とめどなく桜
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その日の昼休み、昼食を終えた私は早々に友人たちの輪から抜け出し、1人で監督室を訪れ黙々とスコアの整理をしていた。
整理といえば大袈裟に聞こえてしまうかもしれないが、背表紙に書かれている年月に従って並び替えるだけなのでそれほど大した作業ではない。冊子の数が多いから確認に時間がかかるが、そもそも歴代の戦果とも言えるスコアバックをぞんざいに扱う部員など我が部には存在していないから、うっかり入れ間違えたのだろうと思える程度のずれしかないのだ。だから結局は単純な作業であり、この昼休みの間だけで余裕を持って終えられるだろう。
昼休みが中盤に、作業は終盤に差し掛かった頃、コンコンと扉をノックする音が聞こえた後に扉が開き、よく見知った同級生が姿を現した。
彼―――御幸は、室内に私しかいない事に気が付いて、あれ、と不思議そうに目を瞬かせる。
「監督は?」
「今日は会議なんだって」
「なるほど。……整理中?」
「うん。でももう終わるよ。御幸は?何かお探しですか?」
来週の練習試合に向けて、と返された言葉に納得をする。来週からしばらく練習試合が立て続くから、キャッチャーである彼はそれに備えて過去のスコアを見たかったのだろう。
「いつの?」
「確か一昨年の10月だったかな」
私の隣まで来た御幸が、同じ背表紙が大量に並ぶ棚を眺めながら その長い指でなぞるようにスコアブックを辿っていく。目当ての冊子を探しているだけのその仕草さえ なんだか様になって見えてしまうんだから、この男は恐ろしい。
そんな事を考えてしまう私は重症だと自覚はしている。自分は御幸のことが好きなのだと痛感すると同時に、報われなさに絶望もする。
それでもこの恋心は秘め続けると決めたのも私自身だから、あくまでも選手とマネージャーという関係を貫き通すしかないのだ。
「一昨年の秋なら一番下にないかな」
「下?」
御幸はその場にしゃがみ込んで棚の最下段を探し始める。日付順に並んでいるとはいえ、とにかく冊子の数が多い。背表紙の文字を流し見するだけでは見逃してしまいやすいし、簡単に見つけられるものではないだろう。
「多分そっちの方に…」
「ああ、こっちか」
きっと大量のスコアブックの中で溶け込んでしまっているのであろう目的の冊子を取り出すために私もしゃがんで身を乗り出したのと、その場所に気付いた御幸が身体を寄せたのは同時だった。だから、事故が起きたのだ。
頭同士をぶつけてしまいそうになって慌てて動きを止めたけれど間に合わなくて、私の口元が、御幸の頬に触れた。
驚いたように勢いよく振り向いた御幸と、至近距離で視線が絡む。私は全ての時が止まったように、身動きが取れなくなっていた。
今、故意ではなかったとは言え、完全なる事故であったとは言え。結果だけを見れば、私が御幸の頬にキスしたということになる。
手の甲で自分の口元に触れながら、泣きたくなった。口付けというものは、本来なら好意を示す行為なのだ。そんなこと御幸にするつもりもなかったし、私のこの気持ちは死ぬまで隠し通すつもりでもいたし、それなのに高校生にもなって頬へのキスぐらいで取り繕えなくなるなんて、経験が無いと自白しているようで情けなくて恥ずかしい。
赤く染まっているであろう顔も、涙が溜まっているであろう目も。こんな情けない顔、御幸には絶対に見せたくなかった。
「ご、ごめん!」
精一杯の理性で謝罪の言葉だけ発して、顔を背けて立ち上がり この場から逃げるために駆け出そうとした瞬間、腕を掴まれ強く引かれる。抗えずに引き戻された身体は両腕ごと壁に抑えつけられ、背中を打ち付けた衝撃に僅かに顔を顰めた。
何をするのだと文句を言おうと顔を上げた刹那、間近に迫る御幸の顔で視界が埋め尽くされた。
「…っ、」
何が、起きているのだろう。
視界いっぱいに見えるのは御幸の顔で、自分の口元には何かが触れている確かな感触。
何かって、なんだ。
急速に稼働を始めた脳が正しい答えを導き出せた自信がない。だって私の頭に浮かんだそれは先ほども思考した通りに愛情表現行為であり、例えば恋人同士だとか、お互いに想い合っている者同士が交わす行為のはずだから。
