ゼラニウムに捧ぐ
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音として不完全な私の掠れた声が、やけに大きく響いた気がした。どうして、いるはずのないこの人が目の前にいるのだろう。
視線の先の彼―――緑間真太郎が一歩踏み出したのに応えるように 私も反射的に一歩ひけば、手洗い場のコンクリートが腰に触れた。
「どうして、緑間くんがここに…?」
「誠凛とは地区予選であたるので気まぐれで来てみただけだ。それより」
そのふざけた呼び方は何だ。
続けられた言葉にドキリとする。賢い彼に対して、こんな取って付けたような態度を取るのは得策ではなかった。これではまるで、自分は囚われたままなのだと自白しているようなものではないか。きっと、何食わぬ顔で笑ってやり過ごすのが正解だったと思ったところで もう遅い。
言葉に詰まって視線を逸らせば、緑間くんが足を進めて 数メートルはあった距離があっと言う間に詰められる。伸びてきた両手が手洗い場の縁に触れれば、必然的に私はその間に捕らわれてしまう。はっと視線を上げれば、間近にある切れ長の目と視線が絡んだ。「ああ、そうか」どこか嘲るように口の端を僅かに持ち上げた緑間くんが言う。
「お前はまだオレに縛られているようだな」
「……っ」
耳元で囁かれた声に、心臓を直に握られたような気がした。目の前で笑みを浮かべる緑間くんは、心なしか満足そうに見える。
誰のせいで こんなこと。その言葉は言えないまま、だけど目を逸らしてしまえば負けを認める事になるような気がして、グッと唇を噛んで睨むように視線を合わせ続ける。
「そう睨まずとも、別に何もする気はないのだよ」
ハッと鼻で笑うように息を吐いた緑間くんは、ゆっくりと身体を離した。それと同時に全身の力が抜けていくのが分かり、自分の身体にこんなにも力が入っていたのかと苦々しい気持ちになる。
「今はその事実だけで充分なのだよ」
「え…?」
「佐倉を縛っているのはオレだ…忘れるなよ」
私に絡みつく糸が、また少し締まった気がした。
それだけ言い残して緑間くんはくるりと体の向きを変え、一度も振り返る事なく立ち去って行く。その背中を見つめながら、噛みしめる唇を隠すように手の甲でそっと口元に触れた。
彼が私を縛っているのと同時に、私も彼を縛っているのだろう。私たちに纏わりつくのは同じものだから、私が抜け出せれば きっと彼も抜け出せる。私には背中を押してくれる人がいる、だからきっと大丈夫。そう思えば、私たちが同じ地区の高校に進学したことにさえ意味があるように思えた。
「…真ちゃん」
誰にも届かない呟きを零した私は、ドリンクボトルを抱えて みんなの元に駆け戻るのだった。
◇
昼食に入ったステーキ屋で火神の暴食を目の当たりにした私は視覚的に胸やけを起こしそうになりながらも、彼の活躍のおかげで無銭飲食の罪を犯さずに済んだので精一杯の敬意を表する。さすがに苦しそうな火神に苦笑いしながら、気休め程度にしかならないだろうが背中をさすっていた。
無事に昼食も済んだところで、このまますんなり帰途に着けないのが誠凛バスケ部なのだと ここ最近で私も学んだ。無銭飲食の危機が去った次に訪れた今日のミッションは、部員総出で探し人だった。
「…ったく」
「街中でテツ君を探すなんて難易度高いよね」
「いやマジで笑えねーんだよ…」
テツ君を探すためにいくつかのグループに分かれ、私は火神と並んで歩いていた。もともと存在を見失いやすいテツ君を、人があふれかえる街中で 心当たりもないまま探し出すのは至難の業だ。何時間後に見つかるかな。そんなことを考えていると、横顔に視線が突き刺さる。振り向かずとも 誰が寄越している視線なのかは簡単に分かるから、首を傾げながら目線だけで火神を見上げた。
