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あの夜、耳元で聞こえた声がずっと頭の中で繰り返されている。
――― 七瀬はしねぇの?
それはまるで、鉄くんが私に“勘違い”してほしがっているようにも取れてしまうような。仮にそうだとして、鉄くんが私に勘違いしてほしい理由とは。
そこまで考えて、自己嫌悪に陥るまでがワンセットだ。
(…都合良すぎ)
そもそともあの言葉さえ、ただの聞き間違いの可能性だって高いのだ。
鉄くんにとって私が妹ではなく“女の子”であればいいのに。
心の奥底に隠す願望がもたらした聞き間違いで、それなのにあまりにも都合の良い方向に解釈しすぎだろう。希望を持つな、夢を見るな、期待するな。私たちは“きょうだい”なのだ。何度も何度も自分に言い聞かせている。
「合宿…って、森然高校でやるっていう?」
「そ。行くだろ?」
ソファに座って明日の天気予報を見ていた私の隣に腰を下ろした鉄くんは、身体を私の方に向け、背もたれで頬杖つくようにこちらを見ていた。
夏休みに入れば森然高校で合宿をするのだとコウちゃんに聞いたことがある。その時期が近付いてきているから、鉄くんは前回の仙台遠征と同様に私を誘ってくれている、わけなのだが。
「迷惑じゃない?」
「まさか。それに、一週間も七瀬を一人にしたくねえし」
こちらに伸びてきた鉄くんの手が、私の頬に触れる。大切な、愛しいものに触れているかのような手つきと眼差しに思い上がってしまいそうになる。
あの日から勘違いしないように、自惚れないようにと必死に平静を装う私をよそに、鉄くんはやたらと距離が近い、ような気がする。
顔に熱が集まるのを感じながら、こんな意識していますと言わんばかりの反応を悟られたくなくて、俯いて顔を隠した。
「て、鉄くんなんか最近」
「ん?」
「……!」
不意に下から顔を覗きこまれて息が止まり、言葉の続きが出てこない。好きな人が、急にこんな近距離で視界に入ってきてドギマギするなと言う方が無理な話だ。鉄くんは私の気持ちに気付いていて、揶揄われているのではないかとも思うけれど、鉄くんはそういうのを揶揄うような人ではないと知っている。だったら、これはなんだと言うのだ。
「……合宿は、ご一緒させていただきます」
「よし、じゃあ先生に伝えとく」
「迷惑かけないように頑張ります」
「七瀬がいてくれると助かるよ」
俯いたまま答えた私の髪を撫でる優しい手が好きだ。もう、重症じゃないか。この気持ちは隠して妹として接すると決めたのに、全然隠しきれてない。
私がこんな感情を抱いていることを鉄くんに知られたら、距離を置かれてしまうに違いない。そう考えたら、ぎゅうっと心臓が痛んだ気がした。
◇
就寝準備を整え、鉄くんと挨拶を交わしてからそれぞれの部屋に入る。
私も合宿行くよ、と歯磨きしながらコウちゃんにメッセージを送ったのは約10分前。ピコンと通知音が鳴った携帯を開けば、電話できる?という幼馴染からの短い言葉だった。
大丈夫だよと返信してから発信しようとしていたら、私がかけるよりも先に着信があり、画面には“コウちゃん”の文字が表示された。
「もしもし」
『おー七瀬、急に悪ぃな』
「ううん、大丈夫だよ。どうしたの?」
『いや、なんか最近七瀬の声聞いてなかったなと思って』
確かに、だ。引越し前はゆっくり言葉を交わすことはなくても、玄関先で挨拶するぐらいはよくあることだった。なのに今では、声を聞こうと思わないと聞けないのかと思うと寂しくなる。
「そう言われるとそうだね」
『俺たまに無意識に七瀬探しちゃうもんなー』
「あ、コウちゃん私に会えなくて寂しいんだ」
『当たり前だろ。……会いてぇなぁ』
茶化すように言った私の言葉は否定されることなんてなくて、ポツリと呟くような声にどきりとする。コウちゃんの言葉には、いつだって裏がない。良くも悪くも、いつでも真っ直ぐな本心なのだ。
「コウちゃんって、そういうこと言うキャラだっけ」
『キャラかどうかは分かんねーけど、最近よく思うよ』
「……?」
『七瀬の顔が見たいなって』
あまりにも真っ直ぐに伝えられた言葉に、私の真ん中の部分が大きく揺さぶられたような気がした。少女漫画の主人公にでもなったような気分になる。
けれどもそれは、私が鉄くんとのなんだかんだで恋愛脳になってしまっているからなのだろう。コウちゃんは、幼馴染としてこれまで当たり前だった距離感が変わってしまったことを言っているに過ぎない。ダメだなぁと苦笑いを漏らす。
「もー、そんな言い方されると照れちゃうじゃん」
『照れるだけ?』
「え?」
『…いや、なんでもねぇよ。合宿で会えんの楽しみだな!』