だから、きっと、そんなはずはない。
そう思うのに、目の前に見える御幸との距離はやっぱりそうだとしか思えなくて、混乱してしまいそうだ。
「な、に…?」
「佐倉がそんな顔するからだろ」
「は…、っ!?」
意味が分からないと非難しようとすれば顎を掴まれて上を向かされ、再び強引に口を塞がれる。数秒触れるだけだったさっきとは違って、薄く開いた唇の間から捩じ込まれた熱に肩が跳ねた。
顎を掴まれているから顔を背けることはできず、両腕で御幸の胸を押すけれど 強い力で背中を抱き寄せされれば、距離を取る事も叶わない。
貪るように、あるいは蹂躙するように口内を好き放題に犯すそれは、愛情表現なんかじゃなくて暴力だ。だって、私は同意なんてしていない。
お互いの漏れる吐息と やたらと生々しい水音しかないこの空間でその音たちが耳にこびり付く。怖い、恥ずかしい、息苦しい。どんどんと御幸の胸を強く叩けば、ようやく解放された。
やっぱり至近距離で視界に捉えた御幸は見たこともない表情をしていて、わずかに呼吸が乱れている。どんなにハードな練習をしても涼しい顔をしていることが多い彼の、こんな姿は初めてかもしれないと思ったら心臓がぎゅうっと締め付けられた気がした。
けれど今はそんな場合ではない。足りなかった分の酸素をゆっくり吸い込みながら、ありのままを口にする。
「どうして、」
「…したいと思った。他に理由がある?」
「最低ッ…!」
別にここで、愛の告白が返ってくるなんて思ってもいなかった。そもそもその問いに、どんな答えを求めていたのか私自身も分からないけれど。
デリカシーのカケラも無い返答にその頬を思いっきり引っ叩いてやりたい気持ちになったのに、実行に移せなかったのはどうしてなのか。
こんな涙混じりの目では なんの迫力もないと分かってる。けれど御幸の顔を睨みつけて、それから今度こそ逃げ出した。
ただの選手とマネージャーは、キスなんて絶対に交わさない。ならば、なぜ御幸は私に。
恋人同士でもなければ 想いあっていることを確認したわけでもないこのキスに、なんの意味があるというのだ。
整理といえば大袈裟に聞こえてしまうかもしれないが、背表紙に書かれている年月に従って並び替えるだけなのでそれほど大した作業ではない。冊子の数が多いから確認に時間がかかるが、そもそも歴代の戦果とも言えるスコアバックをぞんざいに扱う部員など我が部には存在していないから、うっかり入れ間違えたのだろうと思える程度のずれしかないのだ。だから結局は単純な作業であり、この昼休みの間だけで余裕を持って終えられるだろう。
昼休みが中盤に、作業は終盤に差し掛かった頃、コンコンと扉をノックする音が聞こえた後に扉が開き、よく見知った同級生が姿を現した。
彼―――御幸は、室内に私しかいない事に気が付いて、あれ、と不思議そうに目を瞬かせる。
「監督は?」
「今日は会議なんだって」
「なるほど。……整理中?」
「うん。でももう終わるよ。御幸は?何かお探しですか?」
来週の練習試合に向けて、と返された言葉に納得をする。来週からしばらく練習試合が立て続くから、キャッチャーである彼はそれに備えて過去のスコアを見たかったのだろう。
「いつの?」
「確か一昨年の10月だったかな」
私の隣まで来た御幸が、同じ背表紙が大量に並ぶ棚を眺めながら その長い指でなぞるようにスコアブックを辿っていく。目当ての冊子を探しているだけのその仕草さえ なんだか様になって見えてしまうんだから、この男は恐ろしい。
そんな事を考えてしまう私は重症だと自覚はしている。自分は御幸のことが好きなのだと痛感すると同時に、報われなさに絶望もする。
それでもこの恋心は秘め続けると決めたのも私自身だから、あくまでも選手とマネージャーという関係を貫き通すしかないのだ。
「一昨年の秋なら一番下にないかな」
「下?」
御幸はその場にしゃがみ込んで棚の最下段を探し始める。日付順に並んでいるとはいえ、とにかく冊子の数が多い。背表紙の文字を流し見するだけでは見逃してしまいやすいし、簡単に見つけられるものではないだろう。
「多分そっちの方に…」
「ああ、こっちか」
