とめどなく桜
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気がついた時には、当たり前に生活の中にあった。私のたかだか十数年の人生において野球というものは、好きだとか嫌いだとかそういう次元ではなくて、側にあり携わっているのが当然で。父と兄の影響を受けてそういう環境に育った私が、近いという理由で兄の母校である青道高校を進学先に選んだのも、そこで野球部のマネージャーとしての高校生活を選んだのも、誰も何の疑問も持たないだろう。
甲子園を目指して朝から晩まで野球漬けの日々を送る選手たちをサポートする日々は忙しくもあり、けれど確かな充実感に満たされていた。
「佐倉」
休み時間の廊下にて。背後から私の名前を呼ぶ声にドキリとするけれど 平静を装って振り返れば、予想通りの男がいた。御幸一也。3年生が引退して新主将となった、私の想い人だ。御幸が好きなのだと自覚するたびに「どうしてこんな男を」と悔しくなるから、絶対に態度には出さないようにしているけれど。
どうしたの、なんていつもの通り平然と応えれば、ちょっと頼みがあるんだと 私の目の前で足を止めた御幸の話に耳を傾ける。
相槌を打ちながら今日の練習ですべき事を頭の中で整理していると、不意に。肩を抱き寄せられて、御幸の肩口に顔を埋めることとなる。
「な…!?」
この行動にはさすがに動揺して抗議の声を上げようとした瞬間、私のすぐ後ろを 数人の男子生徒がゲラゲラと笑いながら騒々しく駆け抜けていった。ふざけ合っている彼らはとても周りが見えているようには思えなくて、ああそうか、ぶつかりそうだったから助けてくれたのかと理解する。その瞬間に冷静さを取り戻すのは、もう癖のようなものだと思う。私は、御幸一也という男の前ではどうにも可愛げなくクールぶってしまう節がある。
ガキかよ危ねーなぁとボヤくように苦い表情を浮かべた御幸の胸元を、そっと両手で押した。
「御幸」
「ん?ああ、急に悪かったな」
「ううん、ありがと」
私の声を聞いた御幸は咄嗟の行動を詫びつつ、パッと私の肩から手を離す。それは文字通り、惜しげもなく。
御幸はこう言うところがある。これも全ては友達が少ない所為なのか、一応異性であるはずの私とも距離感がおかしいと言うか、何の躊躇いもなく私に触れるし、それが周りからどういう風に見られるのかなんて全く気にしない。マイペースというか、芯が強いというか、何も考えていないというか。振り回されるこちらの身にもなって欲しい、なんて 頑なに態度には出さないようにしている私が言えることではないけれど。
「ま、そういう事だからよろしく頼むわ」
「ん、わかった大丈夫、任せといて」
了承の返事をすれば御幸は満足そうに笑って ポンポンと私の頭を撫でてから、さっさと教室へ戻っていった。その背中を眺めて、ゆっくりと息を吐く。平静ってなんだろう。御幸と接する私は、それを繕えているのだろうか。
「相変わらずイチャついてんなぁ」
「……そんな素敵なものに見えた?」
不意に背中からかけられた声に些か驚きはしたけれど、こんな事を言うこの声の主なんて 姿を見なくたって分かる。ため息混じりに振り返り ジトリと責めるような視線を向ければ、視線の先の倉持は「いや、」と否定の言葉と共に態とらしく肩を竦めた。
「ほんと、天然で無自覚のタラシって恐ろしいわ」
やれやれとため息を吐いて、今度は私が肩を竦める。そう、私が必死に平静を装ってやり過ごしているどんな言動も、御幸にとっては何一つ意味がない。ただ気まぐれに、深い意図などなく、そこに猫がいたから頭を撫でる。きっとそれぐらいの意味しか持たない。
そんな事を考えていた私の顔に ジッと投げかけられる視線に気付いて、どうしたのと言葉にする代わりに僅かに首を傾げながら倉持を見上げた。
