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6月。梅雨入りが発表されてからしばらくが経ち、すっきりしない天気がずっと続いている。
その日もまた、朝から強い雨が降っていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
雨の音とテレビのニュースをBGMに夕食の支度をしていた20時過ぎ。玄関の方から物音が聞こえ、そのあと鉄くんがリビングへと顔を出した。先にシャワーを浴びるという鉄くんを見送って、すぐに食事が取れるようにおかずを温め直す。
バレーボールは屋内競技だから、雨が降ろうと関係なく練習ができてしまうから大変だ。いや、屋外競技も雨の日は筋トレなんかに徹していて大変なはずで、種目を問わずスポーツに打ち込む全ての選手に人知れずひっそりと敬意を表しながら手を動かした。
味噌汁を温め終えて火を消したところで、ちょうど彼が戻ってきたので一緒に夕食を取ることにする。雷が鳴り始めたのもその時だった。ダイニングテーブルに向かいって座り、話す話題は毎日のことなのに尽きることはないから不思議だ。授業のこと、友達のこと、テストのこと、インターハイ予選のこと。たわいない会話をしながら流れるこの時間が好きだ。だから私はどんなにお腹が空いている日でも、先にお風呂に入ったり、明日の用意をしたり、何だかんだと食事はせずに鉄くんの帰りを待っている。
「ごちそーさん。今日も美味かった」
「お粗末さまでした」
そして鉄くんは食事の前後には必ず両手を合わせ、美味そうだ、美味かったと労ってくれる。正直、楽ではない家事全般が苦でも負担でもなく、やり甲斐を感じられるのは全てこの人のお陰だと思う。鉄くんが労ってくれるから、私は当然のようにこなせるのだ。
時折聞こえた雷鳴を気にも止めず、今日も和やかに夕食を終える。空になった食器を下げようと椅子から立ち上がった瞬間。
窓から閃光が差し込むと同時に地響きがするような轟音、そしてブツンと テレビも部屋の照明も、全ての電気が“落ちた”。
「――っ!」
「七瀬!?」
部屋が暗転した直後、自分の肩を抱き締めるようにしてしゃがみ込んだ私の姿が見えたのかは定かじゃないけれど、鉄くんが慌てたように私の名前を呼ぶ。返事もできずにいれば、彼は携帯で照らしながら駆け寄って来てくれた。大丈夫かと心配そうに背中に触れる手の温かさに安堵して、彼の顔を見上げて できる限りの笑顔を浮かべた。
「ごめん…ちょっと、トラウマ」
「……? ソファ、行けるか」
的を得ない私の言葉に首を傾げながらも、突然に私が蹲ったのは病的な症状によるものではないと伝わったのだろう。鉄くんはそっと私の腕を引いて、まるでエスコートするみたいに誘導してくれた。
鉄くんが左手に持つ携帯の明かりだけしかない室内を、ゆっくりと移動する。リビングのソファに並んで腰を下ろし、鉄くんは私の顔の横の髪を撫でるようにそっと耳にかけて、伺うように覗き込む。
「…暗いの苦手だったか」
「ううん。雷も、暗いのも、平気なの。…ただ」
「ただ?」
「“雷で停電”は、昔感じた恐怖心が、ちょっと」
私は稲光や雷鳴で悲鳴を上げるような、暗室で身動きが取れなくなるような、そんな可愛い性格をしていない。けれども幼少期、夜遅くまで一人で留守番をしていた時に雷による停電を経験したことがある。それ以来、雷も停電による暗闇も平気だけど、“落雷による停電”という連続した事態だけは あの日に幼いながら感じた恐怖心がありありと湧き上がり竦んでしまうのだ。
そんな私の話を聞いた鉄くんは、そうか、と たったそれだけの感想しか述べなかったけれど、その声も 私の頭に触れる手もとても優しくて暖かかった。と思えば、撫でるように触れていた手に不意に頭を引き寄せられ、私は彼の肩に頭を乗せるような形になる。
視線だけを持ち上げれば、視線が絡む。目が闇に慣れてきたこと、距離が近いこともあって鉄くんの表情も確認できたけれど、この視線が孕む意味を私は計りかねた。マイナスの意味を持つものでないことは確信できるけれど。
「なら、今は俺がいるから大丈夫だ」
「…! うん、そうだね」
そうだ、これまでのように今は私ひとりじゃない。たったその一言で、10年ほど抱えていたトラウマが霧散してしまったようだ。触れ合う場所から伝わる体温が独りではないことを物語っているいみたいで、安心感が広がっていく。
これまでの私なら、雷で停電した後の暗い室内で心細さに震えそうになる心と身体を必死に奮い立たせていたけれど、今この瞬間、私はもう何も怖くなかった。
緊張が解けて安堵に包まれた途端、私の意志に反して小さなあくびが溢れ、それに気付いた鉄くんが小さく笑う。