いつも通りのコウちゃんの明るい声に肯定の返事を返して、そのあとは他愛もない話で時折笑い声がこぼれたりもして。しばらく会えていなくても、こうして笑い合える存在に安心する。
コウちゃんが幼馴染で良かったな、なんて思いながら。
『じゃ、また合宿でな!』
「うん。おやすみコウちゃん」
『おやすみ』
通話を終えた時に表示された時計を見れば、何だかんだと10分ほど話し込んでしまっていたようだ。眠る前に少し飲み物を飲もうと部屋を出て一階へと向かう。
キッチンでお茶を飲んでいると、トントンと階段を下りる足音が聞こえてきた。扉の方へと視線を向ければ、そこから姿を現したのは義兄に他ならない。
「あれ、鉄くんも飲み物?」
「まぁそんなとこ」
「お茶でいい?」
棚からコップを取ろうとした私の背後に来た鉄くんは、新しいものを取り出すより先に私の手を掴んでそれを制する。
飲み物を飲むならコップは必要じゃないのだろうか。意図が掴めず、首を傾げて振り返った。
「電話かなんかしてた?」
「え…あ、ごめん!うるさかったよね」
「いや、全然。うるさいほど聞こえてねぇよ」
「ほんと?それなら良かったけど」
「楽しそうな声色だった気はしたから」
「なんかコウちゃんと盛り上がっちゃって」
私が通話していた声が、隣の鉄くんの部屋まで聞こえて眠りを妨げてしてしまったのかと思ったけれど、どうやらそういう訳ではなかったようで安堵する。とはいえ、何かを話しているのが分かる程度に音が伝わってしまっていたのは事実なのだ。その申し訳なさから肩をすくめて簡潔に事情を説明すれば、何か言いたそうな鉄くんの視線が向けられた。
「……?」
「これでいいよ」
「へ、え!?」
洗い物増えるだろ、とそう言って彼は私が手に持っていた物を取り上げた。
私が、使っていたコップ。鉄くんは何食わぬ顔でコップにお茶を注いで飲んでいるけれど、それはつまり、私が口をつけていたもので。
間接キスとか、ペットボトルじゃないんだから私が口をつけた部分でなければ別に…とか、そもそも兄妹でそんなこと意識するほうが間違っているのか?とか。頭の中で思考が目まぐるしく回っていく。
飲み終えたコップを流しに置いた鉄くんの顔が耳元に寄せられる。
「おやすみ、七瀬」
間近で囁かれたその声に、へたり込みそうになるのをなんとか堪えるのに必死だった。
――― 七瀬はしねぇの?
それはまるで、鉄くんが私に“勘違い”してほしがっているようにも取れてしまうような。仮にそうだとして、鉄くんが私に勘違いしてほしい理由とは。
そこまで考えて、自己嫌悪に陥るまでがワンセットだ。
(…都合良すぎ)
そもそともあの言葉さえ、ただの聞き間違いの可能性だって高いのだ。
鉄くんにとって私が妹ではなく“女の子”であればいいのに。
心の奥底に隠す願望がもたらした聞き間違いで、それなのにあまりにも都合の良い方向に解釈しすぎだろう。希望を持つな、夢を見るな、期待するな。私たちは“きょうだい”なのだ。何度も何度も自分に言い聞かせている。
「合宿…って、森然高校でやるっていう?」
「そ。行くだろ?」
ソファに座って明日の天気予報を見ていた私の隣に腰を下ろした鉄くんは、身体を私の方に向け、背もたれで頬杖つくようにこちらを見ていた。
夏休みに入れば森然高校で合宿をするのだとコウちゃんに聞いたことがある。その時期が近付いてきているから、鉄くんは前回の仙台遠征と同様に私を誘ってくれている、わけなのだが。
「迷惑じゃない?」
「まさか。それに、一週間も七瀬を一人にしたくねえし」
こちらに伸びてきた鉄くんの手が、私の頬に触れる。大切な、愛しいものに触れているかのような手つきと眼差しに思い上がってしまいそうになる。
あの日から勘違いしないように、自惚れないようにと必死に平静を装う私をよそに、鉄くんはやたらと距離が近い、ような気がする。
顔に熱が集まるのを感じながら、こんな意識していますと言わんばかりの反応を悟られたくなくて、俯いて顔を隠した。
「て、鉄くんなんか最近」
「ん?」
「……!」
不意に下から顔を覗きこまれて息が止まり、言葉の続きが出てこない。好きな人が、急にこんな近距離で視界に入ってきてドギマギするなと言う方が無理な話だ。鉄くんは私の気持ちに気付いていて、揶揄われているのではないかとも思うけれど、鉄くんはそういうのを揶揄うような人ではないと知っている。だったら、これはなんだと言うのだ。
「……合宿は、ご一緒させていただきます」
「よし、じゃあ先生に伝えとく」
「迷惑かけないように頑張ります」
「七瀬がいてくれると助かるよ」
