とめどなく桜
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高校2年の秋、ある日の昼休み。3年生が引退して部活内での“最上級生”となってから数ヶ月。その役割にも慣れてきた私たちも、けれどまだ学内には先輩たちが在学しているという安心感も大きい、そんな時期。
購買に行こうと廊下に出ると、少し離れた場所に階段へと向かう見慣れた二人組が見えて 少し足を速めた。
「御幸、倉持」
私が階段の前にたどり着いた時、彼らは3分の1ほどの段を下りたところで、名前を呼べば2人とも足を止めてこちらを振り返ってくれる。お疲れ、なんて軽い挨拶を交わしてながら 急ぎ足だった歩調は少し緩め、それでも彼らのもとへと向かう歩みは止めなかった。
「さっき純さんに会っ、て…!?」
「佐倉!」
今日は練習に顔を出すって言ってたよ。そんな話をするため彼らに近付こうと階段を数段下りたとき、ドン、と 背後から右肩に強い衝撃が加わった。それと同時に 視界が揺れて、身体が傾く。急に時間の流れが遅くなったように 見える景色がスローモーションのように感じられた。柄にもなく、御幸が焦ったように私の名前を呼ぶ。
ああ、誰かにぶつかられたんだな、なんて他人事のように考えて、その反動で階段から転げ落ちようとしているのだと理解した。体勢を立て直すことはできそうもない。それなら重力に従って落ちるしかないのだ。怪我をするだろうか、まさか打ちどころが悪くて死んだりしないよね。
やっぱりどこか他人事のようにそんな事を思って、来たる痛みに備えるように ギュッと身体に力を込めた。
「――っぶねぇ…!おい、大丈夫か?!」
たしかに衝撃はあった。けれど痛みを伴わないそれは 階段を転げ落ちて床に身体を叩きつけたものではなく、どさりと何かに受け止められたようなもので。想像とのギャップを不思議に思いながらそろそろと目を開くと、すぐ近くで倉持の声が聞こえる。ハッとして顔をあげれば、鼻先が触れそうなほど近い距離に倉持の顔があった。
「…っ!?」
「おい、佐倉…?」
「どこか痛むか?」
安否確認の言葉に応えを返さない私に、倉持と御幸が心配そうな視線を寄越す。でも、だって。
身体の前面が触れ合っている倉持の左腕は私の腰に回され、半身になりながらも右手は階段の手すりをしっかり掴んでいて 共倒れにならないように支えている。転げ落ちそうになった私を 数段下にいた倉持が 持ち前の反射神経で受け止めてくれたのだと察することができた。
「っ、ご め…ぅわ!?」
状況を理解した瞬間、近すぎる距離に動転して飛び退くように倉持から距離をとる、けれど。ここが階段であることを完全に失念していた。段など想定していなかった私の足は簡単に段差を踏み外し、ガクンと身体が傾く。
「っ!……お前、もう一回落ちる気か?」
今度は御幸が、私の左の二の腕あたりを掴んで支えてくれる。そして彼もまた条件反射だったのだろう、右の手首は倉持に掴まれていて、両側から2人に支えられる私の姿は滑稽だったに違いない。
らしくねぇなと物珍しそうに言われた御幸の声に、柄にもなく取り乱してきた事を自覚する。私がしっかりとバランスを取り直したのを確認してから2人の手は離れたけれど、心臓はバクバクと早いリズムを刻んでいた。それは立て続けに落下の危機に瀕した故か、それとも別の理由によるものか。
「ご、め…」
「いや、お前が謝ることじゃねーだろ。ケガは?」
「だ、大丈夫!ありがとう!」
迷惑をかけた謝罪の言葉も歯切れが悪く、けれど2人ともそれを気にする様子はない。心配そうに私の顔を覗き込む倉持に大丈夫だと両手を振ってアピールするけれど、視線は左下に向けたままだ。それが不自然だという自覚はある。けれど、顔が熱い。自分の顔がどんな色をしているのか想像もできなくて、したくもなくて、見られるのが怖いと思った。
「わりぃ佐倉!」
「大丈夫か!?」
「!」
不意に焦ったような声をかけてきたのは、サッカー部のクラスメイト2人だ。私にぶつかったのは ふざけ合っていた彼らだったのだと察すると同時に、幸いにも何事もなかったのだ。倉持のおかげで大丈夫だから気にしないでと、そう言った。
ほんとごめん、と何度も謝って去っていく2人を見送るうちに私も平静を取り戻していて、思考が落ち着いたところで気が付いたことがある。