「遅くまで待たせて悪かったな。疲れてるだろ」
「ううん、平気だよ……鉄くんって、すごいね」
「ん?」
「なんだかヒーローみたい」
我ながら子供じみたことを言っている自覚があったからクスクスと笑いながら、だけど紛れもない本心を口にした私の声に鉄くんは「…ヒーローねぇ」と なんだか意味あり気な声色で復唱した。
そんな声さえも心地よくて、意識がふわふわとしてくるのを感じる。安心感があってとても落ち着くのに心臓は忙しなく動いたままで、だけどそれは決して居心地の悪いものではなくて。
すぐ隣で感じる体温も、戯れるように髪に触れる指先も、ドキドキと鳴る自分の鼓動さえもが愛しくて幸せで――あぁ、私は鉄くんが好きなんだと 他人事のように考えた。
◇
ヒーローみたいだとそう言って笑った七瀬の髪に 指を通していると、すーすーと穏やかな寝息が聞こえてきて小さく息を吐いた。幼少期からのトラウマだと言ったこの状況で、寝られるのなら克服できたと思って良さそうだけど。
(相変わらずだな)
自分の肩に寄りかかって眠る七瀬の前髪をさらりとよけ 露わになった額に顔を寄せた時、ブーブーとバイブ音が響いた。睨むように視線を向ければローテーブルの上で七瀬の携帯が光り、テーブルを震わせて着信を知らせていた。
この震動音で七瀬が起きてしまうかもしれないからと思い手に取った彼女の携帯に示された“コウちゃん”の文字を見て――電話を切る。
その後すぐに自分の携帯から木兎へと発信すれば、1コール目が終わらないうちに通話が繋がり「もしもーし!」と普段と変わらない明るい声が聞こえた。
『黒尾から電話とか珍しいな、どうした?』
「あー悪いな、七瀬が寝ちまってるからさ」
『……は?』
途端に木兎の声が低くなる。普段のアイツの口からそうそう発せられることのないそのトーンは、明確な怒りだろう。お前のそういうところ好ましいよ、なんて思いはしても口にはしない。きっと俺たちが互いに抱く感情は同じなんだ。
『…電気は』
「落ちたけど、1人じゃないから大丈夫だって」
他ならぬ俺が居るから。暗に言葉に込めたその意味は恐らく寸分違わず伝わっただろう。数秒の沈黙のなかで、考えたことはきっと同じだ。
『黒尾』
「あん?」
『譲る気はねぇからな』
「…さぁて、何のことだか」
立場として不利なのは、俺かアイツか。今はただ態とらしくはぐらかすだけにして、友との通話を終えた。
その日もまた、朝から強い雨が降っていた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
雨の音とテレビのニュースをBGMに夕食の支度をしていた20時過ぎ。玄関の方から物音が聞こえ、そのあと鉄くんがリビングへと顔を出した。先にシャワーを浴びるという鉄くんを見送って、すぐに食事が取れるようにおかずを温め直す。
バレーボールは屋内競技だから、雨が降ろうと関係なく練習ができてしまうから大変だ。いや、屋外競技も雨の日は筋トレなんかに徹していて大変なはずで、種目を問わずスポーツに打ち込む全ての選手に人知れずひっそりと敬意を表しながら手を動かした。
味噌汁を温め終えて火を消したところで、ちょうど彼が戻ってきたので一緒に夕食を取ることにする。雷が鳴り始めたのもその時だった。ダイニングテーブルに向かいって座り、話す話題は毎日のことなのに尽きることはないから不思議だ。授業のこと、友達のこと、テストのこと、インターハイ予選のこと。たわいない会話をしながら流れるこの時間が好きだ。だから私はどんなにお腹が空いている日でも、先にお風呂に入ったり、明日の用意をしたり、何だかんだと食事はせずに鉄くんの帰りを待っている。
「ごちそーさん。今日も美味かった」
「お粗末さまでした」
そして鉄くんは食事の前後には必ず両手を合わせ、美味そうだ、美味かったと労ってくれる。正直、楽ではない家事全般が苦でも負担でもなく、やり甲斐を感じられるのは全てこの人のお陰だと思う。鉄くんが労ってくれるから、私は当然のようにこなせるのだ。
時折聞こえた雷鳴を気にも止めず、今日も和やかに夕食を終える。空になった食器を下げようと椅子から立ち上がった瞬間。
窓から閃光が差し込むと同時に地響きがするような轟音、そしてブツンと テレビも部屋の照明も、全ての電気が“落ちた”。
「――っ!」
「七瀬!?」
部屋が暗転した直後、自分の肩を抱き締めるようにしてしゃがみ込んだ私の姿が見えたのかは定かじゃないけれど、鉄くんが慌てたように私の名前を呼ぶ。返事もできずにいれば、彼は携帯で照らしながら駆け寄って来てくれた。大丈夫かと心配そうに背中に触れる手の温かさに安堵して、彼の顔を見上げて できる限りの笑顔を浮かべた。
