ゼラニウムに捧ぐ
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決勝リーグで敗退し、インターハイ出場の夢が潰えた日から一週間ほどが経った。まだ完全に立ち直ったと言い切れないチーム状況ではあるけれど、ウィンターカップに向けて動き始めたチームを支えるのが自分の仕事だと分かっている。だけどその土曜日、私は家に閉じ籠もっていた。
数日前から頭痛と身体のダルさはあった。だけどきっと少し疲れているのだと その程度にしか思っていなかった。それが昨夜から高熱が出て、情けないことに療養を強いられることとなったのである。
◇
その日、黄瀬は東京に来ていた。部活が午前中だけだった土曜日に、午後からほんのちょっとした用事で訪れた東京で、用を済ませてすぐにとんぼ返りでは勿体ない気がして お誘いのメールを送ったのが14時前。そしてそこから半時間ほど経った今、メールの受信を知らせた携帯を開いて確認し、わずかに顔を顰めた。部活があると断られるだろうという予想に反して、届いたのは「ごめんきょうはちょっとむり」と、変換さえされていない文字たちだった。けれど、その文面には見覚えがある。
七瀬は、同年代の女子が好むような絵文字に溢れたメールを打つタイプの人間ではない。だからと言って全く使用しないわけではなく、パッと見たメール全体が寂しく 或いは冷たく感じない程度には絵文字も使われる。そして何より、誤字脱字が皆無と言っていいほどに少ない。その七瀬が、変換をしないメールを送って来ることなど黄瀬にとって異常でしかないのだ。過去に一度―――中学二年の冬、彼女が高熱を出して寝込んでいたという日に 変換さえされず平仮名だけで 必要最小限の労力で入力されたメールを受けたことがあるだけで。
過去の記憶と重なった瞬間に、考えるよりも先に電話帳を開いて発信していた。「……りょうた?」呼び出し音が途切れて少しの間を置いてから受話器越しに聞こえた声は 掠れていて弱々しくて、やっぱり と無意識に声が漏れた。
「七瀬っち!大丈夫っスか!?」
『うん、トイレとか飲み物の用意とかも自分でできるし』
「え、待って、自分でって…一人なんスか?ご両親は?」
『ロンドン』
「……はい?」
言ってなかったっけ、と なんて事ないようなトーンで返された声は やっぱりいつもの彼女の声とは違って 辛そうに聞こえる。それでも丁寧に説明してくれようとするのは きっと七瀬の性格で、体調が悪い時に余計なことを喋らせてしまったと後悔しながらも 現状把握のために しっかりと耳を傾ける。
同じ職場で働く彼女の両親は(会社側の配慮で2人そろって)今年からロンドンで働くことになった。しかし3年間で日本に戻るという条件での異動であったため、七瀬はついて行かず、日本に残りこちらで高校生活を過ごすことにした。そういう事らしい。つまり、今に限らず向こう3年間、彼女は体調を崩した時でさえ一人だということになる。
「…今から行くから、待ってて」
『ダメ、もし移したら』
「いいから。オレが心配なだけっスから」
こんな時に他人の心配してる場合かよ。そう思いはしたが、口には出さない。きっとそれもまた彼女の性格なのだから。そのあと少し話してから通話を切り、急ぎ足でコンビニに向かった。
◇
中学の時に何度か送って帰ったことがあるから彼女のマンションの場所は知っている。部屋番号はさっき聞いた。エレベーターを降りて廊下を進み、目的の部屋の前で“佐倉”の表札を確認してからインターホンを押す。しばらく待つと ゆっくりとドアが開き、中から七瀬が顔を出した。熱の所為だろうか、いつもより赤らんだ頬と潤んだ瞳にドキリとする。
「…入っても、大丈夫っスか?」