俯いたまま答えた私の髪を撫でる優しい手が好きだ。もう、重症じゃないか。この気持ちは隠して妹として接すると決めたのに、全然隠しきれてない。
私がこんな感情を抱いていることを鉄くんに知られたら、距離を置かれてしまうに違いない。そう考えたら、ぎゅうっと心臓が痛んだ気がした。
◇
就寝準備を整え、鉄くんと挨拶を交わしてからそれぞれの部屋に入る。
私も合宿行くよ、と歯磨きしながらコウちゃんにメッセージを送ったのは約10分前。ピコンと通知音が鳴った携帯を開けば、電話できる?という幼馴染からの短い言葉だった。
大丈夫だよと返信してから発信しようとしていたら、私がかけるよりも先に着信があり、画面には“コウちゃん”の文字が表示された。
「もしもし」
『おー七瀬、急に悪ぃな』
「ううん、大丈夫だよ。どうしたの?」
『いや、なんか最近七瀬の声聞いてなかったなと思って』
確かに、だ。引越し前はゆっくり言葉を交わすことはなくても、玄関先で挨拶するぐらいはよくあることだった。なのに今では、声を聞こうと思わないと聞けないのかと思うと寂しくなる。
「そう言われるとそうだね」
『俺たまに無意識に七瀬探しちゃうもんなー』
「あ、コウちゃん私に会えなくて寂しいんだ」
『当たり前だろ。……会いてぇなぁ』
茶化すように言った私の言葉は否定されることなんてなくて、ポツリと呟くような声にどきりとする。コウちゃんの言葉には、いつだって裏がない。良くも悪くも、いつでも真っ直ぐな本心なのだ。
「コウちゃんって、そういうこと言うキャラだっけ」
『キャラかどうかは分かんねーけど、最近よく思うよ』
「……?」
『七瀬の顔が見たいなって』
あまりにも真っ直ぐに伝えられた言葉に、私の真ん中の部分が大きく揺さぶられたような気がした。少女漫画の主人公にでもなったような気分になる。
けれどもそれは、私が鉄くんとのなんだかんだで恋愛脳になってしまっているからなのだろう。コウちゃんは、幼馴染としてこれまで当たり前だった距離感が変わってしまったことを言っているに過ぎない。ダメだなぁと苦笑いを漏らす。
「もー、そんな言い方されると照れちゃうじゃん」
『照れるだけ?』
「え?」
『…いや、なんでもねぇよ。合宿で会えんの楽しみだな!』
いつも通りのコウちゃんの明るい声に肯定の返事を返して、そのあとは他愛もない話で時折笑い声がこぼれたりもして。しばらく会えていなくても、こうして笑い合える存在に安心する。
コウちゃんが幼馴染で良かったな、なんて思いながら。
『じゃ、また合宿でな!』
「うん。おやすみコウちゃん」
『おやすみ』
通話を終えた時に表示された時計を見れば、何だかんだと10分ほど話し込んでしまっていたようだ。眠る前に少し飲み物を飲もうと部屋を出て一階へと向かう。
キッチンでお茶を飲んでいると、トントンと階段を下りる足音が聞こえてきた。扉の方へと視線を向ければ、そこから姿を現したのは義兄に他ならない。
「あれ、鉄くんも飲み物?」
「まぁそんなとこ」
「お茶でいい?」
棚からコップを取ろうとした私の背後に来た鉄くんは、新しいものを取り出すより先に私の手を掴んでそれを制する。
飲み物を飲むならコップは必要じゃないのだろうか。意図が掴めず、首を傾げて振り返った。
「電話かなんかしてた?」
「え…あ、ごめん!うるさかったよね」
「いや、全然。うるさいほど聞こえてねぇよ」
「ほんと?それなら良かったけど」
「楽しそうな声色だった気はしたから」
「なんかコウちゃんと盛り上がっちゃって」
私が通話していた声が、隣の鉄くんの部屋まで聞こえて眠りを妨げてしてしまったのかと思ったけれど、どうやらそういう訳ではなかったようで安堵する。とはいえ、何かを話しているのが分かる程度に音が伝わってしまっていたのは事実なのだ。その申し訳なさから肩をすくめて簡潔に事情を説明すれば、何か言いたそうな鉄くんの視線が向けられた。
「……?」
「これでいいよ」
「へ、え!?」
洗い物増えるだろ、とそう言って彼は私が手に持っていた物を取り上げた。
私が、使っていたコップ。鉄くんは何食わぬ顔でコップにお茶を注いで飲んでいるけれど、それはつまり、私が口をつけていたもので。
間接キスとか、ペットボトルじゃないんだから私が口をつけた部分でなければ別に…とか、そもそも兄妹でそんなこと意識するほうが間違っているのか?とか。頭の中で思考が目まぐるしく回っていく。
飲み終えたコップを流しに置いた鉄くんの顔が耳元に寄せられる。
「おやすみ、七瀬」
間近で囁かれたその声に、へたり込みそうになるのをなんとか堪えるのに必死だった。
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