ゼラニウムに捧ぐ
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全中三連覇という輝かしい偉業を成し遂げ、“キセキの世代”が中学バスケ界を引退してから1ヶ月。私の胸にあるのは達成感や誇らしさではなく、罪悪感、絶望、後悔…そういう類のものだった。
他人にはない才能を持つ“彼女”と違って 特別な仕事を任されることもなかった私は、いつでも練習の場にいられて彼らの変化を1番間近で見ていたし、コートの外から全体を見れる私こそが 誰よりも大きくその変化を感じられていたはずだ。だからきっと、私が彼らを止めないといけなかった。私にしかできないことだった。なのに、止められなかった。
大好きなバスケを、こわいと思った。もはや誰かを傷付け踏みにじる凶器なのだとさえ思うほどに。
だから私は、逃げることを選んだ。
◇
放課後に図書室で少しの勉強をして帰途につくころ、陽は傾き 空は茜色に染まっていた。部活をしていない生徒は下校し、部活動が終わるにはまだ早い。そんな今の時間に他の生徒の姿は1人も見えなくて、校内に私1人しかいないのではないかとさえ思えてくる。
上履きをローファーに履き替え下足ホールを出れば、グラウンドの方からは野球部やサッカー部の声が聞こえてくる。そしてその反対側―――体育館の方へ視線を向けた。
当然ながら中の様子は見えない。声だって聞こえない。だけど後輩たちが練習に打ち込む姿は想像できる。あそこで過ごした2年半は、私にとってとても楽しい時間だった、はずなのに。今ではもう、胸の痛みと対戦相手の絶望した表情しか思い出として浮かんでこない。校内で彼らと会っても、どう接したらいいのか分からない。だから、もう、終わりにしよう。幸いにも同じクラスではないから。もう、会わない。離れてしまおう。
さようなら。口からこぼれた小さな声は、誰に届くこともなく風に乗って消えたはずだ。
「佐倉」
不意に背後から名前を呼ばれて振り返れば、どきりと心臓が鳴った。たった今、会わないことを決意したばかりの人が居たのだから。
真ちゃん。呼び返した彼の名前は、ひどく掠れた声だったかもしれない。
靴を履き替えこちらに近付いてくる彼に、どんな声をかけたらいいのか分からない。今まで私は、どうやって彼と接していただろう。
「なんか久しぶりだね」
「お前がオレ達を避けているからな」
口をついたのは当たり障りのないセリフだったはずなのに、返された言葉に そんなことない とは答えられなかった。言ったところで、そんな見え透いた嘘が彼に通用するとは思えないけれど。
「お前が考えている事を当ててやろうか」
「え…?」
私の隣に並んで足を止めた真ちゃんは、その長くて綺麗な指で眼鏡のブリッジを押し上げながら 真っ直ぐに私を見下ろす。その眼差しがひどく冷たくて、身動きが取れない。
もともと真ちゃんはとても落ち着いていて、本当に同級生なのだろうかと思うことだってあった。だけど、こんなにも冷たい眼はしていなかった。彼も変わってしまったのだと思い知る。
「オレ達との決別――といったところだろう?」
「っ、…なんの、はなし?」
言い当てられたことにドキリとして、思わず視線を逸らしてしまう。私が彼を相手に誤魔化し通せるわけがないのだから 無意味だと知りながら、とぼける様な言葉を紡ぐ。
どうして、分かるの。それを私に言って、真ちゃんはどうしたいの。そう思いはするけれど、彼を目を見られず視線を足下に落とす。
「何をしても お前が帝光バスケ部だったという事実は変わらないのだよ」
「そう だけど、私は同じじゃない」
「同じだ」
「違う!」
弾かれるように視線を上げれば、真ちゃんと視線が合う。どこか怒ったように、或いは苦しそうに、眉を寄せた彼のその眼には先ほどまでの冷たさはなく、それどころか燃えるような熱を孕んでいて息が詰まる。こんな真ちゃん、知らない。
「――っ、私、帰るね!」
「佐倉」
見てはいけない物を見てしまったような気がして、逃げるように駆け出そうとした私の手首を真ちゃんが掴んだ。その手を引かれて体が引き戻されれば、開きかけた距離が容易く埋まる。もう片方の手が伸びてきて後頭部に触れたかと思えば、グッと引き寄せられた。
「――逃がさない」
鼻先が触れ合う距離でそんな言葉が聞こえた直後、唇に何かが触れる。突然の出来事に頭が真っ白になって、何が起こっているのか理解が追いつかない。
数秒の後に感触が離れ、視界いっぱいに見える真ちゃんの顔を 目を瞬かせながら呆然と見つめることしかできなかった。今、彼は私に何をした?
