ゼラニウムに捧ぐ
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未だに鼻先が触れそうなほど近い距離で赤司くんと視線が絡む。七瀬、と 頬を撫でながら私の名を呼ぶ僅かに掠れた声にぞくりとした。それと同時に、脳の奥底で精一杯の理性が叫ぶ。流されてはだめだ、呑まれてはいけない。
「――わたしっ、もう行くね!」
赤司くんの体を押し退けて、逃げるように控室を飛び出した。けれど彼は、私を引き止めることも追いかけてくることもしない。分かりきっていたことなのに、僅かに胸が痛んだ気がした。
なによ、赤司くんのばか。声にもならないほど小さく毒吐いて ぐっと手の甲で口元を拭い、チームに合流するため足を進めた。
◇
洛山の控室を出てから、歩数にして数十歩だっただろう。歩みを始めてそれほどすぐに横から伸びてきた手に腕を掴まれ、通路に引き込まれた。完全に不意を突かれた私は悲鳴をあげることもできず加えられる力のまま、気が付いた時には壁を背にする形になっている。そこに私を追い込むように目前に立つ人の顔を見上げて 驚きに目を見開いた。
「し、真ちゃん…?」
それは、これから試合を控えているもう1人の人。試合前にどうしたのかと問おうとして、だけど私は口を噤んだ。だって真ちゃんは明らかに不機嫌で、怒りさえ滲んでいるような気がして。閉じ込めるように壁に手を突き、鋭い視線で私を見下ろす彼の顔を ちらりと覗き込んだ。
「あの…、」
「今、洛山の控室から出てきたのか?」
「え…?ああ…まぁ…うん、そうだね」
「何故だ」
その問いに、私は目を瞬かせた。想定もしていなかった、そして私も答えを知らない質問に目を伏せて、真ちゃんから視線を逸らす。「…赤司くんに聞いて」ため息混じりに答えたそれが、私にとって全てだ。彼が考えている事など、私には計り知れないのだから。
「また“赤司くん”か」
冷たく放たれた声にハッとして視線を上げた。僅かに細められた彼の目の奥で、激情が揺らいだ気がした。
あ、そうか。そこでようやく理解が及ぶ。これから自分が対戦する相手と 仲良く逢瀬をしていたと思われているのなら、私がこの後の試合で赤司くんサイドの人間であると思われていても不思議ではない。それはきっと真ちゃんにとっては面白くない事だろう。
「今日は真ちゃんの応援だよ」
「は…?」
「真ちゃんが勝てばいいと思ってる」
だからそうではないと伝えるために、私はありのままを口にした。
敗北を知らない傲慢な赤司くんに、人として当然の感情を教えることができるのなら。他のチームには不可能でも、“キセキの世代”である緑間真太郎を擁する秀徳高校ならあるいは。今日この後に行われる試合に関して、知人同士の対戦だというのに、私に迷いはなかった。
そう言い切った直後、顎を掴まれ些か強引に顔を引かれ ぐっと真ちゃんの綺麗な顔が近付く。
「…赤司の為か」
「へ?」
「お前はオレが勝つことで起こる赤司への影響を期待してるだけだろう」
「……」
違うと答えることが できなかった。もしも秀徳の相手が海常であったなら、私はきっと どちらか一方を応援するなどできなかっただろう。私が望んでいるのは“真ちゃんの勝利”ではなく“赤司くんの敗北”で、それが結果的に秀徳の勝利とイコールだっただけ。まさにその通りだ。図星を突かれてぐうの音も出ず、自分への嫌悪に吐き気さえした。最低じゃないか。そんな嫌悪感を吐き出すように、ゆっくりと息を吐く。
「応援するって言ってるんだから、素直に受け取ってよ」
