ゼラニウムに捧ぐ
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丞成高校を下して決勝リーグへの進出を決め、迎えた緒戦の泉真館戦も危なげなく勝利し 過去の敗戦の雪辱を晴らした。喜びに沸くチームの中で ふと背中から嫌な視線を感じて弾かれるように振り返れば、客席からこちらを見下ろす1人の選手と目が合った気がして 心がざわめき立つ。――きっと、気のせいだ。そう言い聞かせて意識をチームの方へと戻した。
「七瀬チャン」
コートを撤収した後は、いつも通り手洗い場でドリンクボトルの処理をしていた。その途中に背後から聞きなれない声で名前を呼ばれて振り返り、視界に入った人物にギクリと身体が強張る。私のすぐ後ろに立っていたのは、先程コートから目があったような気がした彼。やっぱり、あれは気のせいじゃなかったのだろうか。
「“ 七瀬”って呼ばれてるように聞こえてたけど、間違ってなかったみたいだ」
「――花宮、さん…」
「へぇ、オレのこと知ってんだね」
“悪童” 花宮真―――面識こそなかったが、私は彼を知っている。申し分のない実力を持ちながら、いい噂を聞かない人。「くだらねぇ肩書も役立つもんだな」そう言って笑う彼が、私なんかに何の用だというのだろう。
「…私に、何か用ですか?」
「ん?ああ、そんなに警戒しないでよ。まだ何もしないからさ」
(“まだ”……?)
「ただ、お姫様に挨拶しに来ただけ」
この人は、一体何を言っているのだろう。抱いた不信感を隠しもせず 眉を寄せて花宮さんを見上げれば、そんなに警戒しないでよ、と 同じ言葉を繰り返された。「それと、」一歩踏み出して距離を詰めた彼の手が私の肩に乗せられて、耳元に顔が寄せられる。
「――気を付けてよ」
呟かれたそれは気遣いの言葉であるはずなのに、脅迫のように響いて背筋を冷たいものが駆け上がる。逃げるように後退るけれど、背後の手洗い場に阻まれた。嫌な汗が伝うのを感じながら睨むように見上げた先の彼は、心底愉快そうに笑っている。
「じゃあまたね、七瀬チャン」
ヒラリと片手を振って去っていくその背中を、顔を顰めて見送った。
◇
そして迎えた秀徳との二度目の激突。今大会は延長の規定がなく、104対104の引き分けで試合を終えた。勝てなかった悔しさ、負けなかった安堵感。それは確かに存在していたけれど、それよりも私の胸を占めるこの感情は きっと喜びなのだろう。
(――真ちゃん)
あの真ちゃんが、パスを出した。あの真ちゃんが、ほんの僅かとはいえ試合中に笑っているように見えた。その変化がただただ嬉しくて、なんだか泣きたくなる。そんな気持ちでいっぱいいっぱいになっている私に気が付いたのか、不意にテツ君の手がぽんと頭に乗せられて 本当に泣いてしまいそうになった。
だけどこのままあっさり終われないのが誠凛バスケ部なのである。連れて来た2号が控室から姿を消しているということで、帰途につく前に部員総出で犬探しに駆り出される羽目となり、それは私も例外ではない。キョロキョロと辺りを見回しながら ほとんど人影のない廊下を歩く。この広い会場で、仔犬1匹を見つけ出す難易度の高さに溜め息を吐きたくなったところで 前方に見知った背中を見つけて駆け寄った。
「真ちゃん!」
「… 佐倉」
「おつかれさま、ナイスゲーム」
