ゼラニウムに捧ぐ
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合宿初日を終えたその夜、明日のメニューを考えるというリコさんの邪魔にならないよう 私は先に浴場へと向かうことにした。この宿舎は決して新しいわけではなく お世辞にも綺麗とは言えない作りだけれど、それでも大きなお風呂というのはそれだけで特別で満たされる。普段の練習後よりはるかに疲労と充実を感じながら入浴を済ませれば、心身ともにすっきりとする。日中は下ろしている髪を纏め上げクリップで止め、るんるんと軽い足取りで廊下を進んだ。
並んでいる種類は少なかったけれど、ロビーに自販機があったはずだから何か飲み物を買っていこう。そう思って立ち寄ったロビーのソファに座る見知った後ろ姿を見つけ、そちらへと歩み寄る。
「お疲れさまです」
「ん?ああ七瀬、お疲れさん」
ソファの背もたれ越しにこちらを振り向いた木吉さんは笑顔で言葉を返してくれ、手に持っていた缶コーヒーに口を付ける。私もソファの前に回ってローテーブルに入浴道具を置いて、自販機の前に立つ。お茶と水とコーヒーしかないけど何にしようかな、お茶でいいか。
「風呂か?」
「はい。リコさんが明日のメニューを考えるそうで、邪魔しないよう先に」
「ははっ…明日も一段とキツそうだ」
自販機からペットボトルを取り出して振り向けば、木吉さんは苦笑いをして 飲み干したであろう缶を 軽い音を立ててテーブルに置いた。そんな彼の横顔をジーっと見つめながら、考える。毎日練習をしていた他の選手たちでさえ疲れ切っていたハードな練習を、1年間も部活を離れていた木吉さんが同じメニューをこなしていたのだ。怪我は完治したとはいえ、同時に体力が戻るわけではない。しんどくないはずなんてないのに、この人はそんな様子など微塵も見せないのだ。手に持っていたペットボトルをテーブルに置いて、ソファに座る木吉さんへと歩み寄り前に立つ。そっと手を伸ばし、撫でるように彼の耳元の髪に触れた。
「……七瀬?」
「え?…あ!すみません!」
不思議そうに私を見上げる木吉さんに名前を呼ばれて我に返る。完全に無意識だったけれど、先輩に対して失礼すぎた。慌てて引っ込めようとした手首を掴まれ、ジッと見つめられて たじろいでしまう。この目を誤魔化せるとも思えないし、誤魔化そうとしたところで見透かされてしまいそうだ。木吉さんの視線から逃げるように俯いて、だけど諦めて正直に言葉にする。
「木吉さんは、ブランクもあって しんどいはずなのに」
「うん」
「そんな素振りを全然見せないな、と…思って……」
だからと言って、あの行動はないだろう。言っていて自分が恥ずかしくなり、言葉尻が弱くなる。失礼過ぎたし、恥ずかしすぎる。居た堪れない気持ちになっていると「そうか」と、どこか嬉しそうな木吉さんの声が聞こえた。それから 掴まれていた手首を引かれ腰を抱き寄せられて、木吉さんは私の肩口に顔を埋める。
「き、木吉さん…?」
「ちょっと疲労回復」
どきどきと鳴る胸の音が彼に聞こえませんようにと祈りながら、目の前にある柔らかい髪に そっと指を通した。
◇
翌朝、朝食の用意を終えて片付けと配膳の準備をしていると包丁がないことに気が付いた。選手たちが集まり始めた食堂に 火神とテツ君の姿が見えず「ちょっと呼んでくる」と言ったリコさんの手には 確かに包丁があったはずだ。あれ、もしかしてリコさん、包丁持ったまま呼びに行っちゃった?浮かんだ想像に嫌な汗が背中を伝い、エプロンのポケットに布巾を入れて急ぎ足で宿泊部屋の方へと向かった。
廊下を進んで行くと、何やら随分と騒がしい声が聞こえてくる。リコさん達の姿を見つけて足を速めたところで「つーか、誠凛がいるってことはさ」聞いたことのある声が聞こえた気がした。
「リコさん!包丁持って行ったら危ないですよ…って、え?」
「ビンゴ!七瀬ちゃんおはよ、久しぶりー!」
「高尾くん…と、真ちゃん!?」
火神の陰で気が付かなかったけれど、その場には他校の2人の姿もあった。どうして2人がここにと驚く私に、秀徳も毎年ここで調整合宿をするのだと高尾くんが説明してくれる。まさか同じ場所で同じ期間に合宿だなんて、こんな偶然があるのだろうか。
「すごい偶然だね…」
「合宿中はオレ達も一つ屋根の下ってね!」
「ははっ、なにそれ」
「馬鹿言ってる場合ではないのだよ高尾。行くぞ」
「へいへーい。じゃね、七瀬ちゃん。しばらくの間 よろしく」
「あ、うん、よろしく!」
不機嫌そうに去る真ちゃんの後ろを、高尾くんが ヒラヒラとこちらに手を振りながらついて行く。そんな2人の背中を見送って、さっさと食堂行くわよ と踵を返したリコさんを私たちはすぐに追うことはできず、呆然と立ち尽くしていた。
「アイツらと一緒って マジかよ…」
「楽しくなりそうだね」
「はぁ?」
「…どちらかと言えば、嵐の予感だと思いますけど」
「え、そうなの?」