「ごめん…ちょっと、トラウマ」
「……? ソファ、行けるか」
的を得ない私の言葉に首を傾げながらも、突然に私が蹲ったのは病的な症状によるものではないと伝わったのだろう。鉄くんはそっと私の腕を引いて、まるでエスコートするみたいに誘導してくれた。
鉄くんが左手に持つ携帯の明かりだけしかない室内を、ゆっくりと移動する。リビングのソファに並んで腰を下ろし、鉄くんは私の顔の横の髪を撫でるようにそっと耳にかけて、伺うように覗き込む。
「…暗いの苦手だったか」
「ううん。雷も、暗いのも、平気なの。…ただ」
「ただ?」
「“雷で停電”は、昔感じた恐怖心が、ちょっと」
私は稲光や雷鳴で悲鳴を上げるような、暗室で身動きが取れなくなるような、そんな可愛い性格をしていない。けれども幼少期、夜遅くまで一人で留守番をしていた時に雷による停電を経験したことがある。それ以来、雷も停電による暗闇も平気だけど、“落雷による停電”という連続した事態だけは あの日に幼いながら感じた恐怖心がありありと湧き上がり竦んでしまうのだ。
そんな私の話を聞いた鉄くんは、そうか、と たったそれだけの感想しか述べなかったけれど、その声も 私の頭に触れる手もとても優しくて暖かかった。と思えば、撫でるように触れていた手に不意に頭を引き寄せられ、私は彼の肩に頭を乗せるような形になる。
視線だけを持ち上げれば、視線が絡む。目が闇に慣れてきたこと、距離が近いこともあって鉄くんの表情も確認できたけれど、この視線が孕む意味を私は計りかねた。マイナスの意味を持つものでないことは確信できるけれど。
「なら、今は俺がいるから大丈夫だ」
「…! うん、そうだね」
そうだ、これまでのように今は私ひとりじゃない。たったその一言で、10年ほど抱えていたトラウマが霧散してしまったようだ。触れ合う場所から伝わる体温が独りではないことを物語っているいみたいで、安心感が広がっていく。
これまでの私なら、雷で停電した後の暗い室内で心細さに震えそうになる心と身体を必死に奮い立たせていたけれど、今この瞬間、私はもう何も怖くなかった。
緊張が解けて安堵に包まれた途端、私の意志に反して小さなあくびが溢れ、それに気付いた鉄くんが小さく笑う。
「遅くまで待たせて悪かったな。疲れてるだろ」
「ううん、平気だよ……鉄くんって、すごいね」
「ん?」
「なんだかヒーローみたい」
我ながら子供じみたことを言っている自覚があったからクスクスと笑いながら、だけど紛れもない本心を口にした私の声に鉄くんは「…ヒーローねぇ」と なんだか意味あり気な声色で復唱した。
そんな声さえも心地よくて、意識がふわふわとしてくるのを感じる。安心感があってとても落ち着くのに心臓は忙しなく動いたままで、だけどそれは決して居心地の悪いものではなくて。
すぐ隣で感じる体温も、戯れるように髪に触れる指先も、ドキドキと鳴る自分の鼓動さえもが愛しくて幸せで――あぁ、私は鉄くんが好きなんだと 他人事のように考えた。
◇
ヒーローみたいだとそう言って笑った七瀬の髪に 指を通していると、すーすーと穏やかな寝息が聞こえてきて小さく息を吐いた。幼少期からのトラウマだと言ったこの状況で、寝られるのなら克服できたと思って良さそうだけど。
(相変わらずだな)
自分の肩に寄りかかって眠る七瀬の前髪をさらりとよけ 露わになった額に顔を寄せた時、ブーブーとバイブ音が響いた。睨むように視線を向ければローテーブルの上で七瀬の携帯が光り、テーブルを震わせて着信を知らせていた。
この震動音で七瀬が起きてしまうかもしれないからと思い手に取った彼女の携帯に示された“コウちゃん”の文字を見て――電話を切る。
その後すぐに自分の携帯から木兎へと発信すれば、1コール目が終わらないうちに通話が繋がり「もしもーし!」と普段と変わらない明るい声が聞こえた。
『黒尾から電話とか珍しいな、どうした?』
「あー悪いな、七瀬が寝ちまってるからさ」
『……は?』
途端に木兎の声が低くなる。普段のアイツの口からそうそう発せられることのないそのトーンは、明確な怒りだろう。お前のそういうところ好ましいよ、なんて思いはしても口にはしない。きっと俺たちが互いに抱く感情は同じなんだ。
『…電気は』
「落ちたけど、1人じゃないから大丈夫だって」
他ならぬ俺が居るから。暗に言葉に込めたその意味は恐らく寸分違わず伝わっただろう。数秒の沈黙のなかで、考えたことはきっと同じだ。
『黒尾』
「あん?」
『譲る気はねぇからな』
「…さぁて、何のことだか」
立場として不利なのは、俺かアイツか。今はただ態とらしくはぐらかすだけにして、友との通話を終えた。