きっと大量のスコアブックの中で溶け込んでしまっているのであろう目的の冊子を取り出すために私もしゃがんで身を乗り出したのと、その場所に気付いた御幸が身体を寄せたのは同時だった。だから、事故が起きたのだ。
頭同士をぶつけてしまいそうになって慌てて動きを止めたけれど間に合わなくて、私の口元が、御幸の頬に触れた。
驚いたように勢いよく振り向いた御幸と、至近距離で視線が絡む。私は全ての時が止まったように、身動きが取れなくなっていた。
今、故意ではなかったとは言え、完全なる事故であったとは言え。結果だけを見れば、私が御幸の頬にキスしたということになる。
手の甲で自分の口元に触れながら、泣きたくなった。口付けというものは、本来なら好意を示す行為なのだ。そんなこと御幸にするつもりもなかったし、私のこの気持ちは死ぬまで隠し通すつもりでもいたし、それなのに高校生にもなって頬へのキスぐらいで取り繕えなくなるなんて、経験が無いと自白しているようで情けなくて恥ずかしい。
赤く染まっているであろう顔も、涙が溜まっているであろう目も。こんな情けない顔、御幸には絶対に見せたくなかった。
「ご、ごめん!」
精一杯の理性で謝罪の言葉だけ発して、顔を背けて立ち上がり この場から逃げるために駆け出そうとした瞬間、腕を掴まれ強く引かれる。抗えずに引き戻された身体は両腕ごと壁に抑えつけられ、背中を打ち付けた衝撃に僅かに顔を顰めた。
何をするのだと文句を言おうと顔を上げた刹那、間近に迫る御幸の顔で視界が埋め尽くされた。
「…っ、」
何が、起きているのだろう。
視界いっぱいに見えるのは御幸の顔で、自分の口元には何かが触れている確かな感触。
何かって、なんだ。
急速に稼働を始めた脳が正しい答えを導き出せた自信がない。だって私の頭に浮かんだそれは先ほども思考した通りに愛情表現行為であり、例えば恋人同士だとか、お互いに想い合っている者同士が交わす行為のはずだから。
だから、きっと、そんなはずはない。
そう思うのに、目の前に見える御幸との距離はやっぱりそうだとしか思えなくて、混乱してしまいそうだ。
「な、に…?」
「佐倉がそんな顔するからだろ」
「は…、っ!?」
意味が分からないと非難しようとすれば顎を掴まれて上を向かされ、再び強引に口を塞がれる。数秒触れるだけだったさっきとは違って、薄く開いた唇の間から捩じ込まれた熱に肩が跳ねた。
顎を掴まれているから顔を背けることはできず、両腕で御幸の胸を押すけれど 強い力で背中を抱き寄せされれば、距離を取る事も叶わない。
貪るように、あるいは蹂躙するように口内を好き放題に犯すそれは、愛情表現なんかじゃなくて暴力だ。だって、私は同意なんてしていない。
お互いの漏れる吐息と やたらと生々しい水音しかないこの空間でその音たちが耳にこびり付く。怖い、恥ずかしい、息苦しい。どんどんと御幸の胸を強く叩けば、ようやく解放された。
やっぱり至近距離で視界に捉えた御幸は見たこともない表情をしていて、わずかに呼吸が乱れている。どんなにハードな練習をしても涼しい顔をしていることが多い彼の、こんな姿は初めてかもしれないと思ったら心臓がぎゅうっと締め付けられた気がした。
けれど今はそんな場合ではない。足りなかった分の酸素をゆっくり吸い込みながら、ありのままを口にする。
「どうして、」
「…したいと思った。他に理由がある?」
「最低ッ…!」
別にここで、愛の告白が返ってくるなんて思ってもいなかった。そもそもその問いに、どんな答えを求めていたのか私自身も分からないけれど。
デリカシーのカケラも無い返答にその頬を思いっきり引っ叩いてやりたい気持ちになったのに、実行に移せなかったのはどうしてなのか。
こんな涙混じりの目では なんの迫力もないと分かってる。けれど御幸の顔を睨みつけて、それから今度こそ逃げ出した。
ただの選手とマネージャーは、キスなんて絶対に交わさない。ならば、なぜ御幸は私に。
恋人同士でもなければ 想いあっていることを確認したわけでもないこのキスに、なんの意味があるというのだ。
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