ゼラニウムに捧ぐ
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逃げ出すようにみんなの元から走り去り、チームに戻ることもできずに体育館の周りを彷徨い歩く。人通りの少ない通路の 2階席へと上がる階段の下に隠れるように しゃがみ込み、膝を抱える腕に顔を伏せた。私の意志とは関係なしに頭の中でフラッシュバックされるのは、先ほどの赤司くんの行為。
人前で、あんなこと。恥ずかしさからなのか、それとも別の理由からなのか定かではないけれど、じわりと涙が浮かんだ。人目がある場であんなことをした赤司くんを憎らしく思うのに、こうして触れられる距離に彼がいることを、私は確かに嬉しく思っている。その事実が目を背けることが出来ないほど明確で、どうしようもなく悔しかった。結局のところ、全ては彼の思い通りなのだろうか。
(なによ、赤司くんのばか)
顔を伏せたまま心の中で毒を吐く。けれどこれから試合を控えているのに こんな心境じゃダメだ。なんとか気持ちを切り替えようとしていると、足音が近付いてくるのが分かった。顔を伏せていた腕でゴシゴシと目元を拭ってから顔を上げれば、目の前に立ち止まった誰かの脚が見える。…このジャージは。私が顔を上げるよりも先にその人がしゃがみ込めば、その姿が視界に入り込んだ。
「っ、かがみ…」
「急にいなくなんなよ…探しただろーが」
「ご、ごめん」
眉を寄せて不満そうに言われて うっ、と言葉に詰まる。呆れたように息を吐いた火神の肩にはエナメルバッグが掛ったままで、チームの方に合流するより先に私を探しに来てくれたのだと分かった。その事に申し訳なく思いもするけれど、心の真ん中でじんわりと温かいものが広かった気もする。だけど、それよりも。
「早くチームに顔出さないと、リコさんの雷が落ちるよ?」
「…それはもう今更だろ」
「ははっ、たしかに」
「んなことより」
「…?」
「あんなもん見せられて、放っとけるかよ」
こちらに伸びてきた火神の手が、甲で拭うように私の口元を擦った。彼の言う“あんなもの”が何を指すのか明らかで、頬に熱が集まる。ごめん、と反射的に私の口から出た謝罪の言葉に火神は顔を顰めて、それから盛大に溜息を吐くから 不意を衝かれてビクリと肩が跳ねた。そろそろと火神の顔を見上げれば その表情は目に見えて不機嫌で、思わず身構えてしまう。そんな私に気が付いた火神は 今度は短く息を吐き、ガシガシと自分の後頭部を乱暴に掻いた。
「あー、クソッ……お前が謝んな」
「え…わ、ぁ!」
腕を掴まれ強く引かれ、膝を立ててしゃがみ込んでいた私の身体は簡単に前方へと倒れ込む。けれど膝が地面に触れただけで、上体は火神に抱きとめられた。間近にある彼の顔を見上げようとしたところで後頭部を引き寄せられて、有無も言わさず その肩口に口元を埋める。「…一個聞いとくけど」囁くような火神の声が耳元で聞こえた。静かなのに熱っぽいそれが、直接 鼓膜に触れたような気がして ゾクリと背中を何かが駆け上がる。
「“赤司のもの”では ねぇんだな?」
「違うよ、元チームメイトっていうだけ」
「佐倉にとって赤司は特別だって、前に桃井から聞いたぜ」
「……幼馴染だってことかな」
その答えに嘘はない。けれど私たちの出会いも、過ごしてきた時間も、きっと今は話す必要のないことだ。それ以上は何も言わない私を火神がどう思ったのか定かではないけれど、私の頭に触れていた彼の手が髪を撫でた。その手が優しすぎて 委ねるように目を伏せた私の耳に届いたのは、まぁどうでもいいけどよ、と 言葉通り然程興味はなさそうな火神の声だった。
「あんなもん見ちまったせいで、試合前だってのに余計な事ばかり考えちまう」
「…!ど、どうすればいい…?」
厳しい戦いになることは必至な強敵相手の試合前に、ほんの僅かだって余計な思考を与えたくないのに。火神の言葉にギクリと肩を揺らし、窺うように顔を上げた私と目を合わせた火神は「なんつー顔」なんて言いながら、悪戯っぽく笑った。その軽やかな笑顔はとても“余計な思考”に困っているようには見えなくて、あれ、もしかして、からかわれただけだろうか。呆然と彼の顔を見上げる私の頬を、火神の大きな手が撫でた。
「これでチャラな」
抱きとめられた時から腰に回されていた腕に力が込められ、グッと身体を引き寄せられる。そして甘やかな熱が唇に触れた。
◇
試合開始が間も無くに迫り、用意をしようと控室から離れる。廊下を少し進んだところで、七瀬、と 私の名前が呼ばれた。凜とよく通る、綺麗な声だ。足を止めてゆっくりと振り返った先には、想像していたとおりに桃色の長い髪を揺らす少女がいた。「…さつき」彼女の名前を呼べば、躊躇いがちに下げられていた視線が持ち上げられる。確かな決意を宿した、強い瞳だと思った。
「私は全力で戦うよ……たとえテツ君を傷付けてしまっても」
「うん――それでも負けないよ。私もテツ君も、大輝に笑って欲しいの」
