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振り返った私の背後に立っていたのは、高校バレーに携わる人間にとっては あまりにも有名すぎる人だった。それでも私に絡んでいたナンパ男たちは彼を知らない様子で、いくらその世界での有名人だと言っても バレーを見ない人にとっては怪童さえ“ただの高校生”に過ぎないのだろう。けれど たとえ彼を知らなくても、高い背丈と 無駄なく鍛えられていることは明らかな体格の良さ、その鋭い眼光は相手を怯ませるには充分だ。
突然現れたそんな牛島くんに腕を掴まれ制止されたナンパ男たちは明らかに怖気付き、チッと舌打ちをしながら 彼の手を払うように腕を振り、そしてそそくさと立ち去って行った。そのことに安堵の息を吐き、私の後ろに立つ人への振り返り 牛島くんの顔を見上げる。
「牛島くんありがとう、助かった……ロードワーク中だったかな」
「…お前」
私の顔を見た牛島くんは、少し驚いたように目を見開いた。そこで はたと気付く。一方的に見知っているから思わず馴れ馴れしく彼の名を呼んでしまったけれど、これまでに私は彼と言葉を交わしたことも、まともに顔を合わせたことさえないのだ。牛島くんの方からすれば、見知らぬ女に名前を知られていたという事になるのだろう。有名な選手でもある彼にとっては珍しいことでは無いかもしれないけれど、自分の立場で考えたら 少し気持ち悪いところである。そう思い至って、慌てて弁明のために口を開いた。
「あ、ごめん、同級生なの。1組の佐倉七瀬、です」
「ああ、及川の」
「え?」
肯定するような牛島くんのその声に、ぱちぱちと瞬きをする。及川の。その後に省略された言葉は、きっと“彼女”だろう。
確かに私は徹の試合を中学時代から何度も見に行っているし、試合の前後に徹や岩泉が牛島くんと話してる(と言えるほど穏やかな雰囲気ではなかったけれど)様子も見たことがある。でも徹の彼女だと自己紹介したこともなければ、そもそも言葉を交わしたこともない。ならば 関わりを持ったことはないけれど、同じ高校の同級生なのだから「学校で見かけたことのある女」ぐらいの印象なら頭の隅っこに持ってもらえているかもしれないとは思っていたけれど。まさかそれよりも先に、徹との関係の方に結び付いたことに純粋な驚きを隠せなかった。
数回見たことがあるだけの“知人の彼女”をすぐに思い出せるなんて、牛島くんは身体能力だけではなく 頭も良いのだろうか。記憶力が抜群にいいとか。そんな事を考えた私の口からは「よく覚えてるね、すごい」なんて そのままの感想が漏れていた。私のその声に牛島くんは「いや…」と 否定とも取れる言葉を零して視線を一度外し、だけどすぐに彼の目は私へと向き戻る。真っ直ぐな、なんの裏もない眼だ。
「俺は他人の顔や名前を覚えるのは あまり得意ではないが」
「…?」
「“及川の彼女”は、秀麗だと印象に残っている」
「………え、」
たっぷりと間を開けて私が発した声は なんとも間抜けなものだった。さらりと、まるで今日の天気を述べただけかのような淀みのなさで、彼が発したのは本当に私に向けられた言葉だったのだろうか。秀麗。日常会話でそうそう耳にする単語ではないため、一瞬 頭の中で漢字を考えてしまった。そして脳内で漢字変換されたその言葉の意味を理解し、顔に熱が集まる。なんの含みもなく、こんな言葉を こんなにも真っ直ぐ誰かにもらったことなどない。
「あ、ありがとう…?」
「この辺りはこれからの時間、ああいう手合いが多くなるぞ」
「うん…そうみたいだね」
「佐倉と言ったか、お前は男の目に留まりやすい。用がないなら帰った方がいい」
「そう、だね」
あまり言葉が多い方ではないと聞いたことのある牛島くんが、大した面識もない私の心配をしてくれているのだと分かる。それが素直に嬉しくて、その助言に従いたいところではあるけれど。煮え切らない態度と言葉で チラリと私が視線を向けた方に、つられるように彼も振り向いた。そして僅かに眉を寄せて、それから呆れたように息を吐いた。
私たちの視線の先にいる徹は女の子に囲まれていて、4人組だったはずなのにいつの間にか 女の子たちの数が増えている。及川徹という人物の人気の高さに感心すると同時に、本当にあの人が自分の彼氏なのだろうかという不安に駆られた。
