポケットにしまう。室内でも、こうして仮眠をしている時でもサングラスをかけたままにしていることも多い陣平が、私と会話するときは必ずと言って良いほど外してくれる。それが彼にとって何か意味があるのか、それとも無意識なのかは分からないけれど、私はそれを何となく嬉しく思っている。
「もー、また帰らなかったの?」
「帰ったところでやる事ねーんだから、時間の無駄だろ」
「一人で寝られないなら、七瀬ちゃんが一緒に寝てあげようか?」
資料が並べられた本棚の前に移動しながらカラカラと笑って冗談でそんな事を言えば、舐めてんじゃねぇぞと 不満そうな声が返ってきた。
陣平は、あの日からずっと研二の事件を追い続けている。忘れろと言いたいわけではない。むしろ忘れたくないし、忘れてほしくもない。けれど、囚われすぎるのは良くないのだ。焦りこそ最大のトラップ―――彼が良く言う言葉で、まさにその通りだ。気が急くと見えるものも見えなくなってしまう。だからせめて、少し落ち着ける時間も作ってほしい。
「で?」
「うん?」
「それは、何した」
いつの間にか私の背後に立っていた陣平が「それ」と言って睨むように視線を向けたのは、私の頬にできた傷だった。すぐ後ろから声をかけられたことで条件反射的に体の向きを変え、陣平と対面していた事を少し後悔する。「あー…これは、ちょっと昨日ね」誤魔化すように苦笑いで言葉を濁したけれど、まさか陣平がそんな答えで納得するとは思っていない。
「お前、昨日は非番だったろーが」
「そうなんだけど…不良たちに巻き込まれたというか、首を突っ込んだというか…」
「はっ、自分で言ってりゃ世話ねぇな」
居た堪れなくて視線を逸らせば、馬鹿にしたような笑い声が降ってきた。けれどそれは、いつもの余裕のある時の陣平の声色のようで、腹が立つよりも安堵の方が大きく占める。ほっと小さく息を吐いた私に「何があった」と短い言葉で状況説明を求められたけれど、長年の付き合いだから分かる、これは逃してもらえないやつだ。そう悟った私は、昨日の出来事をありのまま彼に話すことをした。
夕方、買い物に出た帰り道。最近よく揉め事を起こしている不良グループの数人が不穏な空気を纏って睨み合っているのを見つけてしまった。人数が少ないから大ごとにはならないだろうとは思ったけれど、睨み合いから怒鳴り合いに発展するまで数分とかからなくて、すぐに署に連絡を入れる。
非番だった私は文字通り“無防備”であったから、少し離れた場所から隠れるように彼らの動向を見守ることにしていたけれど。一人が懐からナイフを取り出したのが見えた瞬間、私は無意識に飛び出していたのだ。刃物を蹴り飛ばし制圧したところでちょうど応援が到着してお役御免となったけれど、その最中で左の頬に一筋の切り傷をもらってしまった。出血も多くなく、この程度なら擦り傷という程度だろう。現にこうして傷を覆うようなテープもしていないのだから。
だから大したことはないのだとそう言えば、そうか、よくやったな、見上げた先の陣平が僅かに表情を緩めて ポンポンと私の頭の撫でた。昔から変わらないその手に言いようのない安心感と、彼に褒められた誇らしさのようなものが胸に広がる。けれど、その直後。キッと陣平の表情は険しくなり、私は再度睨まれることとなった。
「一人で無茶すんな!後先考えず飛び込むなっていつも言ってるだろーが」
「じ、陣平だけには言われたくないし、すぐに応援も来てくれたし!」
「その結果がこれだろ。女が顔に傷作ってんじゃねーよ」
「それは今更でしょ、この仕事してるんだから」
陣平が言いたいことは分かる。幼馴染である私の身を案じてくれているのだ。けれど私だって、この仕事について、この課この係に配属されて、いつでもどこでも無傷でいられるなんて思っていない。それなりの覚悟と誇りを持っているのだ。女だとか、幼馴染だとか、そんな甘えも言い訳もいらない。