そんな私の労いの言葉に何の返事もなかったけれど、それで構わないと思う。試合中に感じた彼の変化も、あえて口にすることはしない。私が感じた喜びをどうすれば伝えられるだろうかと思いはしたけれど、きっと何をどう伝えたって 気難しい真ちゃんにはそっぽを向かれてしまうのだと分かるから 心に留めておくことにした。
きっとおしるこでも買いに行くんだろうな、なんて そんなことを考えて ふっと笑ってしまった私をジッと見ていた真ちゃんが、眼鏡のブリッジを押し上げながら視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「…お前は」
「うん?」
「危機感もなくいつでも能天気に笑うやつだと思っていたが」
「待って、そんなにストレートに人を馬鹿にすることってある?」
「…だがそれも、悪くないと今は思っている」
僅かに表情を緩めて真っ直ぐに向けられた言葉に、息が詰まるような感覚がした。穏やかな眼差しも、素直じゃないけど捻くれてない言葉も、私から平静を奪うには充分すぎる。まさかこんな言葉を真ちゃんの口から聞ける日が来るなんて一体誰が想像できただろう。
「え、え、真ちゃん どうしたの!?」
まったく予想していなかった展開に動揺を隠すこともできず、あたふたと誤魔化すように俯いた。バクバクと心臓がうるさい。今の私は、どんな顔をしているのだろう。顔を隠すように足元に視線を向けた私の頬に、真ちゃんの大きな手が撫でるように触れて びくりと肩が跳ねた。その触れ方がびっくりするぐらい優しくて、真ちゃんの手なのに 真ちゃんじゃないみたいだ。
「そうだな、今のオレは どうかしているようだ」
そんな声が聞こえて、私が視線を上げるより先に顎を掬い上げられる。そのせいで持ち上げられた視界に見えたのは、穏やかで、だけど確かな熱を孕んだ瞳。(――あ、)私が何かを思考するより先に 薄く開いた唇に そっと何かが触れた。“何か”なんて、この距離に真ちゃんの顔が見えることを考えれば、一つしかないのだけれど。
呆然と目を見開くことしかできなかった私の唇からその感触が離れたところで、我に返り 真ちゃんの胸を両手でぐっと押した。
「待って、人が来たら…!」
「誰もいない――それに、来たら来たで構わん」
「え…?」
「止める気はないと言っているのだよ」
ぐっと腰を抱き寄せられ ぴたりと身体が触れ合い、真ちゃん、彼の名を呼びかけた口を塞がれる。それは強引に深まっていくのに、今までにないほど優しくもあって どうしていいのか分からなくなる。ただただ私は、縋るように彼の胸元の服を掴んだ。
「七瀬チャン」
コートを撤収した後は、いつも通り手洗い場でドリンクボトルの処理をしていた。その途中に背後から聞きなれない声で名前を呼ばれて振り返り、視界に入った人物にギクリと身体が強張る。私のすぐ後ろに立っていたのは、先程コートから目があったような気がした彼。やっぱり、あれは気のせいじゃなかったのだろうか。
「“ 七瀬”って呼ばれてるように聞こえてたけど、間違ってなかったみたいだ」
「――花宮、さん…」
「へぇ、オレのこと知ってんだね」
“悪童” 花宮真―――面識こそなかったが、私は彼を知っている。申し分のない実力を持ちながら、いい噂を聞かない人。「くだらねぇ肩書も役立つもんだな」そう言って笑う彼が、私なんかに何の用だというのだろう。
「…私に、何か用ですか?」
「ん?ああ、そんなに警戒しないでよ。まだ何もしないからさ」
(“まだ”……?)