真っ直ぐと告げられた揺るぎのない覚悟に、私も彼女の目を真っ直ぐに見据えて答える。しばらく視線を交えたままの沈黙が続き、先にふっと表情を緩めたのは さつきの方だった。ありがとう。聞き逃してしまいそうな小さな呟きを残して歩き去る彼女の背中を見送る。チームのため、大輝のため、さつきのため。負けられない試合が始まる。
人前で、あんなこと。恥ずかしさからなのか、それとも別の理由からなのか定かではないけれど、じわりと涙が浮かんだ。人目がある場であんなことをした赤司くんを憎らしく思うのに、こうして触れられる距離に彼がいることを、私は確かに嬉しく思っている。その事実が目を背けることが出来ないほど明確で、どうしようもなく悔しかった。結局のところ、全ては彼の思い通りなのだろうか。
(なによ、赤司くんのばか)
顔を伏せたまま心の中で毒を吐く。けれどこれから試合を控えているのに こんな心境じゃダメだ。なんとか気持ちを切り替えようとしていると、足音が近付いてくるのが分かった。顔を伏せていた腕でゴシゴシと目元を拭ってから顔を上げれば、目の前に立ち止まった誰かの脚が見える。…このジャージは。私が顔を上げるよりも先にその人がしゃがみ込めば、その姿が視界に入り込んだ。
「っ、かがみ…」
「急にいなくなんなよ…探しただろーが」
「ご、ごめん」
眉を寄せて不満そうに言われて うっ、と言葉に詰まる。呆れたように息を吐いた火神の肩にはエナメルバッグが掛ったままで、チームの方に合流するより先に私を探しに来てくれたのだと分かった。その事に申し訳なく思いもするけれど、心の真ん中でじんわりと温かいものが広かった気もする。だけど、それよりも。
「早くチームに顔出さないと、リコさんの雷が落ちるよ?」
「…それはもう今更だろ」
「ははっ、たしかに」
「んなことより」
「…?」
「あんなもん見せられて、放っとけるかよ」
こちらに伸びてきた火神の手が、甲で拭うように私の口元を擦った。彼の言う“あんなもの”が何を指すのか明らかで、頬に熱が集まる。ごめん、と反射的に私の口から出た謝罪の言葉に火神は顔を顰めて、それから盛大に溜息を吐くから 不意を衝かれてビクリと肩が跳ねた。そろそろと火神の顔を見上げれば その表情は目に見えて不機嫌で、思わず身構えてしまう。そんな私に気が付いた火神は 今度は短く息を吐き、ガシガシと自分の後頭部を乱暴に掻いた。
「あー、クソッ……お前が謝んな」
「え…わ、ぁ!」
腕を掴まれ強く引かれ、膝を立ててしゃがみ込んでいた私の身体は簡単に前方へと倒れ込む。けれど膝が地面に触れただけで、上体は火神に抱きとめられた。間近にある彼の顔を見上げようとしたところで後頭部を引き寄せられて、有無も言わさず その肩口に口元を埋める。「…一個聞いとくけど」囁くような火神の声が耳元で聞こえた。静かなのに熱っぽいそれが、直接 鼓膜に触れたような気がして ゾクリと背中を何かが駆け上がる。
「“赤司のもの”では ねぇんだな?」
「違うよ、元チームメイトっていうだけ」
「佐倉にとって赤司は特別だって、前に桃井から聞いたぜ」
「……幼馴染だってことかな」
その答えに嘘はない。けれど私たちの出会いも、過ごしてきた時間も、きっと今は話す必要のないことだ。それ以上は何も言わない私を火神がどう思ったのか定かではないけれど、私の頭に触れていた彼の手が髪を撫でた。その手が優しすぎて 委ねるように目を伏せた私の耳に届いたのは、まぁどうでもいいけどよ、と 言葉通り然程興味はなさそうな火神の声だった。
「あんなもん見ちまったせいで、試合前だってのに余計な事ばかり考えちまう」
「…!ど、どうすればいい…?」
厳しい戦いになることは必至な強敵相手の試合前に、ほんの僅かだって余計な思考を与えたくないのに。火神の言葉にギクリと肩を揺らし、窺うように顔を上げた私と目を合わせた火神は「なんつー顔」なんて言いながら、悪戯っぽく笑った。その軽やかな笑顔はとても“余計な思考”に困っているようには見えなくて、あれ、もしかして、からかわれただけだろうか。呆然と彼の顔を見上げる私の頬を、火神の大きな手が撫でた。
「これでチャラな」
抱きとめられた時から腰に回されていた腕に力が込められ、グッと身体を引き寄せられる。そして甘やかな熱が唇に触れた。
◇
試合開始が間も無くに迫り、用意をしようと控室から離れる。廊下を少し進んだところで、七瀬、と 私の名前が呼ばれた。凜とよく通る、綺麗な声だ。足を止めてゆっくりと振り返った先には、想像していたとおりに桃色の長い髪を揺らす少女がいた。「…さつき」彼女の名前を呼べば、躊躇いがちに下げられていた視線が持ち上げられる。確かな決意を宿した、強い瞳だと思った。
「私は全力で戦うよ……たとえテツ君を傷付けてしまっても」
「うん――それでも負けないよ。私もテツ君も、大輝に笑って欲しいの」
真っ直ぐと告げられた揺るぎのない覚悟に、私も彼女の目を真っ直ぐに見据えて答える。しばらく視線を交えたままの沈黙が続き、先にふっと表情を緩めたのは さつきの方だった。ありがとう。聞き逃してしまいそうな小さな呟きを残して歩き去る彼女の背中を見送る。チームのため、大輝のため、さつきのため。負けられない試合が始まる。