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「明日からどうするんだっけ?」
「へ?」
新年度の始業式を翌日に控えたその日、夕食を終えて洗い物に取り掛かろうとしていた私に、流し台まで食器を下げてきてくれた鉄くんが 徐にそんな事を言った。質問の意図が分からずに間抜けな声を漏らしてキョトンと彼の顔を見上げる私に、悪い悪いと鉄くんは苦笑いを浮かべる。
「新学期始まるだろ。苗字どうすんのかなーって」
「ああ、なるほど。黒尾にするよ」
なんて事のないように答えて蛇口を捻った私に 彼は目を瞬かせ、いいのかよ、と そう問うた。けれど私の中でそれは、良いとか悪いとか、そういう次元の話ではない。だからやっぱり、なんて事のないように口を開いた。
「だって私は黒尾七瀬だもん。友達にも慣れてもらうしかないよ」
「……ある事ない事 言われんぞ」
それは、純粋な心配だろう。私と彼が春休みを境に“兄妹”となったと知った同級生たちは、果たしてどんな反応をするだろう。好奇の目を向けられたり、詮索されたり、あることないこと噂されることは想像に容易い。
「言いたい人には言わせておけば良いよ」
「強いなぁ七瀬は」
「誰が何を言ったって、私は鉄くんのことよく知ってるもの」
他人は関係ない。そういう意味で返した私の言葉に 少し驚いたように目を見開いた鉄くんは、ははっと軽やかに笑った。その意図が分からずに私は首を傾げる。
「七瀬のそういうのって、わざと?」
「そういうの…?」
「いや。七瀬はいい子だなって話だよ」
そう言って笑いながらグシャグシャと私の頭を撫でる大きな手は コウちゃんとは全然違っていて、だけどどこか同じような気もした。
◇
新学期が始まって1週間。予想通り友人には色々と聞かれたりもしたし、ある事ない事 噂しれたりもしている。実は付き合っているとか、やりたい放題だとか。興味の対象にされるのは仕方ないとも思うし、高校生という年頃を考えればきっと無理もない話であるとも思う。だから噂だってくだらないと思うし、その内容についていちいち反応する気もない。もちろん、面と向かって問われれば事実を答えるけれど。
そんな1週間だったから、余計な疲れが溜まっているのかもしれない。今日は随分と体が重たい。
「佐倉」
昼休み、飲み物を買いに1人で自販機へと向かっていると後ろから名前を呼ばれる。呼ばれ慣れた、だけど今の私には正しくない名前。それをわざわざ訂正する気もないので何食わぬ顔で振り返れば、去年から2年連続で同じクラスの佐竹くんがいた。続けてクラスメイトになったとは言え、個人的な会話をしたことなどほとんど記憶にはない彼に呼び止められた理由が見当たらない。「なぁに?」純粋な疑問で首を傾げながらそう問うた。
「3年の黒尾さんと一緒に住んでるって本当かよ」
「…その言い方だと語弊があるけど、間違ってはないよ」
またその話題か、と思う。“一緒に住んでいる”というとまるで同棲でもしているみたいに聴こえてしまうけれど、私たちはそうじゃない。親同士が夫婦となり、そのついでに私たちは兄妹となり、家族なのだから同じ家に住んでいる。それだけの話だ。もちろん義兄の人間性を知る私には、その事に対する不満など一切存在していないけれど。
「おかしいだろ、高校生が突然一緒に住み始めるなんて!」
「そう?家族が別居する方が余程おかしいと思うけど」
「…やっぱり、あの噂は本当なんじゃねーの?」
「うわさ…?」
「佐倉と黒尾さんはヤリまくりだって!」
その言葉にぱちぱちと目を瞬かせて、それから思わず笑ってしまった。みんな本当好きだよね、そういう話。嘲るように笑ってポツリと零した私のそんな言葉に、佐竹くんは眉を寄せた。
私と鉄くんが春休みの間に一緒に住むようになっていたなんて、高校生という年頃には敏感な話題で、こういう事を言われるのだって想定内だ。周りにどう思われたって、何を言われたって構わない。だって、バレー部のみんなや親しい友人たちは、本当のことをちゃんと分かってくれている。私たちにはそれだけで充分で、それ以外の人たちの妄想に付き合う気など最初からないのだから。