「ん、何もおもてなしできないけど」
「今はそういう事 考えなくていいんスよ」
電話で食欲がないと言っていた彼女に、ゼリーとスポーツドリンクを買ってきた。それを渡してすぐに帰ろうかとも思っていたけれど、これだけ辛そうな顔を見せられると すぐにまた一人にしてしまうのも心が痛む。決して下心があったわけではない、と 思う。
招かれるまま玄関に上がり、こんな時まで気を遣おうとする彼女の頭に手を乗せたら、その熱さに驚いた。ヘラリと笑った笑顔にもどこか力がなくて、居た堪れなくなる。
「ごめん七瀬っち、出迎えに来させちゃったっスよね」
「んーん、これぐらい平気」
「部屋まで抱っこしてあげよっか」
「ばか」
結構本気なんスけど。廊下を進む七瀬の後ろをついて歩きながら唇を尖らせればクスクスと笑い声が聞こえて、それにひどく安堵した。元気であるわけはないけれど、今にもぶっ倒れそうだとか そういう様子ではないようだ。
通されたリビングダイニングで 持っていたコンビニ袋の中身を説明しながらテーブルの上に置き、振り返ると彼女はリビングのソファの上で膝を抱えるように丸くなって座っていた。
「寝てなくて平気?あ、オレがいると寝れないっスよね」
「ううん、違うの。しんどいし寝たいんだけど、なんだか眠れなくて」
「……?じゃ、オレがギュッてしてあげよっか!」
七瀬の前に移動して、パッと笑って両手を広げてそう言えば 彼女はただ何も言わずに上目遣いでこちらを見ている。(あ、れ…?)いつもの彼女なら ばかじゃないの、とか はいはいありがとね、とか 冗談として受け流すような言葉が返されるはずで、今もそういう返しを覚悟していたけれど。もしかして、と 心臓が震えた気がした。
その場にしゃがんで、ソファの上で丸くなる彼女を見上げながら 差し出すようにもう一度両腕を広げる。
「…七瀬、おいで?」
そう呼べば、ゆっくりソファを下りた彼女は オレの両足の間でストンと足を崩して座り込む。表情を隠すように俯いたまま 熱い額が胸元に触れたのを合図に、火照る彼女の体をギュッと抱きしめた。
数日前から頭痛と身体のダルさはあった。だけどきっと少し疲れているのだと その程度にしか思っていなかった。それが昨夜から高熱が出て、情けないことに療養を強いられることとなったのである。
◇
その日、黄瀬は東京に来ていた。部活が午前中だけだった土曜日に、午後からほんのちょっとした用事で訪れた東京で、用を済ませてすぐにとんぼ返りでは勿体ない気がして お誘いのメールを送ったのが14時前。そしてそこから半時間ほど経った今、メールの受信を知らせた携帯を開いて確認し、わずかに顔を顰めた。部活があると断られるだろうという予想に反して、届いたのは「ごめんきょうはちょっとむり」と、変換さえされていない文字たちだった。けれど、その文面には見覚えがある。
七瀬は、同年代の女子が好むような絵文字に溢れたメールを打つタイプの人間ではない。だからと言って全く使用しないわけではなく、パッと見たメール全体が寂しく 或いは冷たく感じない程度には絵文字も使われる。そして何より、誤字脱字が皆無と言っていいほどに少ない。その七瀬が、変換をしないメールを送って来ることなど黄瀬にとって異常でしかないのだ。過去に一度―――中学二年の冬、彼女が高熱を出して寝込んでいたという日に 変換さえされず平仮名だけで 必要最小限の労力で入力されたメールを受けたことがあるだけで。
過去の記憶と重なった瞬間に、考えるよりも先に電話帳を開いて発信していた。「……りょうた?」呼び出し音が途切れて少しの間を置いてから受話器越しに聞こえた声は 掠れていて弱々しくて、やっぱり と無意識に声が漏れた。
「七瀬っち!大丈夫っスか!?」
