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金曜日の昼休み。今日は鉄平さんと早く帰るからみんなで夕飯を食べようと、お母さんからメールが来た。家族4人での食事だなんて、私たちが黒尾邸に引っ越してきたあの日以来のことだから、放課後に買い物へと向かう私の足取りは軽いものだった。
◇
夜、部活から帰ってきた鉄くんと、仕事から帰ってきた両親と、家族揃って食卓を囲む。遅めの夕食となってしまったけれど、この時間に両親が帰宅するのは本当に珍しい。普段の生活のことなど他愛もない会話をしながら食事も終盤に差し掛かった時、少し聞いてほしいんだと切り出した鉄平さんの話に、食卓の雰囲気は一変した。
「え…九州…?」
申し訳なさそうな表情の両親に、私は鉄くんと顔を見合わせた。
2人は同じ会社に勤めている。同じ部署で同じ企画を担当しているから、2人とも大体の出勤時間や帰宅時間が被っていて、そして尚且つ同じぐらいに忙しい。それは聞いていたから、知っている。今回の話は、今2人の部署で進めてある企画の関係で、来週末が明けたら半年から1年程度の間 九州の子会社に出向することになったということらしい。それも2人一緒に。
そんな話を聞いて、私はぽかんと呆けることしかできないでいる。
「もちろん高校生にもなって転校なんて…と思うけど」
「そうすると、この家には君たち2人になるだろう?」
なるほど。戸籍上の兄妹とはいえ血のつながりのない高校生の男女2人を一緒に住まわせるのはどうか、という心配なのだろうと察することができた。けれどだからと言って、この場合はどういう答えが正解なのだろう。
都立高校の音駒には学生寮なんてないし、鉄くんとは別々に一人暮らしをするとなれば出費も嵩むし、今度は防犯的な心配が出てくるだろう。管理人や寮母など大人と一緒に住むタイプの下宿がこの周辺にあるかも定かではないし、仮にあったとしてもこの半端な時期に空きがあるのかも怪しければ、契約やら引越しやらを1週間ほどで終えられるとも思えない。
それなら、私はどうすればいいのだろう。ぐるぐると頭を回しながら、膝の上に置いた手に視線を落としていた。
「ま、いいんじゃねえの?」
両親の心配も理解できるから何も言えずにいた私の隣で、鉄くんがなんて事のないようにそんな言葉を発する。弾かれたように視線を上げれば、私の隣に座る兄はテーブルの上で片手で頬杖を突きながら、いつもと変わらず飄々とした笑みを浮かべていた。
「今までも2人で住んでたようなもんだし」
今更だろ、とサラリと言い放った彼の言葉は両親に深く刺さっていたような気がするけれど、鉄くんは特に気にした様子もない。
けれど実際、その通りなのだ。朝は少し顔を合わせるけれど、同じ空間にいる時間としては1時間もないだろう。そして夜は私たちが就寝した後に帰宅するのが常なのだ。それほど多忙に働いてくれていることには感謝しているけれど、日常生活だけの話をすれば、私と鉄くんは2人暮らしと言っても過言ではない気がする。
とは言え、本当に未成年2人だけで生活させる事への心配があるのも事実だろう。
「あの…2人の心配も理解できるから、簡単に心配しないでとも言えないけど…」
例えば、今さら下宿なんかをして鉄くんと離れて生活することを、私は想像できないのだ。信頼できる誰かとの生活に、すっかり慣れ過ぎてしまった。
だからと言って、どんな言葉が説得力を持つのかも私には分からないけれど。
「要は俺の問題だろ」
「え…?」
「俺がその気になれば、七瀬ぐらい力尽くでどうにでもできるしな」
「鉄くんはそんな事しないじゃん」
「…ま、間違いは起こさねぇよ。七瀬を傷付けることもしない。それは誓うよ」
私の反応を見るみたいにこちらに向けられていた鉄くんの視線が、真っ直ぐと両親へと向けられる。俺を信用してくれるなら、だけど。そう言う彼はやっぱり余裕たっぷりで、この状況で焦っているのは私だけなのだと理解できた。
当然のように言い切った鉄くんに、お母さんは小さく笑う。
「大丈夫、分かってるわ。私は心配してないもの」
「七瀬ちゃんは、大丈夫なのかい?鉄朗と2人でも」
「…ひとりは、寂しいです。一緒がいい」
鉄平さんの問いかけに応えれば、お母さんと顔を見合わせてから2人はニコリと笑った。私たちのその意思確認をしたかったのだと。
その後は今後の2人の予定を聞いた。明日明後日は向こうでのアパートを探しに行ってきて、来週末には引っ越しをしたい、と。何から何まで急展開だけれど、そのスピード感には感嘆することしかできない。