「貴方がそう思うなら、“そう”なんじゃないの」
「…否定しないのかよ」
「相手してられないから。それに、それが事実だったとして、誰かに迷惑かける?」
「――そういう事」
「!」
不意に背後からそんな声が聞こえたのと同時に頭を引き寄せられ、トン、と後頭部が何かに触れた。振り返り見上げた先に居たのは、私ともう一人の話題の人物である義兄に他ならない。鉄くんが私の頭を抱き寄せた事で、頭部が彼の胸元に触れたのだとすぐに理解が及んだ。
「鉄くん」
「俺たち、君に何か迷惑かけてる?」
「め、迷惑はかけてなくても普通に考えたら道徳的に」
「道徳とかの話じゃなくてさ。君のそれは、俺に対する単純な嫉妬じゃねえの?」
見上げた先の鉄くんが挑発的に笑ったのと同時に、その口元が私の髪に触れた。それに驚いた私が間抜けな声を出すよりも、佐竹くんが明らかに動揺した声を発する方が早かった。顔を真っ赤にしてわなわなと震える彼が抱いていたのは、怒りか、羞恥か、それとも他の何かだったのか。好きなだけヤッてろ、と そう叫んで逃げるように走り去るクラスメイトの背中を、私は呆然と見送った。
「すごい捨て台詞…」
「はっ、分かりやすすぎだっつーの」
ぱっと私から離れた鉄くんは、佐竹くんが走り去った方を見ながら心底愉快そうにカラカラと笑っている。間違いなく愉快犯だ。本当に、人を煽らせたら天才的なんだと思う。それだけ言えば聞こえは悪いけれど、効果的で的確な煽りができるというのはきっと、それだけ他人をよく見ているという事。空気を読む能力だったり、観察眼、洞察力―――鉄くんは恐らくそういうものに長けていて、だからこそ主将という役割も適任で、そして私は きっとこの人に隠し事など出来ないのだろうと思っている。
そんな思いが入り混じって、特に意味はないけれどゆっくりと息を吐き出した。
「まぁいっか、ありがとう鉄くん」
「いや、悪かったな。俺は出て行かない方がいいとは思ったけど…つい」
「?」
何かを言いたげに濁された言葉に首を傾げるけれど、彼はジッと私の目を見るだけでそれ以上は何も言わない。きっと問うても答えてもらえないと分かっているから、私は諦めてもう一度 小さく息を吐いた。
ああ、今の佐竹くんとのやりとりで余計に疲れてしまったのだろうか。頭が重たくなったような気がして僅かに目を伏せた時、今度は鉄くんが不意に私の手首を掴んだ。
「そんなことより」
「え…う、わっ」
それ以上は何も言わず、彼は私の手を引いて歩き出した。まだ飲み物買ってないなんだけど、という文句を口にする間も与えられず、どこか急いている彼の後ろに必死で続く。足の長い彼と私とでは歩幅は大きく違っていて、頑張らなければ簡単に転んでしまいそうだ。
全力疾走をしたわけでもないのに早々に乱れ始めた呼吸に自分でも首を傾げたくなったところで、ふらりと足元が揺らいだ。転びそうになるのを何とか堪えて立て直した瞬間、急ぎ足だった鉄くんが歩みを止めてこちらを振り返る。どうしたの、と問うより先に 少し焦ったように言葉を発したのは彼の方だった。
「悪い、走らせるべきじゃなかった」
「え?…え、ちょ、ちょっと鉄くん!」
ふわり、と。心当たりのない謝罪を述べられたかと思うと、私の足は地面から離れてしまっていた。その理由が所謂“お姫様抱っこ”をされたからだと 理解するまでにそう時間はかからなくて、下ろしてと 私を抱える腕から抜け出そうと脚をバタつかせる。けれどそんな私の抵抗など大して気にした様子もなく、鉄くんはこちらを見下ろした。
「七瀬さ、熱あるだろ」
「…へ?」
「保健室行くぞ。暴れたら落とします」
ニヤリと悪戯っぽく言われたその言葉は、冗談なんかじゃないと思わせる何かがあった。このまま暴れ続けたら本当に落とされるかもしれない。それは嫌だ、だけど抱き上げられた状態で校内を歩かれるのは恥ずかしすぎる。隠すように顔を義兄の肩口に埋めて、ゆっくり歩くので下ろしてくださいと 弱々しく請えば、クツクツと喉奥で笑う声が間近で聞こえた。