『うん、トイレとか飲み物の用意とかも自分でできるし』
「え、待って、自分でって…一人なんスか?ご両親は?」
『ロンドン』
「……はい?」
言ってなかったっけ、と なんて事ないようなトーンで返された声は やっぱりいつもの彼女の声とは違って 辛そうに聞こえる。それでも丁寧に説明してくれようとするのは きっと七瀬の性格で、体調が悪い時に余計なことを喋らせてしまったと後悔しながらも 現状把握のために しっかりと耳を傾ける。
同じ職場で働く彼女の両親は(会社側の配慮で2人そろって)今年からロンドンで働くことになった。しかし3年間で日本に戻るという条件での異動であったため、七瀬はついて行かず、日本に残りこちらで高校生活を過ごすことにした。そういう事らしい。つまり、今に限らず向こう3年間、彼女は体調を崩した時でさえ一人だということになる。
「…今から行くから、待ってて」
『ダメ、もし移したら』
「いいから。オレが心配なだけっスから」
こんな時に他人の心配してる場合かよ。そう思いはしたが、口には出さない。きっとそれもまた彼女の性格なのだから。そのあと少し話してから通話を切り、急ぎ足でコンビニに向かった。
◇
中学の時に何度か送って帰ったことがあるから彼女のマンションの場所は知っている。部屋番号はさっき聞いた。エレベーターを降りて廊下を進み、目的の部屋の前で“佐倉”の表札を確認してからインターホンを押す。しばらく待つと ゆっくりとドアが開き、中から七瀬が顔を出した。熱の所為だろうか、いつもより赤らんだ頬と潤んだ瞳にドキリとする。
「…入っても、大丈夫っスか?」
「ん、何もおもてなしできないけど」
「今はそういう事 考えなくていいんスよ」
電話で食欲がないと言っていた彼女に、ゼリーとスポーツドリンクを買ってきた。それを渡してすぐに帰ろうかとも思っていたけれど、これだけ辛そうな顔を見せられると すぐにまた一人にしてしまうのも心が痛む。決して下心があったわけではない、と 思う。
招かれるまま玄関に上がり、こんな時まで気を遣おうとする彼女の頭に手を乗せたら、その熱さに驚いた。ヘラリと笑った笑顔にもどこか力がなくて、居た堪れなくなる。
「ごめん七瀬っち、出迎えに来させちゃったっスよね」
「んーん、これぐらい平気」
「部屋まで抱っこしてあげよっか」
「ばか」
結構本気なんスけど。廊下を進む七瀬の後ろをついて歩きながら唇を尖らせればクスクスと笑い声が聞こえて、それにひどく安堵した。元気であるわけはないけれど、今にもぶっ倒れそうだとか そういう様子ではないようだ。
通されたリビングダイニングで 持っていたコンビニ袋の中身を説明しながらテーブルの上に置き、振り返ると彼女はリビングのソファの上で膝を抱えるように丸くなって座っていた。
「寝てなくて平気?あ、オレがいると寝れないっスよね」
「ううん、違うの。しんどいし寝たいんだけど、なんだか眠れなくて」
「……?じゃ、オレがギュッてしてあげよっか!」
七瀬の前に移動して、パッと笑って両手を広げてそう言えば 彼女はただ何も言わずに上目遣いでこちらを見ている。(あ、れ…?)いつもの彼女なら ばかじゃないの、とか はいはいありがとね、とか 冗談として受け流すような言葉が返されるはずで、今もそういう返しを覚悟していたけれど。もしかして、と 心臓が震えた気がした。
その場にしゃがんで、ソファの上で丸くなる彼女を見上げながら 差し出すようにもう一度両腕を広げる。
「…七瀬、おいで?」
そう呼べば、ゆっくりソファを下りた彼女は オレの両足の間でストンと足を崩して座り込む。表情を隠すように俯いたまま 熱い額が胸元に触れたのを合図に、火照る彼女の体をギュッと抱きしめた。