火神とテツ君の感想が、私のものとは かけ離れていて純粋に驚いた。やはりインターハイ予選での因縁もあるわけで、知り合いが増えて嬉しい なんていう単純なものではないのだろうか。うーん、と首を傾げた私にはお構いなしに歩き始めた火神とテツ君の さらに少し前を行くリコさんの「時間ないわよ、早くしなさい!」の声で我に返り、慌てて3人の後を追った。
並んでいる種類は少なかったけれど、ロビーに自販機があったはずだから何か飲み物を買っていこう。そう思って立ち寄ったロビーのソファに座る見知った後ろ姿を見つけ、そちらへと歩み寄る。
「お疲れさまです」
「ん?ああ七瀬、お疲れさん」
ソファの背もたれ越しにこちらを振り向いた木吉さんは笑顔で言葉を返してくれ、手に持っていた缶コーヒーに口を付ける。私もソファの前に回ってローテーブルに入浴道具を置いて、自販機の前に立つ。お茶と水とコーヒーしかないけど何にしようかな、お茶でいいか。
「風呂か?」
「はい。リコさんが明日のメニューを考えるそうで、邪魔しないよう先に」
「ははっ…明日も一段とキツそうだ」
自販機からペットボトルを取り出して振り向けば、木吉さんは苦笑いをして 飲み干したであろう缶を 軽い音を立ててテーブルに置いた。そんな彼の横顔をジーっと見つめながら、考える。毎日練習をしていた他の選手たちでさえ疲れ切っていたハードな練習を、1年間も部活を離れていた木吉さんが同じメニューをこなしていたのだ。怪我は完治したとはいえ、同時に体力が戻るわけではない。しんどくないはずなんてないのに、この人はそんな様子など微塵も見せないのだ。手に持っていたペットボトルをテーブルに置いて、ソファに座る木吉さんへと歩み寄り前に立つ。そっと手を伸ばし、撫でるように彼の耳元の髪に触れた。
「……七瀬?」
「え?…あ!すみません!」
不思議そうに私を見上げる木吉さんに名前を呼ばれて我に返る。完全に無意識だったけれど、先輩に対して失礼すぎた。慌てて引っ込めようとした手首を掴まれ、ジッと見つめられて たじろいでしまう。この目を誤魔化せるとも思えないし、誤魔化そうとしたところで見透かされてしまいそうだ。木吉さんの視線から逃げるように俯いて、だけど諦めて正直に言葉にする。
「木吉さんは、ブランクもあって しんどいはずなのに」
「うん」
「そんな素振りを全然見せないな、と…思って……」
だからと言って、あの行動はないだろう。言っていて自分が恥ずかしくなり、言葉尻が弱くなる。失礼過ぎたし、恥ずかしすぎる。居た堪れない気持ちになっていると「そうか」と、どこか嬉しそうな木吉さんの声が聞こえた。それから 掴まれていた手首を引かれ腰を抱き寄せられて、木吉さんは私の肩口に顔を埋める。
「き、木吉さん…?」
「ちょっと疲労回復」
どきどきと鳴る胸の音が彼に聞こえませんようにと祈りながら、目の前にある柔らかい髪に そっと指を通した。
◇
翌朝、朝食の用意を終えて片付けと配膳の準備をしていると包丁がないことに気が付いた。選手たちが集まり始めた食堂に 火神とテツ君の姿が見えず「ちょっと呼んでくる」と言ったリコさんの手には 確かに包丁があったはずだ。あれ、もしかしてリコさん、包丁持ったまま呼びに行っちゃった?浮かんだ想像に嫌な汗が背中を伝い、エプロンのポケットに布巾を入れて急ぎ足で宿泊部屋の方へと向かった。
廊下を進んで行くと、何やら随分と騒がしい声が聞こえてくる。リコさん達の姿を見つけて足を速めたところで「つーか、誠凛がいるってことはさ」聞いたことのある声が聞こえた気がした。
「リコさん!包丁持って行ったら危ないですよ…って、え?」
「ビンゴ!七瀬ちゃんおはよ、久しぶりー!」
「高尾くん…と、真ちゃん!?」
火神の陰で気が付かなかったけれど、その場には他校の2人の姿もあった。どうして2人がここにと驚く私に、秀徳も毎年ここで調整合宿をするのだと高尾くんが説明してくれる。まさか同じ場所で同じ期間に合宿だなんて、こんな偶然があるのだろうか。
「すごい偶然だね…」
「合宿中はオレ達も一つ屋根の下ってね!」
「ははっ、なにそれ」
「馬鹿言ってる場合ではないのだよ高尾。行くぞ」
「へいへーい。じゃね、七瀬ちゃん。しばらくの間 よろしく」
「あ、うん、よろしく!」
不機嫌そうに去る真ちゃんの後ろを、高尾くんが ヒラヒラとこちらに手を振りながらついて行く。そんな2人の背中を見送って、さっさと食堂行くわよ と踵を返したリコさんを私たちはすぐに追うことはできず、呆然と立ち尽くしていた。
「アイツらと一緒って マジかよ…」
「楽しくなりそうだね」
「はぁ?」
「…どちらかと言えば、嵐の予感だと思いますけど」
「え、そうなの?」
火神とテツ君の感想が、私のものとは かけ離れていて純粋に驚いた。やはりインターハイ予選での因縁もあるわけで、知り合いが増えて嬉しい なんていう単純なものではないのだろうか。うーん、と首を傾げた私にはお構いなしに歩き始めた火神とテツ君の さらに少し前を行くリコさんの「時間ないわよ、早くしなさい!」の声で我に返り、慌てて3人の後を追った。