誤魔化すように苦笑いして、私に触れていた真ちゃんの手をやんわりと外した。じゃあ頑張ってね、と 目を合わせる事もできず 逃げるみたいにその場から立ち去そうとした私が数歩進んだところで、背後から抱きしめるように回された腕が私の動きを止める。
「だったら態度で示してみろ」
「な、…っ」
耳元で低い声が聞こえたかと思った瞬間、顎を掴まれ 半ば無理やり顔を後ろに向かされた。私が何かを言うよりも先に 確かな熱が口を塞ぐ。驚きに目を見開いて身を捩って抵抗してみるけれど、両手首を掴まれ 簡単に壁へと押さえ込まれてしまった。
真ちゃんは、怒っている。けれどこの行為が孕んでいるのは単に怒りだけではないのだと、唇の間から割り入ってきた熱が雄弁に語った。これが、へそ曲がりで素直ではない彼が唯一素直になる瞬間。いつも澄ました真ちゃんが 余裕なんて無くして貪るようにぶつかってくる口付けは、確かに私は求められているのだと 己の存在意義を満たしてくれるような気がした。だから私は、甘ったるい吐息を漏らしながらも向けられる激情を甘受するのだ。
「七瀬」
「…こんな時だけ、ずるい」
普段は私の名前なんて滅多に呼ばないくせに、呼んでも佐倉と名字なのに。こんな時だけ、触れ合っていた口唇が離れたほんの僅かな間に、彼は躊躇いもなく真っ直ぐに私の名前を呼ぶのだ。だから、だろうか。稀に呼ばれる自分の名前が、恐ろしいほど甘く響く。
撫でるように私の両頬に手を添えて、今度はまるでじゃれつくみたいに 軽いキスが何度も降ってくる。不意に視線を合わせた真ちゃんは 見たことがないほど優しい表情をしていたから、心臓がぎゅうっと鳴った気がしして なんだか泣きたくなった。
「赤司にだって、譲る気など毛頭ないのだよ」
「……?」
「オレを見ろ、余所見は許さん」
今度は有無を言わさず強引に。塞がれた唇から伝わるのは、普段は決して明かされることのない情熱だろう。この不器用な真心を 愛しく思わない術があるのなら教えてほしい。
私は彼に何を返せるだろうかと考えながら、頬に添えられている大きな手に そっと自分の手を重ねた。
「――わたしっ、もう行くね!」
赤司くんの体を押し退けて、逃げるように控室を飛び出した。けれど彼は、私を引き止めることも追いかけてくることもしない。分かりきっていたことなのに、僅かに胸が痛んだ気がした。
なによ、赤司くんのばか。声にもならないほど小さく毒吐いて ぐっと手の甲で口元を拭い、チームに合流するため足を進めた。
◇
洛山の控室を出てから、歩数にして数十歩だっただろう。歩みを始めてそれほどすぐに横から伸びてきた手に腕を掴まれ、通路に引き込まれた。完全に不意を突かれた私は悲鳴をあげることもできず加えられる力のまま、気が付いた時には壁を背にする形になっている。そこに私を追い込むように目前に立つ人の顔を見上げて 驚きに目を見開いた。
「し、真ちゃん…?」
それは、これから試合を控えているもう1人の人。試合前にどうしたのかと問おうとして、だけど私は口を噤んだ。だって真ちゃんは明らかに不機嫌で、怒りさえ滲んでいるような気がして。閉じ込めるように壁に手を突き、鋭い視線で私を見下ろす彼の顔を ちらりと覗き込んだ。
「あの…、」
「今、洛山の控室から出てきたのか?」
「え…?ああ…まぁ…うん、そうだね」
「何故だ」
その問いに、私は目を瞬かせた。想定もしていなかった、そして私も答えを知らない質問に目を伏せて、真ちゃんから視線を逸らす。「…赤司くんに聞いて」ため息混じりに答えたそれが、私にとって全てだ。彼が考えている事など、私には計り知れないのだから。
「また“赤司くん”か」
冷たく放たれた声にハッとして視線を上げた。僅かに細められた彼の目の奥で、激情が揺らいだ気がした。
