ゼラニウムに捧ぐ
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ドリンクボトルを洗ってくると言ってから戻りが遅い七瀬の様子を見に行く役を引き受けたのは木吉だった。自分たちがと申し出た1年生には、飲み物を買いに行きたいからそのついでに見てくると納得してもらう。その言葉に嘘はなかったけれど、自分が見に行きたい気持ちがあったのも嘘ではない。気のせいだと言われればそれまでだが、インターバル後から七瀬の様子が少し違っていたような気がしたから。
そんなことを考えながら辿り着いた手洗い場に七瀬の姿はなく、床に散らばり落ちているボトルに木吉は眉を寄せた。彼女がこの状態で自分の仕事を放棄するような子ではないと充分に知っているから、何か特別な事情があったのだろうと容易に想像できる。それならば、一体何が――。思考しながら散らばったボトルを拾い集め とりあえず流し台に置き、あたりを見回せば 薄暗い通路がある事に気が付いた。「立ち入り禁止」と書かれたバリケードが置かれているそこが無性に気になったのは、第六感だったのかもしれない。
そちらに足を進めて通路を覗き込めば、少し先に人影が見えた。立ち入り禁止のこんな薄暗い通路で、床に座り込んで俯くその人は、まさに彼が探していた人物に他ならない。けれど見つけた安堵感よりも、この状況に嫌な予感が膨れ上がる。
「… 七瀬?」
名前を呼べば、ビクリと過剰に身体が跳ねたのが分かった。その反応は、絶対に普通じゃない。そう察して彼女の元に駆け寄った。
◇
不意に名前を呼ばれ、大袈裟に肩が跳ねたのが自分でも分かった。ゆるゆると声がした方に視線を向ければ、慌てたように駆け寄ってくる先輩の姿が見えた。木吉さん。彼の名前を呼んだ声は 音とは言えないぐらい掠れていた。
私の目の前まで来た木吉さんは、座り込む私と視線を合わせるように床に膝をつき、顔が近付いたところではっとする。見られたくない。そんな思いで自分の首筋を隠すように触れた私の行動は不自然だったのだろう。木吉さんが私の手首を掴んで やんわりと首元から手を引き離せば、いくつも散りばめられた赤が露わになる。
「っ、なんだよ これ…!」
木吉さんが目を見開いて、奥歯を噛みしめる。発せられた声は怒気を孕んでいて ぎゅっと心臓が痛んだ気がした。何でもないです、なんて言ってみたところで、彼の目を見れない私の声に 説得力などあるわけもない。
木吉さんは どうしたとか、何があったとか問うことはせず、眉を寄せて何かを思案しているように見えた。「……花宮か?」ぽつりと発せられた名前に身体が強張り、無意識のうちにまた口元を拭っていた。きっとその行動は肯定を意味するには充分すぎて、色々と察したであろう木吉さんが眉を寄せて舌打ちを零す。彼がこういう風に苛立ちを表に出すのは珍しいな、なんて 逃避みたいにぼんやりと考えた私の体が ぎゅっと強く抱きしめられた。
触れる手が、体温が、ひどく安心して目を伏せれば、安堵から浮かんだ涙が零れ落ちる。
「悪い、七瀬を1人にするべきじゃなかった」
「いえ…減るものじゃないし、思いっきり舌を噛んでやりましたから」
心配させたいわけじゃない。罪悪感を抱かせたいわけでもない。だから大丈夫だと言って へらりと笑ってみせた。
あの時、花宮さんは 木吉さんの代わりに私を と、たしかそんな事を言っていた。もしも私に何事も起きない未来があったとすれば、それは選手の誰かが負傷退場を強いられていた場合なのだろう。それならば、たとえ綺麗事だと言われても。
「木吉さんたちに怪我がなくて良かった、です」
「良いわけないだろ……俺が、良くない」
撫でるように私の前髪を掻き上げた木吉さんが額に唇を寄せ、次はまるで流れた涙を拭うように目尻にもう一度。それからしっかりと視線を合わされた瞳の中に、確かな熱が見えてドキリとした。私は、この眼を知っている。
「きよし、さん?」
「悪い七瀬…歯止めが効きそうにないから、嫌なら本気で抵抗しろよ」
何か言葉を出すより先に、覆い被さるように私の頭上の壁に腕をついた木吉さんの唇が重ねられる。ついばむ様に優しく触れるだけのキスが何度も降り注ぎ、次第に深まって行く。彼の手が掬うように顎に触れ、親指でやんわりと下唇を引かれる。その緩やかな力に逆らわず薄く口唇を開けば性急に舌が入り込んできて、いつも余裕のある彼らしくないと思うけれど、それでも乱暴さは微塵も感じないから やっぱり木吉さんらしい。
歯列をなぞり 舌を絡めとられ、ふるりと身体が震えた。どうしてだろう。花宮さんにされたことと同じ行為なのに、全然違う。温かくて、優しくて、すごく安心する。こびり付いたように残っていた感覚が消えていく気がした。だから、悪夢のようにさえ感じたあの瞬間も、彼に触れられれば忘れられると思ったから。
口元が離れ吐息が漏れる。縋るように木吉さんの胸元の服を握りしめ顔を見上げれば、まだ熱を宿した瞳と目が合う。