「なぁに?」
「いや…何かあったのか?」
「…は?」
脈絡のない質問に間抜けな声が漏れた。何事かと火神に問いかけたのは私の方で、その問いに同義の質問を返されたのだから仕方ないだろう。訳が分からず まじまじと火神の顔を見つめれば、彼は何やら言い辛そうに首裏を掻く。
「あー…佐倉、試合終わった後から元気ねーだろ」
その言葉に、驚いた。ぽかんと呆けたまま、火神の顔から視線を逸らせなくなる。気付かれたことに驚いたわけではなく、もとより気落ちしている自覚さえなかったから。隠していることを悟られてドキリとするのとは違う、自分でさえ気付いていなかった心の内を掬い上げてもらったような、そんな感覚。
「最初は黄瀬の心配でもしてんのかと思ったけど、違うみてーだし」
そこまで言って、火神はばつが悪そうに視線を逸らした。
なんて優しい人なんだろう。心の内側からじんわりと温かくなるような気がした。それはきっと、テツ君でさえ気が付いていなかった私の変化。人間観察が得意で、他人の変化に敏感な彼でさえ見出せない。そもそも私自身に自覚がなかったのだから、気付く気付かないの話ではないのかもしれないけれど。
「すごいなぁ、火神は。……私、元気なかった?」
「“元気がない”っつーのも、何か違う気もするけど」
「そっか」
すごいな。純粋な感嘆が口からこぼれる。私はきっと、この先 何度でも彼に見透かされるのだろう。取り繕うことも許されないほど、こんなにも鮮やかに。その事実が不快ではないことが、何よりの証拠のような気がした。
「でも大丈夫、ちょっとトラウマに遭遇しただけ」
「はあ…?」
私の返答に 今度は火神が怪訝そうな声を出す。これ以上は、今はまだ言えない。納得していない表情を浮かべる火神にニコリと笑って、それ以上の追究は許さずに足を進める。
近い未来に私を解き放ってくれるのは火神なのかもしれないと、身勝手な期待を抱きながら。
視線の先の彼―――緑間真太郎が一歩踏み出したのに応えるように 私も反射的に一歩ひけば、手洗い場のコンクリートが腰に触れた。
「どうして、緑間くんがここに…?」
「誠凛とは地区予選であたるので気まぐれで来てみただけだ。それより」
そのふざけた呼び方は何だ。
続けられた言葉にドキリとする。賢い彼に対して、こんな取って付けたような態度を取るのは得策ではなかった。これではまるで、自分は囚われたままなのだと自白しているようなものではないか。きっと、何食わぬ顔で笑ってやり過ごすのが正解だったと思ったところで もう遅い。
言葉に詰まって視線を逸らせば、緑間くんが足を進めて 数メートルはあった距離があっと言う間に詰められる。伸びてきた両手が手洗い場の縁に触れれば、必然的に私はその間に捕らわれてしまう。はっと視線を上げれば、間近にある切れ長の目と視線が絡んだ。「ああ、そうか」どこか嘲るように口の端を僅かに持ち上げた緑間くんが言う。
「お前はまだオレに縛られているようだな」
「……っ」
耳元で囁かれた声に、心臓を直に握られたような気がした。目の前で笑みを浮かべる緑間くんは、心なしか満足そうに見える。
誰のせいで こんなこと。その言葉は言えないまま、だけど目を逸らしてしまえば負けを認める事になるような気がして、グッと唇を噛んで睨むように視線を合わせ続ける。
「そう睨まずとも、別に何もする気はないのだよ」
ハッと鼻で笑うように息を吐いた緑間くんは、ゆっくりと身体を離した。それと同時に全身の力が抜けていくのが分かり、自分の身体にこんなにも力が入っていたのかと苦々しい気持ちになる。
「今はその事実だけで充分なのだよ」
「え…?」