これだけは譲れないと 噛み付くように睨み返せば、陣平はガシガシと頭を掻いて、それからゆっくりと息を吐いた。
そう言う話じゃねぇ。ぼそりと面倒臭そうにそう漏らした陣平の手がこちらに伸ばされ、私の肩を抱き寄せる。不意のことに驚いて小さく声を漏らせば、私の身体は彼の腕の中に収まっていた。
「…俺以外の男に傷なんか作らせてんじゃねぇよ」
「…え?」
耳元で囁くように言われた言葉の意味を理解するよりも先に、指をかけて襟が引き下げられたかと思えば 露わになった首筋にガブリ と。狂犬が歯を立てた。
想定外の刺激に小さな悲鳴をあげれば、陣平はさも満足そうな顔でコツンと額を合わせる。間近に見えるのは飽きるほどに見慣れた幼馴染の顔のはずなのに、初めて見る知らない人のようだ。
「なぁ、七瀬」
「陣平…?」
「お前が誰のもんなのか教え込んでやるよ」
「な…!?」
「覚悟してろよ」
私の額を軽く小突いて、挑発的な笑みで言われた言葉の意味を理解できないほど純情じゃなければ、カマトトぶる気もない。けれど、私が今、目の前の食えない男にどんな態度でどんな言葉を返すのが正解なのか分からなかった。
何事もなかったかのように資料室を出て行く背中を ぱくぱくと口を動かしながら見送ることしか出来ずに、首筋に手を触れながら呆然と立ち尽くしているのだ。
パイプ椅子をいくつも並べ、サングラスを外しもせず、その長い脚を投げ出して眠っているその人は。
やれやれとため息をついて近付いて、寝る時ぐらい外せば良いのにと手を伸ばして、起こしてしまわないように気をつけながら サングラスを外す。と、その瞬間に手首を掴まれ肩が跳ねたけれど、ほんの数秒前までは閉じられていたはずの瞳と目が合って肩を竦めた。
「…んだよ、七瀬か」
「ごめん、起こした」
「もうそんな時間かよ」
「ううん、今日は私が早く来ただけ」
身体起こした彼に おはよう、なんて今更の挨拶をしながら外したサングラスを手渡せば、陣平はそれを胸のポケットにしまう。室内でも、こうして仮眠をしている時でもサングラスをかけたままにしていることも多い陣平が、私と会話するときは必ずと言って良いほど外してくれる。それが彼にとって何か意味があるのか、それとも無意識なのかは分からないけれど、私はそれを何となく嬉しく思っている。
「もー、また帰らなかったの?」
「帰ったところでやる事ねーんだから、時間の無駄だろ」
「一人で寝られないなら、七瀬ちゃんが一緒に寝てあげようか?」
資料が並べられた本棚の前に移動しながらカラカラと笑って冗談でそんな事を言えば、舐めてんじゃねぇぞと 不満そうな声が返ってきた。
陣平は、あの日からずっと研二の事件を追い続けている。忘れろと言いたいわけではない。むしろ忘れたくないし、忘れてほしくもない。けれど、囚われすぎるのは良くないのだ。焦りこそ最大のトラップ―――彼が良く言う言葉で、まさにその通りだ。気が急くと見えるものも見えなくなってしまう。だからせめて、少し落ち着ける時間も作ってほしい。
「で?」
「うん?」
「それは、何した」
いつの間にか私の背後に立っていた陣平が「それ」と言って睨むように視線を向けたのは、私の頬にできた傷だった。すぐ後ろから声をかけられたことで条件反射的に体の向きを変え、陣平と対面していた事を少し後悔する。「あー…これは、ちょっと昨日ね」誤魔化すように苦笑いで言葉を濁したけれど、まさか陣平がそんな答えで納得するとは思っていない。
「お前、昨日は非番だったろーが」
「そうなんだけど…不良たちに巻き込まれたというか、首を突っ込んだというか…」