「…、木吉さん」
「ん?」
「もう いっかい」
「…っ、そういうこと 言うもんじゃねぇだろ」
悩まし気な声が聞こえたかと思えば 後頭部を掻き抱き引き寄せられ、再び口を塞がれる。この甘やかな熱に、もう少し溺れていたいと思った。
そんなことを考えながら辿り着いた手洗い場に七瀬の姿はなく、床に散らばり落ちているボトルに木吉は眉を寄せた。彼女がこの状態で自分の仕事を放棄するような子ではないと充分に知っているから、何か特別な事情があったのだろうと容易に想像できる。それならば、一体何が――。思考しながら散らばったボトルを拾い集め とりあえず流し台に置き、あたりを見回せば 薄暗い通路がある事に気が付いた。「立ち入り禁止」と書かれたバリケードが置かれているそこが無性に気になったのは、第六感だったのかもしれない。
そちらに足を進めて通路を覗き込めば、少し先に人影が見えた。立ち入り禁止のこんな薄暗い通路で、床に座り込んで俯くその人は、まさに彼が探していた人物に他ならない。けれど見つけた安堵感よりも、この状況に嫌な予感が膨れ上がる。
「… 七瀬?」
名前を呼べば、ビクリと過剰に身体が跳ねたのが分かった。その反応は、絶対に普通じゃない。そう察して彼女の元に駆け寄った。
◇
不意に名前を呼ばれ、大袈裟に肩が跳ねたのが自分でも分かった。ゆるゆると声がした方に視線を向ければ、慌てたように駆け寄ってくる先輩の姿が見えた。木吉さん。彼の名前を呼んだ声は 音とは言えないぐらい掠れていた。
私の目の前まで来た木吉さんは、座り込む私と視線を合わせるように床に膝をつき、顔が近付いたところではっとする。見られたくない。そんな思いで自分の首筋を隠すように触れた私の行動は不自然だったのだろう。木吉さんが私の手首を掴んで やんわりと首元から手を引き離せば、いくつも散りばめられた赤が露わになる。
「っ、なんだよ これ…!」
木吉さんが目を見開いて、奥歯を噛みしめる。発せられた声は怒気を孕んでいて ぎゅっと心臓が痛んだ気がした。何でもないです、なんて言ってみたところで、彼の目を見れない私の声に 説得力などあるわけもない。
木吉さんは どうしたとか、何があったとか問うことはせず、眉を寄せて何かを思案しているように見えた。「……花宮か?」ぽつりと発せられた名前に身体が強張り、無意識のうちにまた口元を拭っていた。きっとその行動は肯定を意味するには充分すぎて、色々と察したであろう木吉さんが眉を寄せて舌打ちを零す。彼がこういう風に苛立ちを表に出すのは珍しいな、なんて 逃避みたいにぼんやりと考えた私の体が ぎゅっと強く抱きしめられた。
触れる手が、体温が、ひどく安心して目を伏せれば、安堵から浮かんだ涙が零れ落ちる。
「悪い、七瀬を1人にするべきじゃなかった」
「いえ…減るものじゃないし、思いっきり舌を噛んでやりましたから」
心配させたいわけじゃない。罪悪感を抱かせたいわけでもない。だから大丈夫だと言って へらりと笑ってみせた。
あの時、花宮さんは 木吉さんの代わりに私を と、たしかそんな事を言っていた。もしも私に何事も起きない未来があったとすれば、それは選手の誰かが負傷退場を強いられていた場合なのだろう。それならば、たとえ綺麗事だと言われても。
「木吉さんたちに怪我がなくて良かった、です」
「良いわけないだろ……俺が、良くない」
撫でるように私の前髪を掻き上げた木吉さんが額に唇を寄せ、次はまるで流れた涙を拭うように目尻にもう一度。それからしっかりと視線を合わされた瞳の中に、確かな熱が見えてドキリとした。私は、この眼を知っている。
「きよし、さん?」
「悪い七瀬…歯止めが効きそうにないから、嫌なら本気で抵抗しろよ」
何か言葉を出すより先に、覆い被さるように私の頭上の壁に腕をついた木吉さんの唇が重ねられる。ついばむ様に優しく触れるだけのキスが何度も降り注ぎ、次第に深まって行く。彼の手が掬うように顎に触れ、親指でやんわりと下唇を引かれる。その緩やかな力に逆らわず薄く口唇を開けば性急に舌が入り込んできて、いつも余裕のある彼らしくないと思うけれど、それでも乱暴さは微塵も感じないから やっぱり木吉さんらしい。
歯列をなぞり 舌を絡めとられ、ふるりと身体が震えた。どうしてだろう。花宮さんにされたことと同じ行為なのに、全然違う。温かくて、優しくて、すごく安心する。こびり付いたように残っていた感覚が消えていく気がした。だから、悪夢のようにさえ感じたあの瞬間も、彼に触れられれば忘れられると思ったから。
口元が離れ吐息が漏れる。縋るように木吉さんの胸元の服を握りしめ顔を見上げれば、まだ熱を宿した瞳と目が合う。
「…、木吉さん」
「ん?」
「もう いっかい」
「…っ、そういうこと 言うもんじゃねぇだろ」
悩まし気な声が聞こえたかと思えば 後頭部を掻き抱き引き寄せられ、再び口を塞がれる。この甘やかな熱に、もう少し溺れていたいと思った。