「って、倉持は!?」
「は!?」
「けが!してない!?」
打って変わって詰め寄るように迫った私に、倉持は驚いたようにギョッと目を見開いた。自分のことでいっぱいいっぱいだったけれど、落ち着いたら自分のことなどどうでも良くなる。
我が部の大切なレギュラーに、副主将に、怪我などさせてしまっては一大事だ。私を受け止めた際に腕を、脚を、はたまた背中や他のどこかを、痛めてはいないだろうか。
「いや、どうもねーからよ」
「落ち着け佐倉」
「え………、!」
笑いを含んだような声で、御幸が私の肩に触れた。そこでふと我に帰れば、私は胸倉を掴むような勢いで倉持に詰め寄っていて、つい先ほど抱き止められた時のように鼻先が触れ合いそうな近い距離感に戻っている。
意識せずとも思い出されるのは、先ほどピタリと触れた倉持の体温。背も私と少ししか変わらない倉持は、野球選手の中では決して大きい方ではなく、寧ろ小柄と言われる部類だろう。体つきだって哲さんや前園のような目に見える逞しさはなく華奢にさえ思えそうだけど、あの時触れた身体は確かに硬くて、私の身体を容易く受け止めたのだ。
今、文字通り私の目と鼻の先にいる彼は、紛れもなく男の子だった。
「…!!ご、ごめん…!」
「……いや」
触れる身体の硬さ、身体を支える腕の力強さ、間近に感じた体温。思い出してしまえば、また顔に熱が集まるのを感じてしまう。
さっきから謝ってばかりだと思うけれど、仕方がないだろう。今度はここが階段だという事を頭に入れたまま、急いで倉持から離れる。彼は信頼できるチームメイトであり友人だと思っていたけれど、不意に異性であることを明確に突きつけられたようで、きっと私はキャパオーバーを起こしているのだ。
「ど、どこか違和感とかあったらすぐ保健室に行ってよね!」
本当にごめん、ありがとう。居た堪れなくなり、そんな言葉を残してこの場から立ち去る事を選んだ。
そうだ、購買だ。私は購買に行こうと思って教室を出たのだった。言い訳のようにそんな事を考えて、足早に階段を降りていく。
「――何あれ、可愛すぎだろ」
「…あ?」
逃げるようにその場を離れることに必死だった私の耳には、ポツリと漏らされた御幸の声も、噛み付くような倉持の低い声も、わずかにだって届きはしなかった。
購買に行こうと廊下に出ると、少し離れた場所に階段へと向かう見慣れた二人組が見えて 少し足を速めた。
「御幸、倉持」
私が階段の前にたどり着いた時、彼らは3分の1ほどの段を下りたところで、名前を呼べば2人とも足を止めてこちらを振り返ってくれる。お疲れ、なんて軽い挨拶を交わしてながら 急ぎ足だった歩調は少し緩め、それでも彼らのもとへと向かう歩みは止めなかった。
「さっき純さんに会っ、て…!?」
「佐倉!」
今日は練習に顔を出すって言ってたよ。そんな話をするため彼らに近付こうと階段を数段下りたとき、ドン、と 背後から右肩に強い衝撃が加わった。それと同時に 視界が揺れて、身体が傾く。急に時間の流れが遅くなったように 見える景色がスローモーションのように感じられた。柄にもなく、御幸が焦ったように私の名前を呼ぶ。
ああ、誰かにぶつかられたんだな、なんて他人事のように考えて、その反動で階段から転げ落ちようとしているのだと理解した。体勢を立て直すことはできそうもない。それなら重力に従って落ちるしかないのだ。怪我をするだろうか、まさか打ちどころが悪くて死んだりしないよね。
やっぱりどこか他人事のようにそんな事を思って、来たる痛みに備えるように ギュッと身体に力を込めた。
「――っぶねぇ…!おい、大丈夫か?!」
たしかに衝撃はあった。けれど痛みを伴わないそれは 階段を転げ落ちて床に身体を叩きつけたものではなく、どさりと何かに受け止められたようなもので。想像とのギャップを不思議に思いながらそろそろと目を開くと、すぐ近くで倉持の声が聞こえる。ハッとして顔をあげれば、鼻先が触れそうなほど近い距離に倉持の顔があった。
「…っ!?」
「おい、佐倉…?」
「どこか痛むか?」
安否確認の言葉に応えを返さない私に、倉持と御幸が心配そうな視線を寄越す。でも、だって。
