IF then ELSE
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
あの日から、私はどこか深くて暗い場所にいるような感覚だった。若利くんとは極力関わらないようにと 学校では逃げるように過ごし、徹と連絡を取る時も 会う時も、どこか機嫌を取るように気を使っていた。自分が何を恐れているのかも分からないままだ。
あの時 徹が私に見せたあの執着は、私という人間に対してなのか、相手が若利くんだからなのか、それさえも私には判断がつかない。私を手離したくないのではなくて、対象が私かどうかは問題ではなくて、ただ“若利くんに負けたくない”だけなのではないのかと。徹の怒りも執着も、佐倉七瀬への愛情ではなく、牛島若利への対抗心なのではないだろうかと。私には、徹に愛されているという絶対的な自信がないのだ。一度そのことに気付いてしまったら、あとは転がり落ちるしかない。落ちた先は、ただただ真っ暗な闇。その闇の中で もがく気力さえなかった。
「夏祭り行こうよ」
「…え?」
掛けられた声に、ハッと意識が浮上した。あの練習試合の日から何度目かの月曜日。お決まりのカフェで徹と向かい合って座っている時に振られた話題は、珍しくもお誘いだった。全然違うことを考えていた所為か、あるいは予想外の話題だった所為か。言われた言葉の意味が一瞬理解できなくて、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「ほら、今週神社であるやつ」
「ああ…クラスの子たちも言ってた」
「予定ある?」
「私は大丈夫だけど、徹の方こそ大丈夫?土曜日だよね」
「練習試合だけど、夜なら大丈夫だよ」
「うん、じゃあ行こう」
私には、その誘いが純粋に嬉しかった。毎週月曜日以外で徹と一緒に出かけるのも、徹の方からこうして誘われるのも、なんだか随分と久しぶりだ。七瀬は浴衣着てね、なんて ニコニコと楽しそうな彼の様子を見ていると、私は彼の特別なのだと 少しだけ期待が持てるような気がした。
◇
約束の土曜日。18時に鳥居の下でと待ち合わせをしていた私が その場に着いたのは時間の15分前だった。『ごめん、ちょっと遅れそう』そんなメールが徹から届いたのは、待ち合わせ時間の5分前。今日は練習試合だと言っていた。試合が長引くこともあるだろうし、試合の内容によっては学校に戻ってから練習の必要だって出てくるだろう。だからこれは仕方のないことで怒る気なんてないのは本心で、寧ろ待ち合わせ時間前に徹から連絡が届いたことに小さな感動さえ覚えたほどだ。彼の意識の中に私は確かに存在している。そのことに安堵したかった。
それから たくさんの人が鳥居をくぐり 屋台が並び賑わう境内へと入っていくのを見送りながら、どれぐらいの時間が経っただろうか。携帯を見れば、時間は19時13分。人混みに酔ってしまったような気もするし、ただ楽しそうに祭り会場へと入っていく人を見送り続けるのが辛くなって来ただけかもしれない。鳥居を離れ、人のいない外れの方へと向かう。祭りのBGMが遠くなっていくのを感じながら、見つけたベンチに腰掛けた。周りには草木があるだけで、神社からも少し離れてしまったようだ。まぁいいか、徹が着いたら連絡が来るだろう。ぼんやりと上を見上げてみれば、木の間から夜空が見えて、こんな時でも星は綺麗なんだな、なんて 皮肉めいたことを考えた。
「ねぇねぇ、1人でどうしたの」
「ずっと鳥居のところにいたよね?」
知らない声が聞こえて視線を前に向ければ、そこには見知らぬ男の人が2人。ああ、またこのパターンかと心の中でげんなりとする。今日は制服を着ていないのに。面倒臭くなりながら息を吐き出して、人を待ってます、と 目も合わせずに答えた。「でも1時間ぐらい待ってたよね」「それで来なかったんでしょ」彼らのその言い分は正しかったけれど、そんなに前から見られていたのかと、その上で人混みから離れたタイミングで声をかけられたのかと思うと薄気味悪さを感じて顔を顰める。「連絡は取れてますから」態とらしく視線を逸らしながら拒否の意味を含ませてそう言えば、じゃあ相手が来るまで遊ぼうよ、しつこくそう言って一歩二歩と距離を詰めてくる。やだよ、来ないで、放っておいて。頭の中を駆け巡っていたのは、この場の切り抜ける方法ばかりだ。
「悪いが、俺の連れだ」