「はっ、自分で言ってりゃ世話ねぇな」
居た堪れなくて視線を逸らせば、馬鹿にしたような笑い声が降ってきた。けれどそれは、いつもの余裕のある時の陣平の声色のようで、腹が立つよりも安堵の方が大きく占める。ほっと小さく息を吐いた私に「何があった」と短い言葉で状況説明を求められたけれど、長年の付き合いだから分かる、これは逃してもらえないやつだ。そう悟った私は、昨日の出来事をありのまま彼に話すことをした。
夕方、買い物に出た帰り道。最近よく揉め事を起こしている不良グループの数人が不穏な空気を纏って睨み合っているのを見つけてしまった。人数が少ないから大ごとにはならないだろうとは思ったけれど、睨み合いから怒鳴り合いに発展するまで数分とかからなくて、すぐに署に連絡を入れる。
非番だった私は文字通り“無防備”であったから、少し離れた場所から隠れるように彼らの動向を見守ることにしていたけれど。一人が懐からナイフを取り出したのが見えた瞬間、私は無意識に飛び出していたのだ。刃物を蹴り飛ばし制圧したところでちょうど応援が到着してお役御免となったけれど、その最中で左の頬に一筋の切り傷をもらってしまった。出血も多くなく、この程度なら擦り傷という程度だろう。現にこうして傷を覆うようなテープもしていないのだから。
だから大したことはないのだとそう言えば、そうか、よくやったな、見上げた先の陣平が僅かに表情を緩めて ポンポンと私の頭の撫でた。昔から変わらないその手に言いようのない安心感と、彼に褒められた誇らしさのようなものが胸に広がる。けれど、その直後。キッと陣平の表情は険しくなり、私は再度睨まれることとなった。
「一人で無茶すんな!後先考えず飛び込むなっていつも言ってるだろーが」
「じ、陣平だけには言われたくないし、すぐに応援も来てくれたし!」
「その結果がこれだろ。女が顔に傷作ってんじゃねーよ」
「それは今更でしょ、この仕事してるんだから」
陣平が言いたいことは分かる。幼馴染である私の身を案じてくれているのだ。けれど私だって、この仕事について、この課この係に配属されて、いつでもどこでも無傷でいられるなんて思っていない。それなりの覚悟と誇りを持っているのだ。女だとか、幼馴染だとか、そんな甘えも言い訳もいらない。
これだけは譲れないと 噛み付くように睨み返せば、陣平はガシガシと頭を掻いて、それからゆっくりと息を吐いた。
そう言う話じゃねぇ。ぼそりと面倒臭そうにそう漏らした陣平の手がこちらに伸ばされ、私の肩を抱き寄せる。不意のことに驚いて小さく声を漏らせば、私の身体は彼の腕の中に収まっていた。
「…俺以外の男に傷なんか作らせてんじゃねぇよ」
「…え?」
耳元で囁くように言われた言葉の意味を理解するよりも先に、指をかけて襟が引き下げられたかと思えば 露わになった首筋にガブリ と。狂犬が歯を立てた。
想定外の刺激に小さな悲鳴をあげれば、陣平はさも満足そうな顔でコツンと額を合わせる。間近に見えるのは飽きるほどに見慣れた幼馴染の顔のはずなのに、初めて見る知らない人のようだ。
「なぁ、七瀬」
「陣平…?」
「お前が誰のもんなのか教え込んでやるよ」
「な…!?」
「覚悟してろよ」
私の額を軽く小突いて、挑発的な笑みで言われた言葉の意味を理解できないほど純情じゃなければ、カマトトぶる気もない。けれど、私が今、目の前の食えない男にどんな態度でどんな言葉を返すのが正解なのか分からなかった。
何事もなかったかのように資料室を出て行く背中を ぱくぱくと口を動かしながら見送ることしか出来ずに、首筋に手を触れながら呆然と立ち尽くしているのだ。
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