「自分の彼女がこんな目にあっている事に、気付きもしないのか」
ため息混じりに言われたそれは、きっと 彼氏としての徹を非難した言葉。それなのに、どうしてこんなにも私の胸が痛むのだろう。ちゃんとファンの相手をしろって言ったの、私だから。言い訳のようにそう言った私が守りたかったのは、果たして 徹か、自分自身か。それすらも分からなくて牛島くんの顔を見ることさえできなくて、俯けた視界には私と彼の靴先だけが映っていた。足、大きいな。そんな事を思ったのは 逃避に他ならないと知っている。
「…お前は」
「うん?」
「いつも困った顔をしているな」
「え…」
「原因は及川か?」
目を瞬かせて見上げた先の牛島くんは、ただ静かに私を見下ろしていた。投げかけられたのは、何の他意もない、純粋な疑問。
学校での関わりはない彼が私を見知っていたというのなら、それはきっと試合会場で見かけたという意味のはずで。私は徹の応援でしか試合会場に行ったことはないし、牛島くんが私と徹の関係を知っていたことから考えると、彼が見かけたことのある私は きっと徹と一緒にいたのだろう。そして曰く、困った顔をしているらしい。そう、なのだろうか。妙に子供っぽいところがある徹に対して、岩泉と共に呆れてため息を吐くということは昔から何度もあるけれど、いつでも困っているという自覚はない。楽しく笑っていることも多いはず。
「そ、そんなことは ない、と 思うけど…」
「そうか。…余計な世話だったな」
「ううん、そういう訳じゃ」
「どうやら俺は、佐倉の笑った顔を見たいと思っているらしい」
「…………え、っと」
その言葉に、私はどんな言葉を返せば良かったのだろう。気恥ずかしくて俯いて、誤魔化すように前髪に触れる。そもそもこうして私が照れ臭さを抱くこと自体が自意識過剰なのかもしれないと思いはしたけれど、このほんの短時間しか言葉を交わしたことがなくても痛いほどに良く分かる。牛島くんは、本当に真っ直ぐだ。何の含みもなく真っ直ぐに向けられた言葉を、言葉そのもの以外の意味に邪推して受けとることの方が失礼だと思えるほどに。
人並みには笑うよ、なんて 何とかそんな言葉を返してけれど、真正面から彼の目を見る度胸はなくて、ちらりと窺うように目線だけを上げるのが精いっぱいだった。そうか、と返ってきた言葉は 興味がなさそうにも聞こえるものだったけれど、不思議と冷たさは感じなかった。
「及川に泣かされたら俺に言え」
「そ れは、どういう…?」
「お前を泣かせるような男に任せておけない」
「……!」
「そろそろ俺は行くが、及川が戻るまで気を付けろ」
「あ、うん、ありがとう…!」
それだけ言い残して 一度も振り返らずに走り去る牛島くんの背中を見送る。どきどきと心臓が落ち着かないのは、間違いなく先ほど言われた言葉のせいだ。あんな言い方だと、まるで――。そこまで思い出してまた恥ずかしくなって、ため息を吐きながらベンチに腰を落とした。
◇
おまたせ、と この日 2度目の言葉が頭上から降ってきて顔を上げる。視線の先には、少し疲れた顔をした徹がいた。女の子たちに囲まれてたから もっとご機嫌で戻ってくるものかと思っていた私は 想像とのギャップに少し目を見開いて、だけどそれから「お疲れ様」と笑顔で労いの言葉を掛ける。
徹は、どんな時でも必ず私を見つけてくれる。例えば、観客で埋め尽くされた観覧席で。街中でこうして 行き先を告げずに徹の傍を離れた時に。彼は私に居場所を問うこともなく、迷わず私の前に立つ。どうして私の居場所が分かるのかと何年か前に聞いたことがある気がするけれど、果たして徹は 私の問いになんと答えてくれただろう。
「ごめんね七瀬、大丈夫だった?」
「うん、別に……ナンパされただけ」
「はぁ!? それ全然大丈夫じゃないんだけど!」
「助けてもらったから、大丈夫」
「誰に?七瀬の知り合い?」
「…高校の、同級生」
まさか助けてくれたのがあの牛島若利だとは言えなくて、嘘のない程度に言葉を濁す。探るような視線を向けられ落ち着かなかったけれど、ふーん、と 徹はそれ以上の追及はしなかった。大丈夫だったならそれでいいと 私の手を取り歩き出した彼の横顔を見上げる。それはきっと、普段の徹と何ら変わりのない態度。それなのに、今日は、どうして。徹があれ以上踏み込んでこなかったのは 大丈夫だと言った私の言葉を信じたからではなくて、もしかして、別に“どうでも良かった”のではないだろうか。手を引かれ歩きながら、そんなことを考えてしまった。ちくりと 胸の奥が痛む。