打開策も浮かばず、私の肩に触れようとした手を振り払った瞬間、彼らの背後から聞き知った声がする。はっと私が顔を上げたのと、男たちが振り返ったのは同時だったはずだ。大股でこちらに近付いてくる 威圧感さえあるその人は。
「わかとし、くん」
助けに来てくれたのだと、心が軽くなった気がした。いつの間にか道を開けるように左右に退いていた男たちの間を通って私の目の前に来た彼は、私の腕を掴んで強く引く。加えられた力のままに私が立ち上がれば、行くぞ、と 短く発して 私の手を握ったまま歩き始めた。男たちは何も言わないから、きっと若利くんと争う気は起きなかったのだろう。その事にホッとして、私の手を引く若利くんの後ろをパタパタと小走りで続いた。
「若利くん、どうして…」
「天童たちに誘われた」
「違う、どうして ここにいるの?」
「言っただろう。…不思議とお前は、俺の目に留まる」
一瞬見失ったが間に合って良かった。立ち止まって私の目を見てそう言った若利くんの顔を見上げて、私は目を見開くことしかできない。こんな夜の暗い場所で、浮かれて浴衣なんて身に纏って、普段と違う格好で 普段と違う髪型をした私を。こんな人混みの中で見つけて追いかけて来てくれたと言うのだろうか。
助けてくれるのは、どうして徹じゃないんだろう。どうしていつも若利くんなのだろう。徹じゃないのに、若利くんと関わらないようにしていたはずなのに、彼の姿を見たとき 私は確かに心の底から安堵したのだ。若利くんだ、と。これは、ただ窮地を脱した心情として妥当なものなのだろうか。それとも、徹への裏切りになってしまうのだろうか。徹への罪悪感、浅ましい自分への嫌悪感、色んなものがごちゃ混ぜになって、気が付いた時にはポロポロと涙が流れていた。
「…お前が泣いているところは 見たくないと思っていたが」
一瞬驚いたような表情をした若利くんは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。彼の大きくて無骨な手が頬に触れて、親指の腹で 涙を拭うように目元をなぞった。ああ、優しい手だ。そう思って委ねるように目を伏せるけれど「泣いていても綺麗だな」続けられた言葉の衝撃に、呼吸さえも忘れてしまう。彼は今、なんと言っただろう。私の聞き間違いだっただろうか。ゴクリと止めていた息を飲み込んで、それから苦笑交じりで息を吐いた。
「…び、っくりして、涙止まっちゃったよ」
「そうか、勿体ない」
もったいないと言いながら、若利くんはどこかホッとしたように笑った。彼のまっすぐな言葉は、いつでも私の心を揺さぶる。ねぇ若利くん、あなたはどうしてそんなにも真っ直ぐなの。もっと下心とか、邪なものが見えたら あしらえるのに。若利くんにはそれが無いから邪険にできなくて、それどころか 心の奥底で、その想いを嬉しく思ってしまうんだ。
「…理由は」
「え?」
「泣いた理由は、及川か――それとも、俺か?」
「…っ、それは」
「理由が及川で、そこに少しでも俺が含まれていたなら、遠慮はしない」
握られたままだった腕を引かれ、つんのめるように一歩前に出る。すぐにでも触れてしまいそうに近付きた距離に どきりとする。真っ直ぐに向けられる強い瞳に溺れてしまいそうで、くらくらと目眩がした。
「俺は今、確かに佐倉が欲しいと思っている」
「ま、待って、だって私、彼氏…」
「ああ、分かっている。だから全部、俺が悪い」
その言葉と同時に、私の身体は若利くんの腕の中に閉じ込められていた。包むように触れる身体は暖かくて、伝わる鼓動が心地いい。わかとしくん。弱々しく紡いだ彼の名前に、なんの意味があっただろう。佐倉、と 耳元で囁かれた低い声がどうしようもなく甘く響いて、肩が震えた。
「拒むなら、俺を殴ってでも逃げろ」
苦しいほどに真摯な眼差しに捕らわれて、再び撫でるように頬に触れた若利くんの手が 親指で私の唇をなぞった。ぞくりと 何かが背筋を駆け上がる。きっと、今ここで逃げ出さなければ もう逃げられないと そんな気がした。
私は、徹が好きだ。軽薄で、子供じみていて、いつでも裏がありそうで信用できない男だけど、殊バレーボールに関しては誰よりも真剣で直向きで、情熱的にギラギラと目を輝かせる人。
そして、そんな真剣な瞳を、一度だって私に向けたことがない人。好きだと、愛してると言いながら、隣を歩く時も、触れ合う時も、キスをする時も、私を映す彼の瞳はボールを追う時ほどの熱は持たない。知っている、もうずっと前から気付いていた。それでも、それを含めて私が好きになった徹なのだと、そう 思っていたのに。頬を涙が伝ったけれど、私はその意味を知らない。