「お前は誰でもそうなのかよ?」
「うん?」
「御幸以外のヤツに同じことされても、そんなに澄ましてられんのかって」
「御幸以外……倉持とか?」
例えとして目の前の彼の名前を挙げてみれば よほど意外だったのだろうか、俺かよ、と倉持は驚いたような、なんとも言えない苦い表情を浮かべた。
「誰でもいいけどよ……じゃあ俺が同じ事したら、お前どうすんだよ」
「試してみる?」
投げかけられた質問に、軽く両手を広げてハグの受け入れ態勢を示して応える。賑わう休み時間に、こんな大勢の目につく廊下で、突然に私たちがハグなんて始めれば それこそ周りからどう見えるのか。考えるまでもない話だけれど。
ギョッと目を見開いた倉持は、けれどすぐにいつもの柄の悪そうな表情に戻って(おっと失礼)、それから はぁぁぁぁと、呆れたように盛大にため息を吐いた。
「…アホか。簡単に男に触らせようとしてんじゃねーよ」
「いたっ」
コツンと。額を小突かれて反射的に声が漏れたけれど、本当は大して痛くなんてない。
全部分かっていたことだ。倉持は絶対に、容易に私に触れたりなんかしない。絶対にする訳がないと分かった上で、私はハグしてみるかと彼を煽ったのだ。
倉持も友達が少ない所為なのか、異性である私に触れる事を嫌っているように思う。同じ“友達が少ない人”のはずなのに、その所為で距離感が狂っている御幸とは正反対だ。不良かと思われるような鋭い目付きで、友達も少なくて、言動も基本的には粗雑であるのに、彼の中で私はしっかりと“女の子”なのだと知っている。意外にも律儀というか誠実というか。だから私は友人としての彼を絶対的に信用しているのだ。ハグしてみるかと言えるぐらいに、そして仮に本当にされたとしても嫌な気持ちにならないぐらいに。
「……倉持だからなのに」
別に、誰彼構わずハグを誘う訳じゃない。誠実な彼がする訳ないと、仮にされても構わないと、そう信頼している倉持が相手だからこそ発した冗談だ。
もうすぐ休み時間が終わる。私を小突いてそのまま教室に入っていった倉持の背中に向かって 拗ねるように漏らした私の声が届いたかどうかは定かではない。
甲子園を目指して朝から晩まで野球漬けの日々を送る選手たちをサポートする日々は忙しくもあり、けれど確かな充実感に満たされていた。
「佐倉」
休み時間の廊下にて。背後から私の名前を呼ぶ声にドキリとするけれど 平静を装って振り返れば、予想通りの男がいた。御幸一也。3年生が引退して新主将となった、私の想い人だ。御幸が好きなのだと自覚するたびに「どうしてこんな男を」と悔しくなるから、絶対に態度には出さないようにしているけれど。
どうしたの、なんていつもの通り平然と応えれば、ちょっと頼みがあるんだと 私の目の前で足を止めた御幸の話に耳を傾ける。
相槌を打ちながら今日の練習ですべき事を頭の中で整理していると、不意に。肩を抱き寄せられて、御幸の肩口に顔を埋めることとなる。
「な…!?」
この行動にはさすがに動揺して抗議の声を上げようとした瞬間、私のすぐ後ろを 数人の男子生徒がゲラゲラと笑いながら騒々しく駆け抜けていった。ふざけ合っている彼らはとても周りが見えているようには思えなくて、ああそうか、ぶつかりそうだったから助けてくれたのかと理解する。その瞬間に冷静さを取り戻すのは、もう癖のようなものだと思う。私は、御幸一也という男の前ではどうにも可愛げなくクールぶってしまう節がある。
ガキかよ危ねーなぁとボヤくように苦い表情を浮かべた御幸の胸元を、そっと両手で押した。
「御幸」
「ん?ああ、急に悪かったな」
「ううん、ありがと」
私の声を聞いた御幸は咄嗟の行動を詫びつつ、パッと私の肩から手を離す。それは文字通り、惜しげもなく。