私はいつでも困った顔をしているという牛島くんの言葉が 頭の中で木霊している。今は徹と過ごす時間だというのに、彼氏ではない男の人の声が 私から離れてくれなかった。
突然現れたそんな牛島くんに腕を掴まれ制止されたナンパ男たちは明らかに怖気付き、チッと舌打ちをしながら 彼の手を払うように腕を振り、そしてそそくさと立ち去って行った。そのことに安堵の息を吐き、私の後ろに立つ人への振り返り 牛島くんの顔を見上げる。
「牛島くんありがとう、助かった……ロードワーク中だったかな」
「…お前」
私の顔を見た牛島くんは、少し驚いたように目を見開いた。そこで はたと気付く。一方的に見知っているから思わず馴れ馴れしく彼の名を呼んでしまったけれど、これまでに私は彼と言葉を交わしたことも、まともに顔を合わせたことさえないのだ。牛島くんの方からすれば、見知らぬ女に名前を知られていたという事になるのだろう。有名な選手でもある彼にとっては珍しいことでは無いかもしれないけれど、自分の立場で考えたら 少し気持ち悪いところである。そう思い至って、慌てて弁明のために口を開いた。
「あ、ごめん、同級生なの。1組の佐倉七瀬、です」
「ああ、及川の」
「え?」
肯定するような牛島くんのその声に、ぱちぱちと瞬きをする。及川の。その後に省略された言葉は、きっと“彼女”だろう。
確かに私は徹の試合を中学時代から何度も見に行っているし、試合の前後に徹や岩泉が牛島くんと話してる(と言えるほど穏やかな雰囲気ではなかったけれど)様子も見たことがある。でも徹の彼女だと自己紹介したこともなければ、そもそも言葉を交わしたこともない。ならば 関わりを持ったことはないけれど、同じ高校の同級生なのだから「学校で見かけたことのある女」ぐらいの印象なら頭の隅っこに持ってもらえているかもしれないとは思っていたけれど。まさかそれよりも先に、徹との関係の方に結び付いたことに純粋な驚きを隠せなかった。
数回見たことがあるだけの“知人の彼女”をすぐに思い出せるなんて、牛島くんは身体能力だけではなく 頭も良いのだろうか。記憶力が抜群にいいとか。そんな事を考えた私の口からは「よく覚えてるね、すごい」なんて そのままの感想が漏れていた。私のその声に牛島くんは「いや…」と 否定とも取れる言葉を零して視線を一度外し、だけどすぐに彼の目は私へと向き戻る。真っ直ぐな、なんの裏もない眼だ。
「俺は他人の顔や名前を覚えるのは あまり得意ではないが」
「…?」
「“及川の彼女”は、秀麗だと印象に残っている」
「………え、」
たっぷりと間を開けて私が発した声は なんとも間抜けなものだった。さらりと、まるで今日の天気を述べただけかのような淀みのなさで、彼が発したのは本当に私に向けられた言葉だったのだろうか。秀麗。日常会話でそうそう耳にする単語ではないため、一瞬 頭の中で漢字を考えてしまった。そして脳内で漢字変換されたその言葉の意味を理解し、顔に熱が集まる。なんの含みもなく、こんな言葉を こんなにも真っ直ぐ誰かにもらったことなどない。
「あ、ありがとう…?」
「この辺りはこれからの時間、ああいう手合いが多くなるぞ」
「うん…そうみたいだね」
「佐倉と言ったか、お前は男の目に留まりやすい。用がないなら帰った方がいい」
「そう、だね」
あまり言葉が多い方ではないと聞いたことのある牛島くんが、大した面識もない私の心配をしてくれているのだと分かる。それが素直に嬉しくて、その助言に従いたいところではあるけれど。煮え切らない態度と言葉で チラリと私が視線を向けた方に、つられるように彼も振り向いた。そして僅かに眉を寄せて、それから呆れたように息を吐いた。
私たちの視線の先にいる徹は女の子に囲まれていて、4人組だったはずなのにいつの間にか 女の子たちの数が増えている。及川徹という人物の人気の高さに感心すると同時に、本当にあの人が自分の彼氏なのだろうかという不安に駆られた。
「自分の彼女がこんな目にあっている事に、気付きもしないのか」
ため息混じりに言われたそれは、きっと 彼氏としての徹を非難した言葉。それなのに、どうしてこんなにも私の胸が痛むのだろう。ちゃんとファンの相手をしろって言ったの、私だから。言い訳のようにそう言った私が守りたかったのは、果たして 徹か、自分自身か。それすらも分からなくて牛島くんの顔を見ることさえできなくて、俯けた視界には私と彼の靴先だけが映っていた。足、大きいな。そんな事を思ったのは 逃避に他ならないと知っている。