ねぇ徹、どこにいるの。早く来てよ。私は今、あなたが誰よりも嫌うこの人を相手に、向けられる真っ直ぐな瞳に、逃れようのない想いに、このまま奪われてしまいたいと 言い訳もできない程に揺らいでいるよ。
あの時 徹が私に見せたあの執着は、私という人間に対してなのか、相手が若利くんだからなのか、それさえも私には判断がつかない。私を手離したくないのではなくて、対象が私かどうかは問題ではなくて、ただ“若利くんに負けたくない”だけなのではないのかと。徹の怒りも執着も、佐倉七瀬への愛情ではなく、牛島若利への対抗心なのではないだろうかと。私には、徹に愛されているという絶対的な自信がないのだ。一度そのことに気付いてしまったら、あとは転がり落ちるしかない。落ちた先は、ただただ真っ暗な闇。その闇の中で もがく気力さえなかった。
「夏祭り行こうよ」
「…え?」
掛けられた声に、ハッと意識が浮上した。あの練習試合の日から何度目かの月曜日。お決まりのカフェで徹と向かい合って座っている時に振られた話題は、珍しくもお誘いだった。全然違うことを考えていた所為か、あるいは予想外の話題だった所為か。言われた言葉の意味が一瞬理解できなくて、ぱちぱちと目を瞬かせた。
「ほら、今週神社であるやつ」
「ああ…クラスの子たちも言ってた」
「予定ある?」
「私は大丈夫だけど、徹の方こそ大丈夫?土曜日だよね」
「練習試合だけど、夜なら大丈夫だよ」
「うん、じゃあ行こう」
私には、その誘いが純粋に嬉しかった。毎週月曜日以外で徹と一緒に出かけるのも、徹の方からこうして誘われるのも、なんだか随分と久しぶりだ。七瀬は浴衣着てね、なんて ニコニコと楽しそうな彼の様子を見ていると、私は彼の特別なのだと 少しだけ期待が持てるような気がした。
◇
約束の土曜日。18時に鳥居の下でと待ち合わせをしていた私が その場に着いたのは時間の15分前だった。『ごめん、ちょっと遅れそう』そんなメールが徹から届いたのは、待ち合わせ時間の5分前。今日は練習試合だと言っていた。試合が長引くこともあるだろうし、試合の内容によっては学校に戻ってから練習の必要だって出てくるだろう。だからこれは仕方のないことで怒る気なんてないのは本心で、寧ろ待ち合わせ時間前に徹から連絡が届いたことに小さな感動さえ覚えたほどだ。彼の意識の中に私は確かに存在している。そのことに安堵したかった。
それから たくさんの人が鳥居をくぐり 屋台が並び賑わう境内へと入っていくのを見送りながら、どれぐらいの時間が経っただろうか。携帯を見れば、時間は19時13分。人混みに酔ってしまったような気もするし、ただ楽しそうに祭り会場へと入っていく人を見送り続けるのが辛くなって来ただけかもしれない。鳥居を離れ、人のいない外れの方へと向かう。祭りのBGMが遠くなっていくのを感じながら、見つけたベンチに腰掛けた。周りには草木があるだけで、神社からも少し離れてしまったようだ。まぁいいか、徹が着いたら連絡が来るだろう。ぼんやりと上を見上げてみれば、木の間から夜空が見えて、こんな時でも星は綺麗なんだな、なんて 皮肉めいたことを考えた。
「ねぇねぇ、1人でどうしたの」
「ずっと鳥居のところにいたよね?」
知らない声が聞こえて視線を前に向ければ、そこには見知らぬ男の人が2人。ああ、またこのパターンかと心の中でげんなりとする。今日は制服を着ていないのに。面倒臭くなりながら息を吐き出して、人を待ってます、と 目も合わせずに答えた。「でも1時間ぐらい待ってたよね」「それで来なかったんでしょ」彼らのその言い分は正しかったけれど、そんなに前から見られていたのかと、その上で人混みから離れたタイミングで声をかけられたのかと思うと薄気味悪さを感じて顔を顰める。「連絡は取れてますから」態とらしく視線を逸らしながら拒否の意味を含ませてそう言えば、じゃあ相手が来るまで遊ぼうよ、しつこくそう言って一歩二歩と距離を詰めてくる。やだよ、来ないで、放っておいて。頭の中を駆け巡っていたのは、この場の切り抜ける方法ばかりだ。
「悪いが、俺の連れだ」
打開策も浮かばず、私の肩に触れようとした手を振り払った瞬間、彼らの背後から聞き知った声がする。はっと私が顔を上げたのと、男たちが振り返ったのは同時だったはずだ。大股でこちらに近付いてくる 威圧感さえあるその人は。
「わかとし、くん」