そんなこんなで話がまとまった時には、すっかり遅い時間になっていた。明日も朝から部活があるから寝ると言う鉄くんと一緒に、両親に挨拶をしてから2階へと上がる。
階段を登り終えたところで私がホッと息を吐いたことを、鉄くんは聞き逃さなかったらしい。
「どうした?」
「一人暮らしとかにならなくて良かったなぁって、安心して」
まさか気付かれるとは思っていなかったけれど隠すことでもなかったので素直にそう言って笑えば、鉄くんはぐしゃぐしゃと私の頭をなでてくれた。かと、思えば。急に身体を引き寄せられて、気が付いた時には私は鉄くんの腕の中に収まっていた。サラリと耳元の髪を、梳かすように鉄くんの指が通される。理解が追いつかず、バクバクと心臓が暴れ始めた。
「え、え? あの、鉄くん…?」
「俺を信用してくれるのは嬉しいんだけどさ」
耳のすぐ近くでそんな声が聞こえてすぐに、私の身体は解放される。身体が触れ合うような距離感で、見上げた先の鉄くんと視線が合った。いつも通りの鉄くん、だけど、なんだか少しだけ雰囲気が違うような気もする。
「無防備すぎるのはナシな」
「え…?」
「これからは親の目がなくなって、俺は男で、七瀬は女の子なんだ」
「鉄くんはそんなことしないでしょ」
「七瀬があまりにも隙だらけだったら分かんねえよ?」
意地悪な、言い方だ。これは本心で言っているんじゃない。私に警戒心を持たせるために、この人は自分を貶めているのだ。
「…どうして意地悪言うの」
「優しさだろ」
「私と距離を取ろうとしてるみたい」
「七瀬が大切なんだ」
分かっている。鉄くんは出会ってからいつだって私を可愛がってくれていたし、良くしてくれている。兄妹になってからは、殊更大切にしてくれているのも理解している。でも、だからってあんまりだ。
ムッとして不満を隠すこともせず兄の顔を見上げる。両手を伸ばして彼のTシャツの首元を掴んでグッと引き寄せれば、完全に不意を突かれたのだろう、驚いたような表情の鉄くんの顔が近付いた。
「私の大好きな鉄くんのこと、そんな風に言わないで」
わかっている、私を可愛がってくれていることも、大切にしてくれていることも。分かっているから、私のために自分を貶めるようなことを言わないで。
それが伝わればいいと思って、至近距離で真っ直ぐ目を見てそう言った。鉄くんは優しすぎるのだ。
「迷惑は掛けないように気をつけるけど、私は何も変わらないよ」
おやすみ、鉄くん。呆然とする彼に笑顔でそう言って、一切の反論を受け付けずに私は自室へと入ったのだった。
◇
夜、部活から帰ってきた鉄くんと、仕事から帰ってきた両親と、家族揃って食卓を囲む。遅めの夕食となってしまったけれど、この時間に両親が帰宅するのは本当に珍しい。普段の生活のことなど他愛もない会話をしながら食事も終盤に差し掛かった時、少し聞いてほしいんだと切り出した鉄平さんの話に、食卓の雰囲気は一変した。
「え…九州…?」
申し訳なさそうな表情の両親に、私は鉄くんと顔を見合わせた。
2人は同じ会社に勤めている。同じ部署で同じ企画を担当しているから、2人とも大体の出勤時間や帰宅時間が被っていて、そして尚且つ同じぐらいに忙しい。それは聞いていたから、知っている。今回の話は、今2人の部署で進めてある企画の関係で、来週末が明けたら半年から1年程度の間 九州の子会社に出向することになったということらしい。それも2人一緒に。
そんな話を聞いて、私はぽかんと呆けることしかできないでいる。
「もちろん高校生にもなって転校なんて…と思うけど」
「そうすると、この家には君たち2人になるだろう?」
なるほど。戸籍上の兄妹とはいえ血のつながりのない高校生の男女2人を一緒に住まわせるのはどうか、という心配なのだろうと察することができた。けれどだからと言って、この場合はどういう答えが正解なのだろう。
都立高校の音駒には学生寮なんてないし、鉄くんとは別々に一人暮らしをするとなれば出費も嵩むし、今度は防犯的な心配が出てくるだろう。管理人や寮母など大人と一緒に住むタイプの下宿がこの周辺にあるかも定かではないし、仮にあったとしてもこの半端な時期に空きがあるのかも怪しければ、契約やら引越しやらを1週間ほどで終えられるとも思えない。
それなら、私はどうすればいいのだろう。ぐるぐると頭を回しながら、膝の上に置いた手に視線を落としていた。
「ま、いいんじゃねえの?」
両親の心配も理解できるから何も言えずにいた私の隣で、鉄くんがなんて事のないようにそんな言葉を発する。弾かれたように視線を上げれば、私の隣に座る兄はテーブルの上で片手で頬杖を突きながら、いつもと変わらず飄々とした笑みを浮かべていた。