身体の前面が触れ合っている倉持の左腕は私の腰に回され、半身になりながらも右手は階段の手すりをしっかり掴んでいて 共倒れにならないように支えている。転げ落ちそうになった私を 数段下にいた倉持が 持ち前の反射神経で受け止めてくれたのだと察することができた。
「っ、ご め…ぅわ!?」
状況を理解した瞬間、近すぎる距離に動転して飛び退くように倉持から距離をとる、けれど。ここが階段であることを完全に失念していた。段など想定していなかった私の足は簡単に段差を踏み外し、ガクンと身体が傾く。
「っ!……お前、もう一回落ちる気か?」
今度は御幸が、私の左の二の腕あたりを掴んで支えてくれる。そして彼もまた条件反射だったのだろう、右の手首は倉持に掴まれていて、両側から2人に支えられる私の姿は滑稽だったに違いない。
らしくねぇなと物珍しそうに言われた御幸の声に、柄にもなく取り乱してきた事を自覚する。私がしっかりとバランスを取り直したのを確認してから2人の手は離れたけれど、心臓はバクバクと早いリズムを刻んでいた。それは立て続けに落下の危機に瀕した故か、それとも別の理由によるものか。
「ご、め…」
「いや、お前が謝ることじゃねーだろ。ケガは?」
「だ、大丈夫!ありがとう!」
迷惑をかけた謝罪の言葉も歯切れが悪く、けれど2人ともそれを気にする様子はない。心配そうに私の顔を覗き込む倉持に大丈夫だと両手を振ってアピールするけれど、視線は左下に向けたままだ。それが不自然だという自覚はある。けれど、顔が熱い。自分の顔がどんな色をしているのか想像もできなくて、したくもなくて、見られるのが怖いと思った。
「わりぃ佐倉!」
「大丈夫か!?」
「!」
不意に焦ったような声をかけてきたのは、サッカー部のクラスメイト2人だ。私にぶつかったのは ふざけ合っていた彼らだったのだと察すると同時に、幸いにも何事もなかったのだ。倉持のおかげで大丈夫だから気にしないでと、そう言った。
ほんとごめん、と何度も謝って去っていく2人を見送るうちに私も平静を取り戻していて、思考が落ち着いたところで気が付いたことがある。
「って、倉持は!?」
「は!?」
「けが!してない!?」
打って変わって詰め寄るように迫った私に、倉持は驚いたようにギョッと目を見開いた。自分のことでいっぱいいっぱいだったけれど、落ち着いたら自分のことなどどうでも良くなる。
我が部の大切なレギュラーに、副主将に、怪我などさせてしまっては一大事だ。私を受け止めた際に腕を、脚を、はたまた背中や他のどこかを、痛めてはいないだろうか。
「いや、どうもねーからよ」
「落ち着け佐倉」
「え………、!」
笑いを含んだような声で、御幸が私の肩に触れた。そこでふと我に帰れば、私は胸倉を掴むような勢いで倉持に詰め寄っていて、つい先ほど抱き止められた時のように鼻先が触れ合いそうな近い距離感に戻っている。
意識せずとも思い出されるのは、先ほどピタリと触れた倉持の体温。背も私と少ししか変わらない倉持は、野球選手の中では決して大きい方ではなく、寧ろ小柄と言われる部類だろう。体つきだって哲さんや前園のような目に見える逞しさはなく華奢にさえ思えそうだけど、あの時触れた身体は確かに硬くて、私の身体を容易く受け止めたのだ。
今、文字通り私の目と鼻の先にいる彼は、紛れもなく男の子だった。
「…!!ご、ごめん…!」
「……いや」
触れる身体の硬さ、身体を支える腕の力強さ、間近に感じた体温。思い出してしまえば、また顔に熱が集まるのを感じてしまう。
さっきから謝ってばかりだと思うけれど、仕方がないだろう。今度はここが階段だという事を頭に入れたまま、急いで倉持から離れる。彼は信頼できるチームメイトであり友人だと思っていたけれど、不意に異性であることを明確に突きつけられたようで、きっと私はキャパオーバーを起こしているのだ。
「ど、どこか違和感とかあったらすぐ保健室に行ってよね!」
本当にごめん、ありがとう。居た堪れなくなり、そんな言葉を残してこの場から立ち去る事を選んだ。
そうだ、購買だ。私は購買に行こうと思って教室を出たのだった。言い訳のようにそんな事を考えて、足早に階段を降りていく。
「――何あれ、可愛すぎだろ」
「…あ?」
逃げるようにその場を離れることに必死だった私の耳には、ポツリと漏らされた御幸の声も、噛み付くような倉持の低い声も、わずかにだって届きはしなかった。