「オレたちに罪があると言うなら、お前も同罪だ」
感情を含まない真ちゃんの声が、呪いのように耳に響いた。
他人にはない才能を持つ“彼女”と違って 特別な仕事を任されることもなかった私は、いつでも練習の場にいられて彼らの変化を1番間近で見ていたし、コートの外から全体を見れる私こそが 誰よりも大きくその変化を感じられていたはずだ。だからきっと、私が彼らを止めないといけなかった。私にしかできないことだった。なのに、止められなかった。
大好きなバスケを、こわいと思った。もはや誰かを傷付け踏みにじる凶器なのだとさえ思うほどに。
だから私は、逃げることを選んだ。
◇
放課後に図書室で少しの勉強をして帰途につくころ、陽は傾き 空は茜色に染まっていた。部活をしていない生徒は下校し、部活動が終わるにはまだ早い。そんな今の時間に他の生徒の姿は1人も見えなくて、校内に私1人しかいないのではないかとさえ思えてくる。
上履きをローファーに履き替え下足ホールを出れば、グラウンドの方からは野球部やサッカー部の声が聞こえてくる。そしてその反対側―――体育館の方へ視線を向けた。
当然ながら中の様子は見えない。声だって聞こえない。だけど後輩たちが練習に打ち込む姿は想像できる。あそこで過ごした2年半は、私にとってとても楽しい時間だった、はずなのに。今ではもう、胸の痛みと対戦相手の絶望した表情しか思い出として浮かんでこない。校内で彼らと会っても、どう接したらいいのか分からない。だから、もう、終わりにしよう。幸いにも同じクラスではないから。もう、会わない。離れてしまおう。
さようなら。口からこぼれた小さな声は、誰に届くこともなく風に乗って消えたはずだ。
「佐倉」
不意に背後から名前を呼ばれて振り返れば、どきりと心臓が鳴った。たった今、会わないことを決意したばかりの人が居たのだから。
真ちゃん。呼び返した彼の名前は、ひどく掠れた声だったかもしれない。
靴を履き替えこちらに近付いてくる彼に、どんな声をかけたらいいのか分からない。今まで私は、どうやって彼と接していただろう。
「なんか久しぶりだね」
「お前がオレ達を避けているからな」
口をついたのは当たり障りのないセリフだったはずなのに、返された言葉に そんなことない とは答えられなかった。言ったところで、そんな見え透いた嘘が彼に通用するとは思えないけれど。
「お前が考えている事を当ててやろうか」
「え…?」
私の隣に並んで足を止めた真ちゃんは、その長くて綺麗な指で眼鏡のブリッジを押し上げながら 真っ直ぐに私を見下ろす。その眼差しがひどく冷たくて、身動きが取れない。
もともと真ちゃんはとても落ち着いていて、本当に同級生なのだろうかと思うことだってあった。だけど、こんなにも冷たい眼はしていなかった。彼も変わってしまったのだと思い知る。
「オレ達との決別――といったところだろう?」
「っ、…なんの、はなし?」
言い当てられたことにドキリとして、思わず視線を逸らしてしまう。私が彼を相手に誤魔化し通せるわけがないのだから 無意味だと知りながら、とぼける様な言葉を紡ぐ。
どうして、分かるの。それを私に言って、真ちゃんはどうしたいの。そう思いはするけれど、彼を目を見られず視線を足下に落とす。
「何をしても お前が帝光バスケ部だったという事実は変わらないのだよ」
「そう だけど、私は同じじゃない」
「同じだ」
「違う!」
弾かれるように視線を上げれば、真ちゃんと視線が合う。どこか怒ったように、或いは苦しそうに、眉を寄せた彼のその眼には先ほどまでの冷たさはなく、それどころか燃えるような熱を孕んでいて息が詰まる。こんな真ちゃん、知らない。
「――っ、私、帰るね!」
「佐倉」
見てはいけない物を見てしまったような気がして、逃げるように駆け出そうとした私の手首を真ちゃんが掴んだ。その手を引かれて体が引き戻されれば、開きかけた距離が容易く埋まる。もう片方の手が伸びてきて後頭部に触れたかと思えば、グッと引き寄せられた。
「――逃がさない」
鼻先が触れ合う距離でそんな言葉が聞こえた直後、唇に何かが触れる。突然の出来事に頭が真っ白になって、何が起こっているのか理解が追いつかない。
数秒の後に感触が離れ、視界いっぱいに見える真ちゃんの顔を 目を瞬かせながら呆然と見つめることしかできなかった。今、彼は私に何をした?
「オレたちに罪があると言うなら、お前も同罪だ」
感情を含まない真ちゃんの声が、呪いのように耳に響いた。