「佐倉を縛っているのはオレだ…忘れるなよ」
私に絡みつく糸が、また少し締まった気がした。
それだけ言い残して緑間くんはくるりと体の向きを変え、一度も振り返る事なく立ち去って行く。その背中を見つめながら、噛みしめる唇を隠すように手の甲でそっと口元に触れた。
彼が私を縛っているのと同時に、私も彼を縛っているのだろう。私たちに纏わりつくのは同じものだから、私が抜け出せれば きっと彼も抜け出せる。私には背中を押してくれる人がいる、だからきっと大丈夫。そう思えば、私たちが同じ地区の高校に進学したことにさえ意味があるように思えた。
「…真ちゃん」
誰にも届かない呟きを零した私は、ドリンクボトルを抱えて みんなの元に駆け戻るのだった。
◇
昼食に入ったステーキ屋で火神の暴食を目の当たりにした私は視覚的に胸やけを起こしそうになりながらも、彼の活躍のおかげで無銭飲食の罪を犯さずに済んだので精一杯の敬意を表する。さすがに苦しそうな火神に苦笑いしながら、気休め程度にしかならないだろうが背中をさすっていた。
無事に昼食も済んだところで、このまますんなり帰途に着けないのが誠凛バスケ部なのだと ここ最近で私も学んだ。無銭飲食の危機が去った次に訪れた今日のミッションは、部員総出で探し人だった。
「…ったく」
「街中でテツ君を探すなんて難易度高いよね」
「いやマジで笑えねーんだよ…」
テツ君を探すためにいくつかのグループに分かれ、私は火神と並んで歩いていた。もともと存在を見失いやすいテツ君を、人があふれかえる街中で 心当たりもないまま探し出すのは至難の業だ。何時間後に見つかるかな。そんなことを考えていると、横顔に視線が突き刺さる。振り向かずとも 誰が寄越している視線なのかは簡単に分かるから、首を傾げながら目線だけで火神を見上げた。
「なぁに?」
「いや…何かあったのか?」
「…は?」
脈絡のない質問に間抜けな声が漏れた。何事かと火神に問いかけたのは私の方で、その問いに同義の質問を返されたのだから仕方ないだろう。訳が分からず まじまじと火神の顔を見つめれば、彼は何やら言い辛そうに首裏を掻く。
「あー…佐倉、試合終わった後から元気ねーだろ」
その言葉に、驚いた。ぽかんと呆けたまま、火神の顔から視線を逸らせなくなる。気付かれたことに驚いたわけではなく、もとより気落ちしている自覚さえなかったから。隠していることを悟られてドキリとするのとは違う、自分でさえ気付いていなかった心の内を掬い上げてもらったような、そんな感覚。
「最初は黄瀬の心配でもしてんのかと思ったけど、違うみてーだし」
そこまで言って、火神はばつが悪そうに視線を逸らした。
なんて優しい人なんだろう。心の内側からじんわりと温かくなるような気がした。それはきっと、テツ君でさえ気が付いていなかった私の変化。人間観察が得意で、他人の変化に敏感な彼でさえ見出せない。そもそも私自身に自覚がなかったのだから、気付く気付かないの話ではないのかもしれないけれど。
「すごいなぁ、火神は。……私、元気なかった?」
「“元気がない”っつーのも、何か違う気もするけど」
「そっか」
すごいな。純粋な感嘆が口からこぼれる。私はきっと、この先 何度でも彼に見透かされるのだろう。取り繕うことも許されないほど、こんなにも鮮やかに。その事実が不快ではないことが、何よりの証拠のような気がした。
「でも大丈夫、ちょっとトラウマに遭遇しただけ」
「はあ…?」
私の返答に 今度は火神が怪訝そうな声を出す。これ以上は、今はまだ言えない。納得していない表情を浮かべる火神にニコリと笑って、それ以上の追究は許さずに足を進める。
近い未来に私を解き放ってくれるのは火神なのかもしれないと、身勝手な期待を抱きながら。