あ、そうか。そこでようやく理解が及ぶ。これから自分が対戦する相手と 仲良く逢瀬をしていたと思われているのなら、私がこの後の試合で赤司くんサイドの人間であると思われていても不思議ではない。それはきっと真ちゃんにとっては面白くない事だろう。
「今日は真ちゃんの応援だよ」
「は…?」
「真ちゃんが勝てばいいと思ってる」
だからそうではないと伝えるために、私はありのままを口にした。
敗北を知らない傲慢な赤司くんに、人として当然の感情を教えることができるのなら。他のチームには不可能でも、“キセキの世代”である緑間真太郎を擁する秀徳高校ならあるいは。今日この後に行われる試合に関して、知人同士の対戦だというのに、私に迷いはなかった。
そう言い切った直後、顎を掴まれ些か強引に顔を引かれ ぐっと真ちゃんの綺麗な顔が近付く。
「…赤司の為か」
「へ?」
「お前はオレが勝つことで起こる赤司への影響を期待してるだけだろう」
「……」
違うと答えることが できなかった。もしも秀徳の相手が海常であったなら、私はきっと どちらか一方を応援するなどできなかっただろう。私が望んでいるのは“真ちゃんの勝利”ではなく“赤司くんの敗北”で、それが結果的に秀徳の勝利とイコールだっただけ。まさにその通りだ。図星を突かれてぐうの音も出ず、自分への嫌悪に吐き気さえした。最低じゃないか。そんな嫌悪感を吐き出すように、ゆっくりと息を吐く。
「応援するって言ってるんだから、素直に受け取ってよ」
誤魔化すように苦笑いして、私に触れていた真ちゃんの手をやんわりと外した。じゃあ頑張ってね、と 目を合わせる事もできず 逃げるみたいにその場から立ち去そうとした私が数歩進んだところで、背後から抱きしめるように回された腕が私の動きを止める。
「だったら態度で示してみろ」
「な、…っ」
耳元で低い声が聞こえたかと思った瞬間、顎を掴まれ 半ば無理やり顔を後ろに向かされた。私が何かを言うよりも先に 確かな熱が口を塞ぐ。驚きに目を見開いて身を捩って抵抗してみるけれど、両手首を掴まれ 簡単に壁へと押さえ込まれてしまった。
真ちゃんは、怒っている。けれどこの行為が孕んでいるのは単に怒りだけではないのだと、唇の間から割り入ってきた熱が雄弁に語った。これが、へそ曲がりで素直ではない彼が唯一素直になる瞬間。いつも澄ました真ちゃんが 余裕なんて無くして貪るようにぶつかってくる口付けは、確かに私は求められているのだと 己の存在意義を満たしてくれるような気がした。だから私は、甘ったるい吐息を漏らしながらも向けられる激情を甘受するのだ。
「七瀬」
「…こんな時だけ、ずるい」
普段は私の名前なんて滅多に呼ばないくせに、呼んでも佐倉と名字なのに。こんな時だけ、触れ合っていた口唇が離れたほんの僅かな間に、彼は躊躇いもなく真っ直ぐに私の名前を呼ぶのだ。だから、だろうか。稀に呼ばれる自分の名前が、恐ろしいほど甘く響く。
撫でるように私の両頬に手を添えて、今度はまるでじゃれつくみたいに 軽いキスが何度も降ってくる。不意に視線を合わせた真ちゃんは 見たことがないほど優しい表情をしていたから、心臓がぎゅうっと鳴った気がしして なんだか泣きたくなった。
「赤司にだって、譲る気など毛頭ないのだよ」
「……?」
「オレを見ろ、余所見は許さん」
今度は有無を言わさず強引に。塞がれた唇から伝わるのは、普段は決して明かされることのない情熱だろう。この不器用な真心を 愛しく思わない術があるのなら教えてほしい。
私は彼に何を返せるだろうかと考えながら、頬に添えられている大きな手に そっと自分の手を重ねた。