助けに来てくれたのだと、心が軽くなった気がした。いつの間にか道を開けるように左右に退いていた男たちの間を通って私の目の前に来た彼は、私の腕を掴んで強く引く。加えられた力のままに私が立ち上がれば、行くぞ、と 短く発して 私の手を握ったまま歩き始めた。男たちは何も言わないから、きっと若利くんと争う気は起きなかったのだろう。その事にホッとして、私の手を引く若利くんの後ろをパタパタと小走りで続いた。
「若利くん、どうして…」
「天童たちに誘われた」
「違う、どうして ここにいるの?」
「言っただろう。…不思議とお前は、俺の目に留まる」
一瞬見失ったが間に合って良かった。立ち止まって私の目を見てそう言った若利くんの顔を見上げて、私は目を見開くことしかできない。こんな夜の暗い場所で、浮かれて浴衣なんて身に纏って、普段と違う格好で 普段と違う髪型をした私を。こんな人混みの中で見つけて追いかけて来てくれたと言うのだろうか。
助けてくれるのは、どうして徹じゃないんだろう。どうしていつも若利くんなのだろう。徹じゃないのに、若利くんと関わらないようにしていたはずなのに、彼の姿を見たとき 私は確かに心の底から安堵したのだ。若利くんだ、と。これは、ただ窮地を脱した心情として妥当なものなのだろうか。それとも、徹への裏切りになってしまうのだろうか。徹への罪悪感、浅ましい自分への嫌悪感、色んなものがごちゃ混ぜになって、気が付いた時にはポロポロと涙が流れていた。
「…お前が泣いているところは 見たくないと思っていたが」
一瞬驚いたような表情をした若利くんは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。彼の大きくて無骨な手が頬に触れて、親指の腹で 涙を拭うように目元をなぞった。ああ、優しい手だ。そう思って委ねるように目を伏せるけれど「泣いていても綺麗だな」続けられた言葉の衝撃に、呼吸さえも忘れてしまう。彼は今、なんと言っただろう。私の聞き間違いだっただろうか。ゴクリと止めていた息を飲み込んで、それから苦笑交じりで息を吐いた。
「…び、っくりして、涙止まっちゃったよ」
「そうか、勿体ない」
もったいないと言いながら、若利くんはどこかホッとしたように笑った。彼のまっすぐな言葉は、いつでも私の心を揺さぶる。ねぇ若利くん、あなたはどうしてそんなにも真っ直ぐなの。もっと下心とか、邪なものが見えたら あしらえるのに。若利くんにはそれが無いから邪険にできなくて、それどころか 心の奥底で、その想いを嬉しく思ってしまうんだ。
「…理由は」
「え?」
「泣いた理由は、及川か――それとも、俺か?」
「…っ、それは」
「理由が及川で、そこに少しでも俺が含まれていたなら、遠慮はしない」
握られたままだった腕を引かれ、つんのめるように一歩前に出る。すぐにでも触れてしまいそうに近付きた距離に どきりとする。真っ直ぐに向けられる強い瞳に溺れてしまいそうで、くらくらと目眩がした。
「俺は今、確かに佐倉が欲しいと思っている」
「ま、待って、だって私、彼氏…」
「ああ、分かっている。だから全部、俺が悪い」
その言葉と同時に、私の身体は若利くんの腕の中に閉じ込められていた。包むように触れる身体は暖かくて、伝わる鼓動が心地いい。わかとしくん。弱々しく紡いだ彼の名前に、なんの意味があっただろう。佐倉、と 耳元で囁かれた低い声がどうしようもなく甘く響いて、肩が震えた。
「拒むなら、俺を殴ってでも逃げろ」
苦しいほどに真摯な眼差しに捕らわれて、再び撫でるように頬に触れた若利くんの手が 親指で私の唇をなぞった。ぞくりと 何かが背筋を駆け上がる。きっと、今ここで逃げ出さなければ もう逃げられないと そんな気がした。
私は、徹が好きだ。軽薄で、子供じみていて、いつでも裏がありそうで信用できない男だけど、殊バレーボールに関しては誰よりも真剣で直向きで、情熱的にギラギラと目を輝かせる人。
そして、そんな真剣な瞳を、一度だって私に向けたことがない人。好きだと、愛してると言いながら、隣を歩く時も、触れ合う時も、キスをする時も、私を映す彼の瞳はボールを追う時ほどの熱は持たない。知っている、もうずっと前から気付いていた。それでも、それを含めて私が好きになった徹なのだと、そう 思っていたのに。頬を涙が伝ったけれど、私はその意味を知らない。
ねぇ徹、どこにいるの。早く来てよ。私は今、あなたが誰よりも嫌うこの人を相手に、向けられる真っ直ぐな瞳に、逃れようのない想いに、このまま奪われてしまいたいと 言い訳もできない程に揺らいでいるよ。
5/5ページ