「今までも2人で住んでたようなもんだし」
今更だろ、とサラリと言い放った彼の言葉は両親に深く刺さっていたような気がするけれど、鉄くんは特に気にした様子もない。
けれど実際、その通りなのだ。朝は少し顔を合わせるけれど、同じ空間にいる時間としては1時間もないだろう。そして夜は私たちが就寝した後に帰宅するのが常なのだ。それほど多忙に働いてくれていることには感謝しているけれど、日常生活だけの話をすれば、私と鉄くんは2人暮らしと言っても過言ではない気がする。
とは言え、本当に未成年2人だけで生活させる事への心配があるのも事実だろう。
「あの…2人の心配も理解できるから、簡単に心配しないでとも言えないけど…」
例えば、今さら下宿なんかをして鉄くんと離れて生活することを、私は想像できないのだ。信頼できる誰かとの生活に、すっかり慣れ過ぎてしまった。
だからと言って、どんな言葉が説得力を持つのかも私には分からないけれど。
「要は俺の問題だろ」
「え…?」
「俺がその気になれば、七瀬ぐらい力尽くでどうにでもできるしな」
「鉄くんはそんな事しないじゃん」
「…ま、間違いは起こさねぇよ。七瀬を傷付けることもしない。それは誓うよ」
私の反応を見るみたいにこちらに向けられていた鉄くんの視線が、真っ直ぐと両親へと向けられる。俺を信用してくれるなら、だけど。そう言う彼はやっぱり余裕たっぷりで、この状況で焦っているのは私だけなのだと理解できた。
当然のように言い切った鉄くんに、お母さんは小さく笑う。
「大丈夫、分かってるわ。私は心配してないもの」
「七瀬ちゃんは、大丈夫なのかい?鉄朗と2人でも」
「…ひとりは、寂しいです。一緒がいい」
鉄平さんの問いかけに応えれば、お母さんと顔を見合わせてから2人はニコリと笑った。私たちのその意思確認をしたかったのだと。
その後は今後の2人の予定を聞いた。明日明後日は向こうでのアパートを探しに行ってきて、来週末には引っ越しをしたい、と。何から何まで急展開だけれど、そのスピード感には感嘆することしかできない。
そんなこんなで話がまとまった時には、すっかり遅い時間になっていた。明日も朝から部活があるから寝ると言う鉄くんと一緒に、両親に挨拶をしてから2階へと上がる。
階段を登り終えたところで私がホッと息を吐いたことを、鉄くんは聞き逃さなかったらしい。
「どうした?」
「一人暮らしとかにならなくて良かったなぁって、安心して」
まさか気付かれるとは思っていなかったけれど隠すことでもなかったので素直にそう言って笑えば、鉄くんはぐしゃぐしゃと私の頭をなでてくれた。かと、思えば。急に身体を引き寄せられて、気が付いた時には私は鉄くんの腕の中に収まっていた。サラリと耳元の髪を、梳かすように鉄くんの指が通される。理解が追いつかず、バクバクと心臓が暴れ始めた。
「え、え? あの、鉄くん…?」
「俺を信用してくれるのは嬉しいんだけどさ」
耳のすぐ近くでそんな声が聞こえてすぐに、私の身体は解放される。身体が触れ合うような距離感で、見上げた先の鉄くんと視線が合った。いつも通りの鉄くん、だけど、なんだか少しだけ雰囲気が違うような気もする。
「無防備すぎるのはナシな」
「え…?」
「これからは親の目がなくなって、俺は男で、七瀬は女の子なんだ」
「鉄くんはそんなことしないでしょ」
「七瀬があまりにも隙だらけだったら分かんねえよ?」
意地悪な、言い方だ。これは本心で言っているんじゃない。私に警戒心を持たせるために、この人は自分を貶めているのだ。
「…どうして意地悪言うの」
「優しさだろ」
「私と距離を取ろうとしてるみたい」
「七瀬が大切なんだ」
分かっている。鉄くんは出会ってからいつだって私を可愛がってくれていたし、良くしてくれている。兄妹になってからは、殊更大切にしてくれているのも理解している。でも、だからってあんまりだ。
ムッとして不満を隠すこともせず兄の顔を見上げる。両手を伸ばして彼のTシャツの首元を掴んでグッと引き寄せれば、完全に不意を突かれたのだろう、驚いたような表情の鉄くんの顔が近付いた。
「私の大好きな鉄くんのこと、そんな風に言わないで」
わかっている、私を可愛がってくれていることも、大切にしてくれていることも。分かっているから、私のために自分を貶めるようなことを言わないで。
それが伝わればいいと思って、至近距離で真っ直ぐ目を見てそう言った。鉄くんは優しすぎるのだ。
「迷惑は掛けないように気をつけるけど、私は何も変わらないよ」
おやすみ、鉄くん。呆然とする彼に笑顔でそう言って、一切の反論を受け付けずに私は自室へと入ったのだった。