御幸はこう言うところがある。これも全ては友達が少ない所為なのか、一応異性であるはずの私とも距離感がおかしいと言うか、何の躊躇いもなく私に触れるし、それが周りからどういう風に見られるのかなんて全く気にしない。マイペースというか、芯が強いというか、何も考えていないというか。振り回されるこちらの身にもなって欲しい、なんて 頑なに態度には出さないようにしている私が言えることではないけれど。
「ま、そういう事だからよろしく頼むわ」
「ん、わかった大丈夫、任せといて」
了承の返事をすれば御幸は満足そうに笑って ポンポンと私の頭を撫でてから、さっさと教室へ戻っていった。その背中を眺めて、ゆっくりと息を吐く。平静ってなんだろう。御幸と接する私は、それを繕えているのだろうか。
「相変わらずイチャついてんなぁ」
「……そんな素敵なものに見えた?」
不意に背中からかけられた声に些か驚きはしたけれど、こんな事を言うこの声の主なんて 姿を見なくたって分かる。ため息混じりに振り返り ジトリと責めるような視線を向ければ、視線の先の倉持は「いや、」と否定の言葉と共に態とらしく肩を竦めた。
「ほんと、天然で無自覚のタラシって恐ろしいわ」
やれやれとため息を吐いて、今度は私が肩を竦める。そう、私が必死に平静を装ってやり過ごしているどんな言動も、御幸にとっては何一つ意味がない。ただ気まぐれに、深い意図などなく、そこに猫がいたから頭を撫でる。きっとそれぐらいの意味しか持たない。
そんな事を考えていた私の顔に ジッと投げかけられる視線に気付いて、どうしたのと言葉にする代わりに僅かに首を傾げながら倉持を見上げた。
「お前は誰でもそうなのかよ?」
「うん?」
「御幸以外のヤツに同じことされても、そんなに澄ましてられんのかって」
「御幸以外……倉持とか?」
例えとして目の前の彼の名前を挙げてみれば よほど意外だったのだろうか、俺かよ、と倉持は驚いたような、なんとも言えない苦い表情を浮かべた。
「誰でもいいけどよ……じゃあ俺が同じ事したら、お前どうすんだよ」
「試してみる?」
投げかけられた質問に、軽く両手を広げてハグの受け入れ態勢を示して応える。賑わう休み時間に、こんな大勢の目につく廊下で、突然に私たちがハグなんて始めれば それこそ周りからどう見えるのか。考えるまでもない話だけれど。
ギョッと目を見開いた倉持は、けれどすぐにいつもの柄の悪そうな表情に戻って(おっと失礼)、それから はぁぁぁぁと、呆れたように盛大にため息を吐いた。
「…アホか。簡単に男に触らせようとしてんじゃねーよ」
「いたっ」
コツンと。額を小突かれて反射的に声が漏れたけれど、本当は大して痛くなんてない。
全部分かっていたことだ。倉持は絶対に、容易に私に触れたりなんかしない。絶対にする訳がないと分かった上で、私はハグしてみるかと彼を煽ったのだ。
倉持も友達が少ない所為なのか、異性である私に触れる事を嫌っているように思う。同じ“友達が少ない人”のはずなのに、その所為で距離感が狂っている御幸とは正反対だ。不良かと思われるような鋭い目付きで、友達も少なくて、言動も基本的には粗雑であるのに、彼の中で私はしっかりと“女の子”なのだと知っている。意外にも律儀というか誠実というか。だから私は友人としての彼を絶対的に信用しているのだ。ハグしてみるかと言えるぐらいに、そして仮に本当にされたとしても嫌な気持ちにならないぐらいに。
「……倉持だからなのに」
別に、誰彼構わずハグを誘う訳じゃない。誠実な彼がする訳ないと、仮にされても構わないと、そう信頼している倉持が相手だからこそ発した冗談だ。
もうすぐ休み時間が終わる。私を小突いてそのまま教室に入っていった倉持の背中に向かって 拗ねるように漏らした私の声が届いたかどうかは定かではない。