「…お前は」
「うん?」
「いつも困った顔をしているな」
「え…」
「原因は及川か?」
目を瞬かせて見上げた先の牛島くんは、ただ静かに私を見下ろしていた。投げかけられたのは、何の他意もない、純粋な疑問。
学校での関わりはない彼が私を見知っていたというのなら、それはきっと試合会場で見かけたという意味のはずで。私は徹の応援でしか試合会場に行ったことはないし、牛島くんが私と徹の関係を知っていたことから考えると、彼が見かけたことのある私は きっと徹と一緒にいたのだろう。そして曰く、困った顔をしているらしい。そう、なのだろうか。妙に子供っぽいところがある徹に対して、岩泉と共に呆れてため息を吐くということは昔から何度もあるけれど、いつでも困っているという自覚はない。楽しく笑っていることも多いはず。
「そ、そんなことは ない、と 思うけど…」
「そうか。…余計な世話だったな」
「ううん、そういう訳じゃ」
「どうやら俺は、佐倉の笑った顔を見たいと思っているらしい」
「…………え、っと」
その言葉に、私はどんな言葉を返せば良かったのだろう。気恥ずかしくて俯いて、誤魔化すように前髪に触れる。そもそもこうして私が照れ臭さを抱くこと自体が自意識過剰なのかもしれないと思いはしたけれど、このほんの短時間しか言葉を交わしたことがなくても痛いほどに良く分かる。牛島くんは、本当に真っ直ぐだ。何の含みもなく真っ直ぐに向けられた言葉を、言葉そのもの以外の意味に邪推して受けとることの方が失礼だと思えるほどに。
人並みには笑うよ、なんて 何とかそんな言葉を返してけれど、真正面から彼の目を見る度胸はなくて、ちらりと窺うように目線だけを上げるのが精いっぱいだった。そうか、と返ってきた言葉は 興味がなさそうにも聞こえるものだったけれど、不思議と冷たさは感じなかった。
「及川に泣かされたら俺に言え」
「そ れは、どういう…?」
「お前を泣かせるような男に任せておけない」
「……!」
「そろそろ俺は行くが、及川が戻るまで気を付けろ」
「あ、うん、ありがとう…!」
それだけ言い残して 一度も振り返らずに走り去る牛島くんの背中を見送る。どきどきと心臓が落ち着かないのは、間違いなく先ほど言われた言葉のせいだ。あんな言い方だと、まるで――。そこまで思い出してまた恥ずかしくなって、ため息を吐きながらベンチに腰を落とした。
◇
おまたせ、と この日 2度目の言葉が頭上から降ってきて顔を上げる。視線の先には、少し疲れた顔をした徹がいた。女の子たちに囲まれてたから もっとご機嫌で戻ってくるものかと思っていた私は 想像とのギャップに少し目を見開いて、だけどそれから「お疲れ様」と笑顔で労いの言葉を掛ける。
徹は、どんな時でも必ず私を見つけてくれる。例えば、観客で埋め尽くされた観覧席で。街中でこうして 行き先を告げずに徹の傍を離れた時に。彼は私に居場所を問うこともなく、迷わず私の前に立つ。どうして私の居場所が分かるのかと何年か前に聞いたことがある気がするけれど、果たして徹は 私の問いになんと答えてくれただろう。
「ごめんね七瀬、大丈夫だった?」
「うん、別に……ナンパされただけ」
「はぁ!? それ全然大丈夫じゃないんだけど!」
「助けてもらったから、大丈夫」
「誰に?七瀬の知り合い?」
「…高校の、同級生」
まさか助けてくれたのがあの牛島若利だとは言えなくて、嘘のない程度に言葉を濁す。探るような視線を向けられ落ち着かなかったけれど、ふーん、と 徹はそれ以上の追及はしなかった。大丈夫だったならそれでいいと 私の手を取り歩き出した彼の横顔を見上げる。それはきっと、普段の徹と何ら変わりのない態度。それなのに、今日は、どうして。徹があれ以上踏み込んでこなかったのは 大丈夫だと言った私の言葉を信じたからではなくて、もしかして、別に“どうでも良かった”のではないだろうか。手を引かれ歩きながら、そんなことを考えてしまった。ちくりと 胸の奥が痛む。
私はいつでも困った顔をしているという牛島くんの言葉が 頭の中で木霊している。今は徹と過ごす時間だというのに、彼氏ではない男の人の声が 私から離れてくれなかった。