「へ?」
新年度の始業式を翌日に控えたその日、夕食を終えて洗い物に取り掛かろうとしていた私に、流し台まで食器を下げてきてくれた鉄くんが 徐にそんな事を言った。質問の意図が分からずに間抜けな声を漏らしてキョトンと彼の顔を見上げる私に、悪い悪いと鉄くんは苦笑いを浮かべる。
「新学期始まるだろ。苗字どうすんのかなーって」
「ああ、なるほど。黒尾にするよ」
なんて事のないように答えて蛇口を捻った私に 彼は目を瞬かせ、いいのかよ、と そう問うた。けれど私の中でそれは、良いとか悪いとか、そういう次元の話ではない。だからやっぱり、なんて事のないように口を開いた。
「だって私は黒尾七瀬だもん。友達にも慣れてもらうしかないよ」
「……ある事ない事 言われんぞ」
それは、純粋な心配だろう。私と彼が春休みを境に“兄妹”となったと知った同級生たちは、果たしてどんな反応をするだろう。好奇の目を向けられたり、詮索されたり、あることないこと噂されることは想像に容易い。
「言いたい人には言わせておけば良いよ」
「強いなぁ七瀬は」
「誰が何を言ったって、私は鉄くんのことよく知ってるもの」
他人は関係ない。そういう意味で返した私の言葉に 少し驚いたように目を見開いた鉄くんは、ははっと軽やかに笑った。その意図が分からずに私は首を傾げる。
「七瀬のそういうのって、わざと?」
「そういうの…?」
「いや。七瀬はいい子だなって話だよ」
そう言って笑いながらグシャグシャと私の頭を撫でる大きな手は コウちゃんとは全然違っていて、だけどどこか同じような気もした。
◇
新学期が始まって1週間。予想通り友人には色々と聞かれたりもしたし、ある事ない事 噂しれたりもしている。実は付き合っているとか、やりたい放題だとか。興味の対象にされるのは仕方ないとも思うし、高校生という年頃を考えればきっと無理もない話であるとも思う。だから噂だってくだらないと思うし、その内容についていちいち反応する気もない。もちろん、面と向かって問われれば事実を答えるけれど。
そんな1週間だったから、余計な疲れが溜まっているのかもしれない。今日は随分と体が重たい。
「佐倉」
昼休み、飲み物を買いに1人で自販機へと向かっていると後ろから名前を呼ばれる。呼ばれ慣れた、だけど今の私には正しくない名前。それをわざわざ訂正する気もないので何食わぬ顔で振り返れば、去年から2年連続で同じクラスの佐竹くんがいた。続けてクラスメイトになったとは言え、個人的な会話をしたことなどほとんど記憶にはない彼に呼び止められた理由が見当たらない。「なぁに?」純粋な疑問で首を傾げながらそう問うた。
「3年の黒尾さんと一緒に住んでるって本当かよ」
「…その言い方だと語弊があるけど、間違ってはないよ」
またその話題か、と思う。“一緒に住んでいる”というとまるで同棲でもしているみたいに聴こえてしまうけれど、私たちはそうじゃない。親同士が夫婦となり、そのついでに私たちは兄妹となり、家族なのだから同じ家に住んでいる。それだけの話だ。もちろん義兄の人間性を知る私には、その事に対する不満など一切存在していないけれど。
「おかしいだろ、高校生が突然一緒に住み始めるなんて!」
「そう?家族が別居する方が余程おかしいと思うけど」
「…やっぱり、あの噂は本当なんじゃねーの?」
「うわさ…?」
「佐倉と黒尾さんはヤリまくりだって!」
その言葉にぱちぱちと目を瞬かせて、それから思わず笑ってしまった。みんな本当好きだよね、そういう話。嘲るように笑ってポツリと零した私のそんな言葉に、佐竹くんは眉を寄せた。
私と鉄くんが春休みの間に一緒に住むようになっていたなんて、高校生という年頃には敏感な話題で、こういう事を言われるのだって想定内だ。周りにどう思われたって、何を言われたって構わない。だって、バレー部のみんなや親しい友人たちは、本当のことをちゃんと分かってくれている。私たちにはそれだけで充分で、それ以外の人たちの妄想に付き合う気など最初からないのだから。