「ただ、お姫様に挨拶しに来ただけ」
この人は、一体何を言っているのだろう。抱いた不信感を隠しもせず 眉を寄せて花宮さんを見上げれば、そんなに警戒しないでよ、と 同じ言葉を繰り返された。「それと、」一歩踏み出して距離を詰めた彼の手が私の肩に乗せられて、耳元に顔が寄せられる。
「――気を付けてよ」
呟かれたそれは気遣いの言葉であるはずなのに、脅迫のように響いて背筋を冷たいものが駆け上がる。逃げるように後退るけれど、背後の手洗い場に阻まれた。嫌な汗が伝うのを感じながら睨むように見上げた先の彼は、心底愉快そうに笑っている。
「じゃあまたね、七瀬チャン」
ヒラリと片手を振って去っていくその背中を、顔を顰めて見送った。
◇
そして迎えた秀徳との二度目の激突。今大会は延長の規定がなく、104対104の引き分けで試合を終えた。勝てなかった悔しさ、負けなかった安堵感。それは確かに存在していたけれど、それよりも私の胸を占めるこの感情は きっと喜びなのだろう。
(――真ちゃん)
あの真ちゃんが、パスを出した。あの真ちゃんが、ほんの僅かとはいえ試合中に笑っているように見えた。その変化がただただ嬉しくて、なんだか泣きたくなる。そんな気持ちでいっぱいいっぱいになっている私に気が付いたのか、不意にテツ君の手がぽんと頭に乗せられて 本当に泣いてしまいそうになった。
だけどこのままあっさり終われないのが誠凛バスケ部なのである。連れて来た2号が控室から姿を消しているということで、帰途につく前に部員総出で犬探しに駆り出される羽目となり、それは私も例外ではない。キョロキョロと辺りを見回しながら ほとんど人影のない廊下を歩く。この広い会場で、仔犬1匹を見つけ出す難易度の高さに溜め息を吐きたくなったところで 前方に見知った背中を見つけて駆け寄った。
「真ちゃん!」
「… 佐倉」
「おつかれさま、ナイスゲーム」
そんな私の労いの言葉に何の返事もなかったけれど、それで構わないと思う。試合中に感じた彼の変化も、あえて口にすることはしない。私が感じた喜びをどうすれば伝えられるだろうかと思いはしたけれど、きっと何をどう伝えたって 気難しい真ちゃんにはそっぽを向かれてしまうのだと分かるから 心に留めておくことにした。
きっとおしるこでも買いに行くんだろうな、なんて そんなことを考えて ふっと笑ってしまった私をジッと見ていた真ちゃんが、眼鏡のブリッジを押し上げながら視線を逸らし、小さく息を吐いた。
「…お前は」
「うん?」
「危機感もなくいつでも能天気に笑うやつだと思っていたが」
「待って、そんなにストレートに人を馬鹿にすることってある?」
「…だがそれも、悪くないと今は思っている」
僅かに表情を緩めて真っ直ぐに向けられた言葉に、息が詰まるような感覚がした。穏やかな眼差しも、素直じゃないけど捻くれてない言葉も、私から平静を奪うには充分すぎる。まさかこんな言葉を真ちゃんの口から聞ける日が来るなんて一体誰が想像できただろう。
「え、え、真ちゃん どうしたの!?」
まったく予想していなかった展開に動揺を隠すこともできず、あたふたと誤魔化すように俯いた。バクバクと心臓がうるさい。今の私は、どんな顔をしているのだろう。顔を隠すように足元に視線を向けた私の頬に、真ちゃんの大きな手が撫でるように触れて びくりと肩が跳ねた。その触れ方がびっくりするぐらい優しくて、真ちゃんの手なのに 真ちゃんじゃないみたいだ。
「そうだな、今のオレは どうかしているようだ」
そんな声が聞こえて、私が視線を上げるより先に顎を掬い上げられる。そのせいで持ち上げられた視界に見えたのは、穏やかで、だけど確かな熱を孕んだ瞳。(――あ、)私が何かを思考するより先に 薄く開いた唇に そっと何かが触れた。“何か”なんて、この距離に真ちゃんの顔が見えることを考えれば、一つしかないのだけれど。
呆然と目を見開くことしかできなかった私の唇からその感触が離れたところで、我に返り 真ちゃんの胸を両手でぐっと押した。
「待って、人が来たら…!」
「誰もいない――それに、来たら来たで構わん」
「え…?」
「止める気はないと言っているのだよ」
ぐっと腰を抱き寄せられ ぴたりと身体が触れ合い、真ちゃん、彼の名を呼びかけた口を塞がれる。それは強引に深まっていくのに、今までにないほど優しくもあって どうしていいのか分からなくなる。ただただ私は、縋るように彼の胸元の服を掴んだ。