「貴方がそう思うなら、“そう”なんじゃないの」
「…否定しないのかよ」
「相手してられないから。それに、それが事実だったとして、誰かに迷惑かける?」
「――そういう事」
「!」
不意に背後からそんな声が聞こえたのと同時に頭を引き寄せられ、トン、と後頭部が何かに触れた。振り返り見上げた先に居たのは、私ともう一人の話題の人物である義兄に他ならない。鉄くんが私の頭を抱き寄せた事で、頭部が彼の胸元に触れたのだとすぐに理解が及んだ。
「鉄くん」
「俺たち、君に何か迷惑かけてる?」
「め、迷惑はかけてなくても普通に考えたら道徳的に」
「道徳とかの話じゃなくてさ。君のそれは、俺に対する単純な嫉妬じゃねえの?」
見上げた先の鉄くんが挑発的に笑ったのと同時に、その口元が私の髪に触れた。それに驚いた私が間抜けな声を出すよりも、佐竹くんが明らかに動揺した声を発する方が早かった。顔を真っ赤にしてわなわなと震える彼が抱いていたのは、怒りか、羞恥か、それとも他の何かだったのか。好きなだけヤッてろ、と そう叫んで逃げるように走り去るクラスメイトの背中を、私は呆然と見送った。
「すごい捨て台詞…」
「はっ、分かりやすすぎだっつーの」
ぱっと私から離れた鉄くんは、佐竹くんが走り去った方を見ながら心底愉快そうにカラカラと笑っている。間違いなく愉快犯だ。本当に、人を煽らせたら天才的なんだと思う。それだけ言えば聞こえは悪いけれど、効果的で的確な煽りができるというのはきっと、それだけ他人をよく見ているという事。空気を読む能力だったり、観察眼、洞察力―――鉄くんは恐らくそういうものに長けていて、だからこそ主将という役割も適任で、そして私は きっとこの人に隠し事など出来ないのだろうと思っている。
そんな思いが入り混じって、特に意味はないけれどゆっくりと息を吐き出した。
「まぁいっか、ありがとう鉄くん」
「いや、悪かったな。俺は出て行かない方がいいとは思ったけど…つい」
「?」
何かを言いたげに濁された言葉に首を傾げるけれど、彼はジッと私の目を見るだけでそれ以上は何も言わない。きっと問うても答えてもらえないと分かっているから、私は諦めてもう一度 小さく息を吐いた。
ああ、今の佐竹くんとのやりとりで余計に疲れてしまったのだろうか。頭が重たくなったような気がして僅かに目を伏せた時、今度は鉄くんが不意に私の手首を掴んだ。
「そんなことより」
「え…う、わっ」
それ以上は何も言わず、彼は私の手を引いて歩き出した。まだ飲み物買ってないなんだけど、という文句を口にする間も与えられず、どこか急いている彼の後ろに必死で続く。足の長い彼と私とでは歩幅は大きく違っていて、頑張らなければ簡単に転んでしまいそうだ。
全力疾走をしたわけでもないのに早々に乱れ始めた呼吸に自分でも首を傾げたくなったところで、ふらりと足元が揺らいだ。転びそうになるのを何とか堪えて立て直した瞬間、急ぎ足だった鉄くんが歩みを止めてこちらを振り返る。どうしたの、と問うより先に 少し焦ったように言葉を発したのは彼の方だった。
「悪い、走らせるべきじゃなかった」
「え?…え、ちょ、ちょっと鉄くん!」
ふわり、と。心当たりのない謝罪を述べられたかと思うと、私の足は地面から離れてしまっていた。その理由が所謂“お姫様抱っこ”をされたからだと 理解するまでにそう時間はかからなくて、下ろしてと 私を抱える腕から抜け出そうと脚をバタつかせる。けれどそんな私の抵抗など大して気にした様子もなく、鉄くんはこちらを見下ろした。
「七瀬さ、熱あるだろ」
「…へ?」
「保健室行くぞ。暴れたら落とします」
ニヤリと悪戯っぽく言われたその言葉は、冗談なんかじゃないと思わせる何かがあった。このまま暴れ続けたら本当に落とされるかもしれない。それは嫌だ、だけど抱き上げられた状態で校内を歩かれるのは恥ずかしすぎる。隠すように顔を義兄の肩口に埋めて、ゆっくり歩くので下ろしてくださいと 弱々しく請えば、クツクツと喉奥で笑う声が間近で聞こえた。